第十一章

第257話 魔王の予備は今

 召喚勇者である望子を始めとした一行、奇想天外ユニークが魔王軍幹部が一体──『生ける災害リビングカラミティ』イグノールに敗北し、イグノールが望子を自分の巣へと連れ去った。



 その衝撃的な出来事の、およそ一週間程前──。



 恒久的な闇が全土を支配し、まるで幽霊都市ゴーストタウンの様な昏い城下町の中心に城を構える暗黒の地──魔族領。


 その日、世界を我が手に収めんと目論む魔王コアノル=エルテンスが住まう城の一角にて、ある一体の魔族が同胞からの惨たらしい拷問に苦悶の声を上げる。


「──……ぁ、ぐぅ……っ」


 お世辞にも綺麗とは言えない壁に取り付けられた手枷で動きを封じられ、おそらく美麗だった筈の顔を歪めた血塗れの女性魔族が誰かと問われたのなら──。



 彼女の名は、ウィザウト。



 ほんの数日前、魔王軍幹部が一体『魔王の予備サタンズスペア』として魔王コアノルも警戒する狐人ワーフォックスと相対した魔族。


 魔王軍幹部とは言ったものの、ウィザウト自身は下級にも劣る力しか持ち合わせておらず、その座に就く事が出来たのは魔王軍で唯一『闇黒死配ダクロウル』と名づけられた魔王のみが扱える超級魔術を扱えたからであり。


 そんなお飾り幹部だった彼女は狐人ワーフォックスの蒼炎で焼失させられたと思われていたが、どうやらあの時の蒼炎には転移の力しか込められていなかったらしく、いつの間にかガナシア大陸から魔族まで飛ばされていた。



 命があってよかった──。



 普通の環境なら、そうなるかもしれなかったが。



「意識を失う事は許していませんが? ウィザウト」

「も、申し訳、ございません、デクストラ様……」



 生憎、彼女は魔族であり──ここは魔族領。



 課せられた任務もこなせないばかりか、おめおめと見逃されてしまったお飾り幹部を彼女が──デクストラが簡単に許す訳もなく、そこまで立場が変わらない筈の魔王の側近は拷問にも近い仕打ちを与えていた。


 その手には、どれだけ控えめに言っても凶悪な造りで漆黒の光沢を放つ鞭が握られており、そこに闇の炎や雷を纏わせて身体を打つ事で、ただでさえ弱いウィザウトの褐色の肌をズタズタに裂いてしまっている。


 勿論、ただ単に失敗しただけならデクストラも普段は拷問などはせず、せいぜい呆れるか失望するかくらいしかしないのだが今回だけはそうもいかない様で。


「ウィザウト、貴女に与えた猶予は何年でしたか?」

「……ひゃ、百年、で──ぎぃうっ!」


 デクストラが、ウィザウトに課していた任務の制限期間を答える様に促し、それを受けたウィザウトが口ごもりながらも答え終わる前に、その手にある鞭が彼女の身体を打ち服がはだけて豊満な胸が露わになる。


 当然ながら、そんな事など気にもかけないデクストラは目にも止まらぬ速度で鞭を引き戻しつつ、『その通りです』と昏く冷たい笑みを湛えて顔を近づけて。


「……流石に、それだけの長い年月があれば貧弱な貴女でも火光かぎろいを始末可能だろうと踏んで、コアノル様に提言したのは──私なんですよ? ねぇ、ウィザウト」

「も、申し訳──か、ひゅ……っ!?」


 ウィザウトに課された使命──火光かぎろいと呼ばれた最強の狐人ワーフォックスの抹殺を命じていたのは他でもないデクストラだった様で、その事実を強調する様に低い声音で語りかけられた事で再び謝罪するも、それは遮られた。



 声帯さえ容赦なく削り取る鞭の一撃に──。



 しかし、ウィザウトも弱いとはいえ魔族の端くれ。



 魔族特有の再生力で、どうにか掠れた声を発する事が出来るくらいには即座に回復させられていた様だ。



 ゆえに、『もう一度だけ機会を』と嘆願するも。



「──……貴女が無能なせいで、コアノル様に嫌われでもしたら……! どう責任を取るつもりですか!?」

「……っ」


 異常な程に魔王コアノルを敬愛し、敬服し──そして同時に恋焦がれてもいたデクストラは、もしも今回の失態でコアノルに嫌われ、あろう事か見捨てられでもしたら生きていけないと大袈裟に声を荒げ始めた。


 『魔王狂い』とは比喩でも誇張でもなく、デクストラは真の意味でコアノルありきの存在なのだと──。


 それを理解していたがゆえに、ウィザウトは褐色の顔を青ざめさせて戦慄し、息を呑んでいるのだろう。


 だったら自分でやればよかったのでは──そう思うかもしれないが、それも彼女が魔王狂いだからこそ。



 出来る限り、コアノルから離れたくなかったのだ。



 そんな実りのない考えを脳内で繰り広げていたウィザウトに対し、デクストラは深く長く息を吐き──。


「……せめて、あの場で貴女が火光に始末されてさえいれば……私が仕掛けた『闇縛呪殺ダクカルス』が発動していたというのに……まさか、あの一瞬で看破されるとは」

「……えっ……?」


 これでもかという程の口惜しげな表情とともに呟かれた恨み言の内容に、ウィザウトは思わず声を出す。


 それは、デクストラが得意とする闇の超級魔術であり、生物非生物を問わず魔術の対象とした何かを壊した者に作用し、どれだけ相手が強者であろうが関係なく呪い殺すという魔王以上に魔王らしい凶悪な魔術。


 ちなみに、デクストラは魔王軍幹部筆頭であったラスガルドにも、そして『生ける災害リビングカラミティ』イグノールにも仕掛けようとしていたものの、ラスガルドには仕掛ける前に勘づかれてしまい、イグノールには仕掛ける事が出来たが聖女の力で相殺されてしまっていた様だ。


 ウィザウトが疑問の声を漏らしたのは、その魔術の名と存在を知っていたからに他ならず、それが一体どういう事を意味するのかを理解した彼女が項垂れる。



 自分は結局、捨て駒でしかなかったのだ──。



「……さて、そろそろ終わらせましょう。 これ以上の時間を貴女に割くのは無駄と言わざるを得ませんし」

「……」


 これ以上の──とは言ってもウィザウトは数時間程鞭で打たれ続けており、『何がそろそろだ』との反論が出来ればよかったが、やはり彼女は根源的にデクストラを恐れていた為、口答えなど出来よう筈もなく。


 デクストラは、その手に持った鞭の表面に並んだ無数の鋭利な棘に闇の炎や雷、風や氷を纏わせ始める。



 それを見たウィザウトは──。



(……私って、何だったんだろう──)



 魔王コアノルが封印を解いてから、ここより遠く離れた地にて身分を偽り続けて百年、結局のところ得られた物など何もなく、そればかりか彼女なりの百年の努力を無碍にするかの様な惨たらしい拷問を受けて。


 あまりに存在価値のなく、およそ生きている意味すらもない自分に対して、そんな言葉しか出てこない。



 こんな事になるなら幹部なんて断ればよかった。



 単なる一魔族として分相応に生きればよかった。



 そんな後悔も虚しく、デクストラの鞭が空を切る。



 心臓ごと、ウィザウトの身体を両断する為に──。



 だが、その鞭による一撃は──届かなかった。



「ぇ──」

「な──」


 かたや鞭が自分まで届かなかった事にウィザウトが驚き、かたや鞭が寸前で止められた事にデクストラが驚く中、二体の驚愕の原因となった何某かは微笑み。



「妾に黙ってお楽しみとは感心せんの、デクストラ」



 明らかにデクストラよりも身分が上であるかの様な発言とともに、その小さく可愛らしく傷一つない綺麗な手で殺傷力の塊と化した鞭を止めていたのは──。



 未来の支配者、魔王コアノル=エルテンスだった。

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