第256話 この世の物とは思えない
──時は少し遡る。
具体的には、あの戦いが終幕を迎えた辺りまで。
憎々しげに自分を睥睨する
『──……ギャ、ゴォオオオオ……!!』
「おいおい、マジか……!」
もう間もなく公国を滅ぼした跡地に作り上げた自分の巣に辿り着くというのに、イグノールの期待も虚しく──ある程度は想定していたものの──龍の亡骸が断末魔の様な低い鳴き声を上げた事に彼は焦燥する。
こんな状況でも、どこか愉しげに。
(もうちょい持つと思ってたのに……しゃあねぇな)
勿論、中途半端な位置で落下する事で発生する被害など微塵も考えていない彼は、おそらく落胆から来ているのだろう溜息を溢すと同時に両足に力を込めて。
「よっと」
小脇に抱えた齢八歳の少女とともに、まだまだ結構な高さがある筈の龍の頭上から飛び降りてしまった。
魔族なのだから翼があるだろうと思うかもしれないが、もう随分と長く自分の翼で飛ぶという事をしていなかった彼は、すぐに空を飛ぶ事は出来そうにないと本能的に察していたらしく、そのまま着地を試みる。
いくら魔族が
「へへ……さぁて、どうなるか……」
しかし、それを分かっているのかいないのか判断しようもない彼は、どうにも笑みを堪えきれない様子。
久しぶりに龍の亡骸の外で身体を動かせるのが愉しくって仕方がない──おそらくは、そう考えていた。
時間にしてみれば、およそ十数秒程の自由落下。
一般的な下級魔族のそれとは一線を画す脚力を誇る彼の両足が、もう随分と破壊し尽くされて焦土と化していたディアナ神樹林跡地となる地面に接した瞬間。
──ズドォオオオオーーーー……ン!!!
もし他に生物が棲んでいたのなら、きっと逃げ出す事も叶わず意識を手放していただろうという膨大な魔力と、それに伴う破壊的な衝撃が彼を中心に発生し。
無事では済まないどころか、まず間違いなく上級でも『ぐちゃっ』と潰れてしまう程の飛び降りでも、イグノールと彼が小脇に抱える望子に一切の傷はない。
それは、イグノールが下級にして上級を遥かに凌駕する身体能力を持つ事の証明であり、コアノルへの献上品だと理解したうえで望子への衝撃を地面に流すという、高度な技術を有している事の証明でもあった。
しかし、その事を差し引いても──たかだか魔族一体が地面に降り立ったと思えない程に地面は大きく隆起し、それこそ龍が降り立ったと言われれば納得せざるを得ない衝撃だったのは誰の目にも明らかであり。
まるで、あの龍の全てが宿っているかの様だ──。
召喚勇者一行が昏倒している間、
では、肝心の龍の亡骸はどうしたのかといえば。
『ゴ、オ"──ォオ"ォオオオォアアアア……ッ!!』
きっと先程の鳴き声は断末魔でも何でもなかったのだろう、その非業に満ち満ちた低くも高くもある声を周囲に響かせた龍は宙に浮いたまま全身を崩壊させ。
巣へと辿り着く前の落下──などするまでもなく。
ガラガラ、バラバラ──と鈍い音を立てて空中で崩れ去ってしまった事により、ディアナ神樹林跡地には龍の亡骸の枯れきった骨肉が豪雨の様に降り注いだ。
「あ"ぁ鬱陶しい……」
その破片の一つ一つが隕石の如き破壊力を持っていたが、イグノールは悠然と見目の最悪な豪雨の中を歩き、それが望子に当たりそうなら簡単に払い除ける。
別に望子が大事だからではなく、あくまでも魔王が無事な状態の望子を欲しているからであり、イグノール自身そこまで魔王を崇めている訳でなくとも、やはり自分も一魔族なのだと嫌でも理解させられていた。
(……面白くねぇ。 あぁ、面白くねぇな。 けど──)
それは、イグノールにとって何よりも癪な事で。
「面白くねぇから、面白くしがいがあるんだよな」
それと同時に、イグノールは心を躍らせてもいた。
あの時──自分が魔王コアノルの力で生み出された時、彼が最初に考えたのは『こいつは俺より強い』という畏れと、『だから超える』という本能からの咄嗟の一撃を、その身一つで防がれた事に対する屈辱感。
だが、イグノールはその屈辱を──愉悦に変えた。
屈辱に──その色だけに染まってしまわない様に。
とはいえ、それは既に千年以上も前の事。
今はもう、そんな理念など欠片程も残っておらず。
ただ、『破壊』を愉しむだけの魔族がそこにいた。
それから、かの龍の亡骸の破片に一目すら呉れる事もなく歩き続けたイグノールの視界に、つい先程まで空からも見えていた、今の自分には巨大な巣が映る。
その巣は、いわゆる普通の鳥の巣の様な形状でありながらも、とてもではないがこの世の物とは思えない程の悍ましくも痛ましい素材で形成されており──。
よくよく見れば、それら全てが動物や魔獣、魔物や
(懐かしい気がすんなぁ……そんな経ってねぇのに)
あれだけの激闘を繰り広げた後だからか、イグノールは時間の感覚を若干だが失っていたらしく、その悍ましい光景を視界に映しながら表情を綻ばせていた。
──その時。
──ぐぅうううう。
「っと……腹、減ったな……」
魔族も歴とした生物ゆえ、当たり前だが腹は減る。
(今日は、あんま動きたくねぇな……いつもなら、あの海まで飛んでいって鯨でも丸呑みしてたんだが……)
あの龍の亡骸の中に閉じ込められていた時も、どういう訳か襲いくる空腹感には抗えず、それが無駄だと分かっていても巨体に見合う食事をとっていたのだ。
とはいえ、それは龍だった時の話であるし、そもそも先の戦いで思った以上に疲弊していた彼は『海だの村だのの方まで戻って食糧を確保する』といった行動を取る元気もなく、『どうすっか』と思案しようと。
──した、その瞬間。
「……ん?」
何処からか、ふわりと甘い匂いが漂ってきた。
その甘美な匂いの正体を探るべく、イグノールが魔族特有の超感覚を総動員させると、その出処が判明。
「……
今の今まで気がつかなかったが、イグノール自身が抱えていた少女が背負う鞄から香っている事が分かった為、傷つけない程度に望子を下ろしてから特に悪いとも思わず勝手に鞄を開き、その匂いが何かを探る。
これは違う、これも食い物じゃねぇ──そう呟きつつ色々と漁っていた彼の手から、その匂いが香った。
「これか……つっても何だ、これ……食い物か?」
それは、かつてガナシア大陸の港町たるショストへ向かう道すがら望子が振る舞っていた手製の
そして、これこそが
頭の足らない同胞が、異界の存在に興味を抱く事。
延いては──。
「ぅ──
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