第254話 人魚の目覚め
その後は、カナタの治療術とレプターの尽力もあって、どれだけ控えめに見ても半壊寸前という状態だったメイドリアも、すっかり元の姿を取り戻しており。
流石に『漁村』と呼ばれる様になる前の──つまりは『港町』だった頃の状態にまでは戻せていなかったが、それでもメイドリアの人々は心から感謝を示したうえ、この村に滞在する事を皆が認めてくれていた。
勿論、村をそんな状態まで崩壊させる原因を作ってしまったのは他でもない自分たちである為、決して小さくはない後ろめたさをも二人は感じていたのだが。
そして、それから更に二日後の夕刻──。
村が元通りになった事や、フィンとキューの経過観察をファルマとローアに任せていた事も相まって、カナタはヴィンシュ大陸まで乗ってきた
メイドリアの家々が一瞬で修繕された事を考えると遅すぎるとと思うかもしれないが、やはり対象となる無機物の質や大きさで効きが変わってくるのだろう。
「大変な作業だったな……歩けるか?」
「……ふふ、それを貴女が言うの?」
「わ、私はもう大丈夫だ!」
船を治した後、『ふぅ……』と結構な魔力を消費した事による疲弊からくる溜息を溢したカナタを労る様にレプターが声をかけたが、ほんの数日前は逆の立場だったのにと揶揄われた事で顔を赤らめてしまった。
──その時。
「……ん?」
「え、何?」
レプターの耳だけに、わざと波の音に紛れ込ませた様なノイズじみた女声が届き、ふと振り返るも──。
(……誰もいない筈だが……何だ、今の声は)
無論、彼女の視界にはカナタの治療術で随分とカビの汚染も軽減した海しか映っておらず、誰もいない。
しかし、それでも確かに聞こえたのだ。
(
あまりに禍々しい憎悪に満ち満ちた、そんな声が。
────────────────────────
レプターが何某かの憎々しげな声を聞いていた頃。
「──ふむ、興味深い組み合わせの調合であるな」
「
時を同じくして、この四日で随分と慣れていたファルマとローアが調薬について語らいつつ、どうにも目を覚ます気配のないフィンの看病に尽力していた時。
「──……ぅ、うぁ……」
「……えっ?」
「おや」
明らかに弱々しい呻き声が聞こえてきた事で二人が振り返ると、つい先程まで身じろぎ一つしていなかった筈の『魔族もどき』な
魔族もどき──とは何かと問うてしまうのも無理はないが、そう呼ぶ他に今のフィンは例えようがない。
何せ、あの戦いの中で超巨大な災害そのものと呼んでも差し支えない
肌の色は妖艶ささえ思わせる程の白だというのに。
「ろ、ローアさん! 彼女、起きられましたよ!」
「ふむ……」
そんな包帯まみれのフィンが目覚めた事に、ファルマが驚きながらも彼女の仲間である筈のローアに話を振ったはいいが、どういう訳かローアの表情は暗く。
「……ファルマ嬢」
「はい!」
その決して明るいとは言えない表情のまま自分の名を呼んだ少女に対し、ファルマが元気良く返事をしたはいいものの、ローアはこちらを少しも見る事なく。
「お主は、下がっておれ」
「分かりま──えっ?」
すくっと立ち上がってから、『手伝ってほしい』でも『聖女たちを呼んできてほしい』でもない、『下がれ』との指示にファルマは思わず困惑してしまった。
ど、どういう──そう呟いて自分に視線を向けるファルマを尻目に、ローアは横たわるフィンへ近寄り。
「フィン嬢、我輩の声は届いているであろうか?」
起きたばかりの聴覚を刺激しない様に、されど漸く目覚めた彼女の意識が落ちてしまわない内に手早く声をかけ、たった今この瞬間も呻く彼女の返答を待つ。
すると、フィンは僅かに開いた瞳を動かし──。
「……ろー、あ……?」
「うむ」
何とも覇気のない掠れた声で視界に映る白衣の少女の仮の名を呟いた事で、ローアは満足そうに頷いた。
あれだけの重傷を負っていたのだから記憶の一つや二つ飛んでいても不思議ではない、そう考えたからこその頷きだったのだが──それは、すぐに覆される。
「ここ、どこ……? ぼく、なにしてたんだっけ……」
どうやら、イグノールとの戦いの記憶が丸々消えてしまっているらしく、きょとんとした表情を浮かべながらも僅かに上体を起こし、ゆっくり首をかしげた。
(記憶の、混濁……? いや、無理もないか……)
それを見ていたファルマは、おそらく記憶が消えた訳ではなく『大切な人が連れ去られた』という事実を無意識下に封印し、それによって精神の崩壊を本能的に防いでいるのでは──と、的確な診断をしており。
それも……まぁ、間違いなく正解だったのだが。
もう少し正確に言うと、イグノールとの戦いがどうなったのかを知る為に彼女の脳を弄った白衣姿の上級魔族の解剖に似た行為もまた、原因だったのである。
それから、きょろきょろと物置じみた部屋を見回していたフィンだったが、ふと何かを思い出して──。
「……あれ? みこは……?」
彼女にとっては自分の命より大切な存在である望子の姿が見当たらない事に気がつき──ウルもハピもその他大勢もいないが──身を乗り出して問いかける。
それを受けたローアは『ふむ』と唸ってから。
「……その事も含め、少し話すとしよう──」
フィンの記憶から抜けている部分──つまりは、イグノールとの戦いが幕を開けた直後から戦いが終わりを告げた瞬間までを出来る限り分かりやすく語った。
自分たちは敗北した──という部分を強調して。
時間にしてみれば、およそ数分といったところか。
「──……と。 まぁ、その様な事が──」
大体の流れを語り終えたローアの話を、やはり疲弊しきっているのか黙って聞いていたフィンだったが。
「……じゃあ、みこは?」
最も重要な部分──望子がどうなったのか、という事を最後まで話しきる為に敢えて不明瞭にしていたローアに対し、にわかに輝きを戻し始めた青と紫が入り混じる狂気の瞳で射抜きながら、そう問いかけると。
「……ミコ嬢は、イグノールに連れ去ら──」
ほんの一瞬だけ臆したローアが、されど即座に気持ちを落ち着けてから『望子はイグノールに連れ去られてしまった』という事実を真剣な面持ちで告げんと。
──した、その瞬間だった。
「──……っ!!!」
「「!?」」
完全に憔悴しきっている筈のフィンから発せられた青と紫の入り混じる魔力に、ローアとファルマが戦慄するだけならよかったのだが、その魔力は覇気となり部屋どころか建物自体をも揺らし崩壊させんとする。
つい先程まで、触れるだけで崩れそうだった角や翼も健常な魔族のそれと変わらないものになっていた。
あれだけの大規模な戦いを繰り広げ、もう魔力など殆ど残っていなかった筈の人魚から発せられているとは思えない化け物じみた気迫の塊の様な魔力にも、ローアは問題なく耐え切ってみせてはいたものの──。
「……!? っあ、かはっ……!?」
所詮は一般人でしかないファルマは、その魔力に押し潰されかけており、まともに息をする事も出来ず。
「フィン嬢、落ち着いてほしい。 ここで暴れたとて」
流石に今ここで死人を出すのはな──と考えたローアがフィンを宥めるべく、『この場で魔力を浪費する事の無駄』を説こうとした時、扉が勢いよく開いて。
「ローア、ファルマ! この魔力は一体──っ!?」
同じ様に勢いよく入ってきたレプターが部屋の外から……何なら建物どころか、メイドリアの外まで届いていた凶悪な魔力を感じ取った事で声を荒げると、そこには僅かに冷や汗を流すローアと、おそらくこの魔力に潰されているのだろう苦しげなファルマと──。
そして、つい先程感じた魔力を放つフィンがおり。
「ふぃ、フィン……? そうか、目覚めたのか……!」
「よ、よかった、けど……ぅう」
フィンが目覚めた事自体は当然だが喜ばしい事である為、真っ先にレプターが安堵からの息を溢しつつ問題が一つ解決した事を嬉しがる一方で、カナタは喜ばしく思いながらもレプターの背中に隠れてしまった。
『そうだ、そうだよ。 そもそも、あの聖女が喚び出したりしなきゃみこが酷い目に遭う事もなかったんだ』
フィンが今の様に角や翼を生やす魔族然とした姿に変異した際、おそらく本音だったろう彼女の一言に対し、カナタは思ったよりダメージを受けていたから。
まぁ、フィンはその事も記憶から飛んでいるが。
だからこそ、そんな風に怯えてしまっているカナタなど眼中にもないといった様子でフィンは口を開き。
「……みこは、あいつに連れてかれたんだね……?」
「「!!」」
本人の意思とは無関係であるかの様に一筋の涙を流して確認してきた事で、レプターとカナタは尋常ではない居た堪れなさから図らずも目を逸らしてしまう。
自分たち全員に責任があるからこそ──。
「……イグノールは……みこは、どこにいるの」
「……この大陸の中心。 奴の巣に」
そんな中、視線を逸らした二人に構う事なく詳しそうなローアへ顔を向けたフィンが、イグノールと望子の居場所を聞き出す為に濡れた瞳を拭いながら声をかけると、ローアも表情に真剣味を帯びさせて答える。
かつて公国が存在した場所にある──とか、そういう小難しい話を求めている訳ではないと分かっていたからこそ、とにかく居場所だけを教えてあげていた。
「……行かなきゃ」
その瞬間、床に敷かれていた薄い布団から抜け出したフィンが、ほんの数日前まで水玉で浮かんでいた事も忘れて飛び魚の様な翼を広げて浮かび上がろうと。
──したのだが。
「ま、待て! その身体で向かうつもりか!?」
「……っ!!」
「ぐっ!?」
当然、病み上がりにも程がある彼女に無茶をさせたくないレプターとしては、もう少し休んでおくべきだと考えて、『私が行くから』と付け加えようとする。
しかし、そんなレプターの胸ぐらを掴んだ彼女は。
「それが何!? 今こうして無駄話してる間にも、みこは怖くて寂しくて泣いてるかもしれないんだよ!? 怪我が治ったばっかりだからとか中途半端に魔族みたいになっちゃったからとか……! そんなの、みこを助けに行かない理由になんてなる訳ない!! 違うの!?」
「「……!!」」
フィンが元より声に魔力を乗せる事を得意としていた事も、そして今の彼女が魔族の力を色濃く纏っている事も相まって、その力ある透き通った声による早口での彼女の言い分に、レプターだけでなくカナタまでもが気圧されてしまう一方で、ローアは溜息を溢し。
「……一理ある」
「っ、ローア!」
フィンの言い分にも理解出来る部分はあるし、もっと言えば自分も殆ど同意見なのだと、たった一言に乗せて暗に告げてみせたはいいものの、それを認めてしまっては今の憔悴したフィンを戦線に加えてしまう事になる為、声を荒げて彼女を止めんとするも──。
「どちらにせよ、ミコ嬢を救出するというのは……お主らも同じであろう? ならば問題ないのでは?」
「……だが、今の状態では──」
返り討ちに遭うだけだ──と、ローアに対し望子への想いを無視したうえでの正論をレプターがぶつけるも、どうやらローアにも彼女なりの考えがある様で。
「無論、策はある。 そうであろう? ファルマ嬢」
「「えっ?」」
随分と自信ありげな表情を浮かべているから、その策とやらを自分発信で語り始めるのかと思いきや、どういう訳か後ろの方で蹲っていたファルマの方へと視線を移し、そう来るとは思っていなかったレプターやカナタが『何で彼女に?』と困惑する一方で──。
「けほっ、こほっ──……え? わ、私……?」
漸くフィンが放っていた破壊的な魔力が収まってきた事で、どうにか息をする事が出来ていたファルマは唐突に話を振られたからか、カナタたち以上に困惑してしまっており、パチパチと瞬きを繰り返していた。
(……誰?)
そもそも、ファルマが誰か知らない
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