第253話 魔王狂いの指示の下
所変わって──。
ここは常闇に支配された穢れの大地、魔族領。
まだ魔族以外の生物も存在した頃の名をフュプル大陸と名付けられていた地の海に面した場所に、どことなく暗闇以上に昏い雰囲気の魔族の男女が二体いる。
それは、もう間もなく召喚勇者一行が乗る船から新たな大陸が見えようかという頃、二体の魔族は魔族領からも遠く離れた地、ヴィンシュ大陸が存在する方角へと目を向けつつ、そちらへ向かう準備をしていた。
「……本当に大丈夫かい? フライア」
その内の一体、
本来、彼は魔王コアノルより命じられたがゆえ召喚勇者である望子の監視についている筈なのだが、そんなコアノルの側近たるデクストラから『特命』を受けた事で、ヴィンシュ大陸へ向かえと指示されていた。
その特命とは、イグノールとの戦いで勝利したか敗北したかに関わらず、おそらく疲弊しているであろう一行の隙を突き召喚勇者を持ち帰れ──というもの。
人を人とも思わない、いかにも魔族といった具合の命令に対してその女性魔族──フライアが快く思っていないのも事実だが、それはあくまでも彼女の私情。
魔王軍という組織に所属する身である以上、直属の上司でもあったデクストラに逆らえる道理などなく。
「……くどいわ、ヒューゴ。 もう覚悟は出来てるの」
「……っ」
それを誰よりも自覚していたからこそ、フライアは窪んだ眼窩の中心にある薄紫の双眸を鈍く光らせて彼の気遣いを袖にするも、その佇まいに上級魔族たる者の覇気を微塵も感じられない事から更に不安になる。
「……でも、まだ僕には疑わしいんだ。 デクストラ様が
そんな彼女の事が──ほぼ同じ時期に生み出された為に姉の様にさえ想っている彼女の事が心配で仕方ないヒューゴは、デクストラが口にしていた『勇者と魔族の間に起こりうる現象』についても信じている訳ではないと語ったが、フライアはそんな彼を睨みつけ。
「そこまでよ」
「!」
出来る限りの低い声音で制止しようとした事で、ヒューゴは少しだけ気圧されつつ口を閉じてしまった。
しんと静まり返った空気の中、彼が完全に聞く姿勢を整えたのを確認したフライアは溜息を溢してから。
(……デクストラ様は、この城を出られない魔王様の目であり、そして耳でもあるのよ。 口は慎むべきだわ)
(そ、そうだね。 すまない)
とある理由によって魔王城から一歩も離れる事が出来ないコアノルに代わり、あらゆる部隊を纏めていながらも魔王の目や耳の役割すらこなすデクストラの耳聡さを考えていた様で、それを充分に分かっていたヒューゴも改めて理解し、こくこくと首を縦に振った。
そして、ここで喋っていても仕方ないと提案したフライアの判断により、それぞれ蝙蝠の様な漆黒の翼を広げて飛び上がり、ヴィンシュ大陸へ向かい始める。
しばらくの間、二体は無言で飛行していた。
会話に余計な力を使わせたくないという、ヒューゴなりの気遣いでもあったのだが、それはそれとして確認しておかなければならない事もあった為、飛行し始めてから実に二日、漸く口を開いたヒューゴは──。
「……そ、そうだ。 これから向かうヴィンシュ大陸で始まる戦いについてだけど……貴女は、どう思う?」
「どうって……どちらが勝つか、という事かしら」
イグノールと勇者一行の戦い、その勝者はどちらになるかという問いかけでいいのかと確認したフライアに対し、ヒューゴは無言で頷いて彼女の答えを待つ。
「……私としては、あの子たちに勝ってほしい。 けれど、それがどんなに難しいかっていうのも分かってるつもり。 だから、魔族としての意見を言うなら──」
しばらく思案していたフライアは、『本音を言うなら』と前置きしてから望子たちの勝利を望むも、それはそれとして生ける災害の脅威を考えるなら、どれだけ甘く見積もっても十全な勝利は不可能だろう──。
「……イグノール様が勝利する、と?」
と、そう口にしようとしていた彼女の言葉を先読みしたヒューゴの遠慮がちな声に、フライアは頷いた。
実を言うと千年以上も前、フライアはイグノールがあの巨大な龍を単身で撃破して持ち帰った場面に居合わせており、あれ程の馬鹿げた力を持つ魔族に
無論、封印されていたのだから当時の召喚勇者はイグノールにも勝利したのだろうが、それ程の力があの可愛らしい少女やその仲間たちにあるとは思えない。
それゆえに、『
「……ま、どちらが勝っても私たちがやる事は変わらないのだけど。 デクストラ様はともかく、きっと可愛い物好きの魔王様があの子に危害を加えたりは──」
とはいえ、デクストラからの指示である以上は彼女の予想など何の意味もなく、ふるふると首を横に振りつつ望子の幸せが別にある事は分かったうえで、それでも魔王様なら大切にしてくれる筈だと信じて──信じなければやってられないのだが──前を向いた時。
「──……ぅ」
突如、強めの風が吹いた──という訳でもないのにフライアの身体が大きくぐらつき、あわや海へと落ちてしまうのではないかという程に脱力したのを見て。
「フライアっ!?」
「……だ、大丈夫」
ヒューゴは瞬時に彼女の方へと飛んでいき、その軽すぎる身体を優しく抱え、そんな彼からの献身を受けた彼女は申し訳なさそうに再び翼を力無く広げるも。
やはり、そこに以前までの力は感じられない。
「すまない、フライア。 僕が転移魔術の一つでも扱えれば、わざわざ自分たちで飛んでいく事もないのに」
とてもではないが少し前まで上級だったとは思えないフライアの姿に、ヒューゴは自分が転移の魔術さえ扱えたのなら無理をさせる事も──と謝ってしまう。
「……それは私の台詞よ、ヒューゴ。 少し前までの私なら
しかし、かつては闇属性の転移魔術くらいなら問題なく扱えていたフライアにしてみれば、こんな事態を招いたのも全ては自分の不甲斐なさゆえであり、あの洞穴で白衣姿の上級魔族に負けたりしなければ、と悔しげに歯噛みしてしまうのも無理からぬ事であった。
それもその筈、フライアはローアの古巣であるところの
その魔力や実力だけを見るのなら、とうに中級かそこらというところまで落ちぶれてしまっていたのだ。
かつて扱えていた筈の魔術も数を減らしており、その中に
「……大丈夫だ。 この飛行速度なら、あと四日もしない内に辿り着く筈だよ。 だから、もう少しだけ──」
そんな風に肉体的にも精神的にも憔悴した彼女に対し、フライアを抱えたまま飛行する事も視野に入れたうえで、ヒューゴが励ましの言葉をかけた──瞬間。
──ゴォッ!!!
「「!?」」
憔悴中のフライアはまだしも、さして気を抜いていた訳でもないヒューゴもが一瞬で相当な距離まで吹き飛ばされてしまう程の魔力と質量を持った閃光が、ガナシア大陸まで届いたのではという規模で発生した。
「ぐうっ!? だ、
そうこうしている間にも魔族領まで戻されかねないと判断したヒューゴは、フライアをしっかりと抱きしめたまま自らの翼を触媒として闇属性の防御魔術を行使し、中級として見れば中々の強度を持つ盾を展開。
しかし、その閃光の衝撃は思った以上に強く結局のところ中級でしかない彼の魔術は一瞬で崩れかけた。
「まだ、だ……っ!!」
とはいったものの、ヒューゴも自分程度の魔術では防ぎきれないと理解していた為、受け止めるのではなく受け流すべく斥力を利用して衝撃を弾いてみせる。
そして漸く閃光が収まり始めた頃──。
「い、今のは……!? とんでもない魔力だったが」
どうにか凌ぎ切ってみせたヒューゴは少しだけ気を緩める事を自分に許してから、それでもフライアを抱く腕の力だけは抜く事なく閃光が飛来した方角へ視線を向けて、『何だったんだ』と思考を巡らせている。
当然ながら、その方角の先にヴィンシュ大陸があるのは重々承知していたのだが、あれ程の衝撃の後では中々答えに辿り着かないというのもまた真理だった。
そんな中、抱きしめられたままのフライアが──。
「──……
「えっ?」
どうやら、ヒューゴに護られながらも上級たる者の意地とばかりに閃光の正体を看破していたらしく、そう呟かれた声にヒューゴは思わず聞き返してしまう。
ただ、それを聞き逃していた訳ではなかった様で。
「
上級に全ての面で劣る中級としては頭も回るし知識も豊富な彼は龍之墓場の事も知っていたのだが、それを実際に目にするのは初めてだったのか武技が持つ性能だけをつらつらと口にし──ここで何かを察する。
そう、あの龍が最期を迎えたと考えれば──。
「──まさか、イグノール様が……?」
「っ、急がない、と……!」
しかし、どうしても翼に力を込めて羽ばたく事が出来ず、やはり身体を下へ下へと落としていたのだが。
「あっ……」
そんな彼女を横抱きに──いわゆる、お姫様抱っこした彼にフライアは一瞬だが思考が止まってしまう。
恥ずかしさより、嬉しさが勝ってしまったから。
「少し飛ばすよ。 しっかり捕まってて」
そんな彼女をよそに、ヒューゴは翼を大きく広げて何とも男らしく軽々とフライアを抱え、ヴィンシュ大陸へと──あの閃光が発生した場所へと飛んでいく。
(……本当、生意気になったものね)
フライアは、そう呟いて俯くしか出来なかった。
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