第252話 退化の理由

 レプターやカナタが村の復興作業に尽力している一方で、ファルマはカナタから『今回は貴女の治療術の方が適任だと思うから』と告げられた事により、フィンへ投薬する為の薬品の調合を手がけていたのだが。


「ふむ」

「……」


 軟膏、錠剤、粉薬──患者である人魚マーメイドに適しているのは如何なる形状の薬なのかと診断している最中も。


「ほぉ」

「……」


 診断の結果、内服薬は無理と判断した為に選択肢の一つである軟膏と綺麗な包帯の用意をしている時も。


「成る程──」

「あ、あの」

「む?」


 調薬が終了し、その軟膏を聖女の治療術のお陰で傷自体は随分と和らいでいる人魚マーメイドの肌に塗布して、その上から包帯をくるくると巻いている間でさえ覗き込んでくる白衣の少女に、ファルマは堪らず声をかける。


「近く、ないですか……?」


 ──そう。


 覗き込んで──というのは決して誇張でも比喩でもなく、ローアはファルマの調薬の工程を目と鼻の先とばかりの近距離で見つめており、とうに少女の正体を魔族だと把握しているファルマは気が気でなかった。


「あぁ、これは失礼を。 こう珍しい物を見ると、つい分析しくなってしまうのが我輩の悪癖であるがゆえ」

「め、珍しいですか?」


 とはいえ、ローアは人族ヒューマンの機微には疎く彼女が自分を恐れているとは思ってもいないのだろう、さも何事もなかったかの様に覗き込んでいた理由を述べてきたのはいいものの、ファルマとしてはこれといって特別な作業をしているつもりでもない為、首をかしげる。


 すると、ローアは『うむ』と肯定してから──。


「我輩も研究者ゆえ調薬は日常茶飯事であるが、こうして治療術自体を薬材の一つとするというのは魔族たる我輩には天と地が反転しても不可能であるからな」

「な、成る程……?」


 どうやら、ファルマが得手とするところの『薬品に治療術を混ぜ合わせる』という技術が、そもそも治療術を扱えない魔族からすると珍しいと語り、それを何となく理解出来たファルマは困惑しつつも納得する。


 こうして何気なく会話している少女は正真正銘の魔族、世界にとっての──そして神々にとっての敵でもある存在ゆえ、この世界において医神への信仰ありきで扱える治療術は魔族には決して扱えないのだから。


 尤も、ファルマは他の神官と比べて若干だが治療術の効力で劣っていた為、友人のイザベラやエシュネの協力もあって薬品での補い方を身につけたらしいが。


 それから、ローアとの会話もそこそこにフィンへの適切な処置を終えたファルマは『ふぅ』と息をつき。


「……これで、いいんでしょうか。 この方が目を覚まさない理由を探らない事には何の解決にもならない気がするのですが……それに、この樹人トレントだって……」


 この二日間、呼吸こそすれど全く目覚める様子がなく未だに身体の表面を覆う禍々しい魔力による傷痕が残るフィンと、そもそも樹人トレントから苗木まで退化してしまった理由すら不明なキューを見て、ちょっと凹む。


 無論、聖女様でさえ不可能なのだから一神官でしかない自分がどうにか出来る筈も──とは分かっているのだが、それでも不甲斐なく感じるのも事実だった。


 そんな風に声色を落とすファルマを首をかしげて見ていたローアは、『ふむ』と唸ってから口を開き。


「……フィン嬢については残念ながら我輩も見当がつかぬ。 まぁ強いて言えば召喚勇者を目の前で攫われてしまったがゆえの自責の念が原因かもしれぬがなぁ」


 少なくとも意識が回復するところまでは治療が済んでいる筈のフィンが目覚めない理由は、おそらくだが望子を連れ去られた事による精神的ダメージが肉体的ダメージを上回ったからではないかとの推測を語る。



 ……目の前で──とは言うが、ローアは戦いの終盤で身体の半分を失った事で意識が飛んでいたのでは?



 そう思っても無理はない。



 しかし、ローアの数ある得手の一つには『記憶の覗き見』というものもあり、フィンの半ば剥き出しになっていた脳を起きて早々に弄る事で彼女は自分が意識を失ってからの一連の流れを把握していたのだった。


「……確か、ちっちゃい女の子なんですよね?」

 

 一方、遠視ルクファーで一部始終を見ていた村長とは違い望子の姿を見ていないファルマは唇に指を当て、『まだ八歳だって聞きました』と再確認する様に問いかける。


 もし、フィンやレプターなら彼女の物言いに何らかの苦言を呈していたかもしれないが、そこはローア。


「うむ。 お主の言葉通り小さな女子であるが、されど心は立派な勇者であるよ。 それこそ、あの時の──」

「……あの時?」


 腕を組み、そして何度か首を縦に振って彼女の言葉を肯定しつつ、されど秘めた想いや心構えは既に勇者のそれである事は相違なく、かつての召喚勇者と比べても──そう語らんとしたが、ファルマは困惑する。



 それはそうだろう。



 かつて千年も前に魔族を封印した異界よりの勇者が存在し、今この世界を支配しようとしている魔族こそが、その時に封印された魔族なのだという事は──。



 一行を除けば、リエナやピアン、アドライトなどといった限られた者たちしか知らない情報なのだから。


「あぁいや、何でもないのである」

「は、はぁ……そうですか」


 ファルマの呟きのお陰でその事に気がついたローアは、これといって取り乱す事も焦る事もなく首を横に振りつつ話を終わらせにかかり、そんな彼女の様子から何かを察したファルマはそれ以上の言及をやめた。


 その後、話は終わったのかなと考えたファルマが余った包帯や軟膏、或いは使わなかった薬材などを片付ける為に立ち上がろうとした──ちょうど、その時。


「それよりも、そちらの樹人トレント──名はキューというのであるが。 それが今の姿になった理由は知っている」

「えっ? そ、そうなんですか……?」


 どうやら、ローアの話には続きがあったらしく立ち上がりかけていたファルマを見上げ、そこから鉢に植えられた状態のキューへと視線を移しつつ、この姿になった理由は把握済みだと明かすと、『じゃあ言ってあげれば……』という思いを乗せてファルマが問う。


 何せ、レプターとカナタは──特にカナタはキューが物言わぬ苗木になってしまい、それを自分ではどうにも出来ない事を随分と不甲斐なく思っていたから。


 そんなファルマの思いを推し量る事など出来ようもないし、そもそもするつもりもないだろうローアは。


「うむ。 これなる樹人トレントに起きているのは──神樹人ドライアドへの進化の準備。 例えるなら蛹の様な状態なのである」

「さ、蛹……?」


 キューの身に起こった異変の正体は、この世界における樹人トレントが上位者である神樹人ドライアドへと進化する為に必要な過程であり、昆虫などでいうところの蛹に当たる立派な形態変化の一つなのだと簡単に解説してみせる。


 もう少し正確に言うなら、キューは勇者や魔族の力を受けた木から誕生した樹人トレントである以上、他のどんな樹人より遥かに早く進化の条件を整えていたらしい。



 その条件とは、より多くの魔力を蓄える事。



 実は今回の戦いの終盤において、キューは何もイグノールの攻撃により負傷したから苗木の姿になったのではなく、あの攻撃を受けた事で進化に必要な魔力が貯まりきったからこそ蛹が如き姿になっていたのだ。



 龍の身体を突き破った生ける災害リビングカラミティとは対照的に。



「──……じゃ、じゃあ、この樹人トレントは今……?」


 そんな風に解説し終えた彼女に対しての『神樹人ドライアドへの進化に備えてるんですね?』という旨のファルマの問いかけに、ローアは無言で首を縦に振るも──。



 そんな彼女の表情は、どうにも明るくない。



「尤も、その為には樹人トレントが生まれる事が出来る程の魔力に満ちた──もしくは植物の神の加護厚き森に向かわねばならぬが……この大陸では難しいであろうな」


 それもその筈、樹人トレントの進化の過程に何よりも重要なのは『時』でも『場合』でもなく『場所』であるらしく、これまで一度でも樹人トレントが誕生した事がある程に豊かで、それでいて植物を司る女神ダイアナの加護が厚い森林でなければ進化には至らないそうで、『サーカ大森林ならば或いは』と割と本気で残念がっていた。


 樹人トレント神樹人ドライアドも過去に見た事はあったが、それでも樹人トレント神樹人ドライアドへ進化する瞬間を見た事はないからだ。


 とはいえ、いくら彼女でも海の向こうへ転移可能な魔術は扱えない為、諦めの溜息をついた──その時。


「……あります、よ?」

「……何?」


 何とも遠慮がちに声をかけてきたかと思えば、ファルマは樹人トレントの進化に適した森林が大陸に存在すると口にし、それを聞いたローアはきょとんとしてしまう。


 何を隠そう、ヴィンシュ大陸は生ける災害リビングカラミティの通商破壊を受け、あらゆる面において消耗しきっている筈であり、その中には単純に森林や山岳といった環境の破壊も含まれている事を考えれば有り得ない事だから。


 ゆえに、ほんの少しではあるが凄んでしまったローアに対し、ファルマは『あのですね』と少し慌てて。


「……『あった』、という方が正しいんですよ。 かつて、この大陸の中心に存在した公国は植物の女神ダイアナ様の名を捩った『ディアナ神樹林』という森に囲まれていたんです。 だから、もしかしたらですけど」


 やはり、イグノールの通商破壊は大陸の環境にも大きく影響していた様で、かつて存在したケーニギンという名の公国を取り囲んでいた森には、いみじくも植物の女神の加護があり樹人トレントも確認されていたと語る。


 だからこそ、そこへ向かえば或いは──という話だったのだが、ファルマが『ある』から『あった』へとわざわざ切り替えた事を考えると素直には喜べない。


「……ふむ。 とはいえ、その森は今……?」


 あった──という事は『今はない』と考えるのが自然であり、それを確認する為にローアが真剣な表情と声音で問いかけると、ファルマは予想通りに首肯し。


「はい、見る影もありません。 ですが──」


 最早、枯れ木の一本すら残っていない程の焦土、或いはカビの温床となっていると説明するも、それでも可能性があるとしたらそこしかないと言おうとする。


「行ってみる価値はある──と。 くはは……」


 そんな彼女の言葉を先読みしたローアは、どうにも隠しきれない好奇心を込めた笑いを抑えようともせずに、しばらく笑いを続けてから薄紫の双眸を光らせ。



「──面白い」



 ファルマが思わず身震いしてしまう程の邪悪な笑みを、その人族ヒューマンに化けた美少女の顔で浮かべていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る