第250話 物言わぬ人魚と樹人

 仮にも聖女であるカナタの治療術があっても、フィンとキューが目覚めないという現状を聞いたレプターは随分と重く感じる身体で立ち上がって、ファルマの案内を受けて隔離されているらしい部屋へと向かう。


 彼女たち一行を完全に信用している訳ではない、クァーロとも三人に続いて先程の部屋を後にしていた。


 そんな一行の中で言えば比較的軽傷だった──それでも背中を深く抉られていたのだが──カナタは未だに歩行すらも覚束ないレプターへと肩を貸しており。


「……本当に大丈夫? 寝ててもいいのよ……?」

「そ、そうですよ。 これ以上の無茶は……」

「……いや、自分の目で確認しておきたいんだ」


 歩きだけでなく眼も虚ろである様にさえ思える彼女に対し、カナタは心からの気遣いと共に『私と彼女で充分だから』とファルマに目を向け、それを察したファルマも彼女を止めんとしたものの、レプターは頑なに首を横に振って一歩、また一歩と歩を進めていく。


「それに……ローアは目覚めているんだろう? だったら幾つか聞いておきたい事もある。 すまないが──」


 ただ、レプターは何も今現在のフィンやキューが置かれている状況が気になるからという理由だけを持って歩いている訳ではなく、おそらく目覚めているのだろうローアに生ける災害リビングカラミティの巣の実や攫われた望子は今後どうなってしまうのか、などを問うつもりだった。


「……分かったから、もう少し身体を預けて」


 そんな彼女の心情を──今なお強く秘められた望子への想いを察したカナタは、『仕方ないなぁ』と溜息を溢しつつも少し背の高い彼女の身体を軽く抱き寄せて微笑み、それを見たレプターも申し訳なさそうに。


「……あぁ、すまない」


 もう一度、謝意を示した。


────────────────────────


 そこは、どうにも怪我人を寝かせるのに適している様には見えない不衛生な──というのは言い過ぎかもしれないが、つい先程までレプターが床に臥していた部屋と比べれば随分と趣きが異なる物置の様な場所。


 尤も、クァーロや村長からしてみれば『隔離』を目的にしているのだから、これでいいのかもしれない。


 そして無理やり物を押し除けてスペースを作ったかの様な部屋の中央には、お世辞にも綺麗とは言えない布団に寝かされている、かろうじて人魚マーメイドだと分かるくらいまでにはカナタの力で回復されていたフィンと。


 そんな寝たきりの人魚マーメイドの枕元に献花かと言わんばかりに添えられた、どれだけ甘く見積もっても壊れかけとしか例えようのない鉢に植えられている苗木──。


 ──の姿まで退化した樹人トレントのキューと。


「──……ふむ。 まぁ、こんなものであるな」


 未だ目覚めぬ二人の傍に腰掛けたまま、ただでさえ薄暗く気味の悪い部屋を奇妙な色に発行する薬品で染める、ボロボロの白衣を纏ったローアの姿があった。


「……ローア? 何を、している……?」

「……む? おや、レプ嬢。 目覚めたのであるか」

「あ、あぁ。 お陰様でな」


 もう何度でも言うが、どう見ても怪我人を寝かせておく環境とは思えない部屋の中で、マッドなサイエンスを展開する少女に対し声をかけると、ここで漸く他人の存在に気がついたローアが振り返り、その声の主たるレプターが目覚めたという事実に笑みを見せる。


「我輩は見ての通り調薬を。 イグノールとの戦いで失った魔力を回復させる為の薬品が切れてしまったのでな。 ついでに人化ヒューマナイズの在庫も作っているのである」


 それから、ローアは先程のレプターの質問への回答として手元にある調合済みの魔族に効果があるらしい回復薬ポーション入りの試験管を振りつつ、もう片方の手で今も適用中の人化ヒューマナイズの薬が入った試験管を振ってみせた。


 やはり、カナタの治療術は彼女にとっての毒も同然だったらしく、それもあっての調薬だったのだろう。


「……あまり、こたえている様に見えないのよね」


 その一方で、カナタは自分でも思った以上に望子を連れ去られた事に責任を感じているのに、おそらく自分よりも望子を大切に想っていた筈の彼女の淡白さを見て、いまいち真剣味を感じない事に苦言を呈する。


 だが、その瞬間──。


「──そう見えるのであるか?」

「「え?」」


 途端に、そのあどけない顔から感情という感情を全て欠落させた様な無表情となった彼女の言葉に、カナタだけでなくレプターまで驚き、ローアの方を見た。


「これでも我輩、研究対象ゆうしゃを奪われた事ではらわたは充分すぎる程に煮えているのである。 元凶であるイグノールに対しても──そして、不甲斐ない自分に対しても」

「「……っ」」


 どうやら、ローアはカナタが想像していたよりも怒髪天を衝く勢いで怒りを覚えていたらしく、その怒りの矛先がイグノールと自分自身に向けられていると明かしてもなお、カナタとレプターは思わず戦慄する。



 怒りを通り越したがゆえの仄暗い闇の様な感情に。



 しばらく気まずい沈黙支配した後、口火を切ったのはカナタでもレプターでもなくクァーロであり──。


「ローアっつったか? お前、魔族なんだよな? こいつらから事情は聞いたが、それでも直に聞かない事には納得出来ねぇ。 お前は魔王を、あるじを倒す気で──」


 遠視によって戦いを視ていた村長の言葉や、カナタたちから聞いた話が全て真実であった事からも目の前の少女が魔族である事は疑いようもないものの、もしローアが本当に魔族なら魔王を倒す旅に同行しているという事になり、どういうつもりだと問おうとした。


「──真偽トルフルか」

「!?」


 しかし、そんな彼の言葉を遮ったローアは見ても聞いてもいない筈の彼が持つ恩恵ギフトを看破し、それを耳にしたクァーロは流石に驚き目を剥いてしまっている。


「悪いが一介の人族ヒューマン風情に話せぬし、そもそも我輩は真偽トルフルの判定を回避するすべを心得ている。 ゆえに、お主が我輩に何を問おうが無駄であると忠告しておこう」

「ぐ……」


 一方のローアは表情を驚愕の色に染めるクァーロをよそに、この世界に幾つも存在する恩恵ギフトが必ず持つという欠陥を知るがゆえに対策もあると語り、クァーロ自身もそれを自覚していたのか悔しげに歯噛みした。


「そこまでじゃ、クァーロ。 もう確認は済んだのじゃろう? どうやら此奴らも聞きたい事がある様じゃし」

「……わーったよ」


 その時、二人の間に杖を割り込ませた村長がレプターたちに視線を向けて、つい先程の彼女たちの話を聞き逃していなかったのか『この場は譲ってやれ』と暗に告げた事で、クァーロは舌を打ちつつ引き下がる。


 そのやりとりを見ていたレプターは、カナタとファルマがフィンの治療に取り掛かる一方で、クァーロに譲ってもらった事によりローアとの会話に戻り──。


「ローア。 幾つか聞きたい事が──」


 ローアが目覚めていたのなら聞きたい事があった為に、ゆっくりとした動作で腰を下ろさんとした瞬間。


「──彼奴の巣についてと、ミコ嬢の今後について」

「! 何故それを……」


 これから尋ねようとしていた全てを先読みされてしまった事に、レプターは思わず声を上げて驚いたが。


「長い付き合い──とは言えぬが、お主の思考くらいは読める。 ミコ嬢の事で頭が一杯なのであろう?」

「……あぁ、そうだ。 教えてくれ、ローア」


 一行で最も聡明なローアとしては──いや、たとえローアでなかったとしても望子に心酔している龍人ドラゴニュートの考えは簡単に読めてしまうと語った事で、レプターは少々気まずげにしていたが、すぐに気を取り直す。


 どうやら、からかえる感じではないと判断したローアも笑みを抑え、かつてを懐かしむ様に目を細めた。


「とは言ったものの……イグノールの巣については特に言及する事はない。 この大陸の中心辺りに陣取っている様であるが、それはも同じであった。 あの巨大では他の同胞と共に暮らすなどと……とてもとても」


 ローアが言う事には、イグノールが巣を作っているというのは何も現代においてだけではなく、クァーロたちには伝えていない千年前の魔族領においても超広範囲で作っていた様で、あの時も自分たち研究部隊リサーチャーを除いて一切の同胞を近づけようとしなかったと語る。


「……では、ミコ様を魔王の下へ連れていくのも?」


 それを聞いたレプターは実際に望子を魔王コアノルの下へ連れていくとしたら、イグノールになるのかと問いかけたのだが、ローアはゆっくり首を横に振り。


「それなのであるが……どうやら、この大陸に向けて二体の同胞が接近している様である。 どちらも中級程度ゆえ、イグノールと比べれば脅威ではないが──」


 この場にいるローアを除いた誰にとっても衝撃の事実、二体の魔族が新たに近づいているという事を何でもないかの様に語った事で一同は驚く間もなく、そんな一同をよそに接近中の魔族の脅威度を級位で示したローアの説明に、レプターは『ふむ』と唸って──。


「その二体が、ミコ様を迎えに……ならば、それよりも早く私たちが巣へと辿り着き奴を倒して──ぐっ」

「!? レプター! 大丈夫!?」

「あ、あぁ……」


 こうしてはいられない──とばかりに勇んで立ち上がったのはいいものの、その身体の深い傷自体は完治していても削られた魔力や精神力は回復しきっておらず、ぐらついてしまったレプターに気がついたカナタが支えるのが間に合ったお陰で倒れるのは回避した。


「……詳しい事情は分からぬ。 が、儂は遠視ルクファー恩恵ギフトを持っておる。 それに、そこのローアとか申す魔族も巣の様子や接近しているらしい魔族を察知出来るのじゃろう? その時まで少し、この村で休んでいくと良い」

「なっ!? お、おい村長!!」


 翻って、そんな彼女の決意に満ちた瞳に魅せられたらしい村長は、いざ二度目の戦いが始まる時に健常でなければどうすると諭し、メイドリアを療養の地とすればと提案するも、クァーロは声を荒げて反論する。


 それもその筈、彼女たちはヴィンシュ大陸を苦しめ続けている生ける災害と張り合う程の怪物であり、その事を考えれば村に置いておくなど物理的にも精神的にも危険すぎるだろうという正論を口にしたのだが。


「お主も分かっておるんじゃろう? この魔族も含めた此奴ら一行に我々に対する敵意など全くない事は」

「それは……そうかもしれねぇが……」


 とはいえ村長は彼よりも数十年以上の歳を重ねており、その経験からすれば一行に悪意や敵意は感じないし、それはクァーロも分かっている筈だと語りかけると、どうやら図星であったらしく口ごもってしまう。


「私も、そう思います。 それに一人の神官として、ここまで傷ついた方たちを見捨てるなんて出来ません」

「ファルマ、お前まで……あぁ、くそ……っ」


 更に、ローアと同じく調薬を得意としているらしいファルマも、フィンに投与する薬を作る手を止めぬまま、『医神に仕える者なら当然の行いです』と譲らぬ意思を見せた事で、クァーロは味方がいないと悟る。


 その後、数秒だけ思案していた彼が溜息を溢し。


「……わーったよ! その代わり村で問題なんて起こすんじゃねぇぞ!? ただでさえ、お前らの戦いの影響で村は半壊したんだ! それを分かってんだろうな!?」

「無論だ。 そちらの復興作業も手伝おう」


 どうやら彼の中で『自分が折れる他ない』という結論に至った様で、それでも認めた訳ではないとでも言いたげにレプターやローアを睨み、『何かあれば責任は取ってもらう』と声を荒げるも、レプターは極めて真剣な表情で首を縦に振るだけでなく、この身体が全治すれば村の復興作業にも協力すると申し出てくる。



 敵わない──クァーロは、そう思ってしまった。



「……っ! もういい、好きにしやがれ」

「あぁ、ありがとう」


 だからこそ、それ以上の苦言を呈する事なく彼は部屋を後にしていき、そんな彼の背中に向けてレプターは礼を述べ、カナタとローアも軽く頭を下げていた。

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