第248話 龍人の見た夢

 それから、ファルマは他の者たちの手も借りつつ全身全霊を持って、まずはカナタの治療に取り掛かる。


 流石に治癒の化身とも呼べる聖女のカナタよりは数段劣ってしまうが、ファルマは決して無能ではない。


 かつて、メイドリアに派遣されていた熟練の神官たちと比較しても、その治療術の効力自体は強めの方であり、もし目の前の患者たちが怪我を負っていたなら、ファルマ一人でも何とかなっていただろう。


 だが、あいにくと彼女たちは全員が普通ではない怪我を負っており、カナタから集中して治すと決めたとはいえ、ほんの少しでもファルマが気を抜けばあっさりと命を落としかねない重傷であるのは間違いなく。


 更に、イグノールとの戦いの傷を魔族特有の再生力で殆ど全快させていたローアや、どういう訳か苗木の姿に退化してしまっていたキューはともかくとして。


 両翼を始めとした全身という全身が欠損だらけのレプターや、どうにか生物としての原型を留めているフィン、この二人の亜人族デミはカナタとは比べ物にならない程の死に体であり、カナタを治癒する片手間にでも治療術を行使し続けなければならない状態にあった。


 応急処置として、フィンたちの身体には慣れた手つきの村民たちにより何重にも包帯が巻きつけられ、その下には今となっては貴重な薬品が塗布されている。


 生ける災害の目的はあくまでも通商破壊であって他種族の撲滅ではないのだが、そのせいで中途半端に生き残ってしまった者たちを治療するにも、これでもかという程の薬を塗布したり服用させたりする兼ね合いで、もう薬はほんの少ししか残されていなかった。


 ゆえに、まずはカナタの意識だけでも取り戻させる為にと覚醒治癒キュアウェイクと呼ばれる治療術を行使し、その後でカナタと協力して二人の亜人族デミたちを治せれば──。


────────────────────────


 そんな想いを込めつつ治療を始めてから、早三日。



 未だ目覚めぬレプターは──ある夢を見ていた。



 残念ながら、その夢は明晰夢ではなかったらしく。



(何だ、ここは……何も見えないし、触れない……)


 どう考えても現実では有り得ない感覚を体感していても、これを夢だと断定する事は出来ていなかった。


 勿論、今も全身で感じているその違和感を声にしようとはしたが、ふわふわと身体が宙に浮く様な感覚にのみ支配され、まともに口を動かす事すら出来ない。


(誰か──っ! あ、あれは……!!)


 感じた違和感が侵食するかの様に恐怖へと変換され始めていた時、何も見えなかった筈の彼女の視界に何かが映り、もう一度よく目を凝らすと──そこには。


(ミコ様! よかった、ご無事だったのですね……!!)


 自分に背を向けた状態ではあったが、それでも見間違えよう筈もない黒髪の召喚勇者、舞園望子がいた。


 何も見えない空間の中、淡く優しい光に包まれた幼い望子の姿に、レプターは思わず感極まってしまう。


 声が出ない事も、おそらく伸ばそうとした手も触れられないだろう事も何となく分かっていたが、いてもたってもいられず彼女は望子の後ろ姿に手を伸ばす。



 ──だが、やはり手は届かない。



(……っ、何故だ……そこに、ミコ様がいるのに)



 どれだけ手を伸ばそうにも、その手は届かず。



 どれだけ足を動かそうにも、その足は進まない。



 どれだけ翼を開こうにも、その翼の感覚すらない。



(……ミコ、様──っ!?)


 段々と先程から感じていた恐怖の感情の方が強くなってきたのか、それとも望子に触れられない事への哀しさゆえか、レプターの脳内でのみ発せられていた声が震え出した時──望子が、こちらを振り向いた。



 その顔は、どういう訳かよく見えなかったが──。



『──いままで、ありがとう。 とかげさん』


(え……?)



 小さく可愛らしい口の動きと、そこから発せられた高い声音による別れの言葉に、レプターは思わず完全に思考が止まり言葉を紡げなくなる程に驚いていた。


『……じゃあね』


 そして、つい先程までは自分と同じように宙に浮かんでいた筈の望子は、しっかりと地面を──レプターの目には見えないが──踏みしめて歩き出していく。



 レプターがいる方向とは、どう見ても逆に──。



(ぁ……! ま、待ってください!! ミコ様、どちらへ行かれるのですか!? 私は、こちらに……!!)


 一体、何秒呆けていたかは分からないが、レプターは即座に手を伸ばせなくても伸ばそうとしつつ、どこかへ去ろうとする望子を止める為に叫ぼうとする。



 ──だが、やはり声は出ないし手も届かない。



 そうこうしている間にも、レプターの視界から望子の姿は段々と遠ざかって消えていき、ここで初めて自分が涙を流している感覚を理解した彼女は届かない手を伸ばす事も出ない声で叫ぶ事もやめて、ただ泣く。



(どうして、どうしてですか……私は、貴女を──)



 ──こんなにも、想っているのに──



 そう呟いたのを最後に視界を覆っていた暗闇が晴れていき、その全身を支配していた浮遊感からも解放されたかと思えば、レプターの耳に誰かの声が届いた。


『──レプター! よかった、よかったよぉ……!」

「……かな、た……?」

「う"ん、うん……!」


 その声の主は他でもない聖女カナタであり、いつもの白と水色の基調が特徴の修道服ではなく、いかにも平民といった平服を着た彼女は、これでもかという程の弱々しい涙声とともにレプターに抱きついていた。


 正直、意識を取り戻したばかりのところに彼女の高い声は耳に響いたが、そんな野暮な事を言える感じではないなと起き抜けに判断したレプターは、カナタの金色の長髪を出来るだけ優しく撫でて慰め始める。


「……凄い、あの傷が一瞬で……!!」

「っ! 誰だ!?」

「ひゃっ!?」


 その時、唐突にレプターの背後から聞こえてきた何かを称賛する旨の声に、レプターが龍の眼を強く光らせて振り向くと、そこには疲れた表情の神官がいた。


「……ぁ、だ、大丈夫だから、そのは……! 私が起きるまでの間、皆を延命してくれたみたいで……」

「そう、なのか……?」

「は、はい。 一応……」


 明らかに警戒心を剥き出しにしているレプターの声に、カナタは泣くのも中断してその神官を──ファルマを庇う為に声を上げ、それを受けたレプターが確認すると、ファルマは控えめに首を縦に振ってみせる。


「そう、だったのか……すまない、ありがとう」

「い、いえ、お気になさらないでください」


 それが嘘ではないと直感で理解したレプターが即座に頭を下げて謝意を述べるも、ファルマとしては『延命措置しか出来なかったから』と感謝を固辞した。



 それから、カナタが落ち着くまで待った後──。



「私たちの他にも、まだ何人かいた筈だが……」


 漸く本題だとばかりに、レプターがファルマに対して自分たち以外に──人形パペットに変化していた四人はともかく──あの場に倒れていなかったかと問いかける。


「……はい、いますよ。 ただ……」

「ただ?」


 すると、ファルマは他にも何人かはこの村──メイドリアに運んだと答えるも、どういう訳か随分と言い淀んでおり、それを見たレプターが先を促そうと。



 ──した、その時。



「──あの人魚マーメイドと白衣の少女は隔離しておるよ」

「っ!!」

「そ、村長さん!?」


 ファルマが、あれ程に言い淀んでいた事をあっさりと告げながら姿を現した村長に、レプターは彼の物言いに強い違和感を覚えて再び警戒心を露わにし、ファルマは歯に衣を着せない彼の言葉に動揺してしまう。


「貴方が、この村の長か……隔離とは、どういう」


 一瞬の沈黙の後、『村長さん』というファルマの声を聞き逃していなかったレプターが口を開き、どう聞いても穏やかに思えない言葉の真意を問おうとする。


 瞬間、村長は深く皺の刻まれた顔に真剣味を帯びさせたうえで、レプターのそれにも劣らぬ眼光を纏い。


「どういう、とはこちらの台詞じゃ。 お主らを拾うた事を恩に感じろとは言わぬが、もし出来る事なら答えてもらいたい。 あの二人は──魔族なのではないか」

「!!」


 ここまで運んだという事実を恩に着せるつもりは毛頭ないものの、メイドリアの民を守る為には確認せざるを得ない、フィンとローアの正体について問いかけた瞬間、思わず目を見開いた事をレプターは悔いる。


「……その反応は、やはり図星かの」

「ま、待ってくれ! 違うんだ!」


 そんな彼女の予想通り、レプターの反応から二人の正体を悟ったと見える村長の溜息混じりの声に、どうにか誤解を解こうと痛む身体を押して立ち上がった。


「──嘘だな。 少なくとも片方は魔族の筈だぜ」

「「!?」」

「く、クァーロさん……!」


 その瞬間、いつの間にか扉も何もない集会所の出入り口に立っていた男性──クァーロの低い声音に、レプターとカナタは同時に驚いてそちらへ目を向ける。


「俺の恩恵ギフトは真偽、村長は遠視ルクファーだ──分かるだろ?」


 更に追い討ちをかけるかの如く、クァーロは村長の細く頼りない肩に手を置きつつ自分と村長が授かっている恩恵の名を告げ、『察しろ』と声に力を込めた。



 自分は、お前らが嘘をついてるかどうかが分かり。



 村長は、お前らの戦いを遠くから視ていたのだと。



 嫌でも理解させる為に──。



「……お主ら一体、何者じゃ?」


「「……っ」」



 そして、とても老爺と思えない程の鋭い視線で睨みつけられ、その嗄れた声に気迫を纏わせ正体を問うた事で、レプターとカナタは息を呑み顔を見合わせる。



 明かさざるを得ない状況に追い込まれたのだと。



 理解したからだ──。

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