第245話 敗北の代償

 つい先程まで衝撃の余波で大気を揺らしていた魔力の爆発を上空へと逃がす黄金色の結界、一言之守パラディナイトの術者たるレプターは間違いなく意識を失い倒れている。


 しかし、それでも彼女は自らに与えた二つの役割の内の一つ、『ヴィンシュ大陸の守護』は何とか成し遂げており、この岬や周辺の町への被害は大きく出てしまったものの、ヴィンシュ大陸そのものが崩壊してしまうという最悪の事態を避ける事には成功していた。


 とはいえ先述したように彼女が自らに与えていた役割は二つであり、もう一つの『望子の守護』という彼女にとって絶対に成し遂げなければならない役割を果たせなかった以上、大陸を護れたかどうかなど──。



 最早、何の意味もなくなってしまっていた。



 一方で、レプターが意識を失って崩壊した地面へ倒れ伏していくと同時に、それまで何とか形を保ち続けていた結界は瞬間的に罅割れていき、けたたましい破壊音とともに龍鱗が如き破片は空に溶け出していく。


 それに伴って結界の中に充満していた魔力も解放されたが、その勢いは既に失われており穏やかな春に射す陽の光の如く緩やかに周辺の魔素と一体化する。



 岬を覆っていた塵旋風が次第に晴れていく中──。



 最後の最後まで衝撃に抗ってはいたものの結果的には敗北し、うつ伏せで倒れてしまっていたレプター。


 そんな彼女の少し後ろで最終的に小さな身体の右半分の殆どを失い、されど未だに死んでいないローア。


 前衛の二人を治療術で支援していた際、唐突に望子を狙われた事で咄嗟に庇い背中を抉られたカナタ。


 前衛の二人に魔力を補給していた際、望子を狙われた事で盾になるも防ぎきれず苗木に退化したキュー。


 そして何より、カナタとキューに庇われた事で傷は負っておらずとも完全に意識を喪失している望子。


 望子の人形使いパペットマスターの力でぬいぐるみへと変化させらてた四人の亜人族デミを除いた五人は、その緩やかな魔力の余波に曝されたまま身体を地面に預けていたのだが。



 そんな彼女たちの下に、ゆっくりとした足取りで何某かが歩いてきたかと思えば──その何某かは『ごきっ』と首や肩を鳴らしつつ邪悪な笑みを湛えてから。



「……あ〜、くぁはは……流石に死ぬかと思ったぜ」



 災害と呼ぶに相応しい──いや、誰もが災害と呼ばずにはいられない魔力の爆発の中にあって原型を留めている事すらも驚きだというのに、さも何事もなかったかの様な明るい声音で独り言ちていた魔族が一体。



 そう、イグノールである。



 勿論、彼とて無傷という訳ではない。



 彼が着ていたボロ切れの様な服は褐色の皮膚に癒着し、その皮膚も殆ど表面に残っておらず赤々とした筋肉の繊維や黒々とした内臓がいくつも露出している。



 しかし、そんな状態でもイグノールは──嗤う。



 既に痛覚は戻っている筈だというのに。



「さーって、あのちっせぇ勇者は──お、いたいた」


 それから、しばらく辺りを見回して幼い召喚勇者を探していたイグノールの視界に、後生大事に望子を抱えたまま血を吐いて倒れ伏すカナタの姿が映った。


(この聖女の力も中々だった気もすっけど……まぁ連れていく意味はねぇわな。 さっさと回収すっか──)


 イグノールの脳裏には、この小さな召喚勇者が行使した狐人の力にも劣らない程の聖なる光を放つ聖女の姿も残っていたが、イグノールの主人である魔王が欲しているのは望子だけである為、死後硬直の様にしっかりと抱きしめていた聖女から望子を引き離さんと。



 ──した、その時。



「……んん?」



 イグノールは、ふいっと背後を振り返った。



 そこには──。



「──っが、はぁああ……っ、まだ、だ……!」



 魔力の大爆発によって既に倒された筈のレプターが片膝をついた状態でこちらを睨んでおり、さも『戦いはこれからだ』と言わんばかりの発言を搾り出す。


 しかし、どう見ても彼女の身体は戦いを続けられる様には見えず、かの国宝の影響で過剰投与オーバードーズの印が刻まれていた両翼は完全に消し飛び、ルニア王国の紋章が記されていた腕甲や軽鎧も粉々に砕け散っていた。


 イグノールは一瞬、『まだ遊べるかもしれない』と心を躍らせたが、レプターの満身創痍っぷりを見た事で露骨に興味をなくし、あからさまに溜息を溢す。


「何が『まだ』だ? お前は終わりだよ。 まぁ随分と苦戦したのは間違いねぇがな。 あの人魚マーメイドもそうだが」


 おそらく、まだ戦える力が少しでも彼女に残っていたのなら無慈悲にも彼女の命を奪いにいったのだろうが、あくまでもイグノールが好きなのは『自分と張り合える者』であり、『縋り付いてくる者』ではない。


 だからこそ、イグノールは早々にレプターから視線を外し、カナタから望子を引き剥がす作業に戻った。


(フィン……生きて、いるのか……?)


 さも当然の事であるかの様なイグノールの言動に反論する力さえ残っていないレプターは、その言葉の中に出てきた人魚──フィンの生死が気にかかり少しだけ首を動かして結界が張られていた場所を見遣る。


「……な……」


 そこには、とても先程まで人魚だったとは思えない何かがうつ伏せで転がっており、それでいて中途半端に頑丈であるらしい魔族由来の角や飛び魚の如き翼は残ったままの──フィンだったものが倒れていた。


 今のレプターは間違いなく勇者一行の中でも最強格の存在ではあるが、そんな今の彼女であってもフィンにだけは劣るだろうと自覚していたからこそ、その姿は彼女に深い絶望を与えるに充分だったのだろう。



「……く、そ……みこ、さま……もう、しわけ──」



 レプターは、それはもう静かに膝をつき──。



 再び、すっかり崩壊しきった岬に倒れ伏した。



「あいつはどうでもいいが……こいつはどうすっか」


 それを見届けたイグノールは既にレプターから視線を外し、そんな彼女から少し離れた位置に倒れ伏すボロボロの白衣を纏う褐色の少女を視界に映している。


(こいつぁ確か……そう、俺を閉じ込めやがった奴だ)


 勇者と聖女の合わせ技によって記憶や知能を取り戻していたイグノールの脳裏には、かつて自分を改造する為にイグノールが捕まえてきた龍の脳の中に閉じ込めんとした魔族の姿が浮かんでおり、その時とは外見が大きく異なるものの見間違える事はなかった様だ。


 そんな彼の視線の先には、『じゅくじゅく』と魔族特有の高い再生力にて失った内臓器官を回復させようと無意識下で試みている、ローアの姿が映っている。



 彼は一瞬、『デクストラに報告を』と考えたが。



(……ま、いいだろ別に)



 結局、脅威には成り得ないと判断し捨て置く事に。



「っし、さっさと帰って迎えを待っ──あ」



 ローアから視線を外したイグノールは、いよいよカナタの腕から望子を引き剥がし手提げ鞄でも持つかの様に片手で『よいしょ』と望子を持ち上げた──。



 ──その瞬間。



(……、まだ飛べんのか?)


 倒れ伏しているフィンよりも更に向こうの方で力尽きている──元から死骸なのだが──龍へ視線を向けて、まだ飛べるかどうかを確認しないとと考え、そちらの方へ向かう為に崩壊した地面を踏みしめていく。


 彼は誰に説明を受けるまでもなく、あの龍を操っていた糸を──望子から獲得した人形使いパペットマスターの力を、さも元より手にしていたかの様に扱ってはいたものの。


 今になって考えてみれば、どういう仕組みなのかも全く理解していないという事に気づいた為、取り敢えず動かしてみるかと考えての行動だったのだろう。


「さて、どうなるかな〜っと──お?」


 龍の亡骸の前まで歩みを進めたイグノールが、とにかく色々やってみようと手を伸ばした瞬間、彼の指先から先程までと同じ薄紫色の光沢を放つ細い糸が出現したかと思えば、それは龍の関節部位へと取りつき。


『──グ、ギュ……ア"、ア"ァアアアア……!!』

「……あー、これは……」


 ほんの少し動くだけでもボロボロと鱗や皮膚、牙や爪といった器官が崩れ落ちていく程に文字通り死に体でありながら、その糸によって強制的に立ち上がらされた龍が搾り出す様な重低音を周囲に響かせた。


 しかし、イグノールは大して嬉しそうではない。


(戦わせんのは、もう無理そうだなぁ……まぁ足として使う分には問題ねぇ──っぽいし、よしって事で)


 それもその筈、何処からどう見てもこの龍はもう戦闘用として使う事は出来ず、せいぜいが移動手段として使うくらいかと考えた為に気を落としていたのだ。


 とはいえ、たった今この瞬間のイグノールにとっては、こんな亡骸でも移動に使えるなら充分といった程に疲弊しているのも事実であり、『うんうん』と妥協でもするかの様に頷いてから龍の頭に飛び乗った。


「そんじゃあ帰るとするか──あぁ、そうだ」


 その後、大きな崩壊音を立てながらボロボロの翼を動かして飛び上がろうとした龍を止め、イグノールは地面に倒れ伏す勇者一行を見下ろしながら口を歪め。


「中々愉しかったぜ、お前ら! 聞こえちゃいねぇだろうが……こいつを返して欲しかったら俺の巣まで来るこった! 再戦ならいつでも受け付けてるからよぉ!」


 この戦いの感想を好き勝手に叫んだかと思えば、その右手に無造作に抱えた望子を取り返しに来るなら受けて立つと宣言し、とても満足げな浮かべつつ踵を返して色とりどりの魔力が揺蕩う空へと飛んでいった。


────────────────────────


 そんな、イグノールの一連の行動を──。



 フィンは、すっかり目蓋も焼け落ち剥き出しになった紺碧と薄紫の入り混じる瞳で──ただ、見ていた。



 一行の誰よりも望子の事を大切に想っている彼女にとって、ほんの少しの抵抗さえも許されず望子を攫われてしまうというのは、どれ程の苦痛だというのか。



 ……想像するに余りあると言えよう。



 だからこそ、フィンは最後の力を振り絞って──。



 最早、身体の一部と言えるのかすらも怪しく思える枝の様に細った右腕を伸ばし、『ひゅー、ひゅー』と穴の空いた喉から空気が漏れ出てしまうのも構わず。



「……み"、こ……」



 最愛の少女の名を、口にしたのだろう──。

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