第244話 勇者一行の──

 今まさに、イグノールが強制的に行使させんとしているのは、かつて召喚勇者が仲間としていた史上最強の龍が持つ、まさしく史上最強の自爆技であり──。



 そんな危機的状況の中でさえ、ローアは抑えきれない知的好奇心から薄紫の双眸を妖しく光らせている。



 かつて、ローアも仕える魔王コアノル=エルテンスは、たった一度の魔術を持って大陸一つを支配した。



 その魔術の名は──闇黒死配ダクロウル



 魔王軍幹部の一体、『魔王の予備サタンズスペア』という二つ名を持つウィザウトを除けば、コアノルのみが行使する事の出来る正真正銘の超級魔術であり、その力は現魔王領たる『シュヴァハ大陸』のみならず、このヴィンシュ大陸やガナシア大陸にまで及ぶ程だったという。



 そして、たった今この瞬間に起動しようとしている龍之墓場ドラゴンズエンドは、その規模だけを見るとするのなら──。



 かつて魔王が放った魔術と同じか、それ以上だと言っても過言ではない──ローアは、そう感じていた。



 ゆえに、その一見するとあどけなくも思える表情を魔族らしい邪悪な笑みへと変えているのだろうが。



 それを自覚していても、やめる事など出来ない。



 かつては勇者の仲間だった龍の力を味わえるというのなら、その身を被験体とする事さえも厭わない。



 そんな狂気じみた思想を持つ彼女だからこそ、デクストラを始めとした魔族たちはローアを疎んでいた。



 魔王領から遠く離れた大陸に左遷する程には。



 自分たちもまた、ローアと変わらない──いや、ローア以上の悪の権化と言わざるを得ないというのに。


────────────────────────


 今も尚、四つの災害と二人の亜人族デミによる魔力の爆発を防ぎ続けている一言之守パラディナイトの形状を変化させ、そのうえで龍之墓場ドラゴンズエンドの衝撃を空に逃がす為にレプターが。


 その際に生じてしまうだろう魔力の爆発による余波を防ぐ為、自分が防御に長けてはいない事を理解していても尚、異世界よりの友人を護るべくローアが。


 そして膨大な魔力を守護にのみ注ぎ込まんとする二人を援護する為に、かたや恒久的な治癒を、かたや持続的な魔力の供給を行うべくカナタとキューが、それぞれ万全の準備を整えていた──まさに、その瞬間。


 つい先程まで驚異的な規模と力で巻き起こっていた筈の爆発が、どういう訳かほんの一瞬だけ沈静する。


「え……? どういう、事……?」


 レプターやローアの様に魔法について明るくはないカナタは、その奇妙な現象に目を丸くしていたが。



 前衛に立つ二人は、それを正確に理解していた。



「……っ、嵐の前の静けさという事か……!!」

「ここまでとは……くはは」


 そう、この現象は何も爆発を防ぎきる事が出来たのだとか、あの龍之墓場ドラゴンズエンドが不発となったとか──召喚勇者一行に希望を齎す様な類のものでは決してない。


 ただ単に、レプターの誇る最大最強の結界をも揺るがす魔力の爆発すら呑み込み糧とする程の力を、イグノールが行使しようとしている──というだけの事。


 

 そして、レプターの結界の中で巻き起こっていた強大な魔力の奔流が完全に勢いを殺された──その時。



 失明しても不思議ではないという程の薄紫の閃光とともに、イグノールが行使する龍之墓場ドラゴンズエンドが起動した。


 瞬間、一言之守パラディナイトは大きく外側へと膨張するだけに留まらず、あの超巨大規模の魔力の爆発すら抑え込んでいた筈だというのに、あっさりと罅割れてしまう。



 レプター=カンタレスの努力、才能、成長。



 ローア──もとい、ローガンの種根、智謀、狂気。



 それら全てを嘲笑うかの様に。



 だが──それでも彼女たちは崩れない。



 この瞬間をこそ、レプターたちは待っていたから。



 遅すぎても早すぎても駄目だ──そう考えつつ結界の形状変化にのみ意識を集中させていたレプターが。



「っ! 一言之守パラディナイト形状変化フォームチェンジ!!」



 一見すると詠唱の様にも思える──されど詠唱ではない決意と覚悟を秘めた文言を叫んだ瞬間、黄金色の結界は『バキバキ』という龍の鱗が軋むが如き音を立て彼女が望んだ天まで届きそうな柱へ変化していく。


 ヴィンシュ大陸だけでなく、ガナシア大陸や魔王領に住まう者たちにさえ見えるのではという程に──。


 だが、しかし。


 どの様な魔術や武技アーツにおいてもそうではあるのだが、こういう変化の最中であればある程に脆くなってしまうのが常であり、やはり──と言うべきなのか。


「っ、ぐ、うぅ……っ! ロー、ア……っ!!」


 当初から彼女たちが危惧していた通り、龍之墓場ドラゴンズエンドの衝撃は変化の最中にある結界から溢れ出し、カナタの治療術による回復が全く追いつかずに血を流し続けているレプターは、ローアに対して警告の声をかける。


「言わずもがな。 さぁ、いざ尋常に──」


 とはいえ、ローアは彼女に言われずとも自らの持つほぼ全ての魔力を防御に注ぎ込む準備は出来ており。



「『善悪、功罪、白と黒、弱者の曰う世迷言。 森羅万象に喰らいつき、それらを呑み込む牙を我が手に』」



 その小さな褐色の手を結界の方へと伸ばした後、手の前に展開した薄紫の魔方陣は彼女が紡ぐ極めて物騒な詠唱とともに段々とその規模と輝きを増していく。



 そして、ローアが詠唱を終えた──その瞬間。



あまねくを喰らえ──『闇呑清濁ダクドランク』」



『……ァアア──ギャジャアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』



 『護る』──というより全てを『喰らう』事に特化した、イグノールが使役する龍のものにも劣らない凶悪な牙の生え揃った口が、この世界で最大の騒音だと言われても納得しかねない程の咆哮と共に出現する。


 口が──とは言ったものの、その口は何らかの顔と共に出現した訳ではなく、ただただ薄紫の魔方陣を食い破りながら巨大な口と牙と舌だけが現れたのだ。


「な、何これ……?」

『きゅーっ!?』


 ローアが何かしらの魔術を行使しようとしている事は分かっても、あまりに唐突な凶暴極まりない口の出現に、カナタとキューは揃って驚愕を露わにする。


 そんな二人の声を聞き逃していなかったローアはといえば、カナタたちの方へ振り返る事なく口を開き。



「我輩の誇る三つの超級魔術──その一つである」


「!?」



 彼女が望子たちと初めて邂逅した時、得意げな表情や声音と共に披露した、『彼女が被験体と狙い定めた生物の身体を魔素へと変換する』魔術──闇素変換ダクブースト


 また、リフィユ山で風の邪神の眷属ファミリアたちを相手に行使した、『自分と同じか、それ以下の力を持つ生物を絶滅へ追い込む薬品を投与する』魔術──闇菌蔓延ダクバグ


 これまでの道中で彼女が行使してきた圧倒的な性能を持つ魔術と並ぶ、ローアの編み出した超級の一つなのだと明かした事で、カナタは目を見開いてしまう。


 それもその筈、今この瞬間までカナタはローアが超級魔術を扱える事はおろか、まさか三種類もの超級魔術の行使が可能とは全く持って知らなかったから。


 当然ながら、この闇呑清濁ダクドランクも超級に相応しい性能を誇っており、ひとたび行使すれば闇呑清濁ダクドランクそのものが満足するまで全てを喰らう事をやめようとしない。



 魔素も、魔力も、大地も、空気も、生命も。



 放置しておくと闇呑清濁ダクドランクは半永久的に食事を止める事なく、この世界に存在する全てを喰らい尽くす。



 術者である筈のローアでさえ止める事は出来ない。



 ゆえに、この魔術は彼女にとっても賭けだった。



 結界からの余波を食い尽くして満足すればそれで良いが、もし食い尽くしても足りなかったとしたら、この牙は間違いなく上質な魔力を持つ望子へと向かう。


 そうなってしまえば、おそらく今のローアでは止めきる事も出来ずに望子やカナタは喰われてしまう。


 そして、この魔術でさえ喰らい尽くせない程の余波が溢れ出したとしたら、その時は自分たちが死ぬ。


 こちらに関しては、レプター次第ではあるのだが。


 上述した二つ以上に危険な魔術だという事は自身が誰よりも理解していたものの、それでもこの状況を打破する為にはこれしかないとも理解していたのだ。


『ギャオォオオ!! ガジュウゥウウ……!!』


 そんな風に思考を繰り広げている間にも、ローアの目の前では宙に浮かぶ巨大な口が結界の罅の隙間から溢れ出てくる衝撃の余波だけでなく、イグノールによって完全に破壊された岬を含めて咀嚼し続けている。


 これなら、もしかしたら──と治療術を行使しながら大きな恐怖と同時に多少なり希望を抱き始めていたカナタとは対照的に、ローアは小さく息を溢して。


(……やはり、か……今の我輩では、どうにも……)


 決して諦めている訳ではないが、この状況を覆す程の余力が今の自分にない事を察してしまっていた。



 一番の原因は、イグノールの攻撃に──ではなく。



 ──聖女カナタの治療術にあった。



 勇者と魔王が対極な存在である様に、聖女と魔族もまた対極な存在だというのもこの世界の認識の一つ。



 そんな対極な存在せいじょが行使する治療術で、あろう事か対極な存在まぞくを癒すなど神々は想定しておらず、ゆえに本来ならば傷や病が癒える事はない筈なのだが。



 可能にしたのは──カナタの優秀さによるところ。



 しかし、だからといって魔族側ローア不利益デメリットが生じていないのかといえば──そうではないのが現実であり。



 治療術で傷は消えても、その聖なる力は魔族たる彼女の身体を内側からジクジクと蝕み続けていたのだ。



 いつ誰が倒れても不思議ではない、そんな状況で。



 ついに──その時が訪れる。



「っ!? しまっ──」



 レプターは油断などしていなかったが、どこもかしこも罅割れた結界の隙間から差し込んできた光線の如き衝撃波を処理しきれず、それは彼女の後ろにいる望子やカナタたちに向かっていく。


「! 闇呑清濁ダクドランク!!」

『ギュオォオオ──』


 無論、結界から目を離していなかったローアは指示を聞くかどうかはともかく闇呑清濁ダクドランクの名を叫び、どう見ても自分ではなく自分の後ろにいる望子たちを狙っている光線を喰らう様にと掲げていた手を向けた。


 闇呑清濁は予想通りローアの指示など聞いてはいなかったものの、まだまだ満ち足りていないところへ偶然に飛来した光線に御馳走だとばかりに喰らいつく。


 その光線は凶暴な牙の生え揃った口の中へと吸い込まれ、グシャッと噛み砕かれる──筈だったのだが。


『──ギアァッ!?』

「な──がっ!?」

「ろ、ローア!!」


 吸い込まれたのは間違いない。


 しかし光線は噛み砕かれる事もなく闇呑清濁を貫いて、すぐ後ろに立っていたローアに迫り、その驚愕の色に染まった顔の右半分を──消し飛ばしてしまう。


「あ、あぁ……! くぅ……っ!!」


 あまりにも唐突に視界に映った凄惨な光景に、カナタは抱きつつあった希望が絶望に変わっていくのを感じながらも、この瞬間さえ迫り続けていた光線に。



 望子を、ぎゅっと抱きしめたまま背を向けた。



 自分はどうなったって構わない。



 この子だけは、どうか──。



『! きゅーっ!!』



 そんなカナタの強い想いを察したのか、キューはレプターに対する魔力の供給を継続したうえで、ローアに回していた魔力のほぼ全てを注ぎ込んだ堅く柔軟な木の盾を展開して、カナタごと望子を護らんとする。


 しかし、レプターの最大最強の結界やローアの超級魔術さえも打ち破る一撃を、たかだか下位種の亜人族デミが防ぎきる事など夢物語以上の何物でもなく──。


『きゅ──きゅ、あぁああ……』

「キュー!? そ、そんな──」


 ほんの少しだけ威力は削げたかもしれないが、その光線が触れた瞬間、木の盾は一も二もなく消し飛んでしまい、キュー自体も光線の影響を大きく受けたのか元の苗木の様な姿にまで退化してしまっていた。


 それを見て『キューが命を落とした』と考えてしまったカナタは、その苗木へと手を伸ばさんとするも。


「──か、は……っ」


 そんなカナタの背中を光線を撃ち抜き──キューの盾で多少なり威力が削れていたお陰で貫通はしなかったが、あわや穴が空くのではないかという程に背中の皮や肉、骨を削り取られた事による痛みで気絶する。


「ローア……キュー……カナタ……!! くそぉ!!」


 翻って──カナタが治療術を、キューが魔力の供給を行えなくなってしまった事により単身で防御しなければならなくなったレプターは思わず叫んでしまう。


(何が勇者の盾だ……!! 新たな力を得て、あまつさえ国宝の力まで借りて……それでも私は……っ!!)


 望子の前で『自分は勇者あなたの剣であり盾である』と宣言しておきながら、そして過剰投与オーバードーズ君主守盾モナークガードナーといった大いなる力まで手にしておきながら──。


 結局、誰一人まともに護れない自分を恥じていた。


 何であれば最早、不甲斐なさで死にそうな程に。


 だが、そんな彼女の感情の動きなど知った事ではないとばかりに一言之守パラディナイトは次第に大きく破損していき。


「ぐぅうううう……!! っ、がぁああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」


 それでも、レプターは最後の意地だとでも言いたげに叫びながら龍之墓場ドラゴンズエンドの衝撃の殆どを上空に逃がす。


 殆ど──と言うからには一部はレプターに襲いかかっているのは明白であり、その力を直に受けた彼女は汚染された海の方まで吹き飛んでしまっていた。


 決して望子には被害が及ばぬ様にと、その衝撃のほぼ全てを満身創痍の身体で受け止めたからこそ──。



 顔の半分だけでなく右半身さえも消し飛ばされていたローアが、すっかり元の物言わぬ苗木に戻ってしまっていたキューが、あの龍の狙い澄まされた一撃を背中に受けて肉や骨を抉り取られていたカナタが。



 そして最後の最後まで勇者の盾であろうとし、その身体すらも盾にしようとした為に海まで吹き飛ばされて姿さえ見えなくなってしまっていたレプターが。



 かの魔族を討ち倒さんと力を使い果たして意識を失っていた望子を護らんとした、そんな彼女たちが一様に打ち負かされて倒れ込む、この光景はまさに──。



 召喚勇者一行の──敗北を意味していた。

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