第239話 災害と災害

 かたや、その血走った瞳から完全に光を失い、イグノールの傀儡と成り下がったボロボロの巨大な龍が。



 かたや、かつての恐化きょうかとは違い化石の様な姿に成り果てた、いかにも禍々しい魔力を纏う巨大な海竜モササウルスが。



『グギャアァアアアアアアアアアアアアッ!!!』


『ギャゴォオオオオオオオオオオオオッ!!!』



 遠く離れていても尚、鼓膜を強すぎる程に叩く大咆哮と共に凶暴極まる牙を剥き、その牙を持って互いの首を落とさんと大きく口を開けて──噛みついた。


『ガ……ッ、グ、グルルルルルルルルゥ……ッ!!』

『ギ、ゴ……ッ、オォオオオオオオオオッ!!』


 二つの災害がもたらす衝撃は大気をも揺らし、ビリビリと伝わってくる空気の振動に望子たちが言葉を失う中、イグノールだけは龍の頭上で愉しげに嗤い。


「──っ、とぉ!! くぁははは!! 愉しいなぁ、愉しいなぁおい!! お前もそうだろ!? 人魚マーメイドぉ!!」

『ゴルル……ッ、ギャガァアアアア……ッ!!!』


 今のフィンと会話など成立する筈もないと分かっている筈なのに、それでも邪悪な笑みを浮かべて糸を動かし龍を操る姿は、とても下級のそれとは思えない。



 ──いや、数多いる上級魔族にも不可能だろう。



 現に、魔王でさえ一目置く程の上級魔族であるローアも他の八人と同様に、ただ黙って二つの超巨大規模の災害の鍔迫り合いを静観する事しか出来ていない。


 それから、しばらく互いに牙を突き立て相手を噛み砕こうとしていた龍と海竜モササウルスは、まるで仕切り直しだと言わんばかりに殆ど同じタイミングで牙を離した。


『グゥルルルル……ルァアアアアアアアア……!!』

『ギュウゥウウウウ……ギャオオオオ……ッ!!』


 かと思えば──その大きな口をまたしても同じタイミングで開き、そこに途方もない程の魔力を充填し始めた事で、ここにきて漸く一行はハッと我に返る。


「っ、おい! あれはやべぇだろ!! 逃げるぞ!!」

「馬鹿! 逃げ場なんてある訳ないじゃない!!」


 真っ先に危機感を覚えたウルが治療されたばかりの望子をその腕に抱えながら遁走を提案するも、ここは一切の逃げ場がない大陸の端の岬なのだと充分に理解していたハピは叱責する様な語調で彼女を諌めた。


 その証拠に、ふと振り返ったウルの視界には呆れ返る程に広がるイグノールの息吹ブレスによって汚染された海と、その息吹ブレスの衝撃で半壊していた船が映っている。


 水棲の亜人族デミであるカリマやポルネ、やろうと思えば水中に適応する事も出来なくはない龍人ドラゴニュートのレプターでさえ、この状況では避難など出来よう筈もなく。


 唯一、自分だけならば虚数倉庫ニルラソールという膨大な魔力で作り出す亜空間に逃げられる魔族のローアを除き、まさに絶体絶命の火事場に追いやられたと言える。



 ……どちらかといえば水場なのだが。



 ぎゃあぎゃあと二人の亜人族デミが実りのない口論をしている間にも、そんな彼女たちを含めた一行から遠く離れた上空で二つの災害は更に魔力を溜めていく。


 更に追い討ちをかける様に、巨大な海竜モササウルスの化石となったフィンの両脇を固める様に小さな──といっても望子たちが乗ってきた船くらいの大きさはある二頭の海豚の化石が浮かんでおり、これらもまた海竜モササウルスと同じく口に当たる部位へと同色の魔力を充填している。


 それは紛れもなくフィンの力の一つであり、かつて魔王軍幹部筆頭ラスガルドとの戦いの際に、そしてカナタと再開した時にも彼女を殺めるべく行使しようとした魔術。



 その名は──『闇禍水流ダク・リュウ』。



 対して、イグノールが龍を操り今にも吐き出させようとしているのは、この龍が生きていた頃に得意としていたのだろう、ウルの炎など及びようもない禍々しい業炎だが、これは魔術ではなく固有武技アーツに当たる。



 その名は──『焼却息吹バーンブレス』。



 この二つの力がまともにぶつかったのなら、この大陸ごと吹き飛んでしまうかもしれない──そう誰もが思わざるを得ない程の強大な力と力が今にも放出されんとする、そんな一触即発な空気の中にあって。



「……ウル、ハピ! 言い争いなどしている場合ではないだろう!? ミコ様を護りたくはないのか!?」



 一見すると冷静な様子の、されど震えた声音で割って入ったレプターが二人に対して声を荒げ、『そんな事をしている暇があるなら頭を回せ』という旨の叫びを上げるとともに二人の生みの親でもある少女を、これ以上の危険な目に遭わせてもいいのかと問う。


「護るに決まってんだろ!!」

「護るに決まってるでしょう!?」


 すると、こんな時ばかり二人は息を合わせて同じ内容の台詞を叫び、ウルは望子を抱く腕に力を込めた。


 『護りたい』──ではなく『護る』というのが、いかにも彼女たちらしいとレプターは脳内で独り言ち。


「ならば私たちも出来る事をしよう! まずはミコ様の護りだが、これは私とローアで担う! いいな!?」


 ウルたちの諍いを止めてから、まず間違いなく岬ごと吹き飛んでしまうだろうと考えた彼女が何を差し置いても望子を護らなければならない事を前提とし、ローアの方へ顔を向けて指示を出したはいいものの。


「……」


 返事が、ローアから返ってこない。


「……ローア? 聞いているのか?」

「っ、う、うむ。 了解である」


 そんな白衣の少女の様子に違和感を覚えたレプターが、この中でも特に戦い慣れている筈の彼女が呆然としている事に疑問の声をかけると、その声でハッと我に返ったローアは話自体は聞いていたのか首肯する。


 しかし、そんな彼女の視線は今この瞬間にあっても二つの災害から離れておらず、その薄紫の双眸には隠しきれない知的好奇心が確かに燻り始めていた。


「キューは私とローアに魔力の供給を。 分かるな?」

『きゅっ!』


 次に、カナタを心配しているのか細い根っこを彼女に巻きつけて離れようとしないキューに対し、おそらく足りなくなってしまうだろう魔力の供給をしてほしいと頼むと、キューは『任せて』とばかりに頷き。


「カナタはミコ様と私たちの後ろへ──だが、もしも可能なら遠隔で治療術を行使してくれると助かる」

「……っ、も、勿論よ。 私も、役に立ちたいもの」


 そんなキューを肩に乗せたカナタには、すっかり疲弊しきっている望子とともに護られていても構わないが、これまでにない程の負傷をするだろう一行を回復してくれるとありがたいと告げた事で、カナタは震える身体を立ち上がらせてその役目を引き受ける。


「その他の者たちは──フィンの援護を。 あの状態のフィンをどうするかについては後回しにして、まずはイグノールと龍を討つ事を最優先とする。 異論は?」


 そして、それ以外の四人に今や禍々しい骨の怪物と化したフィンへの援護を指示すると同時に──。


 これらの策はあくまでもイグノールとその傀儡を討伐する為のものであり、フィンがどうすれば元に戻るのかという事は終わってから考えればいいと口にして一行の憂いを断たせた事により、ウルたちは互いに顔を見合わせてから決意と覚悟を持って頷いてみせた。


 そうこうしている間にも、かつてフィンだった海竜や、かつてイグノールだった龍は、まるでそれ自体が一つの星であるかの様な超巨大規模の魔力を蓄えており、もう時間がない事を察したレプターは息を吸い。



「では──行動開始!!」



 さながら軍師であるかの様な物言いを全員に叫び放つとともに、ウルを始めとした四人の亜人族デミは再び前線へと駆け出していき、レプターとローアは防御用の武技や魔術を行使する為の魔力を集中させ、カナタとキューは来るべきその時に備えて深呼吸をしている。



(……っ、やっぱり、わたしは……)



 そんな中、結局のところ自分は護られる立場になってしまうのだという事を子供ながらに理解し、それを望子は情けなく感じつつも手を組んで祈っていたが。



 だからといって、この状況が変わる訳もなく。



「さっきから下でコソコソやってるみてぇだが……どうでもいいよなぁ!? これは俺とお前の戦い!! 邪魔立てすんなら消し飛ばすまでよ!! そうだろ!?」

『ギュイィイイ……ッ、ゴギャアァアアアアッ!!』



 大気どころか最早、大陸ごと揺れているかの様な錯覚を──実際に揺れていたのかもしれないが──覚えているにも関わらず、それすらも愉しんでいたイグノールが嗤いながらフィンに声をかけるも、この状態のフィンからまともな答えが返ってくる筈もない。


「くぁははは!! そうかそうか、もう待ちきれねぇかぁ!! あぁ気にすんな、俺もそうだからな!! 俺とお前、どっちが上か──決着けりつけるとしようぜ!!」


 だが、イグノールは本能──或いは直感でフィンの咆哮に隠された感情を読み取ったのか、ニィッと口を歪ませたかと思えば思い切りの良い高笑いをし、いよいよとばかりに掲げた右手をフィンに向けた瞬間。



『グゥルルルル──グギャアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』


『ギュオオオオ──ギャゴオォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!』



 その大きく開いた口に充填し終えた赤紫と青紫の膨大な魔力を解き放ち……二つの災害が放つ魔術と武技が今、ヴィンシュ大陸の上空にて──激突する。

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