第238話 異変の連鎖

 足元の巨大な朽ち果てた龍を、まるでステージか何かに見立てて大仰な両手を広げつつ得意げに嗤うイグノールに対し、いまいち要領を得ていないウルは。


「お、おいローア! どういうこった!?」

「……」


 まず間違いなく、この一行の中で最もイグノールに詳しい──いや、詳しいどころか彼に手を加えたと言っていた白衣姿の上級魔族へ声を荒げて問いかける。


 しかし、どうやらローアはこの事態を自分なりに解読すべく黙考している様で、ウルの声に反応しない。


「……っ、おい!! 聞いてんのか!?」

「っ、あ、あぁ……そう、であるな。 おそらく──」


 それを見たウルが苛立ちながら改めてローアに大声を飛ばした事により、そこで漸く我に返った彼女だったがウルの言葉自体は聞こえていた様で、『憶測にすぎぬが』と、らしからぬ予防線を張ってから──。



「ミコ嬢の、というより勇者による火光かぎろいの蒼炎と、聖女の浄化の光が原因──と見るべきであろうな」



 イグノールがあの姿に──ローアが手を加える前の純粋な下級魔族としての姿を取り戻した原因が、おそらく召喚勇者である望子と聖女であるカナタ、そしてその二人が放った魔術にある筈だと語ったものの。


「はぁ!? もっと分かりやすく言え!!」

「う、うむ……言うなれば──」


 怒り狂っているせいで、いつも以上に人の話が聞ける状態にないウルは怒声を上げて牙を剥き出してしまっており、それを見たローアは思わず気圧されながらもウルでも分かる様に、かつ簡潔に説明し始める。



 かの者の変化には、ある三つの力が影響していた。



 一つ目は──聖女カナタの浄化の光。



 本来、聖女が行使したものであるかどうかに関わらず、浄化魔術というのは対象が受けた毒や菌などを消したり、もしくは悪霊などを祓う為の魔術であり、そこに対象の時を戻したりする力は絶対に存在しない。


 しかし、今回の場合は相手が聖女との戦闘経験のある魔族だった事と、その時の聖女の光とカナタの光が酷似していた事によって、イグノールの知能や記憶などなどを──そして龍の中に閉じ込めていた元の姿のイグノールの封印を浄化してしまっていたのである。



 二つ目の──火光と呼ばれた狐人ワーフォックス、リエナの蒼炎にしても同じ事が言えるとローアは確信していた。


 

 聖女の光に並んで唯一と言ってもいいイグノールへの有効打だった蒼炎は、ローアによって取り除かれていた筈の痛覚を蘇らせてしまっていたのだと──。


 ここまでの二つも当然、途轍もない事態だと言えばそうなのだが──もう一つの影響の方が不味く、ありえない事態だとローアは今この瞬間も驚いている。



 そう、それこそが三つ目の──。



 ──召喚勇者である望子の、人形使いパペットマスターとしての力。



 尤も、これに関してだけ言えば前の二つとは違って確信めいた事は言えない様だが、おそらく召喚勇者たる望子が放った蒼炎をその身に受けた事で、すっかり抜け殻となった龍を傀儡が如く操る力を獲得してしまったのではないか、というのがローアの見解だった。

 

 現に、ローアの薄紫の双眸とハピの翠緑の瞳、レプターの龍の眼にはイグノールと龍が濃い紫色の数千本か数万本近い糸で繋がっている様に見えている。


「今、我輩が言った事の確証などないが……まず間違いなく先程よりも力は増したと見るべきであろう」


 以上、イグノールに変化を促した三つの力の影響について語り終えたローアは、ついでの様にカナタの治療術で癒されていた指や脇腹をさすっていたのだが。


「……つっても下級魔族だろ!? おい、カリマ!!」

「あァ、分かってらァ! さッさとミコの仇を──」


 そんな折、要は『危険だ』と言いたいのだろう事は分かっても、だからといって望子を傷つけた輩を野放しにする訳にもいかないウルは、おそらく似た様な考えを持っている筈のカリマを焚きつけ、それを受けたカリマが同調して青白い触手の刃を構え始めた。



 ──その瞬間。



「──っ!? ぐっ、あぁっ!? いってぇええ!!」

「ぎゥッ!? さ、さッきの──ゥあ"ァッ!!」



 何かが接近している──と自慢の嗅覚で察知したウルの反応を遥かに上回る速度で先程の突起物が地面から出現し、ウルの右足とカリマの腹を貫くだけでは飽き足らず、そのまま持ち上げられて龍の──というより、イグノールがいる方へと引き寄せられてしまう。


 その突起物の正体は──かつてイグノールだった龍の骨であり、カビはカナタの浄化魔術で消え去っていても研磨された武器であるかの様な斬れ味を誇るそれに貫かれれば、あれ程に叫んでしまうのもやむなし。


 ハピやレプター、ポルネなどが何とか助けようと魔術や武技アーツを行使するも──もう、間に合わない。


「何をごちゃごちゃと言ってんのか知らねぇが、その餓鬼は頂いてくぜぇ!? めんどくせぇが魔王の奴の命令だからよぉ!! 邪魔するってんなら──あ?」


 一方のイグノールは知能や知性、経験値を取り戻した事で、どうやら記憶力も開花したらしく以前にデクストラから伝えられていた勇者の特徴も思い出し、コアノルの命を邪魔するのなら排除してやる──と。



 叫び放たんとした──その時。



「い"って──あ、やべ、着地……」

「ゥぐ……おい死ぬぞ、これ……」


 突如、ウルやカリマを『バーベキューの具材』かと言わんばかりに突き刺していた龍の骨が切断された事で、そこそこ高い位置から二人が落下し始めた。


「っ! もう、世話が焼ける!!」

「私も行く! 片方は任せろ!」


 それを見ていたハピとレプターは、『どうして骨が切断されたのか』を考える間もなく飛び出し、ギリギリではあったが二人を受け止める事に成功する。

 

「……んん? 何だぁ?」


 そんな中、実のところイグノールも唐突すぎて何が起こったのか分かっておらず、あまりに一瞬の内に両断された骨の断面辺りを興味深そうに見ていた。



 そんなイグノールの耳を──誰かの呟きが叩く。



「──ろす」


「あ……?」



 その呟きの発信源は、ここまで唯一と言っても過言ではない程に沈黙を貫いていたフィンであり、だらんと両腕を垂れ下げた姿勢で宙に浮かぶ彼女の傍らには今までにない凶悪な造りの水の斧が浮かんでいた。


「……お前か? お前が今のを──」


 そして、イグノールが若干だが気圧されつつフィンに声をかけんとした瞬間、彼女の紺碧の──いや、紺碧だった筈の青紫の双眸がカッと開いたかと思えば。



「──殺す……殺す! 殺す殺す殺す!! お前だけは絶対に殺す!! よくもボクのみこを傷つけたな!? 泣いて喚いて赦しを請いても絶対に殺してやる!!」


「ぃ、いるかさん……?」



 望子の前では絶対に披露する事がなかった筈の凶暴性をこれでもかとひけらかし、そんな彼女を見て驚いた望子が名を呼ぶも、今のフィンには届かない。



 ──それも無理はないだろう。



 今のフィンは、かつて魔王軍幹部筆頭ラスガルドと戦闘した時と同じく、その水色の髪を掻き分ける様に一対の角を生やし、その背中からは飛び魚の様な翼を生やす、まさしく魔族といった風貌になってしまっていたから。



「そうだ……生かしておいちゃいけない……! 魔族は敵だ、ボクとみこの敵だ!! あの子はただ、お母さんのところに帰りたいだけなの、に──あれ……?」


 イグノールも含めた全員が彼女の豹変に言葉を失う中で、フィンはイグノールと何故かローアまでもを交互に見遣って『魔族は敵だ』と呟いていたのだが。



 そんな彼女の視界に──聖女カナタが映った瞬間。



「そうだ、そうだよ。 そもそも、あの聖女が喚び出したりしなきゃみこが酷い目に遭う事もなかったんだ」

「え、あ……あぁ……」


 大前提として、カナタが勇者召喚で望子をこの世界に喚び出したりしなければ望子が傷つく事も、ましてや母親と会えなくなる事もなかったのだと呟き、それが聞こえてしまったカナタは顔を青白くしてしまう。



 あの時の恐怖が──蘇りかけていたから。



「──あはは、なぁんだ。 簡単な事じゃんか」


 それから、フィンは一人で何かに納得したかの様にけらけらと嗤った後、魔族だと言われてしまえば首を縦に振りかねない程の邪悪な笑みを湛えて──。



「ボクとみこ以外は──みんな敵だったんだ」


「!? あ、あいつ何を……!!」



 元は敵だったローアやカリマたち、この世界に望子を喚び出した張本人たるカナタはともかく、ぬいぐるみ仲間である筈の自分やハピ、この世界で出来た初めての友達のレプターでさえ敵対視する旨の発言をフィンがした事で、ウルの表情は驚愕の色に染まった。


「まさか……ミコ嬢が傷ついてしまった事で、フィン嬢が取り込んでいた魔族の因子が暴走を……?」

「嘘、でしょう……!? こんな時に……!!」


 翻って、この一行の中では最も多くの知識を有しているローアが、フィンの異変について自分なりの解釈を語ると、それを否定しようにも否定する要素どころか肯定する要素しかない事にハピは歯噛みする。


「あはっ! やっと分かった! ボクが一人で護ればいいんだ!! 亜人族デミも魔族もぬいぐるみも!! 他の邪魔な奴らを全員ぶっ殺しちゃってさぁああああ!!」


 そんな勇者一行を尻目に、フィンの下腹部に刻まれた限界突破オーバードーズの刻印から放たれる青紫の光の中に彼女の姿が溶けていくだけでは収まらず、その光は次第に巨大で強大な何かしらの怪物の姿を為していき──。



 そして──次の瞬間。



『──ゴギャアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』



 ヴィンシュ大陸はおろか、この世界の果てまで響いていても何ら不思議ではない咆哮を轟かせたのは、かつてルニア王国王城にて魔王軍幹部筆頭ラスガルドの片腕や翼を消し飛ばす程の魔術を放った事もある──海竜モササウルスを模した膨大な質量を誇る薄紫色の魔力の塊だった。



 だが──どうやら以前とは何かが大きく違う。



「ひ……っ!?」

『きゅ〜……!』


 その違いについて何も知らないカナタが怯える一方で、キューは海竜モササウルスに向けて無謀にも威嚇しており。


「な、何だあれ……アイツが、フィンなのか……?」

「私たちと戦った時に、あんな力は……」


 少し前にフィンと戦闘した経験のあるカリマやポルネは、その時でさえ全く歯が立たなかったのに、この力を見て『あれは本気じゃなかったのか』と悟り。


「……ウル。 あれは以前、貴女たちが言っていた魔術ではないのか? 確か──そう、『恐化きょうか』とかいう」

「……分からねぇ」


 そして、その鋭く輝かしい龍の眼を持って海竜モササウルスを見ていたレプターが、おそらく事情を把握している筈のウルに対し、ここまでの船旅の最中に聞いた彼女たちの『切り札』なのではと問うも、ウルは頷かない。



 ……いや、頷けないのだ。



 以前とは違う箇所が──明確に二つ存在するから。



 一つは、かつて王城で魔王軍幹部筆頭ラスガルドとの戦闘時にフィンが行使した時、希薄ではあったが絶対にフィンの姿は見えていた筈なのに今は彼女の姿がどこにも見えず、まるで──あの凶暴極まりない海竜モササウルスそのものがフィンであるかの様な錯覚に陥ってしまうという事。



 しかし、より重要なのは──もう一つの箇所。



「あたしが前に見た時はあんなんじゃなかった。 あんな──『化石』みてぇな姿じゃなかった筈なんだ」



 そう、あの時に見た恐化きょうかは今と同じく充分に怪物じみてはいたが曲がりなりにも生物の姿をしていた筈。


 だが、かつてイグノールだった龍と殆ど同じ大きさで宙を泳ぐそれは、とても生きている様には見えない海棲生物、海竜モササウルスの骨格標本とでも呼ぶべきもの。


(あの、薄紫の輝きは……やはり魔族われらの力であるな)


 尤も、ただ単に骨格標本と呼ぶには随分と禍々しいオーラを放っており、その力はまさしく自分と同じ魔族の力なのだろうとローアが半ば確信する中で──。


(まさか、この刻印の影響で……? だとしたら、ウルや私が行使してもあんな禍々しい姿に? それとも)


 ハピだけは、あの海竜モササウルスの姿の原因が限界突破オーバードーズにあるのではないかと考えて自身の首筋にもあるそれに手を当てていたが、それも間違いではないかもしれない。


 現に、この刻印が刻まれてから恐化きょうかを行使するのは初めての事であったし、『そんな筈はない』と否定する為の材料など、どこにもありはしないのだから。



 そんな中、この様に切迫した状況でも唯一、ニヤニヤとした嗤いを堪えきれていなかったイグノールは。



「──はっ! いいじゃねぇか、その殺気! 千年前でもそうそうなかったぜ! かかってこいよ人魚マーメイドぉ!!」



 足元の龍の死骸を不可視の糸で無理やり起こしたうえで、その死骸のボロボロの翼を動かして海竜モササウルスと同じ高さまで空を飛ばせつつ宣戦布告すると同時に──。



『グギャアァアアアアアアアアアアアアッ!!!』


『ゴギャアァアアアアアアアアアアアアッ!!!』



 二体の咆哮が──戦いの第二幕の火蓋を切った。

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