愛され人形使い！

第237話 蛹の殻を破るが如く

　──召喚勇者と聖女が、それこそ命を落としても何ら不思議ではない程の深い傷を負ってしまった。

　そんな、あまりにも唐突で最悪な出来事に対して最も近くにいた筈のカリマやポルネでさえ、何が起こったのかを正確に把握する事は出来ておらず──。

「は……ッ！？ み、ミコ！？ カナタ！？ 何だよ、こいつは！！ この……いつまで刺さッてやがる！？」

　いち早く事態を察したローアやフィンの分身には遅れを取るも、カリマは望子やカナタを襲った琥珀色の突起物を青白い光の刃と化した触手で勢いよく、されど身体の中に残ったりしないように慎重に切断する。

『ぁ、ぅ……かは……っ」

「ミコ、大丈夫か！？ やべェぞ、早く手当てを──」

　それにより漸く串刺し状態から解放された中途半端な蒼炎の望子は、その小さく可愛らしい口に似つかわしくない程の血を吐きながらカリマの腕に収まった。

　次第に、その蒼炎も望子の身体から消えつつある。

　この世界に来てから、ウルたちを始めとした様々な者たちが望子を守ってくれていたからこそ、ここまでの旅路で望子が明確に負傷をした事はなかった。

　まさか、これ程の重傷が初めての負傷になるとは望子本人も思っていなかったのだろう、ハッキリ言って望子でさえ何が起こっているのか分かっていない。

　ただ一つ分かるのは、息がしづらいという事だけ。

「きゅ、『範囲治癒（キュアエリア）』……私と、あの子に……！」

　翻って、カナタは綺麗に左腕を肩の先から切断されてしまっていたが、その激痛に地面を転がり込みたい衝動を何とか抑えて自分たちの足元に純白の魔方陣を展開するとともに、この魔方陣の中にいる負傷者を分け隔てなく癒す治療術──範囲治癒（キュアエリア）を行使した。

　本来、範囲治癒（キュアエリア）は複数人へと治療術を分け与える都合上、一人一人に行き渡る癒しの力は必然的に弱くなってしまいがちなのだが、そこは聖女の本領発揮。

　彼女自身が傷ついている為か治癒の速度は普段よりも随分と遅いが、それでも効果は充分にあり少しずつジワジワとではあるものの、カナタの失われた左腕も望子の抉られたお腹も再生しているのが見てとれる。

「一体、何が……っ、ねぇローア、貴女──っ！？」

　一方、普段は冷静でも今はカリマ以上に気が動転してしまっていたポルネは、こういった事態に詳しいであろう白衣姿の上級魔族に話を振ろうとするも──そこで言葉が途切れてしまい、ポルネは目を剥いた。

　──それも無理はないだろう。

「止め切れ、なんだか……っ！ 不覚であるな……！」

　そんな風に痛みよりも口惜しさで顔を歪めるローアは、おそらく闇番守己（ダクシルド）を行使する為に前へ出したのだろう右手の薬指と小指を突起物に吹き飛ばされるだけでは飽き足らず、その突起物に右の脇腹を向こう側が見える程に大きく抉られてしまっていたのだから。

「あ、貴女も！？ それに、いつの間にかフィンの分身（ドッペル）もやられてるし……！ 何があったっていうの！？」

　加えてポルネの叫びにも出てきたが、つい先程まで望子を護る為にフィンに喚び出されていた筈の分身（ドッペル）も突起物の一撃を受け流し切れずに消滅しており、この場で無事なのはカリマとポルネだけになっていた。

　その時、前線で戦っていた亜人族（デミ）たちは──。

「は……？ お、おい、ミコ、が……くそぉっ！！」

　五人の中で真っ先に事態を察したウルは、イグノールから放出されていた腐乱臭がかき消えた事で嗅覚が正常になっており、これまで全く嗅いだ事のない随分と甘い血の匂いに惹かれて振り向いた先で望子が血を吐いて倒れているのを見た彼女は自分の不甲斐なさを嘆きながら、その俊足で望子の下へと駆けていく。

「ミコ様！？ カナタも……っ！ 何て事に……！！」

『きゅーっ！？』

　ウルの次に気がついたレプターは、望子だけでなくカナタの事も心配したうえで翼を広げて二人の下へ飛んでいき、そんな彼女の肩から落ちない様に必死にしがみついているキューも気が気ではないらしい。

　その一方、結構な距離があっても明らかな重傷を負った望子の姿が、そして望子の身体から少しずつ命の灯火が消えるかの様に魔力が減っているのが視えていたハピは──どういう訳か大して焦ってはいない。

　それが何故かと問われれば、ローアが望子に手渡した髪飾り──もとい身代（インプレイス）という、それを持った者が命を落とす際に一度だけ身代わりになる魔道具（アーティファクト）を望子が持っている事をハピが知っているからであり。

(身代（インプレイス）……だったわよね。 ちゃんと発動する保証なんてないけど、もし望子が死んだとしても──っ！！)

　ローアに聞いた魔道具（アーティファクト）の効果を反復しつつ、『最悪、一度だけなら』と、そう考えた自分を──。

「馬鹿！ 私の……馬鹿……！ 何て事を……っ！！」

　ハピは──殺したくなった。

　そんな自分を戒める意味でも、ハピがバサッと翼を広げて全力で望子の下へ飛んでいく──その一方で。

「……」

　普通なら間違いなく真っ先に望子の下へと飛び出していく筈のフィンは──ただ呆然としているだけ。

　普段と違う点を挙げるとするなら──その紺碧の瞳にどろりと澱んだ菫色が混じっている事と、そんな彼女の下腹部にある限界突破（オーバードーズ）の刻印が、これまでになく禍々しい青紫色の光を発している事くらいだろうか。

「ミコ！！ 無事か──」

　そして、ウルが望子の下へと辿り着き、カリマから掻っ攫わん勢いで手を伸ばそうとした──その時。

「──っ、ウル嬢！！ まだ終わってはおらぬ！！」

「あぁ！？ 何を言ってん──だ……」

　カナタの治療術と魔族としての高い自然治癒力の影響もあって殆ど治りかけていたローアが、あれは『最期の一撃』だったと踏んで駆けつけたウルに対して警告し、それを聞いたウルが振り返ると──そこには。

『──……』

　いつの間にか音もなく仰向けから起き上がって四つん這いの姿勢になっていたイグノールが、光の無い瞳でこちらを見つめているのが視界に映っていた。

「嘘、だろ……！？ まだやるってのか……！？」

　自分の一撃よりも強かった望子とカナタの合わせ技を受けたイグノールが、何事もなかったかの様に起き上がってきた事にウルは目を剥いていたのだが。

「違う……あれは違う」

「……は？ 何が──」

　何故か、ローアが彼女としては珍しく戦々恐々とした表情を浮かべたまま、ふるふると首を横に振っており、それが自分の言葉に対する否定だと理解していたウルが全く要領を得ず反射的に問い返すと──。

「龍（あれ）は最早──イグノールではない……！」

「何を──ん！？」

　ウルの疑問の声に返答しているのかいないのかも分からない、そんなローアの呟きにウルは更に顔を顰めて再びイグノールではないらしい何かに視線を戻す。

　──すると。

「おい、あいつの頭から何か出てきてんぞ！？」

「何よ、あれは……魔族……？」

　表情を驚愕の色へと染め直したウルの言葉通り、イグノール──というより朽ち果てた龍の頭部を『ミチミチ、ギチギチ』と気味悪い音を立てつつ裂いて、そこから人の形をした何かが這い出てくるではないか。

　それは、まさしく蛹の殻を破るが如く。

　そして、いよいよとばかりに全身を露わにした、頭から角を、背中から翼を、腰の辺りから尻尾を生やした何かは幾度か首や肩を鳴らしてから口を開き──。

「ん〜……くはぁ……っ、ありがとよ。 勇者に聖女」

「何だ、てめぇは……！ イグノール、か……！？」

　野生児じみていながらも割と整った表情に似合うよく通る声音を持って、さも溜めに溜めたと言わんばかりの息を漏らした後、先程までの龍とは違いハッキリと望子とカナタを見据えつつ『勇者と聖女』と口にした事で、ウルはおそるおそるその魔族とイグノールが同一個体なのかどうかを問いかける事にした。

　すると、その魔族は口をニィッと歪ませて嗤い。

「おぅよ！ 俺こそがイグノール！！ このボロカスな龍の身体に押し込められてたのが俺ってこったぁ！」

　こうして歴とした魔族の形を取っている自分こそが本当のイグノールであると明かしたうえで、ゲシゲシと先程までは間違いなく自分だった龍を足蹴にし。

　所詮、足元で微動だにしない朽ち果てた龍は──。

　──単なる抜け殻にすぎないのだと、曰った。