第235話 やったか!?

 時は、ほんの少しだけ遡り──。


 真っ先にイグノールに向けて飛び出していったウルとフィンや、そんな二人を追いかける様に飛び立ったハピを含めた三人の亜人ぬいぐるみと共に戦うべく、キューを肩に乗せたレプターが翼を広げた──ちょうどその頃。


 一足先にイグノールとの接近戦を開始していたウルとフィンは、かたや真紅の爪を燃え上がらせて突撃したり、かたや水の斧を振り下ろしていたりしていた。



 ──のは、いいのだが。



「く、はぁああ……っ!」

「……ふーっ、ふーっ」


 何故か二人が二人とも、イグノールからの攻撃をまともに受けた訳でもないのに極端な程に顔を顰め、それに加えて妙な呼吸音を発してしまっている。


 一方で、その表情の理由を二人と時を同じくして痛いぐらいに理解していたハピはといえば──。


「……私、少し離れていいかしら」


 二人と同じ様に顔を顰めつつ、その顔を誰に見せる訳でもなく片翼で隠したうえで『ちゃんと援護はするから』という旨の言葉を二人にかけようとするも。


「っ、ざけんな! サボってねぇで戦え!!」

「そうだそうだー! ずるいぞー!」


 それを『戦線離脱』と捉えてしまっていたらしいウルとフィンは、ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる為にから大声を上げて糾弾しようとした。



 ──そう。



 思い切り、息を吸って──。



「「あ"っ」」



 そして、気づいた時には──もう遅い。



「う"っ──があぁああああっ! 臭ぇええええ!!」


「鼻がっ! 鼻が曲がるぅううううっ!!」



 息吹を吐いていなくても、ただそこにいるだけで強烈な腐乱臭を辺りにばら撒いていたイグノールに、ウル程に嗅覚が優れている訳でもないフィンまでもが鼻を覆い、ウルに至っては自分の炎で燃える身体でごろごろとカビの生えた地面を転がってしまっている。


 それもその筈、対するは黄泉返りレヴナントの完全上位互換。


 通常の黄泉返りレヴナントと相対した時でさえ、必要以上に鼻が利くウルは鼻を覆って苦しんでいたというのに。


 では、何故それ程に距離を離していないハピが顔を顰める程度で留まっている事が出来るのかというと。


(私は風で誤魔化せるからいいけど、あのたちは厳しそうね……倒すにしろ退くにしろ早めに決着を──)


 そう、かつて短時間とはいえ風の邪神の支配下にあった影響で、風の繊細なコントロールを覚えていた為に完全にとはいかずとも腐乱臭を自分のところへ来ない様にと真空の障壁を発生させていたからである。


 本当ならウルやフィンの周囲にも風を起こし、その腐乱臭をどうにかしたいのは山々なのだが、そうすると自分の周囲に当てる風が減り、今度は自分が苦しむ事になってしまう為にそうしてやる事が出来ない。


 尤も、この腐乱臭が直接ダメージになっていたとしたら自分を犠牲にしてでも二人の方へ風を回した筈だが、そうでないなら『頑張って』としか言えず。


 異臭に苦しむ二人を憐れんだ視線で見下ろしながらも、『早期決着を』と思考を巡らせていた中で。


『んん? 何だ何だ、この腐った身体の臭いが気になるかぁ? ま、俺には嗅覚もねぇから分からんがなぁ』

「存在そのものが迷惑だな、てめぇ……!」

『ぐぁははは! 当然だろ!? 俺ぁ魔族だからな!』


 そんな二人を心底不思議そうに見下ろしていたイグノールは、どうやら痛覚だけでなく嗅覚すらもローアに取り除かれている様で、それを聞いたウルが何とか立ち上がりながら侮蔑の言葉を投げつけるも、イグノールには全く効かずに笑い飛ばされてしまう。


 尤も、通常の黄泉返りレヴナントも自分の体臭になど頓着しないだろう事を考えれば、もし仮に嗅覚が残っていたとしてもイグノールは気にも止めなかったのだろうが。


『ま、そんな事ぁどうでもいいじゃねぇかぁ! 俺は今、最高に楽しい! ここまで張り合える奴ぁそういねぇからなぁ! とことんやりあおうぜ勇者一行ぉ!!』

「「「……!!」」」


 その後、ウルたち三人が力を合わせて散々傷つけた身体の一部が再生し、それと同時に朽ち果てていくという奇妙な光景を生み出していたイグノールが愉しげに叫び、ウルたちが改めて臨戦態勢を整えていた。



 ──その瞬間。



「──助太刀するぞ、三人とも!!」


『きゅーっ!』



 先程まで望子の護りに専念していた筈であるレプターと、そんな彼女の肩に乗ったキューがイグノールに向けて飛んできているのがウルたちの視界に映る。


 彼女たち二人が参戦したところで何かが好転する訳ではない──と分かってはいても、とにかく今は攻撃し続けて消耗を待つ以外に方法は思いつかず。


「レプ、キュー……あっ?」


 ゆえに、レプターたちに少しの期待の視線を向けていたハピだったが──そこで、ある事に気づいた。


(……ちょっと待って、樹人トレントにカビは大丈夫なの?)


 キューは一応、分かりにくくはあるが混血の亜人族デミであり純血の樹人トレントに比べれば人族ヒューマンに近い部分も多い。


 そもそも純血の樹人トレントは森を離れられないのだから。


 しかし、それでも身体の大部分が植物で構成されている樹人トレントという種族である事は変わらない為、人族ヒューマンや他の亜人族デミ以上にカビが効いてしまうのでは──。


 ハピは、そう考えていた。


『あぁ……? あぁ、龍人とかげ樹人こっぱか──そら』


 そんな中、同じくレプターたちの姿を視認したイグノールは、さも興味なさげに二体の亜人族デミを蔑称で呼びつつ朽ち果てた巨大な尻尾を打ちつけんとする。


「っ、キュー! レプ、待って──」


 朽ち果てた──といっても、その大きさは尋常ではなく視界が尻尾で埋まってしまう程であり、それに加えてカビの事もある為にハピはキューだけでも止めようとレプターに向けて制止の言葉を叫ぼうとした。



 ──が、時既に遅し。



「いくぞ、キュー! 力を惜しむな!!」

『きゅー!!』


 自分たちを吹き飛ばそうとする朽ち果てた巨大な尻尾に対し、レプターがバキバキと鈍い音を立てながら右の拳を巨大な龍の爪へと変化させる一方。


 それを見ていたキューは左手に当たる根っこを伸ばしつつ、レプターの真似をするかの様に根っこを巨大化させたうえで龍の爪の形へと変化させて──。



「──『龍如爪撃ドラガクロス』!!」


『きゅうぅううっ!!』



 目の前まで迫り来る巨大な尻尾に向けて、龍の爪と龍の爪を模した大樹による交差させた斬撃を放つ。


 無論、二人を大した事ないと判断したからこそイグノールは多少なり気を抜いて尻尾を打ちつけようとしていたのだろうが──その目論見は外れていた様で。


『──ん? うおぉっ!?』


 メリメリ──という肉と骨が切断される鈍い音が自分の尻尾から聞こえてきているのを察したイグノールは、『まさか』と言わんばかりの声を上げていた。


 そして、レプターとキューが爪や根っこを元に戻したのと同時に切断された尻尾が地響きとともに地に落ち、それを見たハピが安堵から溜息を溢すも。


「尻尾を……でも、そんなのボクらが何度も……」


 実のところ、フィンの言う様に二人が駆けつけるまでに爪や牙、そして尻尾といったいくつかの部位は三人で何度も何度も破壊する事が出来ていたのである。


 それでも今こうしてレプターたちに尻尾が打ちつけられようとし、それを切断したという事は──。


「ウルたちの攻撃が効いていなかった時点で、この一撃が有効打になり得る筈もないが──少しくらいは」

『きゅ〜……』


 勿論、レプターとしても自分がウルたち三人に勝っているとは思っておらず、ウルたちで削りきれないなら自分ではどうにもならないと分かっていたが、それでも何もする訳にはいかないと考えての行動だった。


 そんな中、相変わらずレプターの肩の上でうつ伏せになっているキューの姿を視認したハピはといえば。


(キュー……あの子はカビも効かないの? それとも)


 レプターの鱗の一部にはカビが生えてしまっているのに、キューには全くカビが付着していない事に違和感を覚え、かつて『火が効かない樹人トレント』だという事を聞いていたとはいえ疑問を感じざるを得なかった。


 尤も、キューにカビが生えなかったのは『カビも効かない樹人トレントだから』ではなかったのだが──。


 一方、既に再生しかけている尻尾の断面を愉しげに見ていたイグノールは、まだ空を飛んでいる状態のレプターやキューにギロリと血走った瞳を向けて。


『へぇ……やるじゃねぇか。 てっきり俺ぁ、そこの三匹だけが主力なんだと思ってたが──どうやら、まだまだ愉しめそうじゃねぇかよ!! ぐぁははは!!』


 どうやら先程から飛んでくる青黒い水の銃弾と砲弾と薄紅色の光線、或いは青白い光を放つ斬撃を放つ二体の亜人族デミを含め、ウルたち三人以外は予備戦力だと捉えていたらしく、思わぬ負傷に──



 何を差し置いても──闘争こそが生きる糧ゆえに。



「っ! 再生を……!!」

「キリがねぇな……」


 そんな風に高笑いしている間にも切断した尻尾は完全に再生しつつ、またもその一部が朽ち果てるという無限ループが発生しだした事にレプターが焦り、ウルが辟易して深い溜息を溢していた──その時。


(このままじゃ駄目だわ、何か突破口を──え?)


 レプターと同じく空を舞うハピの視界の端に何やら煌々とした青と白の光が映り、『カリマかしら』と思いつつもおそるおそる首だけをぐるんと後ろに──。



 ──向けると、そこでは。



「え? みこ……? ちょっと! みこに何を──」


 その一方、超人的な聴力を持つフィンはイグノールの高笑いの中にあっても望子の声だけは絶対に聞き逃さず、そんな望子の声に決意や覚悟がこもっているのを感じて集中すると、その会話には望子が攻撃を行う旨の言葉が含まれていた為、勢いよく振り返る。


「ミコ様!? それに、カナタも……っ!?」

『きゅーっ!?』


 そんな彼女と同じく人族ヒューマンを遥かに上回る感覚を持つレプターも、かなり離れた後ろの方で望子とカナタが魔力を充填している事を察知し、その叫びを耳にしたキューが振り返ると、そこでは既に蒼炎の狐人ワーフォックスと化した望子と純白の光に包まれたカナタが手をかざし。



『──っ!! えぇええええええええいっ!!!』


「──神聖光雨リーネライン!!」



 今まさに、青く大きな炎の狐の口から放たれた極大の放射状の蒼炎と、聖女の掌に展開された魔方陣から前方へ向けて放たれた曲射状の光の雨が照射される。


「何──は、はぁっ!? やっ、べぇ!!」


 普段なら『強者の放つ匂い』で最初に気がつく事も出来た筈のウルは、あまりの腐乱臭のせいで最後に気がついた為に慌てながらも回避するべく飛び退いた。


 とはいえ、正確に言えばウルが最後ではなく。


『──ははは……! さぁて……ん? 何だ──』


 空を仰いで高笑いしていた兼ね合いで全く気がつかなかったイグノールこそが最後であり、いよいよだとばかりに笑いを鎮めた彼の視界に映ったのは──。



 一番最初にイグノール自身が放った腐乱息吹モウルドブレスと同じか、それ以上の規模と威力を誇る蒼炎と浄化の光。



『ぅ!? ぐっ、おぉおおおおおおおおっ!?』



 二つの力が触れた瞬間、イグノールは声を上げる。



 それは、驚きや悦びによるもの──ではない。



(な、何だぁ!? 痛ぇし熱ぃ!! しかも治らねぇ!)


 そう、その二つの力は過去にイグノールが苦手とした『世界最強の狐人ワーフォックスの炎』と『勇者と共に戦った聖女の光』であり、当然ながら技術的にオリジナルに劣りこそすれど紛れもなく彼への『有効打』だった。


(何でだ──いや待て、この光と炎……そんで、あの青い狐から感じる力は……あん時の……!!)


 取り除かれた筈の痛覚が悲鳴を上げる──それは最早、疑いようもなく彼の記憶の片隅に眠る『苦痛』が蘇っている証拠であると自覚した事により、イグノールは照射されている炎と光、そして何より先程まで少女だった筈の狐人ワーフォックスが纏う気配の正体を思い起こす。


『っ、そうか!! お前が、お前らが──ぐぅっ!?』


 ここで漸く、イグノールは勇者が誰なのか、そして勇者の隣に立っているのが何者なのかに気がついたらしく、その朽ち果てた翼を広げて対抗せんとするも。



 ──あまりに、遅かった。



『ぐ──ぎゃあぁああああああああああああっ!?』


 最初にウルの全力の一撃で吹き飛んだ時とは明らかに違う、さも苦悶に満ちた悲鳴を上げつつ自身が原因でカビの生えたゴツゴツとした岩肌で身を削る様に吹き飛び、しばらくすると仰向けの状態で止まった。


 その一連の流れを割と間近で垣間見ていたウルは望子とカナタの力に驚きながらも、グッと拳を握って。



「……や、やったか!?」



 戦いの終わりを匂わせる発言を──独り言つ。




 地球において、人はそれを──。




 ──『死亡フラグ』と、呼ぶのだが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る