第十章

第231話 飛来する災害

 望子の魔術の師匠である狐人ワーフォックスのリエナが魔王軍幹部の一体、『魔王の予備サタンズスペア』のウィザウトを簡単に退けたのとは対照的に、召喚勇者一行の十人は──。



 魔王軍幹部が一体の強襲を受けんとしていた。



 一見すると朽ち果てているとしか思えず、どうやって飛んできたのかも分からない程の翼膜も碌に無い翼を広げて落ちてきた、その龍の名は──イグノール。



 魔王コアノル=エルテンスより『生ける災害リビングカラミティ』の二つ名を賜り、その名に相応しい暴虐を体現する──。



 歴とした──下級魔族である。



 この世界に三つのみ存在する大陸の一つ、ヴィンシュ大陸のとある岬に到着した──その瞬間だった。


 突如、望子たちの頭上から飛来した龍の姿に彼女たちが呆然としてしまうのも無理はないが、そんな事などお構いなしにイグノールは大きく裂けた口を開き。


 自らの主たる魔王や、その側近から報告──もとい忠告を受けている筈なのにも関わらず、生け捕りにする必要がある望子を巻き込みながらの一撃を放つ。


 それは──『腐乱息吹モウルドブレス』と呼ばれる、あらゆる物質を腐らせる力を持つ黄泉返りレヴナントの固有武技アーツであり、どう見ても身体に害しか及ぼさないだろう色の息吹が望子たちの視界を空が見えなくなる程に覆い尽くす中。


 真っ先にハッと我に返ったのは龍人ドラゴニュートのレプターであり、背中の翼を大きく広げて望子の前に移動しつつ腕甲を装着した両腕を胸の前で交差させ──。


「──フィン!! 防御を!!」

 

 自らも防御用の武技アーツである絶衛城塞ランパートを行使して望子や聖女カナタ、樹人トレントのキューといった非力な者たちを守る態勢に入りながら、未だにポカンと口を開けていた人魚マーメイドのフィンに大声で指示を飛ばす。


 彼女も自分の防御力や耐久力には自信があるが、それでも範囲で言えばフィンの方が遥かに広く、また単純な実力で見ても自分は彼女に劣ると理解していた為に、『自分だけでは駄目だ』と踏んだのだろう。



 何よりも──望子の事を第一に考えた結果である。



「っあ、う、泡沫うたかたっ!!」


 そんなレプターの叫びを耳にしたフィンは、今にも降り注がんとする息吹に向けて両手をかざし、半球状の泡の盾を発現する水の魔術──泡沫うたかたを行使した。



 イグノールの息吹が泡沫うたかたに接触した──その瞬間。



「──い"っ!? ぅあ"ぁああああああああっ!?」


「はっ!? おいフィン!! 大丈夫か!?」


 泡沫の外側が一瞬にしてドス黒いカビに覆われるのと同時に、かざしていた両腕を始めとしたフィンの身体を蝕む様にカビが侵食していくではないか。


 以前、人狼ワーウルフのウルが魔獣を追い払う為に行使した大咆哮の魔術、王吠おうぼえを防いだ時も彼女自身に若干のダメージが入っていたが──その時の比ではない様だ。


 この世界に召喚され、望子の人形使いパペットマスターとしての力により今の亜人族デミの姿になってからというもの、三人の亜人ぬいぐるみの中でも特に強い力を持っていた事もあり常に最前線で強敵たちと戦ってきた彼女は、いつもボロボロになりながら自分の命より大切な少女を守ってきた。



 風の邪神との戦いなどは、その最たる例だろう。



 無論、その時も今と同じかそれ以上の負傷はあっても何とか耐え抜いてきたのだが、そんな彼女でさえ悲鳴を上げてしまう程の苦痛が襲っているらしい。


「……無理もないであろうな。 イグノールの腐乱息吹モウルドブレスは百年近い時間をかけて我輩が改良したものゆえ」


 そんな中、一人だけ焦燥感のない表情と声音でそう呟いた白衣姿の少女──もとい上級魔族であるローアは、たった今フィンの魔術を突き破らんとしているイグノールの武技アーツに手を加えたのも自分だと明かした。


「てめェ、余計な事を──」

「ちょっと、言い争ってる場合じゃないでしょ!?」


 やたらと得意げに語ってみせたローアに対し、ここから一つ前の町である港町ショストで仲間になっていた海皇烏賊スキュラのカリマがガクガクとローアの身体を揺らしながら怒鳴りつけるも、『そんな事をして何になるのよ』と言いたげに海神蛸ダゴンのポルネが彼女を制する。


「ぁ、い、いるかさんが……っ! たすけなきゃ──」


 その一方、目の前で苦しみながらも自分を守る為に魔術を解除しようとしないフィンの姿に、望子は涙目になりつつも首元に下げた魔道具アーティファクト──運命之箱アンルーリーダイスに。



 手を伸ばそうと──したのだろうが。



「待って望子! 貴女が外に出たらフィンの頑張りが無駄になるわ!! 今は耐えて、お願いだから……!」

「でも……っ、いるかさんが──」


 こんな時でも何とか冷静な判断が出来ていた鳥人ハーピィのハピにその手は止められてしまい、それでもやはり仲間として、そして何より友達として放ってはおけないのだろう、ハピの制止も虚しく望子の身体から、正確には運命之箱アンルーリーダイスから青い光が溢れ始めた──その時。



「──『持続治癒キュアケイプ』!!」



 レプターの後ろで守られていた──聖女カナタが前に駆け出しながらフィンに手をかざし、そこに構築した魔方陣から治療術の一種である持続治癒キュアケイプを行使。


 それは──かつてレプターが森の中で蜘蛛人アラクネと一戦交えた際に、カナタが行使しようとするも『手を出すな』と拒まれた治療術であり、一定時間継続的に回復し続けるその効果は今まさに必要なものだと言える。


 カナタの治療術を受けて痛みが和らいだのか、フィンの表情が明るくなった──と思ったのも束の間。


「痛みが、ちょっと引い──っあ! 痛い! やっぱり痛いぃいい!! もうちょい何とかならないのぉ!?」

「ま、任せて……!!」

 

 それでも、やはり魔王軍幹部が放つ止め処ない一撃は聖女の治療術でも治しきれるものではなく、フィンの身体を再び這う様にカビが蝕み始めたのを見たカナタは必死に治療術をフィンに対して行使し続ける。


(大丈夫……! 大丈夫だから! 聖女わたしがいる限り、誰も死なせはしない! そう決めたんだから!!)


 望子たちを追いかける為に旅を始めた時から、そして今こうして追いついてからも心に秘めていた決意と覚悟を胸に、カナタが魔力を次々と消費する中で。



『!? きゅーっ!!』



 そんなカナタの肩に乗っていた樹人トレントのキューは、よりにもよって真っ先に──気がついてしまった。



「え、どうし──はっ!?」



 それに釣られて一瞬だけ上を向いたカナタの視界に映り、悍しい色の息吹を吐き出しながらも段々と接近し、今まさに泡沫うたかたに食らいつかんと牙を剥く──。



 ──生ける災害リビングカラミティの姿を。

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