第229話 魔族だとしても

 いかにも怪訝そうな表情を浮かべて目の前の魔族の二の句を待つリエナに対し、ウィザウトは自嘲するかのような笑みを湛えつつその口を開き──。


「殺したければどうぞと言っているんです。 抵抗なんてしたところで、私では──火光かぎろい。 貴女どころか、そこにいる亜人族デミ一匹にすら敵わないんですから」


 リエナが先程口にした推測通り、自分ではどう足掻いてもリエナに勝つ事など出来よう筈もなく、もっと言えばアドライトを始めとした亜人族デミはおろか、シャーロットやジェニファーといった単なる女魔術師ソーサレスにすら劣りかねないのだと赤裸々に語ってみせる。


 ちなみに復活後に弱体化したという訳ではなく、彼女は千年以上前から──いや、魔王コアノルによって生み出されたその瞬間から上級としては最弱だった。


「……そうだろうね」


 それを直感で理解していたリエナは、『さもありなん』と言わんばかりに頷きながら紫煙を燻らせる。


 何を隠そう、リエナは千年以上も前にウィザウト以外の幹部と幾度となく交戦し、それらと比べて彼女があまりに貧弱である様にしか見えていなかったから。


「……まぁ、いいさ。 それならあたしが──」


 その後も色々と脳内で思案を巡らせていたリエナだったが、仮にも魔王軍幹部の一体が自ら首を差し出そうとしているのだから、あの黒髪黒瞳の召喚勇者の為にも潰しておこうと左手に蒼炎を纏わせた──。



 ──その時。



「──待ってくれ!!」


「ん?」



 突如、自分とウィザウトの間に滑り込む様に、そして洞穴中に響く大声とともに割って入ったのは──。


「……クルト、様……?」


 そう、他でもないドルーカの領主のクルトだった。


「……クルト、何のつもりだい?」


 そんな彼とは二十年以上の付き合いである為、正直に言えば彼が何を思って割り込んできたのかは殆ど分かっていたが、それでも確認せずにはいられない。


 本当に自分の予想と同じ思惑を原動力とした行動なのだとしたら──それは愚行だとしか言えないから。



 そして、クルトは切らしていた息を整えて──。



「この魔族を──を、殺すのか……?」


「……」



 出来る事なら合っていてほしくはなかった感情のこもりにこもった発言をした事で、リエナは心からの呆れと──失望さえ込めた溜息を溢さざるを得ない。


 確かに黒髪黒瞳の召喚勇者の傍にも一体、ウィザウトと同じく人化ヒューマナイズを行使している上級魔族がいるし、あの白衣姿の魔族に限ってはリエナもある意味で信用しており、さほど害もないだろうと思っている。


 だが、目の前の魔族はどれだけ弱いといっても正真正銘の幹部であり、それが魔王コアノルと同じ魔術を扱えるとなれば、ここで消しておかない理由がない。


「……そりゃあそうだろう? 魔族なんてのは人族ヒューマンにも亜人族デミにも害にしかならない。 そもそも、そいつはカシュアじゃなくて魔王軍幹部の──」


 それを出来る限り分かりやすく、まるで親が子に言い聞かせるかの様な口ぶりで諭そうとしたリエナの言葉を遮ったのは──他でもないクルトの二の句。



「──頼む!! どうか、殺さないでやってくれ!!」


「……はぁ……?」



 洞穴内ゆえに整備の『せ』の字もない荒れた岩肌の地面に膝と両手をつき、擦り傷が出来てしまうのも構わず頭を下げて『見逃してほしい』と頼み込んできたクルトの姿に──リエナは、より一層の失意を抱く。


 若輩者といえど仮にも領主として人の上に立つ存在であり、この場には彼に直接仕える私兵さえいるにも関わらず……情けなくも魔族を黙認しろと言う。


 これも、ウィザウトの計画のうちなのか。


 そう勘繰ってしまう程に──彼は真剣だった。


「……クルト様……もう、やめて……それは、貴方の知るカシュア=シュターナじゃ……」


 そんな中、彼と同じシュターナ家の生まれである事を若干だが恥じていたリュミアは、シャーロットたちに慰められながらも彼の愚行を止めようとする。


「……っ、分かってる! 俺だって、頭では分かってるんだよ! だが、どうしても割り切れないんだ……!」

「っ、クルト様の、分からず屋……!」


 しかし、クルトは地面に打ちつけた額を血で滲ませつつ、あくまでも自分が正しくないと理解したうえでの行動や言動なのだと開き直っているかの様な口ぶりを、身体の底から絞り出すかの如き声で叫んだ。


(リエナさん、もしかして彼は……)


 そんな折、スッとリエナの隣に近寄ってきたアドライトが、こっそりと耳打ちする様に顔を寄せて、『例の魔術のせいなのでは』とウィザウトが扱えるという闇黒死配ダク・ロウルの影響を受けている可能性を示唆する。


(……いいや、何の影響も受けちゃいない。 あいつは本心で、あの魔族を庇ってるんだろうさ──)


 だが、リエナから見てもクルトがウィザウトの術中に嵌っている様には思えず、間違いなく自分の意思で頭を下げているのだろうと小声で告げつつ──。


「──馬鹿が」


 歴戦の猛者たるリエナの怒りがこもりにこもったその呟きは、完全に蚊帳の外だったアングたちでさえ身体を震わせてしまう程の覇気を感じさせていた。


 そんな中、再び彼を諭し始めたのはリエナでもリュミアでも、ましてやシャーロットたちでもなく──。


「……クルト様、もうよいのです。 彼女たちの言う通り、私はカシュア=シュターナではないのですから」

「だが……っ、いや、それでも俺は……!」


 他でもないウィザウト本人であり、未だに膝をついたままのクルトをそっと抱き起こす様に手を差し伸べながら語りかけるも、クルトはまるで聞き分けのない子供かと言わんばかりにブンブンと首を横に振る。


 すると、ウィザウトは何かを悟ったかの様に顔だけをカシュアのそれに変えるべく人化ヒューマナイズを行使し──。


「今まで様々な職の人族ヒューマンに化けてきましたが──貴方の従者をしている時が、一番……充実していました」

「カシュ、ア……!」


 一体どういう心算で口にしているのかも分からない主人への感謝にも似た言葉に、当のクルトは男らしくもないさめざめとした涙を流して手を伸ばす。



「だから──さようなら、クルト様」


「え──」



 その瞬間、ウィザウトが同じ様に伸ばしていたその手の中心に薄紫色の魔方陣が出現し、そこから放たれた同じ色の閃光を受けたクルトは、何が起こったのかも理解する事が出来ぬまま──その場に倒れ伏した。


「!? クルトさんに何を──え?」


 そんな光景を目の当たりにしたアドライトが、真っ先に彼に近寄りつつその首に触れ、もう片方の腕に装着している弩弓クロスボウを展開しつつウィザウトへ向ける。


 ──が、しかし。


「……眠ってる、だけ……?」


 どうやらクルトは何らかの魔術によって眠らされているだけらしく、あれだけ興奮状態にあったにも関わらず彼の脈はとことんなまでに落ち着いていた。


「私は、コアノル様からの王命を果たせなかった。 実を言うと……今年が期限だったんですよね」


 そんな中、弩弓クロスボウを向けられたままにウィザウトは自らの使命について語り出し、どうやら百年目の今年が王命の──いや、『彼女の命の期限』だったらしい事を明かしつつ、またも自虐的な笑みを湛える。


「では、あの時の『潮時かしら』というのは……」

「えぇ、貴女の考えている通りですよ。 シャル」


 その時、ドルーカの屋敷でシャーロットが偶然に聞いていたウィザウトの呟きの理由がそこにあったのかと問うと、彼女はカシュアの表情のまま肯定した。


 そのせいか……シャーロットとジェニファーもクルトと同じく涙を流してしまっていたのだが。


「ですので、もういいんです。 どうせ私は消されてしまう、それならせめて──火光かぎろい。 貴女に消されたい」

「……? まぁ……あたしは元よりそのつもりさね」


 そして、ウィザウトは再びリエナに視線を戻しながら、ここで見逃されても魔王……或いはその側近に消されるだろうと分かっているからこそ、どうせなら名誉の戦死を遂げたいのだと告げたものの──。


 何故、自分なのか。


 始末すべき対象に消されたいとは、これ如何に。


 森人エルフでも、犬人コボルトでも、牛人ミノタウロスでも、家守蜥蜴ゲッコーでも。


 何であれば、二人の女魔術師ソーサレスでもいい。


 彼女にとっては充分に名誉の戦死となるだろう、彼女より強い存在は──他にいくらでもいるのに。


 一瞬、そんな疑念が彼女の脳裏を掠めたが、『消してしまえば同じか』と気を取り直し──手をかざす。


「クルト様にお伝えください──『従者は他にいくらでもいます、きっと私より素敵で優秀な……ちゃんとした人族が』って。 お願い出来ますか?」

「……気が向けば、ね」


 それを見たウィザウトが自らの最期の時が近づいている事を悟り、クルトへの遺言を伝えてほしいと懇願すると、リエナは至って無表情のまま頷く事もせず。



「『舞え、どこまでも軽やかに。 群青のその先へ』」



 ──抑揚のない声音で、詠唱を開始する。



 それは、を秘めた独創的オリジネイトの上級魔術。



「──『空狐エアコン』」



 そう呟いた瞬間、ウィザウトの頭上に紺碧の魔方陣が出現し、その魔方陣の中心から巨大な蒼炎の狐の顔だけが姿を見せたかと思えば、その口を大きく開き。



 頭から、ウィザウトに食いつき──焼失させた。



「……はぁ、疲れた」



 静けさを取り戻した洞穴内に、そんなリエナの徒労感のこもった呟きが響いていたのだった。

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