第225話 行方知らずの従者

 その後、ピアンやアングたちを引き連れて、ドルーカ領を統治するシュターナ家の本家の屋敷に到着していたリエナは、集中力を高める為に深呼吸をし──。


(──さて、鬼人オーガが出るか蛇人ラミアが出るか)


 地球にも似た様な言い回しの古事成語があるが、それと殆ど同じ『何が起きても不思議ではない』という意味を持つ言葉を脳内でのみ呟いていた。


 ……無論、仮に鬼人オーガ蛇人ラミアが敵として出てきたところで、リエナが焦燥も苦戦もする筈はないのだが。


「り、リエナさん? 何故、魔術を行使したままなのですか……? それに、そちらの方々は確か……」


 一方、屋敷の前にて哨戒中だった警備兵──奇しくも召喚勇者が初めて訪れた時と同じ兵だった──が懐疑的な視線と声音でリエナの背後を気にかける。


 ……それも無理はないだろう。


 今、彼女の後ろには元盗賊で現戦奴隷であるところの三人の亜人族デミと、リエナが得意とする蒼炎の分身ドッペルが二体、何かを抱えたまま立っているのだから。


「悪いけど急いでるんだ、クルトはいるかい?」


「え、えぇ。 ですが今は──あっ、ちょっと!?」


 しかし、そんな警備兵の疑問に答える事もせぬままに、リエナが屋敷の方へと目を向けて当主が在宅かどうかを尋ね、それに対して警備兵が肯定の意を示しつつも何やら事情がありそうな口ぶりを見せるも、次の瞬間リエナは四人を連れて鉄製の柵扉を押し通る。


 そして、そこそこの勢いで屋敷の扉を開けると。


「……んん?」


「リエナ様だ」「今日、来訪される予定なんてあったかしら?」「いえ、なかったと思うけれど……」


 何故かは分からないが、扉を開いてすぐの広間に多くの女中や料理人、果ては庭師や御者といった使用人が集まっており、彼ら……或いは彼女らはリエナたちの方へ視線を向けてコソコソと呟きあっている。


「……まぁいい、クルト! 顔を出しな! あんたとあんたの従者に用がある! さっさと出てこないと──」


 無論、その呟きは全てリエナの超人的な聴覚に届いていたが、そんな事を気にしている場合でないというのは彼女としても理解していた為に、それこそ火でも着けそうな勢いでクルトを呼びつけようとした。


「……どうされるおつもりで?」


 その時、リエナの叫びを粛々とした声音で遮って現れたのは……分家の執事バトラーであったカーターの実の父親に当たる老執事、カーティスである。


「っと、カーティスか。 クルトはどこだい?」


 割と唐突に現れたカーティスだったが、リエナは特に驚いた様子もなく遥か年下の老執事に向けて『あんたの主人は?』とあまりにも無遠慮に問いかけた。


「今は私室におられます。 リエナ様であれば、いつ来訪されても問題はありませんが……今は少し……」

「……何か、あったんですか?」


 当然、大人と子供どころか先祖と子孫レベルで年齢が離れている事を知っているカーティスは、そんなリエナの物言いにも腹を立てる事なく、されど先程の警備兵と同じ様に何かをボカすかの如き発言をする。



 それを聞いたピアンが違和感を覚えてカーティスに質問をすると、彼は重々しく首を振って──。



「えぇ、実は……先程リエナ様も口にしたクルト様の従者、カシュアが行方不明となっているのですよ」



「えぇ!?」

「……」



 同じ様に重々しい声音で告げられた事態にピアンが目を見開いて驚く中で、リエナは『想定内だ』とでも言いたげな平静さを持って無言を貫いていた。


(おいおい、これって……そういう事だよな?)

(……あぁ、いよいよ怪しいな)

(やべぇ、心の準備しとかなきゃだぜ……)


 その一方、アングたちは漸くリエナの想像が間違いなく真実なのだろう事を理解し、まだ出会った事のない魔族との邂逅……及び戦闘までもを覚悟する。


「……まぁいい、クルトは私室って言ったね? 何度も言うけど急いでるんだ、上がらせてもらうよ」

「……かしこまりました、ではご案内を」


 そんな折、リエナは勝手知ったる屋敷の広間を見渡した後、クルトの私室がある方の廊下へ目を向けた。


 それを見たカーティスは、おそらく何かを知っているのだろうと長年の経験から見抜いたうえで、リエナたち五人をクルトの私室へと誘う事に決める。


 そして、いかにも貴族の私室らしい絢爛な扉の前へと招かれたリエナたちだったのだが──。


「……あれ? 領主様以外に誰かが……?」


 瞬間、ピアンの細長い耳がピコピコと動いたかと思えば、どうやら彼女の聴覚がクルト以外の何某かの声を拾っていたらしく、そのままふいっとカーティスの方へきょとんとした表情を向けて彼の二の句を待つ。


「えぇ。 カシュアと親交が深かった者に対し、クルト様が直々に聞き込みをと──クルト様、来客です」


 すると、カーティスは肯定の意を示すべく首を縦に振り、『そんな雑用は私どもがすべきなのですが』と苦笑いしつつも、扉の向こうにいる当主に対して来客ありと告げる為に抑えめな感じで扉をノックした。


『……来客? は聞いていないが……悪いが今は取り込み中だ、またの機会にしてもらって──』


 カーティスの言葉への返答として聞こえてきたその声は、とてもではないが快活とは言えない調子のものであり、おまけに来客自体も断ろうとしている。


 ……精神的に余裕がないのか、いつもは『私』である筈の一人称も『俺』になってしまっていた。



 ──が、そんな事はリエナに関係ない為。



「それどころじゃないんだよ!」



「うおっ!?」



「「きゃあ!?」」



 壊れてしまうのではないかという程の勢いで開かれた扉の立てるけたたましい音に、ソファーに座っていたクルトと、その対面にあるソファーに座っていた二人の少女が揃って驚きを纏わせた声を上げてしまう。


 その二人の少女は……かつて、この屋敷を訪れた黒髪黒瞳の召喚勇者とも親交があり、長い赤髪を二つ結びにしているのがシャーロット、短い茶髪を側頭部で一つ結びにしているのがジェニファー。


 ……ちなみに、どちらも女魔術師ソーサレスである。


「り、リエナ!? いきなり押しかけてきて何だ!? いくら貴女でも最低限の作法マナーというものが──」


 一瞬の間が空いた後、クルトが驚きの表情のままリエナを指差して彼女を叱責する旨の発言をしようとしたものの、当のリエナは勢いよく彼に近寄り──。


「だ、か、ら! それどころじゃないって言ってるだろう!? ほんっとに要領が悪いねあんたは昔っから!」

「な、なぁ……っ!? そっちこそ……子供扱いはするなと何度も言ってるだろう! 俺はもう大人だ!!」


 さも出来の悪い子供に親が言い聞かせるかの様な口ぶりで詰め寄ってきた事により、クルトも売り言葉に買い言葉といった具合にズレた論争を始めてしまう。


「てっ、店主! 落ち着いてください! まずは領主様に確認しないといけない事があるんですよね!?」

「クルト様も! 何卒、穏便に……!」


 周囲の目も気にする事なく、ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる二人に対し、ピアンとカーティスはそれぞれ店主と当主を宥めるべく二人の間に割って入っていく。


(……苦労してんな、あいつら)


 それを蚊帳の外から見ていたアングは、自身もまた厄介な上司を持っていた過去があるからか、まるで同情するかの如き視線でその光景を見つめていた。


────────────────────────


「──は? カシュアが、魔族かもしれない……?」


「そ、そんな筈ありませんわ!」


「私も、そう思います……」


「……リエナ様。 無論、証拠はおありなのですね?」


 その後、漸く落ち着いた二人を離してから、ここへ来た理由を事細かに話したはいいものの、クルトもシャーロットたちもリエナが口にした事実に等しい推論を全く信じられないといった表情を浮かべていた。


「何を言ってるんだって顔だけど……あたしは殆ど確信を持って此処にいる。 その証拠も、ほら」


 一方、リエナは懐から取り出した煙管に火を着けてから咥え、『ふー……』と煙を吐きつつ後ろに立つ二体の分身ドッペルに指示を出し、それらが蒼炎で見えない様に抱えていた……二つの遺体を彼らに見せる。


「……! これ、は……!」

「な、まさか……っ!?」


 瞬間、当然と言えば当然だが、シュターナ家である以上、或いはシュターナ家に長く仕えている以上、知っていたのだろう二つの遺体の顔を見てクルトとカーティスは驚愕を露わにせざるを得なかった。


 そして、先程リエナが口にした推論さえも、信じざるを得ない状況に追い込まれてしまっていたが──。


「……こんな事を急に言われても……到底、信じられない。 信じられる訳がない。 しかし……貴女がそんな無意味な事をする筈がないというのも分かるんだ」


 幼い頃から自分に仕えてくれていたカシュアを疑いたくはないという気持ちと、それと同じく自分に様々な事を教えてくれたリエナを信じない訳にはいかないという気持ちが、クルトの中でせめぎあっていた。



「……なぁ、本当に……カシュアは──」



 だからこそ、クルトは縋る様にリエナを見つめて彼女からの返答を待つしか出来ないでいる。



 ──全部、嘘だった。



 そう言ってほしかったのかもしれない。



「……それを今から確かめるんだよ。 で? そこの、カシュアについて何か知ってるのかい?」


 だが、リエナにも譲れないものがある以上、甘っちょろいクルトの思想など無視して視線をシャーロットたちに移し、クルトが率先して遂行していたという聞き込みを彼に代わって行おうとする。


「ご、ごめんなさい……詳しい事は」


 とはいえ……カシュアが本当に魔族なら、それを周囲の者に伝える事などする筈もなく、ジェニファーが頭を下げて役に立てそうにない事を謝罪する一方。


「……ただ……数日前から少し様子はおかしかったかもしれませんわ。 廊下の窓から外を見て、うわ言の様に何やらブツブツと呟いていたのを見ましたもの」

「何て言ってた?」


 どうやら、シャーロットはカシュアの微かな異変に気づいていたらしく、だからこそ気づかれない様に彼女を見ていた時の事を思い返しており──。


「途切れ途切れですけれど──『潮時かしら』とか」


 リエナの問いに対してシャーロットは、『今にしてみれば少々不気味ですわね』と口にしつつ、ほんの少しだけ震えた声音でカシュアの呟きを伝えてみせた。


「……やっぱり急いだ方がよさそうだね。 クルト、あたしらはカシュアを追う。 あんたはどうする?」


 その事から、リエナは間違いなくカシュアが魔族であり、こちらがそれに気づいた事を悟ったのだろうと理解したうえで『ついてくる?』と暗に告げる。


「……行くさ。 この目で、この耳で確かめない限りは決して認められない。 いいだろう? リエナ」

「……っ、好きにしな」


 少しの逡巡の後、クルトは決意を秘めた瞳でリエナを射抜きながら同行の意を示し、それを見たリエナは若干だが気圧されつつもスッと視線を逸らした。


 もしかすると、リュミアと同じ彼の恩恵ギフトであるところの威圧スリートが無意識に発動していたのかもしれない。


「そうだ。 犬人コボルト、あんた名前は何だったっけね」

「え? あ、あぁ。 アングだが」


 その後、リエナが不意に振り返ったかと思うと、唐突にアングを視界に入れて名を尋ね、『言ってなかったっけか?』と思いながらもアングは名を伝えた。


「そうかい。 じゃあ、アング── ?」


「……! 成る程な、任せてくれよ。 なぁ、さっき言ってたカシュアって奴の持ち物はあるか?」


 そして、まるで何かを含んでいるかの様なリエナの物言いの理由を察したアングは、こくんと頷いてからクルトやカーティス、シャーロットたちに視線を走らせて、自身の嗅覚を働かせる為の物を欲する。


「っあ、こ、ここに! これ、以前カシュア様からいただいた髪紐なんですが……これで大丈夫ですか?」


 その一方、ジェニファーは髪を結んでいた朱色の髪紐を外し、それが随分前にカシュアから貰った物だと伝えてからアングに手渡し確認する様に問いかけた。


「……あぁ、いける。 多分、街の外だな」


 アングはジェニファーから髪紐を受け取り、すんすんと自慢の鼻を鳴らすと……しばらくしてから自信ありげに頷いて、スッと窓の外をへと視線を移す。


「よし、それじゃあ行くよ──全てを確かめに」


 そして、それを受けたリエナが口にする、ふわふわとした紫煙を燻らせながらの号令の下に──。


 リエナ、ピアン、アング、ケイル、オルンの最初の五人に、クルト、シャーロット、ジェニファーの三人も加えた総勢八名は、どこぞへ消えたカシュアを追跡するべく街の外へと出立していくのだった。

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