第219話 招かれざる森人

 所変わって、ちょうどアングたち三人がピアンと偶然の邂逅を果たしていた頃──。


「……ふぅ」


 単身サーキラの街へと向かう事を選択していたアドライトの視界には、まもなく沈もうかという夕日に照らされて茜色に染まるサーキラの街の入口となる門が映っており、それを見た彼女は足を止めて息をつく。


(完全に日が暮れる前に着いた……さっきまでは彼らが一緒にいたし、全力で走ればこんなところかな)


 彼女と行動をともにしていた三人と別れて文字通り枷の外れたアドライトが、なるだけ迅速に……しかし確実に依頼クエストを達成するべく身軽な身体を活かして疾走した事により、本来ならば半日はかかる距離を半分程も短縮してサーキラに到着していたのだった。


(さて……それじゃあ早速、並ぶとしよう)


 そして、ドルーカよりも多少なり堅牢な様にも思える門を森の出口から見ていたアドライトは、これといって変装などする事もなくサーキラへ帰還しようとしている……もしくは入街しようとしている者たちが連なる列の最後尾に何の躊躇いもなしに並ぶ。


 ……その、すぐ後に。


「ちょ、ちょっと……ねぇ、貴女」


 どうやら、この日は彼女が最後であるらしく、『後ろ、誰も来ないなぁ』と呑気な思考に支配されていたアドライトに対して、肩にかけるタイプの革袋を背負った金髪の少女が声を潜めて話しかけてきた。


「……うん? あぁ、私かい?」

「他に誰がいるのよ……!」


 前の方に並んでいた中々に絢爛な馬車から降りてきた事は、その馬車の御者や護衛が自分の方を訝しげに見ている事からも分かるが、この小柄な──長身のアドライトから見れば小柄なというだけだが──少女が声をかけてきた事に疑問を感じて首をかしげると、その少女は声を潜めつつも語気を強めて返答する。


 その少女は特に名乗る事もせず、きょろきょろと辺りを見回して聞き耳を立てている者がいない事を確認してから手招きし、アドライトの耳元に口を寄せた。


「貴女……森人エルフでしょ? だったら、この街に寄るのはやめた方がいいわよ。 何せサーキラは──」


 そんな状態で少女が囁いてみせたのは、誰が聞いても分かる明らかな忠告であり……そこには森人エルフであるアドライトを気遣う様な感情が見え隠れする。


 現に、まだ街へ入っていないにも関わらず、アドライトを……というより、アドライトの特徴的な長い耳を見て、『あれって森人エルフだよな』だの『サーキラって亜人族デミは駄目なんじゃなかったか』だのと、さも陰口を叩くかの様な呟きが嫌でも彼女の耳に届いていた。


「極端な程に亜人族デミを嫌っているんだろう? それは分かってるよ。 けれど、私にも事情があるんだ」


 とはいえ……アドライトとしても、そんな事は充分に分かりきっていた為、爽やかさの中に若干の苦みを混ぜ込んだ笑みを湛えつつ、『譲るつもりはない』という確固たる意志を言葉にしてみせた。


「……っ、それを理解したうえで入ろうとしてるなら別にいいわ。 どうやら隠す気もないみたいだし」


 そんな彼女の宣言を聞いた少女は一瞬、明確に怯んだ様子を見せながらも呆れた様に溜息を溢し、ゆっくりと首を横に振ってから、『どうなっても知らないからね』とでも言いたげな表情でアドライトを見遣る。


 一見すると突き放した様な態度ではあるが、それでも自分を心配してくれているというのは感じられたからこそ、アドライトは紳士的な笑みを湛えて──。


「忠告ありがとう。 それより……なるべく私から離れた方がいい。 亜人族デミと関わりを持っていると思われるのも不味いだろう? それが商人となれば尚更だ」

「……逆に気を遣われるとは思わなかったわ」


 少女が肩にかけたポーチが、かつて出会った黒髪黒瞳の召喚勇者の持っていた鞄と似た様な効果を有する魔道具アーティファクトであると看破し、おそらく前にいる馬車の絢爛さからも商家の娘か何かなのだろうと踏んで声をかけると、少女はそれを否定する事もなく照れ臭さを隠すかの様に口を尖らせ、振り返りながらそう言った。


 その後、少女が馬車の方へ戻った途端に御者や護衛たちが、『何もされていませんか』だの『何故あの様な亜人族デミと話を』だのと少女を気遣いつつもアドライトを非難する様な発言を口にしたものの、当の少女は彼らの声に応えもせずに一度だけアドライトへ意味ありげな視線を向けた後、馬車の中へと入っていく。


(サーキラの住人……の様に見えるけれど……あの子は亜人族との接触に抵抗がない、のかな)


 少女の風体はまず間違いなく商人のそれではあるものの、とてもではないが長距離の旅に耐えられる様には見えず、もっと言えば御者や護衛といった少女以外の人族は皆、亜人族デミに対しての嫌悪感を隠そうともしていない事からもサーキラの住民であるのは確か。


 しかし、それならば何故あの少女は森人エルフである自分に声をかけるだけでなく、『サーキラへは入らない方がいい』と忠告してくれたのだろうか。


 そんな疑問が彼女の脳内を占拠していた時──。


「──っ、止まれ!」

「おっと」


 漸くアドライトの前にいた者たちが掃け、何の気なしに進もうとした彼女の目の前に……左右に立っていた門兵が勢いよく槍を交差させて足を止めさせる。


 その内の一人、彼女から見て右側に立つ若年の門兵が敵意どころか殺意すらも剥き出しにして──。


「貴様……森人エルフだな? ここをサーキラの街だと知ったうえでの行動か? それとも何も知らないで──」


 今にも突き出したその槍をアドライトに突き刺さんばかりの勢いで、されど多少の怯えもあるのか距離は保った状態で暗に『近寄るな』と捲し立ててきた。


「知っているよ、これでも三百年近く生きているからね。 だからこそ、この街の現状には疑問しか抱けないんだ。 ご教授してもらえると……嬉しいんだけど」


 一方、明らかに自分より劣っている彼らに凄まれたところで臆しようのないアドライトだったが、ここで戦闘を繰り広げる訳にもいかない為、取り敢えず両手を肩の辺りまで上げた状態で人当たりの良さそうな笑みを浮かべ、さりげなく『サーキラの民が亜人族デミを厭う様になった理由』を聞き出そうとしたものの──。


「ふざけるな! 亜人族デミにくれてやる物など何一つありはしない! 武具も食糧も……無論、情報もだ!」

「分かったら、そのままきびすを返して立ち去れ!」


 彼らはアドライトの言葉に全く聞く耳を持とうとせず、先程よりも槍を彼女の喉元に近づけながら、何としてでも街へ入れまいとする姿勢を絶対に崩さない。


(……まぁ、こうなるよね。 仕方ないか)


 尤も、この状況はアドライトとしても想定の範囲内であり、だからこそ当初の予定通りに彼女はふところに手を入れて冒険者の証である免許を取り出しつつ、『自分が銀等級シルバークラスの冒険者だ』という事実をおおやけにして、この街のギルドに繋いでもらう策を試みようとした。



 ……その瞬間。



「──そこまでよ」


「実は──え?」



 彼女の言葉を遮る様にして響いたのは、つい先程アドライトが聞いた覚えのある幼げな女声であり、出鼻を挫かれたアドライトは、彼女としては随分と珍しく呆けた表情を浮かべてしまっていた。


「リュ……リュミア様? 何故こちらに……先程、門を通られたばかりの筈ですが……?」

「お、お嬢様!? 突然、何を……!?」


 困惑と驚愕、何より萎縮の入り混じった声音で門兵の一人がリュミアと呼ばれた少女に話しかけ、その横で彼女の侍女なのだろう女中メイドが息を切らして声をかけるも、リュミアは『ふん』と強気な態度で鼻を鳴らす。


「彼女を通してあげなさい。 敵意も害もないから」

「「なっ!?」」


 そして、未だに槍をアドライトに向けたままの門兵たちに対し、完全な命令口調でアドライトへの入街の許可を出せと告げるも、彼らは信じられないといった具合に目を見開いて驚愕を短い叫び声にした。


「い、一体……何を仰っておられるのですか!? この者は森人エルフ、紛れもなく亜人族デミなのですよ!?」

「その通りです! そして、サーキラは亜人族デミの滞在はおろか街へ入る事すら認めておりません!」

「お嬢様、お気を確かに……!」


 その後、二人の門兵と女中は勢いのままにアドライトを指差し、『理解しておられないので!?』と何ならアドライトと同時にリュミアまで非難しているかの様な口振りを持って言い聞かせんとする。


(入る事すら、か……本当に何があったんだろうね)


 翻って、目の前で可憐な美少女が男たちの暴言に曝されている……そんな状況を黙って見過ごす事は出来ない女性至上主義者アドライトは、かつてサーキラを訪れた時の住民の優しさを思い返しつつ三人を止めようとした。



「彼女は私の──リュミア=の客人よ」


「「「はっ……!?」」」



 瞬間、アドライトの前にスッと細い腕を差し出したリュミアが口にした、『自分が招いた』という旨の発言に門兵と女中メイドは驚きを露わにしているが──。



 ……驚いていたのは、アドライトも同じだった。



(シュターナ、って……もしかしなくても)



 ……そう。



 それは、ドルーカの領主たるクルト=シュターナと同姓の……紛れもない貴族の証なのだから。

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