第216話 案内された先に

 アドライトやアングたち……いや、正確には森の主であるウェバリエの周囲を飛び回りながら、奥へ奥へと一行を導いていく数匹の鋭刃蜜蜂シェイドルと言葉のいらない意思疎通コミュニケーションを行っていたウェバリエだったが──。


「──この子たちの話だと、この辺りらしいのだけれど……うーん、見つからないわね」


 ……よくよく考えれば当然の事ではあるものの、ウェバリエたちと行動をともにしているのは全て働き蜂であり、先程の女王個体と比べれば遥かに知能で劣る為、残念ながら曖昧な情報しか寄越してこない。


 ゆえに、くだんの二人組の遺体がある場所に近づいてはいるのだろうが、いまいち正確な特定をする事が出来ないでおり……蜂たちがグルグルと彼女たちの頭上を回っている場所を中心に探索せざるを得ないでいる。


「死んでから随分と時間も経っているんだろう? それなら死臭が漂っている筈だが……どうだ?」

「……ん〜……」


 その時、『そういえば』と思い出したかの様にオルンが生物の死骸から放たれる異臭について言及し、この中では最も優れた嗅覚を持っている犬人コボルトのアングに対して『臭いを探れ』と頼もうとするも、アングは既に辺りを見回しながら鼻を鳴らしていた。


 かつてサーカ大森林を訪れた事もある召喚勇者の所有物であり、この世界に存在する同種よりも圧倒的に優れた嗅覚を持っているのだろう人狼ワーウルフには劣れど、それでも彼の嗅覚が卓越したものだというのは事実。


「……いや、分かんねぇな。 虫だの獣だのの死臭しかねぇ。 なぁ、本当にこの辺りなのか?」

「えぇ、その筈なのだけれど……」


 だが、どうやら彼の鼻は盗賊時代に嗅ぎ慣れている筈の人族ヒューマンが放つ死臭を感じ取れておらず、この近くだと宣う蜂たちの声を伝える蜘蛛人アラクネに疑念の目を向けたが、そもそも蜂たちが嘘をつける程に賢くない事を知っているウェバリエとしては首を縦に振るしかない。


 ……単に間違えている可能性は否定しきれないが。


「日帰り、って訳にはいかなそうだなぁ。 その蜂は何かこう……もうちょい詳しく覚えてねぇの?」


 一方、辺りに生い茂った草木を掻き分けて遺体を探しながらも、そんな二人のやりとりを聞いていたケイルが『天幕の出番かねぇ』と溜息を溢した後、難しいんだろうとは分かっていても『何か他に情報はないのか』という事を確認してほしいとウェバリエを促す。


「そうねぇ──え? あぁ、そうなの……?」

「……? その蜂は何と?」


 それを受けたウェバリエが飛び回っていた蜂の内の一匹を腕に留まらせてから、パクパクと口を動かして意思疎通コミュニケーションを図っていた時、何やら彼女が随分と驚いた様な……いや、或いは呆れ返った様な表情を浮かべた事に、アドライトが違和感を覚えて声をかけた。


「えぇ、それが……この子たちが言うには、その二人組は木にもたれかかって死んでるらしいのよ……」

「……それ、そこそこ重要な情報じゃねぇか?」


 するとウェバリエが蜂からアドライトの方へと向き直り、『はぁ』と今度は明らかに呆れた様子で溜息を溢しつつ新たな情報の追加を伝達した事で、ケイルはそんな彼女以上にげんなりとした表情を見せる。


「つってもよ……ここは森だ、それこそ木なんて腐る程あるぞ? どれにもたれかかってるかなんて──」


 そんな中、『俺の鼻がおかしいのか?』と困惑しながらも何とか死臭を嗅ぎ取ろうとしていたアングが口を挟み、きょろきょろと辺りを見回しつつ『分かる訳ねぇだろ』と正論を述べようとしたその時──。


「──それなら話は早い。 私が聴いてみるよ」

「あ? ……あぁ、そうか」


 爽やかな笑みを崩さぬままにアドライトが最寄りの木に近づいていく……その光景を見たアングは『何を言ってんだ』と更に困惑したが、すぐにある事を思い返して『成る程な』と彼女の行動の意図を理解する。


 アドライトと女王の戦いが激しすぎて失念していたものの……よく考えれば彼女は森人エルフであり、この森の中心に辿り着いた時も木々に秘められた声を聞いたからこそ、それを判断する事が出来ていたのだから。


 そしてアドライトは木に優しく触れつつ翠緑の瞳を閉じ、『森の何処かに生えている木にもたれかかった人族の遺体』について、その木に静かに問いかける。


「……成る程。 ありがとう、助かったよ」

「分かったのか?」

「勿論。 木の種類まで完璧にね」


 しばらくすると、アドライトが前触れもなく木から手を離して振り返り、『さぁ行こうか』とウェバリエたち四人に向けて声をかけた事でアングが念の為に確認すると、彼女は頷きながらそれを肯定してみせた。


 その後、アドライトの案内で更に森の奥へと進んでいった五人の視界に……他の様々な木々と比べても妙に荘厳で流麗な一本の大きな樹木が映り──。


「……もしかしなくても、あれか」

「その様だね」


 小さく呟いたアングの、そして彼の呟きを肯定したアドライトの言葉通り、その木にもたれかかる様にして二人組の男女の人族ヒューマンの遺体がそこにはあった。


 かなりの時間が経過しているのだろう、その遺体にはグルグルと蔦が絡みついているだけでなく、手や足といった身体の先端部位は最早、植物との一体化すら果たしてしまう程に朽ちている様にも思える。


「ここまで案内ありがとう。 もう戻っていいわよ」


 その時、案内してもらうという目的は達せられたと考えたウェバリエは、『女王かのじょによろしく伝えてね』と働き蜂たちを解放し、それを受けた蜂たちは耳障りな羽音を立てつつ蜂の樹がある方角へ飛んでいった。


「……あいつらよりは、まだ綺麗な方だよな」

「……思い出させんなよ」


 一方、別に目の前の二人の様に木にもたれかかったりはしてなかっただろうが、かつて同じ様に鋭刃蜜蜂シェイドルの群れに襲われて死んでいった盗賊仲間の事を思い返して極端な程に顔を顰めるケイルに対し、アングは死に物狂いで何とか生き延びた当時の戦闘を脳裏に浮かべてしまった事を心から後悔する。


「これは……療養樹ヒールツリー、だったか? 枝葉や樹液に魔力や体力を癒す効果を持つと聞いた事があるが……」


 そんな二人をよそに、オルンだけは遺体ではなく遺体がもたれかかっている木の方に興味を示し、その木の種類や特性を見抜いたうえでアドライトに確認する様に問うと、『博識だね』と若干だが感心する様子を見せた彼女はオルンと同じく木に優しく触れた。


「まぁ……何なら樹の下にいるだけでも充分な回復が見込めるんだけどね──っと」


 とはいえ、ただでさえ聡明な森人エルフであり銀等級シルバークラスの冒険者でもあるアドライトの方が知識量で上回っている為、現に少しずつ先の戦いの疲れが取れていく事を自覚しつつ彼の言葉を補足してから遺体の傍にしゃがみこむ。


「……やっぱり、魔族の力を感じるよ。 かなり微弱にではあるけど……彼らで間違いなさそうだ」

 

 魔族との戦闘経験があるという事もそうだが、かつて召喚勇者一行とともに挑んだ依頼クエストにて上級魔族と邂逅していた彼女は、ある程度の接近があれば魔族の力を感じ取れる様になっており……だからこそ目の前の遺体から漂う悪の因子を見抜く事が出来ていた。


「んー……免許ライセンスでも持ってねぇかと思ったが、そもそも身分を証明する物が何一つねぇな」

「何処の誰かすら分からないときたか……」


 翻って、いかにも元盗賊らしい無駄な手際の良さを活かして二つの遺体を漁っていた三人が、お手上げだとばかりに立ち上がりつつ、かたやケイルが『収穫なしだ』と口にして、かたやオルンが『まさか身元不明とはな』と半ば諦めた様な発言をする中で──。


「あぁ一応……この二人が森に入ってきた時の方角としては、あちらの方らしいのだけれど」


 オルンが何の気なしに口にした『何処の』という言葉で、ふと蜂たちが言っていた──実際に喋った訳ではないが──二人組が森へ入った際の方角を思い出した為、スッとそちらの方へ指を差してみせた。


「あちらって……あっちにゃ確か、そこそこの規模の街がなかったか? 名前は──」


 当然、アドライト四人は一斉に彼女が指差した方を向き、アングが犬耳をピコピコと動かしながら随分と前に訪れた記憶のある街の名を何とか思い出そうとしていた時、彼の……いや、ウェバリエも含めた全員を視界に映したアドライトが一拍置いてから口を開く。



 ──そして。



「──サーキラ、だね」



 ドルーカとは正反対の位置に存在し……召喚勇者が訪れなかった方の街の名を、小さく小さく呟いた。

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