第213話 風を纏う雷

 深く抉られただけでなく猛毒に冒されてもいる脇腹を片手で押さえつつ、アドライトが多少なり解毒作用がある回復薬ポーションの入った小瓶を空にする一方で。


「──な、なぁ。 あいつ、大丈夫なのか? そりゃあ、蜘蛛人あんたの毒とは比べるまでもねぇだろうが……」


 アドライトの心配……というより、『もしも彼女が敗北したら次は自分たちの番なのでは』と……そんな自己中心的な考えの下、他の蜂たちを刺激しない程度にアングがウェバリエに小声で話しかける。


「大丈夫……とは言い切れないわね。 確かに私の毒の方が強いし、鋭刃蜜蜂シェイドルの毒は別に致死性という訳でもないけれど……それは通常の個体に限った話だし」


 それを受けたウェバリエはアングの果敢ない考えを読みきったうえで、深い溜息を溢しつつ赤い眼だけを彼の方に向けてから、『貴方の心配も分からなくはないけれど』と若干ではあるが同意する様に唸った。


 事実、彼女の言葉通り女王の毒嚢で生成される猛毒は蜘蛛人アラクネの劇毒に勝るとも劣らない毒性があり、他の毒を扱う種族でさえも毒殺する程に凶悪なのである。


「手を、貸すべきか──」


 そんなウェバリエとアングの話を又聞きしていたオルンは、アドライトと女王との一騎打ちに参戦しようと二振りの投擲鉞トマホークを構えていたのだが──。


「──やめておいた方がいいわよ」

「何故だ? このままでは……」


 その時、ウェバリエが彼の前に黒く光沢を放つ甲殻に覆われた細長い腕が伸ばして静止した事で、アング程ではないとはいえ『俺たちも危ないだろう』と口にするべく彼女を見上げて控えめに問いかける。


「何故も何も……最初に『一騎打ちかどうか』の確認を女王にしたでしょう? 魔蟲が相手とはいっても、それを破るのは彼女の流儀に反する気がするのよ」


 しかし、四人の中で最もアドライトの性格や生き方を理解しているウェバリエとしては……彼女の誠実さや高潔さを考えるなら、『彼女がどうなろうと手を出すべきではない』との結論を導き出さんとしていた。


「何より……あのは私たちの様な他種族を遥かに上回る圧倒的なまでの生命力を持つ森人エルフだもの。 少しの毒に冒された程度で負けたりしない……筈よ」

「……だといいがな」


 ……ウェバリエにとってアドライトが相当に年上である以上、『あの』という表現が正しいかはともかくとして、彼女の物言いは特に間違ってはいない。


 他種族に比べて長命であり、それゆえに高い生命力を有する森人エルフの中でも特に優秀な彼女は、たとえ生きたまま内臓を焼かれても、手足をで切断されても、そして強大なに潰されたとしても、回復が間に合えば命を落とす事はないのだから。


 そんな中、どうやらウェバリエたちの小声での会話を聞き取れていたらしい女王は、際限なく鋭利な毒針を飛ばしながら半透明な翅を擦り合わせて──。


『──ドウヤラ彼奴ラハ……其方ヲ信用スル事ヲ選ンダラシイガ、ドウダ? 期待ニ応エラレルト良イガ』

「うる、さいな……っ、言われるまでもないよ!」


 さも挑発するかの様な羽音をアドライトに向けて放った事により……基本的には冷静沈着な彼女も女王の猛毒の影響あってか、早まっていく動悸を何とか抑えつつ図らずも大声で愚痴めいた言葉を叫んでしまう。


 それを理解しているからこそ……彼女は一度、思考を冷やすべく戦闘の真っ最中に深呼吸する。


(少し落ち着こう。 鋭刃蜜蜂シェイドルの毒は前にも受けた事はある……が、別物だと考えた方がよさそうだね。 あの時は、ここまで目が霞んだり手足が痺れてしまう様な事はなかった筈。 流石は女王といったところかな)


 そう、彼女の身体を襲っているのは動悸だけではなく……まだ紅玉スピネルだった頃、通常の個体から毒を受けた事があったのだが、その時は大して身体に目立った異常も現れず、せいぜい少しの痛みがある程度だった。


 しかし今、彼女の視界は霧でも発生しているのかとばかりに霞み、弩弓クロスボウが鬱陶しく感じてしまう程には腕に力も入らず、先程までに比べて足取りも重い。



 ……正直、長期戦は不可能だと理解していた。



 ──だが、しかし。



(とはいえ全く効いてない訳ではなさそうだ……高低差の優位性を理解していない筈はないし、会話をするのが精一杯で飛行する事までは出来ないのかな)


 そんな彼女の見立て通り……女王はアドライトが放った麻痺雷針ストライクをその身に受けてからというもの、ただの一度も空を舞わないどころか、ほんの少しだけ飛び上がって空中で静止するといった事すらしていない。


 ……していないのではなく、出来ないのだが。


 ゆえに、アドライトは当初に考えていた『ウェバリエたちや周りの蜂を巻き込まない事』を念頭に置きつつも、多少の無理を承知で大技を放つ為に──。


「──それは全部、撃ち落とさせてもらうよ!」


 自分に向けて発射された数十本の毒針を躱す……のではなく、両腕に装着した弩弓クロスボウから放つ矢で相殺し、戦いの中で見つけていたを突かんとする。


『ッ、マダ動ケルトハ……存外、骨ガアルナ。 ダガ余ノ毒針ハ尽キヌ、其方ガドレダケ足掻コウガ──』


 一方、最初に当てた一本を除いて全く命中しなくなった事に苛立っていた女王は……アドライトが唐突に躱さず撃ち落とした事に驚きながらも、俄かに痺れの残る胴体を下げて毒針の再装填をしようとした。



「──! ウェバリエ! 広範囲に防御を!」

「!? え、えぇ!」



 そう、それこそがアドライトが見つけた女王の隙。


 殆ど無尽蔵であるとはいっても……そこには必ず毒針を装填する為の、いわゆる冷却時間クールタイムの様なものが存在するという事を、女王と同じく遠距離攻撃を得意とする射手アーチャーの彼女だからこそ見つける事が出来ていた。


細糸集合ギャザリング──からの、蜘蛛巣壁スパイドル!」


 そんなアドライトからの唐突な指示を受けたウェバリエは、されど極めて冷静に……そして正確に自らが森の中に張り巡らせている糸を集め、それらを束ねて以前に行使したものよりも更に規模の大きな蜘蛛糸の壁を展開し、自分やアングたちだけでなく女王の指示が出ない為に逃げられない蜂たちも守らんとする。



 ……それもこれも、彼女が森の主であるがゆえに。

 


 そしてアドライトは両腕の弩弓を上下に重ね──。



「霹靂せよ──不死雷鳥ボルテクス!!」



 かつて、アングたちも属していた盗賊団の初代首領に放った事もある……雷の巨鳥を顕現させる魔術を行使し、雷鳥は地に立つ女王を貫く為に飛んでいく。


 尤も、獣宿ビスドエルという喰らった存在の姿や力、耐性までも自分の身体に再現する恩恵ギフトを授かっていた初代首領には通用しなかったが、それでも凄まじい威力を誇る事はアングたちも理解していたからこそ彼らもアドライトの勝利を確信し、安堵からか気を緩めてしまう。



 ……しかし、その瞬間。



『──余ハ、女王ダ……! 敗北ナド、アッテハナラヌ……! アッテハ──ナラヌノダァアアアアッ!!』



 おそらく麻痺している筈の半透明な翅を大きく広げた女王が、最後の力を振り絞らんばかりの痛々しい羽音を上げたのだが……その羽音は次第に耳をつんざく程に高く大きく……そして破壊力を帯びていく。


 気づけば不死雷鳥ボルテクスと女王の間を遮る様に色を持たない音の障壁が出現しており、それ以上の侵入を阻むかの如く極めて甲高い音を響き渡らせていた。


「っ!? な、何だぁ!?」

「みっ、耳が! 耳が痛ぇええええ!!」

「羽音、か……!? だとしても、これは……!」


 不死雷鳥と音の障壁が拮抗する中で……かつて自分たちが属していた盗賊団の初代首領であった人族の放つ咆哮と同じか、それ以上の大音量による金切り声を受けていたアングたちが耳を押さえて苦悶する一方。


「アド、ライト……! これ以上は──っ!?」


 蜘蛛糸による壁にて雷の衝撃は何とか防ぐ事が出来ても、それを易々と通り越してくる音の波までは防ぎようもなく、『早く決着を』と言わんばかりにアドライトを急かすかの如き声を上げんとした……その時。



「──魔弾再装填リロード、属性付与W《エンチャントウインド》、標的確認ターゲットロックオン!」



『……!?』


 これまでとは異なる詠唱を口にすると同時に、アドライトは不死雷鳥ボルテクスを行使していた両腕の弩弓クロスボウのうち、右腕だけを新たに不死雷鳥ボルテクスへ向けて……そこに装着された弩弓クロスボウを中心に翠緑の風が舞い始めた事にウェバリエは言葉を失い、それを見た女王も先程までとは何かが違う事に気がつき、複眼を揺らして焦燥する。


 元より魔力の操作や魔術の扱いが他種族よりも長けている森人エルフにおいても、アドライトは特に優秀な力を持って生まれ……具体的に言うのであれば、あらゆる属性の魔術を扱う事を可能としており、ここまで雷しか使ってこなかったのは……それで充分だったから。


 だが……今、彼女の目の前にいる女王は控えめに言っても難敵であり、それに加えて猛毒に冒されている事もあってか、『少し』ではなく本気で魔術を行使しなければならないのだと彼女自身も自覚していた。


 だからこそ彼女は、サーカ大森林に植生している全ての木々に……そして木々の枝葉を揺らす様に吹く風に宿る精霊の力を借りて、『風』の魔術を行使する。



擾乱じょうらんせよ──乱気蛇流タビュラネイク!!」



 瞬間、アドライトを中心に吹き荒れていた風は次第に八つの頭を持つ巨大な蛇……八岐大蛇を模した様な姿となって不死雷鳥ボルテクスの方へと宙を蛇行していき、雷の鳥を支援するべく巻きついて勢いを増幅させつつ、自らも音の障壁を破る為に真空の牙を突き立てる。


 乱気蛇流タビュラネイク……かつては風の蛇を一頭のみ発現させて相手を拘束するだけの魔術だった様だが、とある洞穴にて遭遇した八つの頭を持つ百足の魔蟲から構想を得た事で、拘束だけでなく攻撃、防御、支援など……万能性に富んだ魔術へと昇華させる事に成功。


 だが、ここまで大規模に行使する事が出来ているのは他でもなく……種族上、この場所が森人エルフにとって存分に地の利を生かせる森林だからであり──。


 そもそも森を訪れないという事実を無視するのならば、おそらく今のアドライトはリエナにも劣らない。


『──ク、オォォ……!』


 一方、今にも突き破られかねない程に歪む音の障壁を苦々しく低い羽音で呻きながら見遣る女王が、より障壁を強固にするべく羽音を高く大きくせんと──。


 ──したのだろうが。


「もう、いいだろう? 女王蜂さん。 貴女の負けだ」

『オノレ……ッ! 森人エルフ、風情ガァアアアア……!!』


 それを察したアドライトは……大技を二つ同時に放ち魔力を消費した影響で顔の方まで侵食していた猛毒に苦しめられつつも、ほぼ全身に麻痺が行き届きかけていた女王に敗北を宣告した事で、女王は先程までとは比べ物にならない悔しげな羽音を上げる。


 そして次の瞬間、音の障壁は風の蛇を纏った雷の巨鳥に破壊され……ウェバリエが行使していた蜘蛛糸の壁を易々と突き破りながら女王は二つの魔術に呑み込まれて森の奥へと吹き飛んでいってしまった。



 ……間違いなく勝利を収めたアドライトだが、それでも彼女の体力や精神力は既に限界であり──。



「……私の、勝ち……とは、言い切れないかな──」



 結局、解毒しきれなかった女王の猛毒により視界が完全に閉ざされながらも彼女は小さく呟いて、自分の名を呼び駆け寄ってくるウェバリエの声に返答する事も出来ずに地面へと崩れ落ちてしまったのだった。

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