第212話 女王蜂の一刺し

 突如、彼女たちの目の前に座す鋭刃蜜蜂の女王に対して宣戦布告を申し出たアドライトに、アングたち三人が驚愕と困惑でポカンと口を開けてしまう中、ウェバリエだけは急いで彼女に詰め寄っていく。


「ちょ、ちょっとアドライト!? 貴女、一体──」


 彼女としても、まさかアドライトが女王に喧嘩を売るとは微塵も思っていなかったらしく、その意図を探るべく『何を言い出すの』と口にしようとした。


「女王蜂さんに話を聞きたいのは私たちだからね。 その為に身体を張るのは当然だと思わない?」

「それは……そう、だけれど」


 ……だが、当のアドライトは至って何でもないかの様に、見る者が見ればコロッと落ちてしまいそうな程の爽やかな笑みを浮かべ、『元はと言えば』と前置きしてから、さも該当しそうな正論を投げかけてきた事により、ウェバリエは思わず言葉に詰まってしまう。


「その理屈だと俺らも戦わなきゃならねぇんだが」

「……黙っていろ」


 その一方で、そんなアドライトの言葉を蚊帳の外から耳にしていたケイルが茶々でも入れるかの如く口を挟むも、『女王はおろか周囲を飛ぶ働き蜂どもにすら苦戦するだろう自分たちに出来る事は殆どない』と弁えていたオルンは強めの語気で彼を諫めていた。


「──っと、その前に一つ確認しておかないとね。 女王蜂さん、貴女は一匹ひとりで戦うのかい? それとも周りにいる彼らが貴女の手足、或いは武具になるのかな」


 その後、何を言っても譲るつもりはないのだろうと判断したウェバリエが、すっかり諦めてしまった様な深い溜息混じりにアドライトから離れると同時に彼女は女王に向けて、『多対一でも構わないよ』と暗に告げると、女王は緩慢とした動きで翅を擦り合わせて。



『……其方ガ望ンデイルノハ、一騎打チダロウ』

「……ふふ、成る程」



 まるで『その程度の事も分からぬ阿呆だと思われるのは心外だ』とでも言わんばかりに、ほんの少しの怒りの感情を乗せて耳に届いた羽音に対して、アドライトは微笑みながらも『初対面より好印象だね』と脳内でのみ女王への心証を改めていたのだった。


「おいおい、マジでやんのかよ……!?」

「下がっとこうぜ、巻き込まれねぇ様に」


 そんな折、止められないと悟りつつも、どう考えても自分たちより強い女王との戦いに易々と身を投じんとするアドライトに『信じらんねぇ』とでも言いたげな表情を向けていたアングを、ほぼ似た様な事を考えていたケイルが彼の肩に手を置き、下がらせる。


 ……尤も、およそ百匹を優に超える働き蜂に囲まれてしまっている以上、退避しきれてはいないのだが。



『──覚悟ハ、イイカ?』

「無論だよ」



 そして、互いに臨戦態勢を整え終えたと察した女王がアドライトへ確認を取ると、彼女は先程までとは少し異なる……決意を秘めた笑みを見せて返答する。



 ……その、瞬間。



『──ッ!』



 地面に降り立っていた女王が会話する時とは違うベクトルで耳障りな羽音を立てて半透明な翅を動かすやいなや、まるで砲弾の様な……いや、おそらく砲弾を優に上回る速度でアドライトに突撃してきた。


 ……森の主たるウェバリエはともかく、アングたち三人では反応するので精一杯だろう超高速の突進。


 とはいえアドライトも銀等級シルバークラスの冒険者、人族ヒューマンどころか亜人族デミをも超える魔獣や魔物や魔蟲……そして魔族との戦闘も数多く経験し、それを突破してきている。


「──っと、危ない危ない」


 ゆえに、これといって魔術を行使する事もなく、ステップでも踏む様な必要最低限の動作で突進を躱してみせるのも、彼女にとっては造作もない事だった。


「旋回、してくるよね。 今度は……私の番だよ」


 その後、『どっちも化け物だな』と感心にも似た諦念を口にしてしまっていたアングたちをよそに、女王の通り道を作った働き蜂たちには目もくれず旋回してきた女王に向けてアドライトは片方の弩弓クロスボウを構えた。


「──魔弾装填ローディング、属性付与T《エンチャントサンダー》、標的確認ターゲットロックオン


 瞬間、彼女は詠唱とともに弩弓クロスボウを『ガチャッ』と機械音を立てて展開し、片耳に装着したリエナ謹製の触媒である耳装飾ピアスを煌めかせつつ雷の魔力を込める事で、弩弓クロスボウに番えた矢からバチバチと火花を散らす。


「小手調べは……いらないかな──麻痺雷針ストライク


 あまりの大技だと働き蜂やウェバリエたちを巻き込みかねないし、かといって単なる矢では有効打にはならないと考えていたアドライトが行使したのは、対象を麻痺させて動きを止める為の魔術だった。


 かつて、とある盗賊団の初代首領に放った──その時は無効化されてしまったが──不死雷鳥ボルテクスという名の雷の巨鳥にて敵を貫く魔術にも劣らない光速の矢。


 ……の、筈だったが。


『──ソノ程度カ、森人エルフヨ』

「……」


 標的と定めた当の女王は残像がハッキリと見える程に素早く……そして何より先程のアドライトと同じく必要最低限の動作で矢を躱し、さも煽るかの様な発言をしてきたが……彼女は特に表情を変えはしない。


「お、おい躱されたぞ! やべぇんじゃねぇか!?」

「……大丈夫よ。 見てなさいな」


 そんな彼女とは対照的に、『マジかよ!?』と驚愕を露わにするアングを始めとした三人が目を見開いている中で、どうやら『アドライトが動揺していない理由』を理解しているらしいウェバリエは決して彼女たちの戦いから眼を離さずに抑揚のない呟きを漏らす。



 ……その時だった。



『──ッ!? ギ、イィィ……ッ!?』



 突然、忙しなく動いていた女王の翅が……まるで糸でも切れてしまったかの様にピタッと止まり、アドライトの目の前にズサァッと倒れ伏してしまう。


『バ、馬鹿ナ……ッ!? 何故、ダ……!? 其方ノ矢ハ、確カニ躱シテミセタ筈……!』

「そうだね、それは間違いないよ。 でも──」


 それでも会話を成立させる程度には動かす事が出来るらしく、途切れ途切れの羽音で言葉を紡ぐ女王に対し、アドライトは女王の物言いを肯定しつつも──。


「──私の矢からは、何人なんぴとも逃れられはしない」


 召喚勇者の所有物たる鳥人ハーピィと同じ……いや、彼女よりも少しだけ色彩が淡い翠緑の瞳を煌めかせて、地に伏す女王を見下しながら──本人にそんなつもりはないのだろうが──冷ややかな笑みを湛えてみせた。


『魔術……イヤ、恩恵ギフトカ! 小賢シイ、真似ヲ……!』

「流石は女王、詳しいね」


 どうやら女王は魔術は勿論の事、恩恵ギフトの存在や効力に対してもある程度の理解をしていた様で、複眼を歪ませつつ悔しげにアドライトを睥睨するも、彼女は何処吹く風とばかりに心にもない称賛を女王に贈る。


「さて……麻痺雷針ストライクの効きも悪くないみたいだし、しばらくは動けないと思うんだけど……まだ、やる?」


 そして、『これで終わりだ』とでも言いたげに再び弩弓を構えたアドライトが、痙攣している様に見える女王に声をかけた。



 ──瞬間。



『──アァ、無論ダ』

「え──」



 突如、小刻みに震えていた女王の身体が静止したかと思えば、戦いが始まる際にアドライトが口にした買い言葉を女王が紡いでみせた事に、珍しく彼女が若干の困惑と動揺を露わにしていたのだが──。



「──っ!? く、あ……っ!?」



 苦悶の表情とともに声を上げたアドライトの左脇腹は、何かで抉り取られたかの様に大きな穴が開いてしまっており、更にはジワジワと侵食するかの如く痛々しい傷口が……いかにもな紫色に変わっていく。


 そんな彼女から少し離れた後ろの方では……数本の木々を貫通して薙ぎ倒していったと思われる、通常の鋭刃蜜蜂シェイドルと同じ程の大きさの針が突き刺さっていた。


 ……この世界にも存在する普通の蜜蜂とは比べ物にならない程に強靭な針を有する雌の鋭刃蜜蜂シェイドルだが、彼女たちは基本的に針での攻撃を行う事は殆どない。


 地球においての蜜蜂と同じ様に、彼女たちもまた針で相手を刺すと内臓という内臓が引っこ抜けて、見るも無残な死を遂げてしまうからであり──。


 そして何より、名前の由来となった鋭利な刃の如き顎で斬り裂いた方が効率が良いからである。


 それでも、命を賭さねば勝てない相手に遭遇してしまった時……或いは、たった今アドライトの目の前にいる女王の指示を受けた時は、その身が確実に散る事を理解したうえで攻撃する事もあるらしかった。


 だが……これは、あくまでも通常の個体の話。


 女王となるべくして産み落とされたその個体は、毒を溜め込む機能を持つ毒嚢どくのうと呼ばれる器官が異常な程に発達しており、一本や二本どころではなく殆ど無尽蔵に有した針を毒嚢どくのうから分泌される圧縮した猛毒を持って、蜘蛛人アラクネの劇毒には劣りこそすれ充分な殺傷力のある毒針を放つ事を可能とする。


 だからこそ女王は今……一瞬で状態を判断して毒針を抜き、その苦痛に端正な表情を歪めつつも決して倒れまいと患部を抑えているアドライトを前にして腹の部分を上げ、まるで蠍の様に針を向けているのだ。


(どうして、あの女王蜂は間違いなく麻痺雷針ストライクの影響で身動きが取れない筈なのに──立ち、上がって)


 一方のアドライトはといえば……決して手を抜いてはいないにも関わらず、つい先程まで地に伏していた筈の女王が立ち上がっている事に驚きを隠せない様子であり、そんな彼女に向けて女王は声……もとい、耳障りな羽音のトーンを心なしか上げてから──。


『ドウシタ? マサカ──魔蟲ガ演技ヲセヌトデモ?』

「……!」


 女王も立派な魔蟲である以上、人族ヒューマン亜人族デミの様に表情が豊かだという訳ではないが、それでも当のアドライトからすれば女王は彼女を嘲る様に笑って……いや、わらっている様にしか見えなかった。


「……瞬時に麻痺雷針ストライクの効力を読み切って……そのうえで麻痺を受けた振りをしてた、って事かな……」

『如何ニモ、ツマリハ──』


 それを見たアドライトは少し冷静になって、『女王に麻痺が効いていない理由』ではなく、『麻痺が効いていると偽る事が出来た理由』を彼女なりに考察して問いかけると、意外にも女王は素直に認め──。



『──ココカラガ本番トイウ事ダ、森人エルフヨ』

「っ、上等、だよ……!」



 先程とは完全に立場が入れ替わってしまった事、そして自分の詰めの甘さを反省しつつ……多少なり回復したとはいえ、それでも彼女を蝕もうとする猛毒によりふらつく身体を何とか起こし、再び臨戦態勢を整えながら第二ラウンドへ突入せんとする。


「「「「……っ」」」」


 ……最早、ウェバリエやアングたちに彼女たちの戦いに口を挟む余裕など何処にもありはしなかった。

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