第203話 樹人の進化先と髪飾りの効果

 一方その頃。


 カリマによる望子の散髪が敢行されて早二日、それまでの五日間と同じ様に魔獣や魔物を撃退したり、次の目的地のヴィンシュ大陸に近づいているからか商船や客船、漁船などと擦れ違ったりと色々あった。


 大陸に近づくにつれて魔獣や魔物が不思議と強くなったり、望子たちの乗る船と比べて擦れ違う船は旧型かと言わんばかりに古く、それでいて物理や魔術に対する耐性だけはしっかりと付与してあったりという事に、一部のメンバーは違和感を感じていたのだが。


 今日も今日とて昼食作りを担当し、全員が綺麗に食べてくれた事に満足げな表情を浮かべた望子は慣れた手つきで後片付けをしてから、一見すると遊びにも似た『とある試み』をカナタとともに実行する。


「み、こ、だよ。 わかる?」

『きゅ〜?』


 それは……彼女たちの中で最も幼く、まともに言葉を扱う事も出来ず『きゅー』という鳴き声しか発せない樹人トレントのキューに、何とかして自分たちの名前を覚えさせたうえで、名前を呼んでもらおうという試み。


 こちらの言葉、或いは指示が伝わっている以上、何をしようとしているのか……延いては自分に何をさせようとしているのかという事は、机の上にちょこんと座るキューにも何となく分かってはいるのだろうが。


「きゅ、じゃなくて、み。 やっぱり、むずかしい?」


 かれこれ数十分くらいか……望む結果が返ってこなくとも、めげずに自分の名前を口にし続けていた望子だったが、『これ以上の無理強いは良くないかも』とでも言いたげな様子で苦笑いを浮かべていた時──。


『……きゅ、きゅい……きぃ……?』

「! うんうん! そんなかんじだよ!」


 望子の小指の爪の大きさ程しかない口をパクパクと動かしていたキューが、自分なりに頑張って『み』を発音しようとしているのが分かった望子は、パァッと表情を明るくして小さな樹人トレントの健闘を称えだす。


「キュー、私の名前は言える? カナタよ、カナタ」


 その一方、『私も私も』と言わんばかりに身を乗り出したカナタが自分を指差しながら言い聞かせる様に名前を連呼すると、キューはふとカナタの方を見て。


『……きゅ? きゅ……きゅあ……きゃ、きゃ〜?』

「お、惜しい……! 良い線いってるわ……!」


 先程の『み』の発音の際に何やらコツでも掴んだのか、『カ』……母音は同じだから『ナ』かも『タ』かもしれないが、とにかく首をかしげながらも頑張って期待に応えようとしているのを見たカナタは、『あと一息よ』とキューに先を促さんとしていた。


「……その子、生まれたばっかりじゃなかった? 流石に言葉を話すのはまだ難しいんじゃない?」


 そんな中、船室に置いてあるソファーに俯せで寝転がってパタパタと尾鰭を動かしていたフィンが、その試みに望子が関与していると分かっていてもなお興味が湧かないらしく、至って平坦な声音とともに無粋と取られても仕方ない様な口を挟んでくる一方。


「そうとも言えないわよ? 樹人トレントは上位種に進化すると確か……えーっと……何て言ったかしら?」


 やんわりとフィンの意見を否定する旨の発言をしたポルネは、葡萄酒の注がれたグラスをクルクルと回しながらキューを見遣り、上位種の名を口にしようとしたらしいが……どうやら思い出せないらしく。


「……神樹人ドライアドだろう?」


 それを見かねたレプターが細剣レイピア軽鎧けいがいの手入れを止めぬままに、実際に遭遇した事はなくとも名前だけは知っていた樹人トレントの上位種……神樹人ドライアドの名を告げた。


「あぁそうそう、それよそれ。 その神樹人ドライアドに進化すると、単なる樹人トレントだった頃とは比べようもないくらいに頭が良くなるって図鑑に書いてあったのよね」


 するとポルネはビシッとレプターを指差し──決して酩酊状態にある訳ではない──ながら……かつてカナタも読んだ事のある、人族ヒューマンが知る限りの亜人族デミの生態が記された図鑑を手に取り、神樹人ドライアドの仔細な生態が書かれたページの内容を偶然にも覚えていたと口にする。


 ……無論、その図鑑は盗品であったが。


 神樹人ドライアドとは……先のポルネやレプターの言葉通りに樹人トレントの上位種に当たる亜人族デミであり、たとえ進化するに至るまでに言語という概念を理解していなかったとしても、進化したその瞬間に口を利き出すのは勿論の事、元より得意としていた植物の操作だけでは飽き足らず、風、水、そして土属性の魔術まで使いこなしてしまう……他と比べても圧倒的に知能の高い種族。


 ……だという事を知っていたカナタが長々と、されど出来るだけ分かりやすく説明したはいいものの。


「ふーん、そうなんだ。 あ、ありがとね」

『……』


 その一方、望子やポルネが『成る程』と頷く中、普段通りだと言ってしまえばそれまでではあるが、彼女の解説を聞いてもなおフィンは特に興味を持てなかった様で、あらかじめ喚び出していた水の分身ドッペルにキッチンまで取りに行かせていた蜂蜜酒ミードを受け取り、至って無表情でゴクゴクと喉を鳴らしていたのだった。


────────────────────────


 そんな風に望子たちが会話に花咲かせていた時、そことは違う船室の扉の前に立っていたハピは、ノックしながら室内に居るのだろう……いや、視えているから居る事は分かっている白衣の少女に声をかける。


「──ねぇローア、ちょっといいかしら」

「……む? 何であるか、ハピ嬢」


 ハピが返事も待たぬうちに扉を開けると……そこでは自分と同じく望子たちの輪に加わらず、人族ヒューマンへの擬態を可能とする魔術である人化ヒューマナイズの触媒の薬などに比べれば安全な薬の調合に勤しんでいたローアが居た。


 ……無論、ここで言う安全とは魔族である彼女にとっての安全というだけであり、望子やカナタ、亜人族デミたちにとって必ずしも安全そうだとは言い切れない為、彼女は別室にて作業する事を強いられている。


 いかにもな色合いの光や煙が室内を占拠し、それをなるだけ眼に入れない様に、間違っても吸ってしまわない様に警戒しながら口を開いたハピは──。


「望子の髪飾り……あれ何処から持ってきたの? 魔術か何かが付与されてるし、魔道具アーティファクトなんでしょう?」

「……あぁ、その事であるか」


 風の邪神の支配を克服し、その力を利用出来る様になってからは透視が可能になっていた為、ここからでも視えている望子の姿を視界に映しつつ、結局ローアが出自を明かさなかった髪飾りについて問いかけた。


 そんなハピの眼に映る望子の髪はカリマの散髪のお陰で、この世界に召喚された時と同じくらいの長さになっており、その髪はローアが贈った……もとい、フライアがヒューゴに預けたものをローアに手渡した薄紫の宝珠の様な髪飾りで一つ結びにされている。


「……お主の見解は間違っておらぬのである。 あれは我輩が手ずからに作製した魔道具アーティファクトでな。 あの宝珠の様な部分に、とある恩恵ギフトを込めているのであるよ」

「……恩恵ギフト? 魔術じゃなくて?」


 するとローアは『あくまでも自身の手製だ』と主張しつつ、かつて望子たちがレプターと初めて出会った時に彼女が持ち出した水晶の様な魔道具アーティファクトと同じく、とある恩恵ギフトが込められているのだと口にしてみせた。


「うむ。 その名を『身代インプレイス』という……授かった者が負った傷を肩代わりする恩恵ギフトである」

「へぇ……悪くなさそうじゃない」


 そして、いかにも怪訝そうな表情とともに疑問の声を上げたハピに対してローアは、おそらくフライアが何処ぞの何某かに無理やり込めさせたのだろう恩恵ギフトの名と効果を伝えると、一方のハピは『成る程ね』と意外にも文句は無いのか満更でも無さそうにしている。


 ……ちなみに恩恵ギフトは、どうやっても神に愛される事のない魔族には付与されず、ゆえに何某かに込めさせたというローアの推測も間違ってはいなかった。


 そんな中、『望子が傷つかないのは良い事だわ』と満足そうにしていたハピの呟きを、真っ向から否定するかの様にローアが首を横に振りつつ口を開き──。


「そう上手くはいかぬ。 身代インプレイスが発動するのは生涯で一度だけであり、おまけに如何なる傷であっても強制的に発動してしまう……自身の命が脅かされる様な傷から、躓いて出来た些細な擦り傷まで幅広く」

「……扱いづらいわね」


 人によっては授かった事を後悔してしまう者も多い恩恵ギフトの中にあって、たった一度の軽傷でさえ消費してしまう身代インプレイスは、ハピの言葉通り扱いづらい恩恵ギフトだと評価せざるを得ない……そう、語ってみせた。


「よって、他と比較しても群を抜いて不遇な恩恵ギフトの一つ……という評価に収まる。 しかしながら──」

「貴女が手を加えた事で……確実な死の回避だけが可能になった、とでも言うつもりかしら?」


 そしてローアがハピの呟きに頷きつつも話を締めくくり、そのままの流れで『何故そんな恩恵を込めたものを望子に手渡したのか』という事について続けようとしたのだが、それを先読みしたハピの言葉が彼女の答えでもあった為、我が意を得たりと首を縦に振る。


 ……それもその筈、ハピの翠緑の瞳にはローアが語ったものとは多少の差異がある身代インプレイスの効果が、ありありと異世界こちらの言語で視えていたからだ。


 無論、一度きりである事に違いはないのだが。


「ちなみに、なのであるが……何故、今その事を?」


 その後、話が一段落ついたタイミングで調合の手を止めてハピの方を振り返ったローアが、『この二日間で聞いてこなかったのは何故か』と尋ねるも、当の彼女は至って無表情のまま首をかしげて──。


「……別に? ただ、『出処が気になっただけ』よ。 貴女と二人になれば正直に話してくれると思ったの」

「……そうであるか。 ならば良いのである」


 何やら含ませる様な言い方とともに高い位置から自分を冷めた瞳で見下ろすハピに対して、ちょうど薬の調合も終わったローアは何かを悟った様に声の調子を落として返答しつつ、ローアが散らかしていた器具を彼女が魔術で作り出した虚数倉庫ニルラソールに無理やり詰め込んでから二人は望子たちの居る部屋に向かう。



 ……彼女たちは銘々、ある事を察していた。



 かたや、魔道具それを何処の誰から受け取ったかを決して話すつもりが無いのだろうという事を。



 かたや、斯様な手段かは分からないが目の前の鳥人ハーピィ魔道具それの出処を看破しているのだろうという事を。

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