第202話 側近からは逃げられない

 あまりにも唐突に室内に出現した魔王の側近デクストラの姿を見た二人は数瞬の間、その表情を驚愕の色に染めて硬直してしまっていたものの、軋む身体を押してフライアがベッドから降りて片膝をついたのを皮切りに、ヒューゴも同じ姿勢でデクストラの前に跪いてみせた。


「──デクストラ、様……何故、こちらに……?」

「えぇ、実は──」


 身体を襲う鈍い痛痒や強い倦怠感とは誘因の異なる苦々しい表情とともに、フライアが俄かに顔を上げて尋ねるも、当のデクストラは先程から浮かべている昏い笑みのまま形の良い唇を開いて語り出す。


 今日、彼女は側近としての役割の一つであるらしい魔王コアノルの身辺の世話──といっても介護ではなく、本来であれば女中メイドが務める様な着替えの補助や私室の整理など──を済ませてから、糧食部隊レーショナーと呼ばれる魔族全体の食糧を管理し、それを調理する部隊の査察に向かおうとしていたとの事。


 糧食部隊レーショナーの本部は魔王城が誇る大食堂──利用するのは魔族だけだが──の近くに位置している為、基本的に食事は執務中に簡単に済ませる彼女は赴く事が無い、下級や中級のひしめく食事処を訪れたらしい。


 荒くれ者の多い下級と、それら程では無いとはいっても下手に力や知恵を持っているだけに厄介者の多い中級……そんな同胞たちを若干の嫌悪感を込めた視線で見遣りながら本部に向かわんとしていた時。


「──その際にですね? 食堂を利用していた下級や中級たちが何やら同じ話題を肴にしていたのですよ」

「……な、何を、でしょうか」


 人族ヒューマンを遥かに上回る感覚を持つ彼女の聴覚は、あれだけの数がいるにも関わらず何故か似た様な話で持ちきりだった彼らに違和感を覚えたらしかった。


 ……フライアもヒューゴも、この後デクストラが何を口走るのかは殆ど確信があったが、それでも相槌を打たずにはいられない為、おずおずと声を発する。


 するとデクストラは随分と満足げに頷いて──。


「えぇ、私も気になったので尋ねてみたのです。 要約すると……『襤褸ぼろ切れの様になった上級を中級が横抱きで運んでいた』……とか、そんな話でしたね」

「「……っ」」


 普段は決して現れない側近の姿が食堂にある事に下級、中級たちは萎縮しつつも自分たちが何を話題にしていたかを簡潔に話した……という旨を聞いたフライアとヒューゴは思わず揃って息を呑んでしまう。


 ……身に覚えが、ありすぎたから。


「もしやと思って嫌々ながら研究部隊リサーチャーに確認をしたところ……フライア、貴女を観測部隊ゲイザー所属の中級が引き取りに来たとの事だった、と。 ですよね? ヒューゴ」

「……はい。 その通りです」


 その後、ローガンが主任を務める『研究部隊リサーチャー』という名を口にする際、渋面を微塵も隠そうとしないデクストラが副主任たるウィロウに確認をとった事実を告げた事により、ヒューゴは粛々と頭を下げた。


 ちなみに、デクストラが一方的に嫌っている訳ではなく、ローガンを左遷に近い形で異動させた彼女の事を研究部隊リサーチャーも快く思っていない為、まるで戦場かの様な一触即発の空気が流れていた事を二人は知らない。


「それで? 先程の私の質問には答えていただけないのでしょうか? 何を話していたのか、という質問には」

「っ、それ、は……」


 デクストラが薄紫の双眸を妖しく光らせながら二人を睥睨した事により、明確に格下である中級のヒューゴはおろか、研究部隊リサーチャーの実験の影響で多少なり力は削られたものの同じ上級である筈のフライアでさえ、慄きの感情が全身を支配し、身体を震わせてしまう。


 そして、デクストラは遂に核心を突かんばかりに。


『まさかとは思いますが……魔族を、延いてはコアノル様を裏切る様な話では、ありませんよね?』


 かつてのルニア王国王都サニルニアの王城にて繰り広げられた、魔王軍幹部筆頭と亜人ぬいぐるみたちの戦いの際にラスガルドが行使したものと同じ闇寧快楽ダクエピクルという、たとえ相手が魔族であっても対象の良心に訴えかける事の出来る魔術を行使して二人の口を割ろうとした。



 ……訳では無い。



 彼女は単に自身の放つ透き通る様な声に魔力を乗せて、フライアとヒューゴを同時に威圧しているだけ。



 ──『真に力を持つ者の言葉は、時に武具や魔術をも超える凶暴な力となる』──。



 ……それもまた、かつてラスガルドが亜人ぬいぐるみたちに対して口にしたものである事を三人は知る由も無い。


(迂闊だった……! あの時、ローガン様からも忠告されていたというのに……!)


 そして、『魔術を行使されてはいない』という事を理解しているからこそヒューゴは改めてデクストラの脅威を強く感じ取り、それと同時にローガンとの密会の際、彼女からの『デクストラには決して気取られぬ様に』という忠告を思い返して歯噛みしていた。


 ……彼は決してローガンからの忠告を忘れていた訳でも無ければ、故意に無視していた訳でも無い。


 ただ、上級未満の同胞を疎う傾向にあると分かっていたデクストラが運悪く食堂を訪れて下級や中級と接触し、主任であるローガンを異動させ、本部を城の隅に追いやる程に嫌っている研究部隊リサーチャーにまで顔を出すとは思いもしなかった、というだけなのだ。


「……デクストラ様、発言の許可をいただけますか」


 ヒューゴが自身の不甲斐なさや詰めの甘さを悔いていた中で、唐突に顔を上げたフライアが直属の上司であるデクストラに対して控えめに声をかけると、当のデクストラはゆっくりと顔を彼女の方へ向けて──。



「えぇ、構いませんよ。 私にの失望をさせようとしている貴女が何をさえずるのか、とても楽しみです」



 くらく、くらく、くらく……どこまでもくらい笑みを浮かべたまま細めた薄紫の瞳でフライアを射抜き、二度目という部分を極端なまでに強調しつつ先を促した。


「……彼が、ヒューゴが私に語ろうとしたのは『城を抜け出し自由の身に』という、魔王様に生み出していただいた身でありながら……極めて愚かな提案です」

「ふ、フライア……」


 フライアは『二度目の失望』という言葉の重みに押し潰されかけながらも、長年の付き合いであるところの彼が口にしようとしていた事を解し、一方のヒューゴは思考を読まれた事もそうだが、『極めて愚か』だと切って捨てられた事にも唖然としてしまう。


 ……魔王の側近デクストラの前だから、と分かってはいても。


「えぇ、全くその通りですね。 ましてや貴方は、コアノル様から直々に勇者様の監視役を仰せつかっているというのに。 一体どういう腹積りで──」


 そんなフライアの独白を耳にしたデクストラはというと、彼女が虚偽の発言をしている訳では無いと見抜いたうえで、コアノルが自身の持つ絶対の権限で異動させた事を彼自身が誉れと思っていないかの様な言動をした為に、ヒューゴを糾弾せんとしたものの──。


「しかし! それも元を辿れば、私がミコ様を──」

「!? フライア! それは……!」


 次の瞬間、覚悟を決めたフライアが……先程ヒューゴに対して口にした『ミコ様を害したくない』という想いをデクストラに宣言しようとしたのを察したのだろう、ヒューゴは彼女を制止するべく声を荒げた。


「……何ですか? まさか貴女もコアノル様やローガンと同じく、あの小さなに魅入られたとでも?」

「……」


 その時、魔王軍で最も聡明であるがゆえに、二人の妙なやりとりから色々と理解してしまったデクストラが、敬愛する魔王と軽蔑する研究者の名を口にしながら敬称を付ける事も忘れて尋ねると、フライアは首を縦にも横にも振らず……無言を持って答えてみせる。


 ……それが全てを物語っていた。


「……フライア。 言っておきますが、あの勇者は既にコアノル様の物。 どう足掻いても貴女の物には──」

「ち、違います! 私は……!」


 その後、呆れて物も言えないとばかりに深い溜息をついたデクストラが、『召喚勇者あれは既に妾のもの』という旨の荒々しい警告をしてきたコアノルの姿を脳裏に浮かべつつフライアを睥睨する一方、当の彼女は先程と対照的に首を必死に横に振って否定する。


 ……それもその筈、どちらかといえば『望子に危険な目に遭ってほしくない』という、聖女カナタに近い思想をフライアはいだいていたのだから。


「とにかくです。 最早、廃棄物として扱おうと考えていた貴女が解放されたというなら、それはそれで都合が良い。 フライア、貴女には新たな任を与えます」

「……っ、はい」


 しかし、そんな彼女の思想など知った事ではないという様に冷めた視線を向けて、研究部隊に引き渡した時点で無事に戻っては来ないだろうと決めつけていたらしいデクストラが、『儲け物ですね』とでも言いたげにフライアに対して最後の機会チャンスを与えんとする。


 ……無論、デクストラに仕えていたフライアとしては必要以上の抵抗など無駄な行為だという事は分かりきっていた為、首を縦に振らざるを得なかった。


「いいですか? 今、勇者一行はヴィンシュ大陸へと向かっています。 そこには三幹部の一角であるイグノールがいますが……私には一つ懸念があるのですよ」

「懸念……ですか?」


 そんな折、デクストラはヒューゴから受けた報告の一つである勇者一行の次なる目的地たるヴィンシュ大陸の名を挙げ、そこには『生ける災害リビングカラミティ』が居ると告げたうえでなお懸念があり、それこそが彼女に与える任に繋がるのだと暗に示した事で、フライアは神妙な表情と声音でおずおずと問いかける。


「えぇ、それは──」


 そしてデクストラは薄紫の双眸をゆっくりと閉じてから息を吸い……瞳と口を同時に開いて語り出した。



 『召喚勇者』と『魔王軍幹部』についての懸念を。



「──え? そっ……そんな事が起こりうるのでしょうか? いえ、疑う訳では、ありません。 前例もありますから……しかし、あの方に限って……」


 一方、デクストラがいだいている懸念を聞いたフライアはといえば、彼女自身もまた聡明であるがゆえ、デクストラが口にした『とある推論』を信じ難く感じていたが、魔王軍随一の頭脳を誇る彼女が無用な推測を立てる筈も無いと判断し、声を溶暗させていく。


「そう思うのも無理はないでしょうね。 しかし……それが『勇者』という存在なのです。 我々の常識に当てはまると考える方が間違いなのですよ、フライア」

「は、はぁ……成る、程……?」


 あまりに困惑が表に出過ぎているフライアの声に対してデクストラは、『貴女の言わんとしている事は分かります』とでも言いたげに若干だが彼女に同意する様子を見せてから、首を横に振りつつ『勇者』という『魔王』と表裏一体の並外れた存在についての認識を語るも、フライアは今一つ要領を得ていなかった。


「さて……理解は出来ましたね? では今すぐに向かいなさい。 ヒューゴ、貴方も一旦ミコ様の監視役を外れてもらいます。 フライアの支援を任せますから」

「!? よ、よろしいのですか……!?」


 その後、『話は終わりだ』と言わんばかりに再び二人を睥睨したデクストラが、チラリとヒューゴを見遣ってから勇者の監視役の一旦の解任と、隣に跪くフライアのサポートという新たな任を与えられた事で、てっきり今この場で処分されるものだと踏み、多少なり覚悟を決めていた彼は思わず目を見開いてしまう。


「貴方は仮にもコアノル様が目を掛けた存在、ここで使い捨てるには惜しいのですよ。 今回の件、貴方の働き次第では不問とします。 いいですね?」

「……は、はい。 ありがとう、ございます」


 しかし、そんな彼の驚愕と困惑……少しばかりの歓喜が入り混じった声とは裏腹に、冷静で冷徹な声音のままデクストラが『あくまでもコアノル様の眼が曇っているとは思われたくないからです』とでも言わんばかりの高圧的な態度で彼の同行を許可した事で、ヒューゴからは歓喜の感情が消え去った声が漏れていた。


「では、私はこれで。 今後は一切、先程の様な考えなど持たぬ様にして下さいね──命が惜しいのなら」

「「……はっ」」


 そしてデクストラは漸くきびすを返してヒューゴの自室を後にしようとしたが、突然ピタッと足を止めたかと思えば、その整った顔だけを未だ片膝をついた状態の二人に向けて脅迫じみた発言をした事で、二人は背筋が凍りつく様な畏怖を感じ、息を揃えて返事する。


「……すまない、フライア。 僕が──」

「いいえ、貴方に非は無いわ。 私が解放されていなければ、どのみち他の誰かが任に就いてたでしょうし」


 おそらく転移の魔術を行使して室内に侵入したデクストラが普通に扉から退室した後、ガクッと身体を崩れさせかけたフライアをベッドまで支えたヒューゴが申し訳無さそうに謝意を示すも、当のフライアは疲弊しきった表情のまま首を横に振り、結局は同じ事だと彼を気遣う様な言葉を紡いでみせていた。


「僕も精一杯、貴女に力を貸すよ。 ともに頑張ろう」

「……えぇ、そうね」


 それを理解出来たからこそヒューゴは改めてフライアの力になる事を強く決意し、一方のフライアは決して明るいとは言えない表情と声音を露わにした。


 結局、勇者ミコ様を害する事になってしまった自分への憤りと、もう一度あの愛らしい勇者に出会い、改めて礼を述べる事が出来るかもしれないという期待。


 あまりに対照的な感情を脳内で繰り広げながら。

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