第201話 上級魔族の引き渡し
──所変わって。
他二つと比べて小規模なヴィンシュ大陸を遥かに上回り、ガナシア大陸に迫ろうかという規模を誇る魔族領の中心部に建てられた……禍々しくも荘厳な魔王城の長い廊下を足早に歩いているのは中級の青年魔族。
……彼の名はヒューゴ。
そして数日前に敢行した、望子と行動をともにしている上級魔族のローア……もといローガンとの密会を経て、彼女が主任を務める
(ここが
無駄に堅牢な造りの鉄扉から僅かに漏れ出る様々な色の可視光に、ヒューゴは怪訝そうな表情で薄紫の双眸を細めながらも至ってシンプルな造形のドアノッカーを叩いて、部屋の中にひしめいているのだろう自分を遥かに超える
『──ん? どちら様で?』
「っ!」
すると、彼の目当てである上級魔族……フライアのそれにも似たハスキーな女声が返ってきた事にヒューゴは多少なり驚いたが、ふるふると首を横に振って気を取り直してから覚悟を決めて──。
「……
「──おぉ! 貴方がローガン様が仰っていた、
彼が所属と名前を口にしようとした瞬間、中からバタバタと忙しない足音が聞こえてきたかと思えば、薄紫の双眸の下に濃い隈を作り、身嗜みに全く気を遣っていないと分かるボサボサの緑色の髪が特徴的な女性魔族が、心からの笑顔とともに彼を出迎えた。
彼女はウィロウという名の上級魔族であり、ローガンを尊敬して止まない
「え……えぇ、その通りです。 それで……フライア様は今どちらに? すぐにでも引き取りたいのですが」
そんな彼女の勢いにヒューゴは引き気味な様子を見せつつ、『仮にも上級をあれ呼ばわりか』と少しだけ不機嫌な様子を表に出しかけていたが、おそらく同じ上級であるフライアが万全の状態であったとしても敵わないだろうと踏んでいた為、それを口にはしない。
……そして、それは紛れもない事実だった。
「えぇ勿論──誰でもいいから、
「……っ、は、はい。 ありがとうございます……」
一方、ヒューゴからの用件を聞いたウィロウはボサボサの髪を揺らして振り返り、部下……或いは同僚だろう、彼女と同じ白衣を着た他の魔族たちに声をかけてフライアを連れてくる様に指示を出し、ヒューゴはフライアを気に掛けながらも素直に礼を述べる。
その後、ウィロウはヒューゴに対して今のローガンの容姿や動向に関する質問攻めを敢行し……結局フライアが連れて来られるまでの間、ヒューゴは彼女の狂気的な笑みとともに投げかけられる質問に答えるだけの、永久とも思える時間を過ごさざるを得なかった。
「──副主任! 連れてきましたよー!」
「っ! ふ、フライ──あ……?」
そんな折、全く途切れる事の無い彼女からの質疑応答に疲弊しきっていたヒューゴにとって、救いとも取れる内容の声とともに、どうやらウィロウの部下らしい魔族が連れて……いや、
「ありがとう。 では、
……濃い緑色の囚人服の様なものを着せられたうえに、痩せ細った腕や足のところどころには解剖か何かを施されたのだろう縫合の跡があり、高貴ささえ漂わせていた表情からは既に生気すらも感じられない、無機質な台車に載せられた上級魔族、フライアだった。
(……仮にも同胞に対して、この所業を……?)
かつて……いや、今この瞬間でさえも実の姉の様に慕っている彼女のボロ雑巾の様な姿を見て、正直に言えばヒューゴは怒りを覚えずにはいられなかった。
「あぁ、そういえば……解剖や投薬の結果、
……しかし、
「……っ、は、はい、構いません。 失礼、します」
ゆえに彼は、フライアが寝かされた台車の傍にしゃがみ込み、そっと彼女の軽い……異常な程に軽い身体を横抱きにしてから、あれだのこれだのとフライアを指示代名詞で呼ぶウィロウに恭しく頭を下げて、決して揺らさない様に
────────────────────────
その後しばらくして、性別、体格、級位……すれ違う多種多様な同胞たちに奇異のこもった視線でみられながらも、ゆっくりとした足取りで廊下を進んでいた彼が自室の扉の前まで辿り着いたその時──。
「──ぅ、うぅ……っ」
「!」
それまでヒューゴの腕の中で意識を完全に手放していた筈のフライアが、小さく苦しげに呻いたのを聞き逃さなかった彼はバッと顔を下げて彼女を見遣る。
「フライア? 私が──いや、僕が分かるかい?」
「……ひゅ、ヒューゴ……? どうして、貴方が……」
ゆっくりと……そして、うっすらと薄紫の窪んだ双眸を開けたフライアに対し、いつも彼女と二人で話す時にのみ使う一人称とともに声をかけると、フライアは起き抜けでも彼を判別する事が出来た様だった。
「……勇者様と行動をともにしているローガン様に話を持ち掛けて、貴女を
彼女の弱々しい声で投げかけてきた
「……私は、デクストラ様からの
あくまでもフライアは、敬愛する魔王の側近から与えられた任務を遂行出来なかった自分が悪い、有り難迷惑だと主張するも、それが強がりだという事は彼女の身体から伝わる僅かな震えからも感じ取れた。
「……勝手な事をしてすまない。 ただ、どうしても見過ごせなかったんだ。 これ以上、貴女が
だからこそヒューゴは彼女を自分のベッドに優しく横たわらせながら、ただひたすらに意欲を満たす為に同胞の身体すら実験台として扱う
「……生意気ね」
それを見たフライアはといえば、少しだけ……ほんの少しだけ嬉しそうな表情で微笑みつつも、『弟の癖に』と言わんばかりに彼の髪をくしゃっと撫でた。
しばらくの後、痩せ細ってしまった彼女でも食む事の出来そうな……病人食にも近い食事をヒューゴが用意し、それをフライアに少しずつ食べさせていた時。
「ねぇ、本当に……
「え……あ、あぁ。 ローガン様にお渡ししたよ。 『勇者様に宛てられた物です』と伝えてね」
麦粥の様なものをゆっくりと喉に流し込みつつ、フライアは自分が所持していた薄紫の
「そう……なら、大丈夫かしら──ねぇヒューゴ?」
「っ? 何、かな」
そんな彼の笑顔を見たフライアがホッと息をついたかと思うと、何の前触れもなく真剣な表情を湛えてヒューゴを見上げてきた為に、彼は少しばかり驚きつつも手を止めて彼女の二の句を待つ事にした。
「私、もう……あの子を、ミコ様を害する気にはなれないの。 たとえ、デクストラ様からの
「……フライア」
するとフライアは、ヒューゴの自室に取り付けられた窓の外に映る……どこまでも、どこまでも暗い常闇を見つめながら、『デクストラ様への忠誠は無くなっていないのにね』と自らを嘲ける様に笑っている。
デクストラからの
……ローガンを筆頭とした
そんな彼女との付き合いが長いヒューゴは、何となくフライアの考えている事を理解したうえで……とある一つの決意を固め、彼女に向けて口を
「……フライア。 もし……もし貴女が望むなら、僕は貴女と一緒に
彼はフライアに向けて、『旅立とう』、或いは『抜け出そう』とでも言おうとしたのかもしれない。
……だが、その時。
「随分と面白そうな話をしていますね」
「「──!?」」
あまりにも突然かけられた……ヒューゴとフライアの身体中の魔力を全て揺らすかの様な力を持ちながらも、
……そこには。
「私にも聞かせてもらえませんか? ヒューゴ、貴方が今……一体、何を彼女に提案しようとしたのかを」
未来の支配者たる魔王コアノルの側近でありながらにして、自らもまた支配者然とした気配を纏い、魔族特有の昏い昏い笑みを湛えて首をかしげる──。
──デクストラの姿があった。
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