第198話 数ヶ月も経てば

 望子がレプターにスカーフを返してから早四日。


 初日に起こった様な騒動トラブル──誰かさんたちが机を壊したり、海の中から強力な魔物が襲ってきたり──があった訳でもなく、比較的平穏な船旅が出来ていた。


 ……無論、さして強力ではない魔獣の襲撃や、規模の小さな荒天に見舞われたりはしたものの、水中主義アクアプリンシパル魔中豪雨マナスコールを乗り越えた望子たちにとっては大した障害にもならず、一行にも船にも負傷及び損傷は無い。


 ──そんな昼下がり。


 今日の昼食は、朝食が野菜中心だったという事もあり、リフィユざんで狩った鹿肉を薄切りにして、魚醤ガルム基底ベースとしたソースをかけた、所謂ソテーの様な料理。


 今日の担当は望子ではなくカナタだったが、それでもウルたちが何の文句も言わずに食べているところを見るに、味に関しては特に問題ないらしかった。


「──で、後どれくらいで着くんだ?」


 そんな中、同じく薄切りにしたバゲットに肉を乗せたものをウルがモグモグと咀嚼しながら、次の目的地であるヴィンシュ大陸への到着予定日を尋ねる。


「アタシは十日ぐれェかかると踏ンでたが……この感じだと、ポルネの予想の方が合ってそうだなァ」

「確か……あー、七日? だったっけ」


 それを受けて真っ先に反応したのは数日前に予想を立てていたカリマであり、彼女が低く唸って自分の予想は外れたらしい事を若干だが悔しがっていると、フィンはそれを何とか思い返してポルネに話を振った。


「えぇ、多分ね。 勿論、余計な横槍が入らない事を前提とした予想……なのだけれど」


 一方、ポルネはまだ昼間だという事もあってか酒を呑むのは控えており、味の濃い肉料理に合う柑橘系の果汁ジュースを嗜みながら頷くも、初日に遭遇した不定形の魔物を脳裏に浮かべて、苦笑しつつ答えてみせる。


「横槍って……大陸に近づけば近づく程、魔物や魔獣って減っていくん……じゃないのかしら?」


 その時、大陸……というより人族や亜人族が住む場所に近づいたのなら、その者たちが安全を期す為に魔獣や魔物を退けているのでは……と考えたハピが、ポルネと同じ果汁ジュースを呑みつつ首をかしげた。


「いや、そうでもないのである。 ハピ嬢の意見も尤もなのであるが……今はイグノールの影響もあって魔物や魔獣の動きが活発になっている筈。 最悪の場合、港にさえ出没していると考えておくべきであろうな」


 しかし、そんな彼女の意見は一行の中で唯一酒を呑んでいたローアによって否定されてしまい、大陸中で暴れている魔王軍幹部に便乗した魔物や魔獣がいてもおかしくない、と全員に警告する様に伝える。


 ……ローアの言い分自体は何も間違っていない。


「……結局、そのイグノールとやらがヴィンシュ大陸にいるというのは確定なのか? この間は『これは推測に過ぎぬのであるが』と前置きしていただろうに」

『きゅー?』


 だが、キューが飲む為の水を注ぎ直していたレプターは彼女の言葉に強い違和感を覚えており、いつの間に推測が確信へと変わったのか……という旨の疑念を眉根を寄せつつ白衣の褐色少女へ問いかけた。


 彼女の推測が確信に変わった理由としては、数日前の深夜に彼女が密会していた中級魔族ヒューゴによって確実な情報を得る事が出来ていたから……なのだが。


「あー……まぁ、先程も申したのであるが、あくまでも『考えておくべき』だという程度であって……確定した情報ではないゆえ気にしないでほしいのである」

「……ふむ、ならいいが」


 とはいえ、この場でそれを口にする訳にもいかないローアが褐色の頬を掻きながら誤魔化す為にと空笑いを浮かべると、レプターは納得した様なそうでない様な……そんなむっつりとした表情で頷いてみせる。

 

 ……この時、全員がある程度の納得した様子を見せる中、ハピだけは妖しく光る翠緑の瞳でローアをめ付けていたのだが……彼女はそれに気づいていない。


「ん〜……う〜ん」


 その一方、これまでの会話に加わってこなかった望子が、何かに引っかかりを感じているらしく、結んでいない黒髪を梳きながら唸っており──。


「……どうしたの? 味、変だったかしら……?」

「あ、うぅん! ちがうの、ちょっと……かみが、ながいかなぁ、きったほうがいいかなぁって……」


 ひょっとすると、自分よりも遥かに料理巧者である望子の舌には合わなかったのではと考えたカナタが申し訳なさそうに声をかけるも、望子はすぐに慌てた様子でそれを否定し、気になっていたのは自分の髪が随分と長くなってしまった事だと明かしてみせた。


「そういや異世界こっちに来てから一回も切ってねぇんじゃねぇか? なぁミコ、前に切ったのはいつだ?」

「えっと……なつやすみがおわるひ、だったかな。 おかあさんがきってくれたの」


 そんなウルの何気ない質問に対し、この世界には無い夏休みという概念を持ち出しつつ、『ちょきちょきーって』と可愛らしい動作とともに答えた望子に、ウルたちは勿論、カナタでさえもときめいてしまう。


「……ミコ様がこちらへ来られてから数ヶ月が経過している筈ですし……そろそろ散髪された方が良いでしょうね。 その長さもお似合いではあるのですが」


 その時、気を取り直すべく大袈裟に咳払いをしたレプターが、『ミコ様たちに初めて出会ってから随分と時間が経っているのだな』と脳内で独り言ちつつ、今の長さも悪くないと告げたうえで理髪を提案する。


「じゃあ、あたしが──って言いてぇとこだが、流石に髪は……ちょっと責任持てねぇな」

「私も少し……ね。 してあげたいのは山々だけど」

「ボクがやったらヤバい事になりそうだし、ここだけは譲ろうかな。 誰か出来ない?」


 それを聞いた三人の亜人ぬいぐるみたちはというと、いつもは率先して望子の世話を焼いたり、役に立とうとしているにも関わらず今回ばかりはと辞退し、彼女たちを代表してフィンが他の者たちに委ねてきた。


「……私は部下に頼んでいたからな……いや、そもそも私の様な者がミコ様の艶やかな御髪おぐしを切ってしまうなどと……そんな事が出来よう筈もない」

「私も王宮で専門の人に切ってもらってたから……自信はないかな。 キューは言わずもがなだし」

『きゅ?』


 しかし、お世辞にも細かい作業が得意とは言えないレプターが二つの理由とともにウルたちと同じく断る姿勢を見せる一方、望子には劣るとはいえ手先が器用なカナタも人の散髪はした事がないらしく、散髪とは無縁だろうキューも含めてやんわりと拒否する。


「では、僭越ながら我輩が──」


 そんな中、唯一やる気に満ち満ちていたローアが薄い胸を張りつつ、薄紫の双眸をキラキラと輝かせて立候補せんと息巻いていたはいいのだが──。


「てめぇは引っ込んでろ」

「切った髪とか集めそう」

「……」


 ……残念ながら、彼女の邪念などお見通しだと言わんばかりの口ぶりを見せたウルとフィンによって、ローアの立候補はサラッと却下されてしまい、ここで食い下がっても意味は無さそうだと判断した彼女は、大人しく肉をむ事を選ばざるを得なかった。


「──なら、アタシが切ってやろうか? こう見えても、ポルネの髪もアタシが切ってたンだぜ?」

「え、貴女が……? 大丈夫なの?」


 その時、いきなり会話に入ってきたカリマが、ブチッと肉を噛みちぎって咀嚼しつつローアに次いで立候補するも、正直に言えば不安で仕方がないハピは眉根を寄せて、カリマ……ではなく相方ポルネに問いかける。


「えぇ。 信じられないかもだけど……ほら、刃物の扱いが武技アーツで慣れてるからかしら。 鋏使いも割と上手いのよ、この。 任せてみてもいいと思うわ」


 だが、彼女の心配をよそにポルネは笑みを浮かべており、ハピの不安は尤もだと肯定したうえで、『大丈夫よ』と薄紅色の髪を見せつける様に指で梳いた。


「そっか……いかさん、おねがいしていい?」

「お、おォ! 任せとけって!」


 そして、色々とあったものの結局はカリマに託されたのだと何となく理解出来た望子は、同じ高さの椅子に座っている兼ね合いもあって図らずも上目遣いで頼み込み、それを見たカリマは一瞬ドキッとしてしまったが、すぐに気を取り直して承諾したのだった。


「ねぇ、ほんと……頼むからね」

「お、おォ……任せとけって」


 ……レプターやカナタが、『折角だから私もやってもらおうかな』などと口にする一方で、フィンによる脅迫めいたそんな場面シーンも見え隠れしてはいたのだが。

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