第199話 濡れ羽色の髪を

 昼食後、善は急げとばかりにカリマが早速の散髪を提案し、それを望子が受け入れた事で『後片付けは任せて』と口にしたカナタと、そんな彼女を手伝う為にくっついていったキューが食器を洗いに向かう中、カリマは少し高めの椅子と大きめの布を用意する。


「そんじゃあ切ってくけどよ、長さはどうする? アタシとしては……短いのも似合うたァ思うが」

「うーん、どうしようかなぁ」


 その布を顔だけが出る様に羽織り、高めの椅子に座って漸くカリマの身長の半分に届くかどうかという状態の望子に対し、どれくらい切ろうかと彼女が尋ねると、望子は少し上を向き、目を閉じて思案を始めた。


 専門店に行かないのならば浴室などの水場で行うのが常なのだろうが、濡らす、洗う、乾かすといった作業は全てフィンがいつでもどこでも行える事から、皿洗い中のカナタとキューを除いた全員が、見学しつつも意見を出せる広い一室で理髪する事に。


 ……全員といったが正確にはハピとポルネはこの場に居合わせておらず、ハピは甲板にて風で操舵を、ポルネは見張り兼ハピの話し相手を担っている。


「あんまり短くしちゃうのはなー。 ある程度の長さがあった方が可愛いと思うんだよね、みこは」

「うむうむ、我輩も同意見である。 まぁ、短髪のミコ嬢に興味が無いかと言われると……難儀であるなぁ」


 望子が髪の長さをどうするかと悩んでいる中、フィンが椅子を三つ並べて俯せに寝転がった姿勢で『そんなに切らない方が良い』との意見を出すと、部屋の端の方で解剖……もとい解体用の道具の整備メンテナンスをしていたローアは彼女に同意しながらも、『短いのも見てみたい』と可愛らしく唸りつつ意見を述べた。


「でもよ、結ぶのに使ってたあのリボン……いや、スカーフだったか? あれはもうレプに返しちまったんだろ? だったら短くした方がいいんじゃねぇか」

「そっか……そうかもね」


 しかし、そんな二人の意見に対してウルは椅子の上で胡座を掻きながら、望子がレプターにスカーフを返した四日間、自分の髪の長さに若干の鬱陶しさを感じていた望子を見ていた事から、『いっそ短くしちまった方が』と望子の為を思って意見を口にする。


 それを聞いていた望子が少しだけ物悲しそうな表情を浮かべて同意し、カリマの方を振り返って『ちょっとみじかめに』とお願いしようとしたのだが。


「……ミコ様。 何でしたら今一度こちらを──」


 その時、『どんな髪型でもお似合いかとは思いますが』と全肯定の意を示したうえで望子の表情を見たレプターは、もしかして短くしたくはないのではと考えて、改めてスカーフを望子に手渡さんとする。


「──うぅん、だめだよ。 おとうさんやおかあさんからもらっただいじなものなんでしょ?」

「そ、そうですよね……申し訳ありません」


 だが、そんな彼女に対して望子が表情を真剣なものへと切り替え、はしたものの『とかげさんがもってなきゃだめだよ』と諭した事で、そこまで付き合いが長い訳でもない彼女であっても、望子が『親』という存在をいかに大切に思っているかを理解出来た。


 だからこそレプターは、『差し出がましい真似を致しました』と口にして、スカーフを差し出していた腕を引っ込め大人しく椅子に座り直していたのだった。


 ……結局、長さをどうするべきかという話に答えは出ず、未だにガヤガヤと騒ぎながら議論する亜人族デミたちをよそに、カリマは望子の頭にポンと手を置いて。


「ま、取り敢えず切ってくか。 逐一、確認はするからよォ。 じゃあまずは──頼むぜ?」


 『調整しながら切りゃいいンだろ』と脳内で結論づけてから、十本の青白い足のうち二つを手元へ持ってきたかと思えば、それらを次第に手頃な大きさの鋏の形へ変化させつつフィンに声をかける。


「ん? あぁはいはい。 みこ、冷たかったら言ってね」

「うん──うん、だいじょうぶ」


 すると、その声に反応したフィンは小さな水玉をいくつか浮かべて、なるだけカリマが切りやすくなる様に望子の黒髪にそっと水玉を触れさせて濡らした……というより、しっとりと湿らせた。


「ッし、それじゃあ整えてくぜ。 切った髪が目ェ入るかもだから、開けていいッて言うまで閉じてろよ?」

「うん、おねがいね……」


 その後、望子の髪が満遍なく湿ったのを確認したカリマは、『いよいよだな』とばかりに鋏と化した足をチョキチョキと動かしながら元犯罪者とは思えない気遣いを見せ、一方の望子はこくんと頷き目を閉じる。


 そしてカリマは片手に持った木製の櫛を艶々とした黒髪に通しつつ、漸く散髪を始めたのだった。


「……ほぅ、本当に手慣れているんだな」


 ……調整しながらという事を前提としている為、そこまでの量を切っている訳ではないものの、その手つきは専業かと見紛う程にスムーズかつ丁寧であり、かつて自分の髪を整えてくれていた部下よりも上手かもしれない……とレプターは感心する様子を見せる。


「折角だしボクも切ってもらおっかなー。 みこと同じくらいの長さに──あれ?」

「ん? どうした」


 そんな中、どうやらこのまま任せても大丈夫そうだと判断したフィンが空色の髪を指で梳きながら『みことお揃いが良いなー』と呟いていたのだが、何故か途中で言葉を止めて首をかしげ始めた事にウルがいち早く気がつき、何の気なしに声をかけてきた。


 それに反応したフィンは、『んー?』と唸りつつ腕組みをしてから、自分がいだいている疑念を言葉にする必要があると踏んだのか、ふいっとウルの方を向く。


「……ねぇウル。 キミの髪……いや、毛? どっちでもいいけど……この身体になってから──伸びてる?」

「? そりゃあ──あ?」


 そして、彼女としては珍しい極めて真剣な表情とともに告げられた疑問に、『そりゃあそうだろ』と答えようとして朱色がかった自分の短髪に触れたが。


「……そういや、短いままじゃねぇか」


 よくよく考えれば、同じタイミングで異世界に来た筈の望子の髪が長くなっているのに、自分は未だに短髪のままだという事に気がつき、呆然としてしまう。


「……確かに、貴女たちの髪は初めて出会った時から変わっていない様に見えるな。 ハピもそうだが」


 更に、この中ではローアより先に彼女たちに出会っているレプターも、ここにはいないハピも含めて髪型に全く変化が無い事に違和感を覚えていた。


 ウル、フィン、そしてレプターの三人が、『どういう事だ』とばかりに腕組みをし、俯きながら思案していると、漸く整備メンテナンスを終えたローアが口を挟み──。


「これはあくまで推測に過ぎぬが……お主らはレプ嬢やカリマ嬢たちと違い元が人形パペットゆえ、髪や爪といった部位に変化が無いのかもしれぬな」


 『外的要因を除けば』と付け加えた彼女の言いたい事とはつまり、望子の力でぬいぐるみになれるレプターたちと異なり、元々が無機物ぬいぐるみのウルたちは、本来であれば身体の成長とは別に伸びていく筈の髪や爪に変化が起きないのかもしれない、との事だった。


 ちなみに、ここで言う外的要因とはハピに変化を発生させた……風の邪神の力などの事を指すらしい。


「……じゃあ、あたしらは進化とやらは出来ねぇんじゃねぇのか? レプたちみてぇによ」

「それは……いや、我輩にも分から──」


 一方、彼女の推論を間に受けたウルが、望子の力で上位種に進化したレプターやカリマたちを例に挙げながらも、同じく望子の力を受けている筈の今の自分たちに変化が無いという事は……と眉根を寄せる。


 とはいえ、ローアは聡明ではあっても全知全能ではない為、彼女にも分からない事はある。


 ……ゆえに、首をゆっくりと横に振ろうとした。


「──ッし、開けていいぜ。 どうだ、まだ切るか?」

「えーっと……うーん……」


 その時、ちょうどこの世界に来たばかりの頃の長さくらいまで切ったカリマが、望子に確認させるべく刮眼の許可を出すと、望子はゆっくり目を開けて多少なり短くなった髪を左右に揺らしたのだが。


「……りぼんがなくて、むすべないから……うん、もうちょっときってもらって──」


 今の自分にはもう髪を纏める為のリボンは無く、残念ながら代替も利かない為、溜息にも似たそれを軽く吐いてから後少しばかりの理髪を頼もうとする。


「──っと。 ウル嬢、すまぬが話は後で」

「はっ? おい──」


 そんな折、ローアが突然ウルとの会話を切り上げたかと思えば、スッと椅子から降りて望子やカリマの方へと歩いていき、それを見たウルは呆気に取られつつも手を伸ばしたが……時既に遅し。


「ミコ嬢、これを受け取ってもらいたいのである」

「ろーちゃん? これって……」


 気づけばローアは望子の傍まで近寄っていただけでなく、望子に対して薄紫色に妖しく光る何かが縫い付けられたシュシュの様なものを差し出していた。


「見ての通り……髪飾りであるよ。 一応、我輩の手製である。 代わりといっては何であるがな」

「かみ、かざり……ほんとにもらっていいの?」


 望子は差し出されたそれを見てきょとんとしていたが、『これなら短くする必要は無いであろう?』とローアが付け加えてみせた事で、望子は布の下から手を伸ばして受け取り、確認する様に彼女を見つめる。


 ……ローアは無言で頷き、肯定の意を示した。


「……ぇへへ、ありがとう。 だいじにするね」


 それを見た望子は心から嬉しそうな笑みを浮かべながら、布の下から出した両手で髪飾りをぎゅっと握って、その微笑みをローアに向けつつ感謝を告げる。


 結局、髪を纏める事が出来るのならと今の長さで打ち止めにし、カリマによる散髪は終了したのだった。

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