第197話 わすれてた!

 ──翌日。


 結局、昨夜にローアが魔族ヒューゴと密会していた事は他の誰も気づいていなかった様で、ローアを除いた望子たち九人は、ぐっすりと睡眠を取れていたのだった。


 そして、船内のとある一室にて。


「ん、んゅぅ……」


 これまでの道中で殆ど料理番だった望子は、この船旅において特に当番などを決めていた訳ではないものの、癖で随分と朝早くに目が覚めてしまっていた。


「……ふ、あぁぁ──あれ……?」


 誰に気遣うでもなく控えめに欠伸をして、『あさごはんつくろう』とふわふわした頭で考えながら、ゆっくりとベッドから出ようとした……その時。


 視界の端……具体的には自分の隣に何かが映った様な気がした望子が、そちらの方へと目を遣ると──。


(……なんで、いるかさんがわたしのべっどにはいってきてるの……? ねぼけちゃった、のかな……?)


 そんな望子の脳内での呟き通り、そこではフィンが妙に機嫌の良さそうな寝顔を浮かべつつ、安らかな寝息を立てながら望子を抱き枕にしていたのだった。


 ……無論、寝ぼけていた訳ではなく、望子が完全に寝静まったタイミングを見計らっての行動である。


「……まぁいいや。 あさごはん、つくらなきゃ」


 寝ぼけているという割には抱きつきすぎているのでは、そんな事を何となく考えていた望子だったが、そもそも自分も寝ぼけているゆえ考えるだけ無駄だと判断し、フィンを起こさない様にベッドから出た。


 そっと扉を閉めてから寝室を後にした望子は、数少ない自分の役目だと思っている料理をする為、まずは着替えて顔を洗って……と思考を広げる中で。


(……あれ、いいにおいがする……?)


 突然、鼻腔をくすぐる様な芳しい香りが望子に届いた事で、ふとそちらの方を見遣ると……水が沸き立つポコポコという音と、野菜か何かを切っている様なトントンという音が台所の方から聞こえてくる。


「だれか、いるの……?」


 ……もしかすると、既に自分以外の誰かが朝ご飯を作ってくれているのでは……と考えた望子が、可愛らしい寝間着姿のまま扉を開けると──そこには。


「! ミコ様、おはようございます!」

「あ、う、うん、おはよう……」


 いつもの軽鎧けいがいを身につけた騎士然とした格好ではなく、彼女の鱗と同じ緑色のエプロンをつけ、金色の長髪をお団子の様にした……所謂シニヨンの形に結び、こちらに明るい笑顔を見せるレプターがいた。


 朝も早くにあまりにも溌剌とした挨拶をしてくるものだから、望子は若干ではあるが彼女の勢いに押されてしまい、中途半端な挨拶を返す事しか出来ない。


「……とかげさんがあさごはんつくってくれるの?」


 取り敢えず、顔を洗ったり着替えたりする前にここに来た目的……もとい抱いていた疑問を解消するべく尋ねると、レプターはスッと望子に目線を合わせて。


「はい! これでも私、一人暮らしの期間は長かったので……カナタたちとの旅の間も、私が料理を担当していた事もありましたからね」


 彼女自身、騎士ナイトである自分が料理を得意としている事を意外だと思われても仕方ないと自覚しているらしく、苦笑いを浮かべつつ望子の問いに答えてみせた。


 『勿論、ミコ様には及びませんが!』と、あくまでも望子を持ち上げる姿勢を忘れぬままに。


「そっか……なにか、てつだえるかな」


 その一方、彼女の言葉に納得はしたものの、かといって何もしないというのもどうなのだろうかと考えた望子は、それとなく手伝いを申し出てみた。


「よ、よろしいのですか? まだ朝も早いのです、もう少し眠られても問題ないと思われますが……」


 しかし、レプターから見ると……いや、誰の目から見ても今の望子は寝ぼけまなこな状態であり、何か急ぎの用がある訳でもないのだから、少しくらい惰眠を貪ってもいいだろうと判断し、そんな提案をする。


 これが、魔王討伐の旅であっても……いや、魔王討伐の旅であればこそだと考えて。


「だいじょうぶ、しんぱいしてくれてありがとうね」

「は、はわっ……!」


 だが、当の望子は優しく微笑んでレプターの頭を撫でつつ、自分を気遣ってくれた彼女に対して謝意を示し、それを受けたレプターは一瞬で顔を赤らめてしまい、喜色に満ちた息を漏らす事しか出来ないでいた。


「で、ではミコ様、先に御髪おぐしを整えましょう。 少しではありますが、寝癖もついておりますので」


 その後、こうなったからには断る選択肢など用意出来る筈もなかったレプターが、着替えも勿論ではあるが、何よりもその綺麗な黒髪を整えなくてはと提案しつつ、赤らんだ顔を戻す為に気持ちを落ち着かせる。


「うん! あ、りぼんもとってこなきゃ──うん?」

「? ミコ様、何か──」


 手伝いの許可をもらった望子は嬉しそうに頷きながらも、自分の髪を束ねる為に使っている白いを枕元に置いてきてしまった事を思い出して、取りに行こうときびすを返した途端にピタッと足を止めてしまい、それを不思議に思ったレプターが声をかけると。


「──あぁっ! わすれてた!」

「!? ど、どうされました!?」

 

 突然、望子がレプターの方へ勢いよく振り返り、目を見開きつつ叫んだ事で、レプターは望子以上に驚きながらも一体何事かと顔を驚愕の色に染めてしまう。


 ……重ねて言うが、早朝の出来事である。


「と、とかげさんに……りぼん、じゃなくて、すかーふ? を、かえさないといけなかったのに……!」


 どうやら望子は、いつも自分が髪を結ぶのに使っていたリボン……いや、スカーフが元はレプターのものだった事、そして何より……そのスカーフは、かつては王都だったサニルニアを出立する望子たちとの再会を約束する為に、レプターから渡されたものだった事を今更ながらに思い出していたらしかった。


「スカーフ……? あ、あぁ、そういえば」


 ……が、当のレプターは望子たちに再会する事が出来た喜びから、それをすっかり失念していた様で。


「ちょ、ちょっとまっててね! とってくるから!」 

「あっ、ミコ様! ……ってしまわれたか」


 だからか望子が再びきびすを返して走り出したのも止めきれず、手を伸ばして見送る事しか出来なかった。


(完全に忘れていたな……あれは両親からの贈り物だったというのに……いや、無理もないか)


 一方、レプターは脳内で独り言ちつつ、故郷を発つ際に両親から贈られたものであるにも関わらず忘れてしまっていた事を恥じながらも……首を横に振る。


 何故なら、それを忘れていたのは……勇者として心から敬愛する望子や、仲間であり友でもあるウルたちと再び出会う事が出来た喜びから──。



 ──だけではなかったからだ。



「……ご、ごめんね? またあえたら、ぜったいにかえすってやくそくしてたのに……」


 その後、未だに眠っていたフィンを起こさない様にスカーフを回収した望子が戻ってくるやいなや、しゅんとした様子で純白のスカーフを差し出してきた。


「……いえ、いいのですよ。 私も今の今まで忘れていましたから。 それに──」

「そ、それに?」


 それに対してレプターが、差し出された小さな手に自分の手を重ねてから首をゆっくりと横に振り、再び望子に目線を合わせてから一拍置いた事で、望子は彼女の言葉を反復しながら二の句を待っていたのだが。


「ひゃ、とかげさん……?」


 この世界に来たばかりの時より少し伸びた、望子の綺麗な黒髪を掻き分けつつ、左の頬に優しく手を添える……そんなレプターの突然の行動に、『どうしていきなり』と望子は身体をビクッと震わせてしまう。


 ……嫌な訳ではないらしいが。


「──とても良く、お似合いでしたから」


 そして、望子にも劣らぬ慈愛に満ちた表情を浮かべたレプターの言葉は……決して世辞などではない。


 最早、彼女は完全に望子に心を奪われ……本人もそれを薄々ではあるが自覚していたからこそ、他の事が目に入らなくなっていたのだった。


 ……無論、スカーフの事も。


「ほ、ほんと……? ぇ、ぇへへ……うれしいな」


 一方、突然の事で驚いていた望子だったが、褒められていると分かってからは、微笑みながら彼女の手に自分の柔らかい頬をすりすりと軽く押しつけてくる。


 ……それこそ犬か何かの様に。


(あぁ、こんな時間がいつまでも続けば──)


 『魔王討伐の旅なのに、こんなに幸せでいいのだろうか』と、そんな考えが彼女の脳内を支配していた。


 ──その、瞬間。


「……朝も早くからお盛んだね、レプ」

「っ!?」


 突如かけられた嫌味な感情のこもった声にレプターが驚いてそちらを向くと……扉の向こう側には、無表情のフィンがふわふわと浮かんでいるではないか。


「ふぃ、フィン……? 珍しいな、こんな朝早く……」

「目が覚めたらみこがいなかったからね。 朝ご飯作ってんのかなーって起きてみたら……これだもんね」

「い、いやこれは……」


 『何か返事をしなくては』と、そう考えたレプターが当たり障りのない会話でお茶を濁そうとするも、それで納得する筈もないフィンが冷ややかな視線を向けてきた事により、特に悪事を働いていた訳でもないのに彼女は思わず口ごもってしまう。


「ま、いいや。 みこ、髪はボクが整えてあげるよ」

「う、うん。 とかげさん、これ……かえすね」

「あ……は、はい。 ありがとう、ございます……」


 そして、どうやら望子とレプターの会話の殆ども彼女には聞こえていたらしく、フィンが望子に後ろから抱きついてそう提案してきた為、望子はあわあわとしながらも手元のスカーフをレプターに返し、ニコニコと笑顔を見せるフィンに連れられて部屋を後にした。


 ……心なしか彼女が物悲しそうな表情を浮かべていたのは、決して気のせいなどではないだろう。


(……少し、寂しい様な──い、いやいや!)


 何よりも彼女自身が……それを最も理解していた。

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