第196話 中級と上級の関係性

 ……あまりに突拍子もなく中級魔族ヒューゴの口から出てきた上級魔族フライアの名に、ローガンはしばらく顎に手を当てながら何やら思案している様子を見せていたが。


「……今お主は解放と申したな。 という事は……あの失態で幽閉……懲罰でも受けているのであるか?」


 彼女は『何故フライアの名がここで?』という疑問に対して自問自答を行い、彼が口にした『解放』なる単語から一つの結論を導き出す。


 かつて、勇者招集部隊インヴァイターという……望子を魔王コアノルの下へと連れていく為の軍勢を率いるも、ローガンの横槍でそれを為す事が出来なかった失態の責を取らされ、目の前の彼が所属していた懲罰部隊エクスキューショナーなどの手によって監禁状態にあるのか、という結論を。


「……幽閉、或いは懲罰というだけならばどれだけ良かったでしょうか……」

「何? では一体……」


 しかし、彼女が導き出した答えを否定せんと、ヒューゴが苦虫を噛み潰した様な表情を湛えて首を横に振った事で、自分が考えた答えが外れていた事にきょとんとしつつもローガンは首をかしげて尋ね返す。


「彼女の身柄は、貴女の古巣に引き渡されています」

「……研究部隊リサーチャーに?」


 その後、多少なり言い憚られる様な口調で彼が口にしたのは……他でもないローガンが最高主任を務める部隊の名であり、彼女はその懐かしい名とともに異常な程に自分を盲信する部下たちを思い返していた。


 そんなローガンに対し、ヒューゴは研究部隊リサーチャーにフライアが引き渡された理由を簡潔に述べる。


 逃げ帰ってきたフライアの身体に傷がなかった事に違和感を覚えたデクストラが、彼女の身体を調べさせる目的で、そして研究部隊リサーチャーがどんな連中かを理解したうえでの嫌がらせの意味も込めて引き渡したのだと。


 我が魔王マイロードの為ならば他種族はおろか同胞でさえもその手にかける……それがデクストラの本性であり、本質的には自分と大差ないという事はローガンとしても充分に理解出来ていた為、特に気になる事はない。


 ……しかし、だ。


「──ふむ、成る程。 デクストラの考えそうな事であるな。 で? お主は何故フライアの解放を望む?」


 どうして一介の中級魔族でしかないヒューゴが、失態を犯したフライアを救わんとしているのかまでは分からず、薄紫の双眸を妖しく光らせ問いかける。


 すると彼は、フライアの名を口にする前と同じ様に口ごもってしまいかけたものの、どうやら決意は強いらしく目の前のローガンの瞳をしっかりと見つめて。


「……私と彼女は、魔王様によって同時期に生み出されました。 級位こそ違えど、私は彼女の事を姉の様に思い……彼女も私を弟の様に思ってくれていました」


 かつて、魔王コアノルによって自分たちが生み出された際、偶然にもその時に生まれた魔族は彼とフライアの二人だけだったらしく、生を受けた瞬間に彼は中級、フライアは上級と格差はあったが、それでもフライアは同時期に生まれた彼を双子の弟の様に思い、密かに気にかけてくれる事も多かったと語ってみせる。


 ……だからこそ、今の処遇が彼女自身の失態によるものだと分かっていても、彼にはそれを……実の姉の様に慕っていた彼女を見過ごす事は出来なかった。


「ほぅ、それは初耳であるが……お主が先程、さも思い出したかの様に彼奴への敬称を付け加えたのも、それが理由という訳であるな?」

「……」


 彼の独白を静かに聞いていたローガンは、彼が最初にフライアの名を出した時、上級である彼女に対して敬称をつけ損ねかけた事を聞き流しておらず、ニヤニヤとした笑みを浮かべて問いかけると、彼は若干の気恥ずかしさを隠す様に無言を持って答える。


「……まぁ良い。 我輩は既に同胞たちの研究は済ませているし、それは部下たちも同じであるしな」

「で、では──」


 そして、それを肯定だと捉えた彼女は満足そうに頷きつつ、遠い昔……それこそ封印される以前に百人単位で同胞たちを実験台とし、追従する部下たちもそれは同様だと呟いてから彼の頼みを聞き入れる旨の発言をした事で、ヒューゴはバッと顔を上げたのだが。


「しかし……仮にも上級たる我輩に頼み事をしようというのならば、それなりの──」


 無論、ローガンとしても何の見返りや代償もなく中級である彼の頼みを聞いてやる程、優しくもなければ心が広いという事ない為、暗に『お主は何を差し出せる?』と同胞に対しての交渉を始めんとした時。


「──こちらを」

「……む? これは……」


 彼女の言葉を遮る様に彼が差し出してきた何かを見たローガンは、それを興味深そうに覗き込む。


 それは、黒と紫が入り混じった菱形の水晶だった。


「……ほぅ、魔呪具ギアスツールであるか。 それも中々の……何故たかだか中級のお主がこの様な代物を?」


 ……彼女が口にした魔呪具ギアスツールとは、装備した何某かを害する目的で造られる魔道具アーティファクトの事であり、かつてウルたちが限界突破オーバードーズの刻印を得る為、魔具士の狐人ワーフォックスに装備させられた首輪……吸魔装具マシミレイトもその一つである。


 ローガンはその水晶を魔道具アーティファクトではなく魔呪具ギアスツールだと見抜き、それに一体どの様な効力が秘められているのかも見通したうえで、目の前の彼が上級ならともかくと考えて怪訝そうな表情とともに問いかけた。


「……それは、フライアの身柄が研究部隊リサーチャーへと引き渡される以前に、私が彼女から預かっていたものです」

「ふむ、フライアはあれでも上級。 それならば何もおかしくはないが……で、お主はこれを我輩に?」


 すると彼は『勿論です』と前置きしてから、手元の水晶はフライアから預かったものなのだと語った事により、どうやらローガンは腑に落ちたらしく、これを交渉の材料として自分に渡すのかと確認する。


 しかし、ヒューゴはゆっくりと首を横に振って。


「……いえ、フライアはそれを……勇者様にと」

「ミコ嬢に魔呪具ギアスツールを……? 彼奴は何を考えて……」


 その魔呪具ギアスツールはローガンにではなく望子に対しての贈り物なのだと口にした事で、魔呪具これを望子に渡すというのはどういう了見だと彼女は首をかしげてしまう。


「フライアから『あの時のお礼です、どうかお受け取り下さい』、と勇者様への言伝ことづても預かっています」

「あの時──あぁ、あれであるか……であれば……」


 その時、ヒューゴがフライアから魔呪具ギアスツールとともに預かっていた伝言を、ローガン越しに望子へと確かに届けた事で、当事者の一人である彼女は瞬時にそれを理解し、抱いていた疑問を自分の中で解消する。


 おそらく彼女は、自分を遥かに上回る力と知恵を持つローガンが、この魔呪具ギアスツールを望子に相応しい魔道具アーティファクトへと造り替える事を期待しているのだろうと。


 ちなみに『あの時のお礼』とは、ローガンの超級魔術によってフライア以外の勇者招集部隊が消滅し、フライア自身も満身創痍となっていたところを、望子がフィン謹製の回復薬を手渡した事だった。


「……まぁ、良かろう。 この魔呪具ギアスツールに免じ、掛け合ってみるとしようではないか」

「……! あ、ありがとうございます!」


 その後、脳内での思案を終えたローガンが溜息混じりに彼の頼みを完全に聞き入れると、ヒューゴはその場でバッと頭を下げて心からの謝意を示す。


「さて──あー、聞こえているのであるか?」


 そしてローガンは自分の右手で右耳を覆い、通信用の魔術である限定通信リミスピリクを行使して、懐かしい古巣にいる愛すべき部下たちの魔力を手繰り……繋げた。


『──? この声は……どちら様ですか?』

「我輩である。 たった十年で、声から魔力を見極める事すら出来なくなったのであるか? 副主任よ」

『そっ、その尊大な物言いは……! まさか!?』


 愛らしい少女の声音で話しかけた事もあってか、通信先から聞こえてきた女声は何やら困惑した様子だったが、一度ひとたびローガンが若干だが失望した様な声とともに、通信先の女声のものらしい役職を口にすると、彼女の口調や一人称に心当たりがあったのか、ドタバタとという音を立てながら大袈裟な反応を見せて──。


「うむ、研究部隊リサーチャー最高主任、ローガンであるよ」

『……ローガン、様……!』


 通信越しに頷きながらローガンが名乗り、通信先の女性魔族が息を呑む……そんな一瞬の静寂の後。


『ろ、ローガン様ぁ!!』『え、本当にローガン様なんですか!?』『あぁ! ご無事で何よりです!』『報告にはありましたが、やはり少女の姿に!?』『側近のめいなんて無視して戻って来て下さいよぉ!!』


 瞬間、ローガンと副主任との通信に魔力を割り込ませきた他の構成員たちの喜色に満ち満ちた叫びが他でもないローガンと……そして、いつの間にか同じ様に割り込んでいたヒューゴの耳に届く。


「あーあー、久方ぶりゆえ感動するのは分かるのであるが……今は先に用件を済ませたい。 少し前にデクストラが雌の上級を一体、持ち込んではおらぬか?」


 そんな部下たちに呆れつつも少しだけ嬉しそうにしていたローガンは、静かな声音で精鋭たちを黙らせてから、急かす様に自分を見つめてくるヒューゴの頼みを済ませる為に副主任へとフライアの事を尋ねた。


『え? ……あぁ、そうですね。 といっても、デクストラ様から依頼された事以上の収穫はありませんでしたので、今は単純に投薬や死なない程度の解剖を──』

「……っ」


 すると副主任──ウィロウというらしいが──は何の事やらと疑問の声を上げるも、デクストラから頼まれたフライアの検分を随分と前に終わらせていた事を思い出し、それ以降は実験台としていると告げる。


 ……彼女があまりにも何でもない事の様に語るものだから、ヒューゴは思わず悔しげに唇を噛むが……少数精鋭である研究部隊リサーチャーは構成員のほぼ全員が上級であり、中級である彼が口を挟んでいい筈もなかった。


「──成る程、我輩の教え通りに上手くやっている様で何よりである。 流石は我輩の部下たちであるな」

『も、勿体ないお言葉を……!』


 一方、ローガンは部下たちが自分のいない間にも役目を果たしている事に満足げにしており、それを受けたウィロウは嬉しそうな声を漏らしている。


「とはいえ、もう同胞の研究はお主らとしても飽きが来ている筈。 もっと手広くおこなっても良いのだぞ?」

『そう、ですか……? では、は廃棄処分を?』


 しかし、ローガンの用件はそこではなくフライアの解放である為、『他にいくらでも価値の有る実験体がいるであろう?』と暗に伝えた事で、ウィロウはそれを受け入れつつも、フライアの扱いについて尋ねた。


「いや、彼奴は仮にも上級。 他にいくらでも使い道はあろうよ。 今から迎えを寄越すゆえ、引き渡せ」

『はっ! 了解しました!』


 廃棄処分と聞いたヒューゴが苦言を呈する前に口を開いたローガンは、見えてはいないと分かっていながらも首を横に振り、使いの者を向かわせると告げた事で、ウィロウはおそらく通信先で敬礼し、承諾する。


「あぁ、そういえば……近いうちに我輩は城へと帰還する。 最高の研究対象たる──召喚勇者を連れてな」

『『『……おぉおおおお!!!』』』


 その後、ローガンが今思い出したかの様に、ヴィンシュ大陸での事が済み次第、勇者である望子を連れて魔王城へと帰る旨を伝えたその瞬間、部下たちの期待と愉悦に溢れた雄叫びがローガンたちの耳に響く。


 ……狂人と称されがちなローガンではあるが、手塩にかけて育てた部下たちは可愛いのかもしれない。


「それまで……お主たちは今以上に励むのである。 期待しているぞ──好奇心の奴隷どもキュリオシリティー・スレイブよ」

『『『はっ!』』』


 そして、くつくつと喉を鳴らしたローガンが、通信先の部下たちと同じく愉しげに表情を歪めて一旦の別れとともに妙な二つ名を告げると、通信の向こうの部下たちは一斉に声を上げ、結束の強さを垣間見せた。


 ……好奇心キュリオシリティーとは、きっとローガン自身の事を指しているのだとヒューゴは脳内で独り言ちていたが。


「さて……これで良いのであるか? ヒューゴよ」

「はっ、はい! ありがとうございました!」


 一方、通信を終えたローガンが耳覆っていた手を耳離し、何とか口を開かず黙って一部始終を聞いていたヒューゴに対して声をかけると、彼はハッとなってからすぐに頭を下げてローガンへの謝意を示す。


「では、行くが良い。 くれぐれも……デクストラには気取られぬ様にな。 あれは非常に目敏いゆえ」

「は、はっ! では、失礼致します!」


 当のローガンは、感謝はいいからとっとと行けと言わんばかりに片手をヒラヒラと振りつつ、様々な面において彼女が最も面倒だと考えている魔王の側近の名を口にして、警戒せよと告げた事でヒューゴは改めて敬礼し、漆黒の羽を広げて宵闇へと消えていった。


「……行ったか」


 ヒューゴの姿が完全に見えなくなった後、ローガンは小さくそんな風に呟きながらも……溜息をつく。


(全く、運良く気取られなかったから良いものの……もしあの人形パペットたちやミコ嬢に見つかっていれば、ここまで築き上げた信頼が瓦解してしまうではないか)


 それというのも、ここまでの道中で彼女は随分と望子との……観察対象との仲を育めていると自負しており、ここで他の魔族との密会という致命的な場面を見られてしまうのは、彼女にとっても本意ではない。


 だからこそ、ヒューゴが自分へと接触しようとしている事を察知していた彼女は、敢えて一人で見張りを担当すると亜人族デミたちに宣言していたのだった。


(……それにしても)


 そんな折、ローガン……いや、ローアはゆっくりと甲板へ降り立ちながらとある事を考えており──。


「……お主も勇者に魅入られたか、フライアよ」


 また一人、召喚勇者の魅力に取り憑かれた魔族が増えた、とそんな旨の呟きが……宵闇に溶けていった。

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