第194話 見張りの順番

 結局、今日のところは最初に言い出したウルが望子を洗う事になり、いつもは粗雑な彼女も流石に優しい手つきで望子の黒く艶のある髪や白く柔らかい肌を丁寧に洗ったからこそ、望子は嬉しそうに……そして気持ち良さそうに目を細めていた。


 ……その後、お返しとばかりにウルの引き締まった身体を望子が洗ってあげた事で、かたやウルはドキドキと鼓動を早め、かたやその機会を逃した他の亜人族デミたちは、仕方ないと諦めたり、ぐぬぬと口惜しげに唸っていたりと様々な反応を見せていたのだった。


 そして、全員揃って風呂から上がり、少し早めの入浴を済ませた彼女たちはというと──。


「おふろ、きもちよかったねぇ」


 この世界に召喚された時に身に着けていた、空色の下地に黄色の星が散りばめられた可愛らしい寝間着姿の望子が、小さな身体から湯気を立てつつ、僅かに上気した頬を隠そうともせず満面の笑みを見せる。


「そうだなぁ、やっぱ湯船に浸かるのが一番だ」


 そんな望子に同じく笑いかけたウル以外の者たちも皆、満足そうな表情とともに飲み物を口にしたり、 手をパタパタとさせて温まり過ぎた身体を冷ましていたりとそれぞれの時間を過ごしていたのだが。


「む〜……」


 唯一、フィンだけは未だに望子を洗い、そして洗われる権利を譲った事に関して納得がいっていないらしく、ウルを青い瞳で睨んだかと思えば、今度は望子を潤んだ瞳で見つめたりと一人で忙しそうにしていた。


「……いつまでイジけてるのよ貴女は」

「んくっ……ぷはぁ……いや、だってさぁ」


 それを見て全てを察していたハピが呆れた様子で溜息をつきつつ、机に突っ伏していたフィンの前にコトンと蜂蜜酒ミード入りの木製のジョッキを置くと、フィンはそれをチビチビと呑みながら不平をこぼそうとする。


「まぁまぁ……こうやって旅をする以上、入浴の機会は一度だけではないんだ。 この船旅に限っても、まだ数日はかかるだろうし──そうだろう?」


 その時、フィンの対面にスッと座ったレプターが彼女を宥める様に苦笑いを浮かべ、次があるさと言いつつ最も長生きな白衣の褐色少女に話を振ったのだが。


「……む? 我輩に尋ねるより、そちらの二人に尋ねた方が良いのでは? 何せ我輩……ミコ嬢たちと出会うまでの十年間程、洞穴に引きこもっていたのだし」

「……あぁ、それもそうだな。 では──」


 当のローアはきょとんとした表情を見せて、言う程この世界に詳しくもないのであると付け加えた為、以前に望子たちと彼女が出会った経緯を聞いていたレプターはその言い分に納得したらしく、ふいっとローアから元海賊の二人へと視線をスライドさせる。


「アタシか? ン〜……まァ、さっきみてェな騒動トラブルを抜きにしても……そうだな、少なく見積もっても十日くらいはかかるンじゃねェか? なァポルネ」

「そうね。 尤も水棲主義アクアプリンシパルより厄介なものなんて早々いないでしょうし、私は七日くらいだと思うけれど」


 すると、話を振られた二人は顔を見合わせ、何やら思案し始めたかと思うと、最初にカリマが水棲主義アクアプリンシパルと遭遇した先程の様なハプニングを除いて十日だと予測し、次にポルネがあれ以上は流石にない筈だと述べてから、正味七日程ではと予測してみせた。


 ……そもそも、この船はウルが熱源となって発生させる蒸気による一時的な加速を使わずとも、ハピとフィンの操舵によって結構な速度を出せる。


 他の船──例えばショストで出会った鬼人オーガが所有していた様な──だったなら、二人は先程の予測にもう十日程は追加して発言していただろう。


 カリマとポルネはその事を直感的に理解していたからこそ、この船なら七日から十日と予測していた。


「少なくて七日、多くて十日……まぁそれなら」


 その後、二人の大まかな予測を聞いたフィンは、納得した様なしていない様な……いや、決して心からは納得していないのだろう不満そうな表情とともに浅い溜息をついた事で、この話は一旦の終わりを迎える。


「それじゃあ、ばんごはんのじゅんびしてくるね」

「……まだ早くねぇか?」


 そんな折、髪を乾かし終えた望子がいつもの様に後頭部で一つ結びにしつつ、スッと立ち上がって夕飯の準備に取り掛かろうとしたが、まだ夕刻ですらない。


 もうちょっと休んでからでも、と彼女なりに気を遣ってウルが優しい声音でそう言ったものの。


「うーん、そうかもだけど……いま、ほかにわたしができることもないし。 みんなはじゆうにしててね」


 どうやら望子としては、冒険において普段あまり役に立っていないと考えがちな為か、自分が何もしていない時間を快く思っていないらしかった。


「あっ、私も手伝うわ」

『きゅっ!』

「うん、ありがとね」


 そんな望子に対して、昼ご飯も一緒に作ったカナタとキューが手伝いを申し出ると、望子は心底嬉しそうにニコッと笑ってその申し出を受け入れる。


 そして望子たち三人がキッチンへと向かった後、突如として訪れた僅かな静寂を終わらせたのは──。


「──ちょうど良い。 今のうちに決めておこうか」

「? 何を?」


 机に肘をついて両手を組み、至って真剣な口調で声を発したレプターだったのだが、一体何を決めようというのか、それに微塵も心当たりのないフィンはこてんと首をかしげて何の気なしに問いかけた。


 ……しかし、そんな彼女とは対照的に、葡萄酒ワインを軽く呷ったハピは何となく察しがついていた様で。


「……見張り、かしら?」

「あぁその通りだ。 元よりミコ様とカナタ、そしてキューの三人に任せるつもりはなかったからな。 私たち七人で持ち回りローテーションを組み、今夜から施行したい」


 殆ど確信を持ってレプターへ尋ねると、彼女は我が意を得たりとばかりに首を縦に振り、望子たち三人がいないタイミングを狙ったのだと暗に伝え、海が危険だというのは分かっただろうし、そうでなくとも見張りは必須だと付け加えつつ話し合いを始めんとした。


「けどよォ、また水棲主義アクアプリンシパルが出たらどうすンだ? アタシらはともかく、オマエらじゃ対応出来ねェだろ」

「む……」


 一方、カリマはさも当然の疑問だとばかりにウルたちを……正確には、ウル、ハピ、レプターの三人を見遣って、彼女たちでは対処出来ない存在が出現した場合について問いかけた事で、当のレプターは眉根を寄せて唸り、そういえばと他の二人も苦い顔を見せる。


 ……尤もだと、思ったのだろう。


 彼女たちが思案する中、『であれば』と口を挟んできたローアの声に六人全員が視線を集中させた。


「水棲の亜人族デミと陸棲の亜人族デミ、二人ずつで組めば良いのでは? 例えば……ウル嬢とカリマ嬢、ハピ嬢とポルネ嬢、そしてフィン嬢とレプ嬢といった具合に」

「あぁ……それなら大丈夫そうね」


 すると彼女は座った姿勢のまま大袈裟に両手を広げて自分の案を語り出し、目の前の亜人族デミたちを一人一人指差しながらそう告げた事で、ポルネはそんなローアに対し、頭いいわねと感心しきりな様子を見せる。


「……あ? それだとお前はどうすんだ」


 だが、ローアが口にした組み合わせに彼女自身が含まれていない事に気がついたウルが、サボるつもりじゃねぇだろうなと勘繰って苦言を呈そうとした。


「我輩は一人でも問題ないのである。 我ら魔族は陸海空……何処であろうと適応可能であるし、純粋な対応力だけでいうのなら我輩はこの中でも群を抜いていると自負出来るのであるが──如何いかがかな?」

「……まぁ、お前がそれでいいなら別に」


 無論、ローアにそんなつもりは毛頭なく、戦闘力だけならフィンに劣りかねない彼女だが、冒険者という職業を総合的に見れば間違いなくメンバーの中で頭一つ抜きん出ている……という事をウルも薄々だが分かってはいたのだろう、好きにしろよと面倒臭そうに呟いて頭をガリガリと掻き、呆れた様に溜息をつく。


「では、ローアの案を採用するとして……今夜はどうする? 二組程の交代制にするか、それとも──」


 その後、話が一段落ついたと判断したレプターが腕組みを解き、全員に視線を向けて今日の見張り当番を決める為、一夜で二組か、或いはと問おうとした。


「いや、我輩が言い出したのだし今夜は我輩が受け持つとしよう。 途中での交代も必要ないのである」

「……そうか? では、頼む」


 しかし、そんな彼女の言葉を遮る様に、任せてもらいたいとローアが提言してきた事で、確かに上級魔族である彼女ならどうとでもするだろうと考えたレプターは、若干の躊躇の後でそれを受け入れ、頷いた。


 ……そこに、別の意図があるとも知らずに。

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