第193話 みんなでお風呂

 広々とした脱衣所に到着した望子たちは、フィンとウルがそれぞれ湯船に水を張り、それを沸かすといった役割を遂行した後、衣服を脱いで浴場へと向かう。


「うわぁああ……! すっごぉおおい……!」

『きゅー!』


 そんな風に目をキラキラと輝かせている望子とキューの視界を、ギィッと扉を開けてすぐに漏れてきた白い湯気が覆い、彼女たちの柔肌を湿らせていた。


 望子たちの乗るこの船──三素勇艦デルタイリスに設置されたその浴場は、控えめにいっても彼女たち十人だけで使うには勿体ない程の広さがある。


 尤も、カリマやポルネ、そして数十人以上の海賊たちが乗っていた大きな海賊船を原型としているのだから、当然といえばそうなのかもしれないが。


 更には、人数分以上の木製の風呂椅子に、取り寄せておいてくれた沢山の石鹸、この世界においては貴重な鏡まで取り付けられており、壁や天井には光属性の魔術が込められた魔石も取り付けられ、魔力を持つ者であれば夜中に赴いても問題ない仕様となっていた。


 ……ちなみに、望子、ウル、フィン、キュー、カリマの五人は身体を隠す為の布を纏っていない。


 決してちょうど良い大きさの布が無かったからとかそういう訳ではなく、現に残りの五人は胸から太腿の辺りまでを隠せる大きさの布を身体に巻いている。


 では何故、望子たちは布を使っていないのか?


 ……それには銘々、一応の理由があった。


 ──ある者は、『おんなのこしかいないからへいきだよ!』と屈託のない笑顔を見せて。


 ──ある者は、『いるか? それ』と首をかしげ、そもそもこの場面で身体を隠す事の意味の無さを問い。


 ──ある者は、『みこがいらないならボクも』と、とことんまでの望子至上主義を発揮して。


 ──ある者は、『めんどくせェ』と相方ポルネも身に着けているにも関わらず、手を振りながらそれを一蹴し。


 ──そしてある者は、『きゅ〜? きゅっ!』と、どうやら折角巻いてもらった布を鬱陶しく感じてしまった様で、それをバッと剥いでしまっていたからだ。


 そんな彼女たちとは対照的に残りの五人は身体に布を纏い、望子やキューに次いで幼いカナタと、実年齢はともかく見た目は少女なローアを除いた三人は、美しい身体的輪郭ボディラインを惜しげもなく露わにしている。


 ……レプターのみ、ハピやポルネの出るところは出た身体に少し劣ってしまうところもある様だが。


「どう? きゅーちゃん。 あったかい?」

『きゅ〜……♪』


 その後、キューがお風呂で溺れてしまってはいけないと考えた望子が木製の風呂桶でお湯を掬い、その中にキューを浮かべて湯加減を尋ねると、キューは望子に撫でられた時と同じ様に目を細めて一鳴きした。


「そりゃあ完成した時に内装を見せてはもらってたけどよ、実際に湯を張ってみるとやっぱ違ぇな」

「そうね。 お風呂自体はドルーカの宿にもショストの宿にもあったけれど、ここまでじゃなかったもの」


 一方、ザブンと湯船に浸かったウルがしみじみといった具合で風呂を見渡して呟いていると、会話は出来る程度の位置に腰を落ち着かせ、足湯の様な形を取っていたハピが、これまで訪れた街々の宿に設置されていた簡易的な風呂を思い返して微笑んでいる。


「これがまともな風呂か……ちょっと緊張すンな」

「た、確かに……熱すぎたりしないわよね……?」


 そんな中、カリマとポルネの二人はというと、何故かおっかなびっくりとした様子で湯船をチョンチョンと指でつつきながらも、互いに顔を見合わせてからおそるおそる風呂に浸かり、大丈夫そうだと分かったからか満足そうに息を漏らしていたのだが──。


「──まるで今までまともな風呂に入った事がない様な口ぶりだが……まさかそんな事は」

「そう言ったンだよ、普通の風呂になンて入った事ねェ。 生まれてこの方、海を離れた事ァねェからな」

「……な、成る程な」


 先に湯船に入っていたレプターがそんな二人の会話を聞いて、もしや今の今まで生活観に根差した風呂というものと縁がなかったのかと問いかけるも、海で生まれて海で育ったカリマにとってはそれが当たり前の事であり、あっさりとそれを肯定されてしまった彼女は無意識のうちにスッと身体を離してしまう。


「……勘違いしないでほしいのだけど、身体は毎日洗ってたからね? 自慢じゃないけれど、石鹸とか清潔な布とか……火の魔石とかも、盗品の中にあったし」

「そ、そうか。 ならいい──いや、良くはないが」


 それを横目で見ていたポルネはといえば、おそらく自分たちを不潔だと捉えているのだろう事を理解した為か、若干ジトッとした視線を彼女に向けており、清潔にはしていたというポルネの言い分を受けたレプターは納得しかけたが……すぐに首を横に振った。


 それらが盗品だというのなら、正義を重んじる彼女としては首を縦に振る訳にもいかなかったからだ。


 ……過ぎた事とは、分かっていても。


「……ふむ。 流石に城の……上級専用の浴室には劣るが、これはこれでまた趣深いのである」


 一方、魔王城に設置されていた豪華絢爛と呼んで差し支えない、上級魔族にそれぞれ用意されていた個人用の浴室と比較しつつも、意外と満足そうな様子を見せて薄紫の双眸を細めているローアと同様に──。


「王宮の浴場ももう少し豪華だったけれど……船に取り付けられたお風呂としては、これ以上ないわよね」


 聖女時代、殆ど王宮から出る事を許されていなかった代わりに相当な好待遇を受けていたカナタも、貴族でさえ入れない様な浴室を利用していた事を思い返して軽く頷き、魔族ローアへの同意を示したはいいものの。


「──フィン嬢? 先程からやたらと静かであるが」

「ちょっと黙ってて。 今それどころじゃないから」

「え、何が──」


 普段、頼んでもいないのに一党パーティで最も賑やかな人魚マーメイドがやたらと寡黙な事に違和感を覚えたローアが、そちらを向いて何事かと尋ねると、彼女の言葉に対して食い気味に返してきたフィンに、カナタがきょとんとした表情を浮かべて尋ね返す。


 ……すると。


「……分からないの? ボクの視界に一糸纏わぬみこが映ってるんだよ? 焼き付けとかなくてどうするの」

「あ、はぁ……そういう……」


 フィンは顔を一切こちらに向けず、パシャパシャと風呂桶の中にいるキューとお湯のかけ合いをしている望子の方を見つめたまま、とてつもない真剣な声音でそう告げた事で、色々と察したカナタは息をついた。


 ……カナタとしても何となく分かっていた事ではあるが、妹の様に愛でている人狼ワーウルフや、娘の様に大切にしている鳥人ハーピィと違って、この人魚マーメイドだけは明らかに望子をとして見ているふしがある。


 尤も、内在的にはあの二人も、そして龍人ドラゴニュートや上級魔族、上位種へと進化していたらしい元海賊たちでさえ、似た様な事を考えているのかもしれないが。


 顔の下半分をお湯に沈めてブクブクとさせたカナタが、何の確証もない疑念をいだいていたそんな時。


「──そうだミコ、あたしが身体洗ってやろうか?」

「「「「「!」」」」」


 特にそういう思惑はなさそうなウルが、ふと思いついたかの如く望子へとそんな提案をした瞬間……カナタとキュー、そしてローアを除いた五人がほぼ一斉に反応を見せて、バッと望子の方を向く。


「え? あ〜……うーん……うん、それじゃあ──」


 当の望子としては、いくら平均より幼めの八歳児とはいっても自分の身体くらいは自分で洗える為、断ろうとも思ったものの、好意を無駄にするのも、と直感的に考えたのかウルの提案を受け入れようと──。


 ──したのだが。


「──ちょっと待ったぁ!」

「ぅわぁ!? なになに!?」


 突如、広々とした湯船を波も立てずに高速で泳いできたフィンが自分を背後から抱きしめてきた事で、望子は思わず驚いて大声を出してしまう。


「ボクが! ボクが洗う! 大体ウルがみこの柔肌を洗おうもんなら……そう、傷だらけになっちゃうよ!」

「なっ……! んな訳ねぇだろ!」


 そんな望子をぎゅーっと抱きしめたまま、ウルには任せられないとフィンが立候補したものの、当然それでは納得のいかないウルは勢いよく立ち上がり、これでもかと引き締まった身体を晒して反論する。


「私もそこまでではないと思うけれど……それじゃああいだを取って、ここは私が望子を──」

「「こらぁ!!」」


 一方で、カッカッと浴場の床を鳴らして近づいてきたハピが、ウルをフォローしながらも望子に腕を伸ばそうとするも、二人が漁夫の利を許す筈もなく、こういう時だけ息をピッタリと合わせて怒鳴りつけた。


(……やっぱり間違ってないかも……)


 目の前で起こる望子たち四人のやりとりを見ていたカナタは、先程ふといだいた疑念はあながち間違いでもなさそうだ、と小さく溜息を漏らしていたのだが。


「……み、ミコ様、ウルたちはあんな様子ですし、もしよろしければ私が……」

「え、あ、んーと……」

「レプター……貴女まで……」


 ウルたちの隙を突くかの様にスッと近寄っていったレプターが、明らかに風呂のせいではない類の上気した表情とともに声をかけると、望子はより一層困惑して悩んでいる様子を見せる一方、望子たちと合流するまでは凛とした姿勢を見せ続けていた彼女の思わぬ一面に、カナタは呆気に取られてしまっていた。


「待て待て、折角だからここはアタシらが」

「そうね、もっと仲良くなりたいもの」

「え、えぇ? どう、したらいいの……?」


 更に、お代わりかと言わんばかりにカリマとポルネまでもが参戦してきた事で、望子はあたふたとしてウルたち五人を交互に見遣る事しか出来なくなる。


「おやおや、まるで後宮ハレムであるなぁ」

「……あぁ、確かに……」

『きゅー?』


 そんな中、何故か自分には関係ないとばかりに入浴を楽しんでいたローアが今の望子について、王族などにありがちなハーレム状態にあると呟くと、自身が王宮に住んでいたからか心当たりのあったカナタが納得して頷く一方、喧騒から離れる様に風呂桶ごとこちらへ浮かんできたキューは首をかしげて鳴いていた。


 ……その時、カナタはふと一つの疑問を持つ。


「……貴女はいいの? 混ざらなくて」


 そう、亜人ぬいぐるみたち程ではないとはいえ、この魔族も大概あの黒髪黒瞳の少女に執着を持っている筈であり、隣で飄々としている彼女に違和感を覚えていたのだ。


「混ざりたくないと言えば嘘になるが……ウル嬢たちを敵に回す程、我輩は愚かではない。 それに──」

「……それに?」


 それを受けたローアは一度、深く息をついてからカナタの方へと薄紫の瞳を向けて、そうしたいのは山々だがとばかりにそう口にしつつ、そこで言葉を止めた事でカナタが少し息を呑んで二の句を待つと──。


「──今は少し、考えなければならぬ事があるゆえ」

「……?」


 ちょうど良い機会なのであると呟いたきり、口も目も閉じてしまった魔族ローアに対しカナタは何も言う事が出来ず、ただ首をかしげるだけに留まるしかなかった。

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