第191話 てんきになぁれ

 魔中豪雨マナスコールが望子たちに……水棲主義アクアプリンシパルに降り注いでからは、形勢が一気に逆転してしまった。


 ……尤も、逆転とはいえ勇者一行は誰一人としてリタイアしてしまっている訳でも、ましてや傷ついてしまっている訳でもなく……ただ、水棲主義アクアプリンシパルの一方的な劣勢ではなくなったというだけ。


 何せ今、船首を前方として左方のみから、二本の手と巨大な口で襲撃していた筈の水棲主義アクアプリンシパルは──。


「くッ……! あァ面倒臭ェなァ次から次へとよォ!」

「完全に質より量、って感じね……!」


 いかにも忌々しげな表情を隠そうともしないカリマやポルネの言葉通り、二本だった手は規模をそのままに船を取り囲む程の大群となって、あらゆる方向から彼女たちを──いや、望子を目掛けて襲いくる。


 とはいえ望子は、フィンの防御及び防音の魔術である泡沫うたかたにてしっかりと守られており、今の強化された水棲主義アクアプリンシパルでもそう簡単に破れはしないだろうが。


「うーん、キリ無いなぁ……ねぇローア。 もうめんどくさいからさ、『どーん』ってやっていいよね?」


 そんな中、大して手応えがある訳ではなく、だからといってあっさり倒されてくれる訳でもない水棲主義アクアプリンシパルに飽き飽きしていたフィンがげんなりとした表情と声音で、一気に終わらせる為に大技を放とうとする。


「……お主の言う『どーん』がどれ程の規模かは想像もつかぬが……控えるべきであろうな。 あまり闇雲に海を荒らすと、海精霊ネレイスの怒りを買ってしまうゆえ」


 だが、フィンの物差しでの大技が海にどんな影響を及ぼすかが分からない以上、ローアとしては安易に許可を出す訳にもいかず、ゆっくりと首を横に振った。


 尤も、神の加護厚き召喚勇者たる望子や、望子程ではないとはいえ医神の加護を持つカナタが乗っている為、海精霊ネレイスがこの船を沈めようとするかは一種の賭けであり……それはそれで興味があったのだが。


「えぇ? じゃあ何であの……何だっけ、あくあ何とかってのはその精霊の怒りを買わないの? ──っと」


 そんなローアを見たフィンは明らかに納得がいっていない様子で、どうやら未だに覚えきれていない──覚える気が無いともいうが──水棲主義アクアプリンシパルの手を、自分の周りに浮かべた小さな海豚型の砲台から高圧縮した水を発射して貫きながら疑問を投げかける。


 ……ちなみに、使うまでもないと判断したのか、彼女の内に眠る魔族の力は併用していない。


「……水棲主義アクアプリンシパルは、海精霊ネレイスの陸棲生物に対する僅かな悪感情から派生した魔物であるからな。 ゆえに彼奴らがどれだけ海を荒そうが海精霊ネレイスは干渉せぬのである」

「げぇ……」


 ローアは魔族である以上、普通には海精霊ネレイスの姿を認識出来ないが、派生体とはいえ魔物である水棲主義アクアプリンシパルについてはそこそこ詳しい様で、苦々しい表情とともに残念な事実を突きつけると、フィンは彼女よりも更に疲弊しきったかの様な表情を見せて唸ってしまう。


 無論、彼女の身体は全く疲弊していないのだが。


(……といっても、フィン嬢の意見は概ね正しい。 敗北する事は無かろうが、このままでは──む?)


 そんな折、海に向けて闇の力のこもった薬品を投げる訳にもいかないローアは、襲いくる水棲主義の手を広げた蝙蝠の様な羽で両断しながら、キリがないと口にしたフィンの言葉を真摯に受け止めて思案する。


 ──その時、彼女の視界の端に何かが映った。


 非常に遮音性の高い泡沫うたかたに包まれたまま、聞こえていないと分かっていながらもこちらに向かって何かを訴えかけ、ふよふよした泡を叩いている望子の姿が。


「フィン嬢、ミコ嬢が何かを──」

「え!? みこ、どうしたの!?」


 それに気がついたローアが真っ先にそれをフィンに伝えようとした瞬間、当のフィンは望子の名が聞こえた途端に水棲主義アクアプリンシパルの事など歯牙にもかけずに望子の方まで高速で泳いでいき、心配そうに声をかける。


『────、──────!』

「ふんふん──うん? ……あー、成る程ね? そっか、元をった方が早いのかな。 海も荒さないだろうし」


 すると泡の中の望子は、フィンの聴覚でのみ聞こえる声で何かを彼女に伝えようとしており、それが充分に聞こえているフィンが望子の拙い口調で語られる話を何とか噛み砕いて理解し頷く一方で──。


「……ミコ嬢はなんと?」


 彼女自身、人族ヒューマン亜人族デミを大きく上回る感覚を持ってはいるのだが、それでも聞き取れない望子の意見が一体何だったのかとローアが問いかける。


「なんかね、今降ってるこの雨を止ませて晴れにしたら? って。 ぬいぐるみのウルとハピの力も借りて」

「……魔中豪雨マナスコールを? それが出来れば苦労は……というよりも、その口ぶりではまるで……お主らが任意で天候を変えられるかの様な──」


 ん? とローアの声に反応したフィンは、望子が口にしていた事をそのままローアに伝えたのだが、天候や自然現象という枠では収まりきらない魔中豪雨マナスコールを、いや、そもそも普通の天候でさえ……などと考え、いかにも怪訝そうな表情を浮かべていたのだが──。


「──出来るよ?」

「……何?」


 さも何でもないかの如き表情と声音で告げてきた事に、ローアは珍しく完全に呆気に取られてしまう。


「二人だけじゃなくてボクも含めて三人で、なんだけどね。 不思議に思わなかった? ここまでの旅で──雨が降るどころか、曇りの日さえ殆ど無かった事」

「……! そう、いえば……まさか、お主らが?」


 あまりにもきょとんとした表情でそう語るフィンの言葉を受けたローアは、よくよく考えれば確かに、ここまでの道中で雨が降った記憶が無い事に気づく。


 そもそも、雨風を凌ぎたいだけならハピが風を操作すれば済むと思っていたからこそ、その作業さえ見た事が無い事を見落としていた事に衝撃を受けていた。


「ウルが気温を、ハピが風向かざむきを、ボクが水分を操作して、なるだけ望子が過ごしやすい天気にしてたんだ」

「な、るほど……?」


 その後、フィンはドルーカで修練をしていた時点でそれを可能にしており、それは望子も知っている事だと、あっけらかんといった様子で伝えてくる。


 ──あれ、言ってなかったっけ? と。


 うむむ、とローアが可愛らしく唸り、そんな事が可能なのか、いや召喚勇者の所有物ならば或いは、と脳内で様々な思考を繰り広げていた中で──。


「──おい! このままじゃ退転しちまうぞ! オマエら何か策ねェのかよ!?」

「……っ、確かに、このままじゃ……ちょっとね」


 カリマがそこそこ切迫した様子で叫び、ポルネも息を切らしながら愚痴を吐いて、戦闘に加わりもせず何やら話をしている望子たちに声を飛ばしてくる。


「……どうやら時間もない様子──フィン嬢」

「ん。 それじゃあ……みこ、ボクも戻してくれる?」


 それを受けたローアは深く溜息をついて、理解するのは実際に見てからでも遅くないと考えてフィンに話を振った事で、フィンは頷きながら泡の中の望子へと視線を向けて、ウルたちと同じ様に自分も一旦ぬいぐるみに戻してもらう為、両手を軽く広げた。


 天候の操作は三人で息を合わせなければ難しい、というのは分かっていたからこそ、自分もぬいぐるみに戻り、望子に託そうと考えての行動である。


『──! ────、────!』


 ──ぽんっ。


「──よしっ」


 いつもの間の抜けた音とともにフィンが海豚のぬいぐるみとなった事で、彼女が行使していた泡沫うたかたの効力も消え、一瞬で激しい雨風に晒されてしまうが……今の望子は、勇者スイッチの入った使命感のかたまり


(おおかみさんの『ねつ』と、とりさんの『かぜ』、いるかさんの『みず』……うん、ちゃんとおぼえてる)


 かつて亜人ぬいぐるみたちが自慢げに見せてくれた力を小さく細い指を折り畳みながら確認し、大丈夫そうだと判断した望子は出来るだけ海に近づいてから濡れた黒髪を掻き上げ、荒天の空へと小さな両手を掲げる。


『──ヴュウウウウ……アアアアアアアアッ!!』

「──っ! 大きいのが来るわ! 伏せて──!」


 その時、いい加減痺れを切らした水棲主義が大きく吠えたかと思うと、数十本以上もあった水の手を二つの超巨大な手に変化させて、望子たちの乗る船ごと沈める為に振り下ろさんとしたのを察したポルネが、特に望子に対して警告の声を上げていた。


 しかし、今の望子に彼女の声は……というより、誰の声であろうと届く様子はなく、幼いなりに限界まで集中しているのだろうという事を分からせる。


 ……それは魔術だが、決まった術名は存在しない。


 ──だから。


「──『てんきになぁれ』」


 望子が地球にいた頃、そして何より……最愛の母である柚乃ゆのとともに暮らしていた頃、次の日が二人でのお出かけだったなら、占いの意味も込めて靴を飛ばすのと一緒に必ず口にした成句フレーズを術名として行使した。


 ──その、瞬間。


 望子が掲げた両の手には、赤、緑、そして青の煌々とした魔力の粒子が集まっており、それは段々と結集して純白の光となって……上空へと飛んでいく。


「「!?」」

「こ、れは……!」


 それを見ていたカリマとポルネが、何がなんだかといった具合に目を剥く一方で、望子が何をしようとしているかを理解しているローアでさえも、彼女らしくもない驚愕を露わにした表情を隠そうともしない。


 そして、望子が放った光が曇天に届き、雲を内側から貫く様に白い光が降り注いだかと思えば──。


 ──魔中豪雨マナスコールを降らせていた灰色の雲は一瞬のうちに霧散して……誰の目にも快晴の空が映る。


「──く、くふふ……くはははは!! 見事! 素晴らしいのである、ミコ嬢! いや──召喚勇者よ!!」


 ……ローアは今、自分の中の知的好奇心が限界直前まで満たされた事により、歓喜の絶頂にいた。


 それもその筈、自分の主たる魔王くらいでなければ不可能だろうと考えていた自然現象……もとい災害の処理を、たった八歳の少女がやってのけたのだから。


 ──たとえそれが、召喚勇者であったとしても。


『ヴュ、ヴュイイ……!?』


 最早、本能的にとはいえ完全に魔中豪雨マナスコールを頼りにしていた水棲主義アクアプリンシパルが危機感を覚えて苦しげな叫びを上げる中、ローアは先程までの愉しげな笑みを抑え──。


「──カリマ嬢! ポルネ嬢! 詰めの一手を!」

「「……!?」」


 前線で戦っていた二人に向けて、とどめを刺せと叫び放ったはいいものの、当の彼女たちは一体何が起こったのかいまいち分かっておらず、動揺してしまう。


「──う、お、おォ! 行くぜポルネ!!」

「え、えぇ! 任せて!」


 しかし、そんな状態にあっても二人は何とか気を取り直し、恋仲だからこその阿吽の呼吸で水棲主義アクアプリンシパルへ飛びかかり、近接と遠隔、それぞれの武技アーツを行使する。


「──『海皇接撃カイザーファルシオン』!!」

「──『海神隔撃デウスフォーカス』」


 瞬間、カリマが様々な近接武器へと変異させていた触手が青白く光り出しかと思えば、十本の触手全てがその光を強く纏った光の刃となった。


 更に、ポルネがバルカン砲の様な遠距離武器へと変異させていた触手は彼女の髪や触手と同じ薄紅色に輝きを放ち、八本の触手は全て巨大な砲塔となり、決して外す事のない様に水棲主義アクアプリンシパルに狙いをつける。


 ……そして今、十の青白い光刃と、八の紅色の光線が水棲主義アクアプリンシパル目掛けて飛来していき──。


『──ヴュ!? ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"……ッ!!』


 水棲の亜人族デミの中では最上位である二人の斬撃と砲撃が命中した瞬間、先程までに比べれば随分と小さくなってしまっていた水棲主義アクアプリンシパルは、一瞬だけ急激に収縮したかと思えば……水平線まで轟く様な断末魔とともに爆発し、塩辛くない海水を辺り一帯に撒き散らす。


(ほぅ……流石は上位種……勇者の恩恵を受けているとはいっても、これは中々……)


 その一撃を目を逸らす事なく見ていたローアは、二人合わさればレプターはおろか、ウルやハピ、或いはフィンにも届くのでは、と二人を高く買っていた。


「……お、終わッたか……! 流石に疲れたぜ……」

「えぇ、本当にね……それより、あの子……」

「あァ、とンでもねェな……」


 その後、飛びかかった事もあり、海へと投げ出されてしまったカリマとポルネは、ぷはっと海面から顔を出した途端にやれやれといった具合で呟きつつも、甲板にいるのだろう黒髪の少女を讃えていたのだが。


「──いかさん! たこさん! だいじょうぶ!?」

「いやはや、中々の一撃であったなぁ」


 そんな中、バサバサと黒い羽を羽ばたかせたローアに抱えられて海面近くまで降りてきた望子が心配そうな声を、そしてローアが称賛の声をかける。


「……へへ、まァな。 これくらい余裕だぜ」

「私たちだって、負けてられないものね」


 すると、彼女たちは互いに顔を見合わせどちらからともなく微笑んで、そんな風に返してみせた。

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