第190話 上位種の真価

 突如、腹の底にズシンと響く様な咆哮を轟かせて出現した水棲主義アクアプリンシパルは、望子たちを品定めでもするかの如く目に当たる部分の水をギョロッと動かしている。


 ──そう、先程海の上から感じたを持つ陸棲生物は一体どれなのか、と。


「あ、あわわ……!」


 水棲主義アクアプリンシパルがそんな事を本能的に考えているとは露知らず、望子がかつて遭遇した……暴食蚯蚓ファジアワーム剛鎧百足ペンドラーマといった巨大な魔蟲たちと比べても遜色ない魔物に、腰を抜かすとまではいかずとも怯える一方で──。


「でっか! でっか!! ねぇ、これ強いの!?」

「うーむ……弱い、という事は無かろうが」


 フィンはとことんまでの過剰オーバー反応リアクションを見せつつ、何ならどこか楽しそうな様子でローアの肩をガクガクと揺らすも、彼女は顎に手を当て難しげに唸っている。


 勝てないかも、などと思案している訳ではない。


(フィン嬢を上回るとはとても……)


 ウルの鼻やハピの眼以上に分析を得意とするローアは、どれだけ目の前の個体が水棲主義アクアプリンシパルとしては最強格だったとしてもフィンの眼鏡に敵う様な相手ではないと考えており、キラキラと目を輝かせる彼女の期待には添えられないだろうとも考えていた。


「……まぁ、此奴がウル嬢たちを苦しめた原因だというのは明確である。 早急に処理を──」

「──な、なァ」


 そして、なるだけガッカリさせない様にと気を遣いながらローアが声をかけようとしたその時、彼女の言葉を遮ったカリマがおずおずと口を挟む。


「……む? 何であるか、カリマ嬢」

「……アイツ、アタシらにやらせてくンねェか?」

「え、何で?」


 口を挟まれた事自体には特に何とも思っていない様子のローアが彼女の方を振り向くやいなや、カリマは自分たちに任せてほしいと言い出し、戦う気満々だったフィンは首をかしげて不思議そうな表情を向けた。


「そうね。 私たち、折角この子の力で上位種に進化出来たんだもの。 色々試しておきたいし、それに──」

「……それに?」


 望子の艶のある黒髪に手を置きつつ、そこで言葉を止めたポルネは水棲主義アクアプリンシパルの生態を把握しているからか、元より聡明なローアと同じく目の前の個体が何を考えて、誰を狙っているかは充分に理解出来ていた。


 ──だからこそ。


「──貴女、あの時に言ってたじゃない。 私たちの役割は、この子の護衛だって。 」

「……そんな事もあったっけね」


 ポルネが少しだけ挑発的な笑みを湛えて告げてきたその言葉を受けたフィンは、若干の不機嫌さを表情に出しながらもそんな事を呟きつつ、どう思う? といった具合の視線をローアに向ける。


(……海皇烏賊スキュラ海神蛸ダゴンならば、戦力的に一切の問題は無いと見て良い──が……)


 ……ローアの考えている通り、カリマとポルネがそれぞれ属する種族は、戦場を海に限定するのであれば最上位であるといっても決して過言では無い。


 それ程に強くなっても尚、総合力では龍人レプターに劣り、下位種である筈の人魚フィンにも敵わないだろうが。


(それよりも、はおそらく……面倒であるな)


 そんな事よりも彼女はどうやら他に気がかりな事があるらしく、水棲主義アクアプリンシパルの出現によって荒れ狂う海にではなく、もう間も無く望子に狙いを定めて飛びかかってくるであろう水棲主義アクアプリンシパルにでもない──空に浮かぶ灰色の雲に視線を向けていた。


 ──その時。


『──ヴュアアアアアアアアアアアアッ!!』


 おそらく、あの小さな陸棲生物が先程感じた魔力の正体なのだと理解したのだろう、ギョロリと目の部分を動かして望子を睨んだ水棲主義アクアプリンシパルが、ただでさえ巨大な口を大きく開いて吠えながら二本の水の手を伸ばして、船と共に望子たちを沈めんと飛びかかってきた。


「! 来るよ! ほら、やるんならさっさとやって!」

「おォよ! ポルネ!!」

「えぇ任せて!」


 いち早くそれを察したフィンが急かすかの如く二人へ声をかけた事で、彼女たちは一様に頷きながら望子の前に立ち、一瞬で臨戦態勢を整えてみせる。


「さぁ、行くわよ──『八足掃射オクトアーティレリー』!」


 一番槍だとばかりにポルネがそう叫んだ瞬間、彼女の八本の触手全てがバルカン砲の様な形になり、砲口から多少の間を置いて放たれたのは……彼女の墨でも混じっているのか、青と黒の混じった魔力の砲弾。


『ヴュ!? ヴュエエエエッ!?』


 かつては精々マスケット銃に近い形にしか変化させられなかった事からも、圧倒的にその威力や弾速を増している事は明白であり、伸ばしていた水の手を貫かれた水棲主義アクアプリンシパルは、反撃をもらうとは思ってもいなかったのだろう、困惑や怒気の混じった叫びを上げる。


「やっぱ強くなってンなァ! アタシも負けてられねェぜ──『十足乱舞デケムグラディオ』! ぶった斬ってやらァ!!」


 それを見て愉しげに笑うカリマも自身の十本の触手を瞬時につるぎへと──いや、単なるつるぎではなく諸刃や三叉の槍といった様々な種類の近接武器へと変化させ、望子を襲わんとする水棲主義アクアプリンシパルの手を細切れにした。


『ヴュ、アアアアッ!?』


 望子の扱う火化フレアナイズ風化エアロナイズといった攻防に優れた超級魔術とは異なり、水棲主義アクアプリンシパルの水の身体は別にダメージを受けない訳ではない為、襲う痛みに苦悶の叫びを上げるも、目の前の陸棲生物しょうかんゆうしゃを何としても殺し、喰らおうとする意思は強い様で──。


「す、すっごいね! ねぇいるかさん!」

「……そーだね」


 そんな二人の活躍を見ていた望子がフィンの身体を揺らして興奮している一方で、活躍の場を奪われたからか、望子が彼女たちを褒めているからかは分からないが……フィンは極めて不機嫌そうに顔を顰める。


(不服そうであるなぁ……まぁ、仮にも上位種。 あの程度の魔物は歯牙にもかけぬか)


 顎に手を当てながら興味深そうに二人と水棲主義の戦闘を見遣るローアの思う通り、彼女たちは間違い無く水棲主義アクアプリンシパルを押しており、もう間も無く危なげなしに勝利できるであろうと考えていた。


 ──だが、それはこのままであればという話。


「とはいえ今回は──巡り合わせが悪い」


 ローアがそう呟いて空を見上げると……先程まで遠くに位置していた筈の灰色の雲が、いつの間にか自分たちの──いや、水棲主義アクアプリンシパルの上に鎮座しており──。


『ヴュ、ヴュオオオオ……』


 一方、水棲主義はカリマとポルネの迎撃を受けた事により、みるみるその身体が小さくなってしまい、苦しげに、そして口惜しげに唸りを上げている。


「へへッ、この調子ならいけそうだなァ──あ?」


 それを見て余裕の表情を浮かべるカリマの身体には一切の傷は無く、ローアの想定通りの結果が間も無く訪れるだろうという、そんなタイミングで──。


「あ、あめ──うわぁ!」

泡沫うたかた! みこ、大丈夫!?」

「ぅ、うん……」


 突然に……あまりにも突然に望子たちを濡らさんと降り注いだ豪雨に望子は思わずしゃがみこみ、それを見たフィンは得意の泡の魔術で船全体を包み込んで雨を完全にシャットアウトしつつ、望子が風邪など引いてしまわぬ様に『乾搾かんさく』と名付けた魔術を行使し、瞬時に望子の身体から雨水だけを乾燥させる。


 ……それはかつて、襲いくる魔族たちを干からびさせる為に行使した魔術の強化版であった。


魔中豪雨マナスコール……! 何で、よりにもよって今……!」

「まな、すこーる? ってどういう事?」


 どうやらいきなり降り出したこの雨の正体を知っているらしく、あからさまに動揺を見せるポルネに対してフィンがきょとんとしつつ尋ねると、彼女は渋面を隠そうともせぬままに解説を始めた。


 魔中豪雨マナスコールとは……この世界の海でのみ発生する自然現象であり、日光で僅かに蒸発した魔素を多量に含んだ海水が雲になって、ある程度の規模になると急激に海面を叩きつける様に魔素の雨が降り注ぐらしい。


「……水棲主義アクアプリンシパルは見ての通り、身体全てが水で構成された魔物である。 つまり、魔素を多量に含んだ雨をその身に受けたともなれば──」


 ──そう、水棲主義は文字通りの水の魔物。


 周辺の水と一体化すればする程強くなる以上、上空より降り注ぐ魔素の雨は、まさに水棲主義アクアプリンシパルにとっての幸運であり……望子たちにとっての不運だといえる。


 流石の上級魔族ローアといえど、災害クラスの異常気象をどうにか出来る程の力は持ち合わせていなかった。


 ……無論、自分の主たる魔王コアノルならば顔色一つ変えずにやってのけるのだろうが。


「……成る程ね。 じゃあ、この雨で──」

『ヴュウウウウ……! ヴュアアアアアアアアッ!!』

「「「……!?」」」


 ここまで説明を受けて漸く、今どういう状況なのかを理解したフィンの言葉を遮る様に、明らかに最初よりも大きく、そして力のこもった大咆哮が轟いた事によって、望子、カリマ、ポルネの三人が思わず後ずさったその瞬間、二本だった筈の水棲主義アクアプリンシパルの手が十数本かそれ以上まで増え、船を取り囲んでしまう。


「!? な、ンだァ!? 増えやがったのか!?」

「違うわ! 単純に……大きくなってるだけよ!」


 そう、ポルネの見識は間違っておらず、あくまでもこの水棲主義は一個体であり、魔中豪雨マナスコールによって元より巨大だった身体が更に大きくなってしまっただけ。


 それはまるで、大王烏賊クラーケンの様な──。


「んー……ボクも手伝った方が良さそうかなぁ」

「で、あるな。 我輩も手を貸そう。 ミコ嬢はあまり無理をせぬ様、後方から炎か風での支援を──」


 こんな状況であっても尚、特に焦った様子は見られないフィンとローアはといえば、かたや唇に人差し指を当てつつそう呟き、かたや彼女に同意しながらも望子に後衛を任せる提案をしようとしていたが──。


(あめ……? このあめのせいで、ああなってるんだから……あめを、やませれば……はれに、できれば)


 当の望子は幼いなりに何やら思うところがあるらしく、泡沫越しに降り注ぐ激しい雨を見ながら背負っていた魔道具アーティファクト──無限収納エニグマをストンと下ろし、その中に手を入れて何かを取り出そうとしている。


「──ミコ嬢? どうかしたのであるか?」

「ぇ、あ、うぅん。 なんでもないよ」


 一方、返事が無い事に違和感を覚えたローアがチラッと視線を向けるも、望子はふるふると首を横に振ってから、どうやら話は聞こえていた様で、まかせてと答えながら怒り狂う水棲主義アクアプリンシパルを見据えていた。


(おおかみさん、とりさん……ちからをかして)


 その手に二つの──狼と梟のぬいぐるみを持って。

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