第189話 不調の原因

 ウルとハピ、レプターとキューが体調を崩してしまった原因を突き止め、何としてでもそれを対処するべく船室から甲板へと出た望子たち五人。


 青と白のグラデーションが鮮やかな快晴の下、彼女たちは特段荒れている訳でも無い海を見遣り、何処から現れるともつかぬ何かを警戒していたのだが──。


「それで? ウルたちがああなってた原因って何?」


 よくよく考えると何が原因なのかここまで説明されていない事に気がついたフィンが、一旦海を見る作業を中断してローアの方をチラッと振り向く。


「ふむ。 おそらく──水棲主義アクアプリンシパルであろうな」

「……やっぱり、そうなるわよね」

「あー……いたなァ、そんな奴」


 するとローアが腕組みをしつつ軽く思案し、されど大して悩む事も無く何かの名前を口にした事で、おそらく同じ答えに辿り着いていたのだろうポルネは少しだけ顔を顰めて頷き、それを聞いて漸く把握出来たらしいカリマは、成る程なァと感心している様だった。


「あ、あく……ぷり……?」


 ひるがえって望子は、残念ながら覚えきれなかった何某かの名を断片的に呟くに留まっている。


「……全然分かんないんだけど。 そっちで納得してないでボクたちにも説明してくれる?」


 そして望子程では無いとはいえ、いまいち要領を得ていないフィンが苛つきながら、組んだ腕を人差し指でトントンと叩いて補足説明を要求すると、当のローアはごもっともとでも言わんばかりに頷いて──。


水棲主義アクアプリンシパル。 地上に我が物顔で棲まっていながら自らの生息域たる水場に踏み入る陸棲生物を喰い散らかさんとする……自己中心的な魔物である」


 おそらく封印される以前にも遭遇した事があるのだろう、水場に潜む魔物についての詳細を語り始めた。


 水棲主義アクアプリンシパルと名付けられたその魔物は何も海だけに出没する訳では無いらしく、ある程度の水場であれば池や湖、何なら小さな水溜りにも現れるとの事。


 ……だが、何処に出没しようと、どんな規模であろうと、水棲主義アクアプリンシパルの行動理念は必ず同じである様で。


 普段は地上で暮らしている筈でありながら、漁業や航海、果ては子供の遊び場だからと平気で自らの棲息域を荒そうとする陸棲生物を本能的に忌み嫌い、水場と一体化して特殊な波を発生させ、体調不良を誘発させて弱ったところを──と解説してみせた。


 ──では何故、ウルたちと同じく陸棲生物である望子とカナタにはその効果の程が見られないのか?


 それは、多少の差異はあれど神の加護があるからであろう、とローアは随分と愉しげな様子で口にする。


 ……溢れんばかりの好奇心のみに従って行動する研究者としての一面を、全く隠しきれていなかった。


「ふーん……ん? 魔物……?」


 彼女の解説を比較的真面目な表情で聞いていたフィンだったが、解説の中に登場した『魔物』という単語に何故か引っかかってしまったらしく──。


「ねぇねぇ、前から思ってたんだけどさ。 『魔物』と『魔獣』って何が違うの?」


 海面から海底に至るまで得意の音の魔術を広げ、何処かに潜んでいるのだろう魔物の探索を続けつつ、これまで結構な数をたおした筈の『魔獣』と──実は彼女自身、一度も会敵した事の無い筈である『魔物』という存在の違いを……今更ながらに問いかけた。


 するとローアはその疑問が予想外だったのか、む? と反応してから……顎に手を当て思案し始める。


 おそらく物理的に幼い望子や精神的に幼いフィンでも分かる説明の仕方を模索しているのだろう事は、付き合いの短いカリマたちでも何となく理解出来た。


「──ふむ、有り体に言えば……獣を基底ベースとしている存在を魔獣。 小鬼ゴブリン単眼鬼サイクロプスといった人族ヒューマン魔族われらに似た形をしているもの、或いは軟体生物ブロヴや今回の水棲主義アクアプリンシパルといった不定形な存在を魔物と呼ぶのである」


 しばらく唸っていたローアだったが、彼女は魔族の中でも知能や理性の高い上級……そして、その上級においても頭一つ抜けて聡明な研究者。


 ちなみに、蟲を基底ベースとしたものが魔蟲であるよと付け加えつつ懇切丁寧に解説してみせた。


(……分かりやすいな)

(……分かりやすいわね)


 一方、海を見つつもローアの解説を小耳に挟んでいたポルネとカリマはというと、あれなら異世界出身でもある程度理解出来るでしょうね、流石は魔族ってとこか、と二人揃って感心した様子を見せる。


 ──尤も、それは彼女たちが元よりこの世界に生ける存在だからであるからして──。


「ん、んー……分かる様な、分かんない様な……」


 望子に関する以外の事となると、ウルはともかくハピやレプターと比べて遥かに理解力で劣る彼女はそんな風に唸りつつ首をかしげており、それを垣間見たカリマたちはといえば、マジかよ、マジみたいねと呆れて物も言えないといった具合を見せていた。


 ……無論、それを口に出したりはしないが。


「──あれ? それじゃあ……えっと、なんだっけ。 でみ? も、まものになるの?」


 そんな中、フィンと同じく首をかしげつつもどうやら全く別の疑問を抱いていたらしい望子が何の気無しに口を開き、辛うじて思い出せた亜人族デミという単語と共に、亜人族デミ=魔物の等式を立てかけていた時──。


「いや、それは違うのである。 亜人族デミ人族ヒューマンに似た存在──では無く人族ヒューマンから派生した立派な種族であるからな。 ミコ嬢が口にしたのは亜人族デミに対する禁句タブーの一つであるゆえ、控えておく事を勧めるのである」


 ローアは首を横に振って、亜人族デミ亜人族デミという魔物とは異なる存在であり、それを口にする事は彼ら、或いは彼女らに対する冒涜となると苦笑いで告げた。


 ……かつて、ウルと決闘を繰り広げた冒険者が口にしていた『成り損ない』という言葉……そして、その言葉が不文律である事の意味はそこにある。


 一方の望子は、禁句タブーという言葉の意味は分からずとも、彼女が人差し指を口に当てているのを見て、言ってはいけなかったのだろう事を理解し──。


「あ、そ、そうなんだ……ごめんね、ふたりとも」

「い、いやアタシは気にしてねェからよ」

「私もよ。 だから謝らないで、ね?」


 元がぬいぐるみなフィンはともかく、カリマとポルネはこの世界に棲まう生粋の亜人族デミである事を考えると、先の発言はきっと失礼だったと思いペコリと頭を下げたものの、当の二人は本当に気にしておらず、かつ望子相手では怒る気にもなれない為、逆にあたふたしながら望子の艶のある黒髪を撫でていた。


 そんな三人のやりとりを見て若干……どころか相当な不機嫌になっていたフィンはというと──。


「……それは分かったけどさ。 結局どこにいんの? その……あくあ何とかっての」


 極めてぶすっとした表情を見せながらも周囲の探索は中止していなかったが、それでも……いまいち名前の覚えられない魔物が見当たらない事に辟易へきえきとする。


 だがそんな彼女とは対照的に、ローアは何故か先程からとある一点だけを……船首を前方として左方に当たる海面を注視しており、その後すぐにフィンの声に気がつきつつも振り返る事無く口を開いた。


「……もう間も無く現れる筈である。 何せ──」

「ん? 何せ──うん!?」


 無論、そんなローアの意味深な言葉を聞き流す筈も無いフィンがきょとんとした表情を浮かべ、何故か途中で止めてしまった言葉の先を促そうとする。


 ──その、瞬間。


 突如、ローアが見つめていた海面がボコッと不自然に凹んだかと思ったのも束の間、それは一種のうちに二つの大きな水の手と……あまりにも巨大で凶暴な口を有した水の怪物が彼女たちの目の前に出現し──。


『──ヴュアアアアアアアアアアアアッ!!』


「「うわぁああああっ!?」」


 おそらく全てを水で構成されているであろう身体のどこからこんな咆哮が飛び出すのか……などという疑問をいだく余裕は無かったらしく、望子とフィンは図らずも揃って驚愕の声を上げてしまう。


「っ、出たわね、水棲主義アクアプリンシパル……!」

「……?」


 水棲主義アクアプリンシパル自体は何度か見た事があるポルネでも実際に相対するのは初めてらしく、ある程度の緊張感を持って臨戦態勢を整える一方、彼女と同じく水棲主義アクアプリンシパルを見た事のあるカリマは何故か首をかしげており──。


(……こんなデカかったか……?)


 以前に海中ですれ違った個体よりも、遥かに巨大な目の前の水棲主義アクアプリンシパルに目を奪われてしまっていた。


 ──その、一方で。


「──おそらく彼奴の生涯で最も忌み嫌い……それでいて最も食欲をそそられているであろう、陸棲生物しょうかんゆうしゃが目の前にいるのだから」


 カリマが脳内で口にした、一般的に海に出没する個体よりも圧倒的なサイズを誇る理由を誰に聞かせるでも無く呟きながら、白衣の褐色少女は口をパクパクさせている黒髪の召喚勇者を見て──少し、わらった。

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