第176話 危殆の無い誓約

「おーい、起きてるー?」


 決して広くも無い牢屋敷にぞろぞろと入っていく望子たち一行を代表して、一切の緊張感を纏わせないフィンの声が響くと同時に、薄暗い牢の中でもぞもぞと二つの影が檻の方へと近づいてくる。


 無論、二つの影とはカリマとポルネの事であり、彼女たちは暗い表情を湛えながら口をひらき、

「……あァ、起きてる。 つーか、寝られねェよ」

「生きるか死ぬかの瀬戸際だものね……それと、さっきの光は一体何だったの……?」

 どうやら寝ていた訳では無いらしく、カリマが拗ねた様にそう呟く一方で、ポルネは先程牢屋敷の外から見えた黄緑色の光について問いかけてきた。


 その後、光の発生源たるハピ、そしてそのきっかけとなったローアが簡単に説明すると、

「……そう。 それじゃあ貴女も、取り敢えずは邪神の力を何とか出来たのね……良かったじゃない」

「えぇ、お陰様で――」

 今日の今日まで邪神の力を宿していた身として、ハピの気持ちが分からないでも無いポルネが僅かに微笑みかけ、ハピも同じく笑って返そうとしたが――。


「――貴女たちはどうか知りませんが、こちらはダラダラと長話するつもりはありません。 早速本題に移りたいのですが……よろしいですね?」

「……あぁそうね、そうよね。 ごめんなさい」


 そんな二人の会話は痺れを切らしたグレースによって遮られ、若干空気が読めていなかったかも、と考えたハピはそう言いつつ一歩後ろへ下がる一方で、

「……アンタも、アタシらを赦すのか?」

 カリマとしては、グレースやギルドマスターたちが次にこの場へ来る時は自分たちの処遇を決定する時だろうと考えていた為、このタイミングでフィンたちと共に来るという事は――と思い、そう尋ねる。


 だが当のグレースは、静かな怒りを感じさせる凛とした眼光でカリマとポルネを射抜き、

「……何か勘違いしている様ですが、私は貴女たちを赦してなどいません。 赦せる筈が無いでしょう?」

「……それは、そうでしょうね。 ならどうして」

 決して自分の……そして、住人たちの怒りは消えていないのだと語り、それを受けたポルネが自嘲気味に笑いながらも、何故此処にと改めて問いかけた。


 するとグレースは、おそらく本来二人に与えられる処罰が記されているのだろう書類を手に、

「……事情はフィンさんから伺っています。 もし、話しに聞いている通りミコさんが貴女たち二人を人形パペットに出来たのなら……貴女たちの身柄はこちらの皆さんに預けましょう。 ですがもし、出来なかったなら」

「そン時は、って訳か……アタシはそれでいいぜ」

 暗に、生か死かデッドオアアライブを突きつけてきた事で、カリマは全てを察してゆっくり首を縦に振る。


「さ、みこ。 おいでおいで」

「……ぅ、うん」


 その一方で、漸く話が進んだのだと判断したフィンが手招きして望子を檻の前まで誘導すると、望子は浮かない表情のまま重い足取りで近寄っていき、

(この子が、異世界から来た勇者なの……?)

(……聞いてた以上にガキじゃねェか)

((……でも))

 そんな望子の姿を初めて見た二人は、フィンやローアに聞いていたよりも遥かに幼い事に驚き、それと同時にその愛らしさに目を奪われてしまっていた。


 檻の前で立ち止まった望子は、しばらく唸って思案している様子を見せていたのだが、

「……あ、そうだ。 ねぇいるかさん」

「なぁに?」

「あと、おおかみさんも」

「……んぁ? あたしもか?」

 突然何かを思いついた様にフィンとウルに声をかけた事で、二人は首をかしげて望子の言葉を待ち――。


「うん、『もどって』」

「「えっ」」


 ――ぽぽんっ。


 やはり重なって聞こえるその声と同時に、二人がぬいぐるみとなった瞬間を垣間見たカリマたちは、

「うおっ!? マジかよ!」

「……本当に、人形パペットだったのね」

 かたや若干の驚きと共に少しだけ仰け反り、かたや割と冷静な様子でフィンやローアの話は正しく……という事は、この少女が召喚勇者だというのもきっと本当なのだろうと改めて実感していたのだった。


「な、何? 望子は何をしようとして……」


 おっとっと、と望子が二つのぬいぐるみを優しく抱えている中、自分だけぬいぐるみにされなかった事もそうだが、何をしようとしているのか全く分からないハピがふとそんな風に呟くと、

「……おそらく、ウルとフィンの力を行使しようとしていらっしゃるんだ。 ウルは声で威圧を、フィンは音の力で相手の嘘を見抜けるんだろう?」

「あぁ、成る程……それは興味深いのであるな」

 望子、ハピ、そしてレプターの三人でおこなった魔術教習の成果を思い返していたレプターが、宿屋で彼女たちから聞いていたウルたちの力も思い返しつつそう言った事で、いかにも研究者然とした表情を浮かべたローアが納得しながら頷き、望子を見つめている。


 ――実のところ、彼女の推論は何一つ間違っておらず、ウルやフィンをぬいぐるみに戻していた時――例えば奇々洞穴ストレンジケイヴなどで――望子は自分の嗅覚や聴覚がいつもと違う事に気がついており、今回のレプターからの教えによってそれを確信していたのだった。


 その後、再び檻の前に立った望子が、あー、あー、と可愛らしく発声練習をしてから二人を見つめて、

「えっと……ひとつ、きいてもいい?」

「え、えぇ。 大丈夫よ」

 こてんと首をかしげて問いかけると、ポルネはその一挙手一投足に若干の怯えを見せつつも軽く頷く。


「ふたりがなんでかいぞくになって……わるいことをするようになっちゃったかはきいたよ」

「っ、そ、そう……」


 そして、望子がぬいぐるみを二つ抱えたまま、まず前提として彼女たちの生い立ちを噛み砕いて理解出来た事を語り、ポルネが簡素に相槌を打って、

「だいじなひとのためっていうのもわかるし、わたしはふたりをつれていってもいいとおもってるんだ」

「ま、マジか? それは、ありがてェが――」

 それを受けた望子がぬいぐるみに目線を落としてから振り返り、『大事な人』たちに微笑みかけてそう告げた事で、カリマは驚きと嬉しさが入り混じった様な表情と声音で望子の顔を覗き込んだのだが――。


 ――当の望子は、ゆっくり大きく息を吸って。


「――『だから、ひとつだけやくそくして? もう、わるいことはしないって。 ね?』」

「「っ!?」」


 二人が目を見開いて驚くのも無理はない、彼女たちだけで無くその場にいた全員に届いた望子の声は、先程までの可愛らしい声とは全く異なる、魔力を纏わせ身体を直接震わせるかの様な甘く妖艶な声であり、

(くふふ、素晴らしい……! おそらくウル嬢の王吠おうぼえよりも更に……これだから勇者というのは!)

 全員が驚く中で、唯一ローアだけは勇者の無限の可能性に心躍らせており、かつてリフィユざんでウルが放った咆哮と比較しつつその眼を光らせていた。


「……分かった。 ミコ、だったよな? アタシもカリマも、オマエに同行する限りは――」

「『これからずっと』だよ?」


 そう宣言しようとしたカリマの言葉を、望子が再び力を纏わせた声で遮った事で二人は身体を震わせて、

「こっ、これからずっと、悪さはしねェ。 な?」

 カリマが若干言葉に詰まりながらも頷いてポルネに話を振り、一方のポルネもブンブンと首を縦に振ってみせた事で……此処に誓約が交わされる。


 ――邪神の時とは違う、危殆の無い誓約が。


「それならいいよ! これからよろしくね、ふたりとも――うぅん、『いかさん』、『たこさん』!」


 その言葉と彼女たちの心音を聞いていた望子は、きっと本心からの言葉なんだろうと判断し、出会う前から決めていた二人の呼び名を口にしたものの、

「誰が烏賊だ――」

「誰が蛸よ――」

 ……別に間違ってはいないのだが、名前を知ってるんだろうしそっちで呼んでくれれば、とそんな意を込め、二人して叫び放とうとしたその瞬間――。


 ――ぽぽんっ。


 そんなお決まりの間の抜けた音と共に、牢屋の中にいた筈の二人の人魚がいた場所には……とことんまでにデフォルメされた桃色の蛸のぬいぐるみと、青白い烏賊のぬいぐるみがころんと転がっていた。


「ほ、ほんとにぬいぐるみになった……!」


 実のところ、本当にぬいぐるみに出来るとはあまり思っていなかった望子は目を見開いて驚き、

「……グレース」

「……えぇ、そうですね。 ミコさん」

「えっ、な、なに?」

 その光景を見ていたオルコがグレースの肩に手を置くやいなや、彼女は深い溜息をつきつつ手元の書類をゆっくりと破いてから望子に声をかける。


「その二人をお願いしますね。 彼女たちはした事は決して赦されませんが……貴女たちと一緒なら、少しは罪禍ざいかそそぐ事が出来るかもしれませんから」


 グレースは望子に目線を合わせ、僅かに微笑みながら少し難しい言い回しと共にそう言うと、

「う、うん? えっと……うん、まかせて!」

 ざいか? そそぐ? と首をかしげていた望子ではあったものの、大体何を言っているのかは理解出来ていたらしく、満面の笑みで応えてみせたのだった。

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