第168話 聖女と海霊

「ん〜……うん〜……?」


 その一方、甲板にてふわふわと浮かんでいたフィンが、何が気になるのか先程から首をかしげており、

「……ど、どうしたの? 何か、あったの?」

 正直怖くて仕方無いが放っておくのも逆に怖いからか、カナタはおそるおそる彼女へ問いかける。


「船長たちのとこに行ってる筈のローアの話し声が急に聞こえなくなったから、何か隠してるのかなって」


 ひるがえってフィンは、それがさぁ、と軽い口調で自分が気になり続けている事について語り出し、

「あ、あぁそうなのね……あれ、でもそれって……その、邪神の事を隠そうとしてるから、じゃないの?」

「……あぁ、そういう事か。 ならいいのかな」

 多分だけど、と付け加えつつカナタが、『邪神』という単語だけ声量を抑えて憶測を口にすると、どうやらフィンはそれで納得したらしく首を縦に振った。


 ――その、瞬間。


「そう、ね……っ!? 今、のは……!」


 簡素に返そうとしたカナタが、突然バッと船の進行方向……海の方へと目を見開いて顔を向けた事で、

「? 何いきなり」

『きゅ〜?』

 その挙動に若干びっくりしたフィンと、カナタの肩に乗るキューが疑問符を浮かべて尋ねようとした時。


「で、出たぞ! 海霊ネビルだ!」「な、何だあの数……! あれが一斉に呪ってきたら……!」「神官を! 神官を呼べぇ!」「くそっ、あの中には俺たちの一党パーティメンバーも……!」「あ、あぁ……! 兄さん、兄さんが手を振って……!」「馬鹿野郎! 連れていかれるぞ!」


 そんなカナタの反応に呼応する様に、船に乗っていたギルド職員や町の船乗り、果ては冒険者たちもがくだんの幽霊の出現に慌てふためいており、

「ねびる? ……あぁ、海で死んだ人の……ほら、出番じゃないの? 聖女サマ」

 されどフィンは、自分には関係の無い事だとばかりに無表情で目の前の聖女カナタに話を振った。


「え、えぇ……キューを、お願い出来る?」


 一方、護衛に連れて来たとはいえ、呪いにまで耐性があるかどうかも分からないキューを浄化の場に連れ出すのは、とフィンに面倒を見てもらおうとするも、

「まぁそれくらいは。 ほら、おいで」

『きゅ……? きゅ〜……!』

 何故かキューは、比較的優しく手を伸ばしているつもりのフィンを威嚇する様な仕草を見せてしまう。


「……何かめっちゃ警戒されてんだけど」

「え、キュー? どうしたの……?」

 

 そんなキューの様子に、困惑と苛つきが入り混じった様な表情を浮かべるフィンをよそに、カナタが自分の肩に乗るキューの頭を指で撫でていた時、

(……もしかして、私が危ない目に遭わされたから?)

 カナタは不意に、リフィユざんにて望子たちに追いついた際に、自分が彼女から攻撃を受けそうになった事をキューは覚えていて、それで必要以上に警戒をしようとしてくれているのでは? と考えていた。


 ――無論、その考えもあったかもしれないが、出発する前にレプターが、『私は少しやる事があるから、カナタの事を頼んだぞ』と言い聞かせたその言葉こそが、キューに強い責任感を与えていたのだった。


「……や、やっぱりいいわ。 この子は護衛も兼ねてついて来てくれたんだし。 一緒に頑張りましょうか」

『きゅー!』


 結局、カナタは折角だからとキューを乗せたまま浄化に向かう事にし、キューも張り切っている一方で、

(……釈然としないなぁ。 ま、どうでもいいけど)

 何故あそこまで警戒されていたのか、その理由が分からないままモヤモヤとしていたフィンだったが、別にいいかと思い直し、見物けんぶつでもしようかとゆっくりふわふわ浮かびながらカナタたちの後をついていく。


 その後、船首付近に集まっていた者たちを何とか掻き分けると、そこには自分と同じく神官なのだろう二人の女性が海を……いや、海霊ネビルを見つめており、

「ごめんなさい、遅くなりました」

 カナタが息を整えつつ声をかけると二人は一斉にこちらを振り返り、駆け寄ってきた。


 その内の一人……銀色の長髪の、おそらく冒険者なのだろうイザベラと名乗る神官がカナタの手を取り、

「貴女が町を救ってくれた一党パーティに新しく加入したっていう……期待、してるわよ?」

「が、頑張ります……それで、海霊ネビルは……」

 この船に神官は三人しかいないんだからね、と念を押してきた事で、カナタは若干気圧されつつも海を見遣り、当の海霊ネビルについて聞こうとする。

 

「えぇ、あちらに。 どうやら海精霊ネレイスは未だ本調子では無いらしく……けれど、それにしたってあれ程の数の海霊ネビルわたくし今まで見た事ありませんわ。 わたくしたち三人だけで本当にやれますの……?」


 そんなカナタの問いかけに答えたのは、もう一人の神官であるエシュメと名乗った青髪の少女で、彼女は海精霊ネレイスの性質を理解しそれらが正常に機能していない事も見抜いた上で、海の中から次々と湧いて出てくる海霊ネビルを戦々恐々といった表情で見つめていた。


『……コッチニ、オイデ……』

『サビシイ、サビシイヨ……』

『マダ、シニタクナンテナカッタノニ……』


 そんな彼女の呟きに呼応……する訳では無いだろうが、海霊ネビルたちが口々に呪詛めいた言葉を紡ぎ、生者を妬んで引き摺り込まんと手を伸ばす。


 ――救いを求めて、手を伸ばす。


「……やらなきゃ、いけないのよ。 あの人たちも、海賊の被害者なんだから。 せめて私たちの手で神の御許へ送ってあげなきゃいけないわ」


 エシュメの声に答えたのか、はたまた自分に言い聞かせたのかは分からないが、イザベラが噛み締める様にそう口にして、連節棍フレイルにもなる錫杖スタッフを構える一方、

「……仕方ありませんわね」

 神官としてある程度の場数を踏んでいるイザベラとは違い、カナタと同い年で神官にも成り立てのエシュメは溜息をつきつつも、真新しい鎚矛メイスを握りしめた。


 ――そして、三人の神官は海霊ネビルに手をかざし。


「「『尽きぬ祈りを宿し、神の御許へと送らん』」」

「……」


 そう詠唱を始めたのはイザベラとエシュメの二人だけであり、聖女であるカナタはそれを聞いて、彼女たちが行使しようとしている浄化魔術であれば詠唱はいらないだろうと判断し、無言で魔力を集中させる。


「「「『祓光浄化エクスピュリフ!』」」」


 それは、放出リリス系統の中級に位置するそこそこの浄化魔術であり、決して広範囲を浄化出来る訳では無いが、無駄に行使までの時間がかかる上級とは違い、最初に詠唱を済ませてしまえばある程度の威力と規模を保ったままに浄化し続けられる便利な魔術だった。


 ――尤も、聖女カナタの場合は詠唱など無くとも、ほぼ無尽蔵に放てる浄化の光となるのだが。


『『『ゥ……? オ、オォ……』』』


 三人の浄化によって、海霊ネビルたちが一人、また一人と浄化され天に昇っていくのを見ていた乗組員たちは、

「おぉ……! 凄ぇ、次々浄化されていくぞ!」「でも、あんな数の海霊ネビルを全部祓い切れるのか……?」「今は、信じるしかねぇよ……頼むぜ、神官の嬢ちゃんたち……!」「どうかせめて、安らかに……」

 かたや迫ってくる海霊ネビルに睨みを利かせ、かたや海霊ネビルたちの中にいる親しかった者たちへの祈りを捧げながら、先頭に立つ三人の神官を鼓舞する。

 

「くっ……やっぱり多過ぎますわよこれ……! わたくしたち三人だけではどうにも……!」


 そんな中、三方向に分かれて浄化していた三人だったが、既に魔力が尽きかけているのかエシュメが泣き言とも取れる言葉を口にしようとした時、

「弱音吐いてる暇があったら浄化しなさいな! そっちの貴女も、何をボーッとして――」

 まだまだ魔力に余裕はあれど、エシュメと同じく精神的な疲弊は溜まってきていたイザベラが自分にも言い聞かせる様に叫びつつ、何かを思案している様子のカナタに向けて小言をぶつけんとしたのだが――。


「少し、下がっててもらえますか?」

「「え?」」


 突然カナタがそんな事を言いながら、鬼の首を模した船首の近くまで歩いていくのを見た二人は、最早そこまで海霊ネビルが迫っているこの状況で何をと驚き、

「ちょ、ちょっと……っ、もぅ!」

 二人を代表してイザベラがカナタを止めようと手を伸ばすも、その手に海霊ネビルが取り憑こうしてきた為、カナタに構っている場合では無くなってしまう。

 

 その後、カナタは自分に取り憑こうとする海霊ネビルたちを簡単に祓い退けつつ、肩に乗るキューに向けて、

「……ねぇ、キュー。 頼みがあるの」

『きゅ?』

 余計な心配はさせぬ様にと笑みを浮かべて声をかける彼女に、キューはこてんと首をかしげている。


「これから行使する魔術の為に、貴女の魔力を少し借りたいのだけど……分かるかしら?」

『きゅー……きゅっ!』


 そして、カナタの控えめな様子での頼み事に、分かっているのかいないのか、キューは一瞬思案する様な仕草を見せたが、すぐに腕の根っこをシュルッと伸ばしてカナタの細腕に絡ませ……魔力を流す。


 ――分かっているらしかった。


「ふふ、ありがとう……それじゃあ」


 そう言ってカナタは、キューの根っこが絡まっている方の腕を海霊ネビルのいる海へ……では無く、海霊ネビルの影響か曇っている様にも思える空へと向けて、

「『生きとし者へは祝福を、死せる者へは追悼を。 聖なる光は平等に、あまねく者へと降り注ぐ』」

 先程の中級魔術の時とは違い、詠唱を必要とする魔術を行使しようとしているらしく、彼女は至って真剣な、それでいて慈愛に溢れた表情を浮かべ――。



「――『神聖光雨リーネライン』!」



 術名を口にしたその瞬間、そらに伸ばしたカナタの手から神々しいまでの光の球体が放たれたかと思えば、それは上空で弾け……無数の光の雨粒となり、海霊ネビルたちへと降り注いだ。


 ……奇しくも、フィンが海賊たちへ放った黒い雨、廃水すたみなと同じ様に――。


『『『ォ、アァアアアア……!!!』』』


 カナタが放った光の雨が当たった海霊ネビルは、次から次へと満足げな表情を浮かべて浄化されていき、

「す、凄いですわ、一瞬で……!」

「あれって、神聖光雨リーネラインじゃないの……!? 相当高位の神官や祓魔術師エクソシストじゃなきゃ行使出来ない、広範囲ハイレンジの超級浄化魔術よ……!」

 それを見ていたエシュメがカナタを尊敬の念を込めて見つめている一方で、どうやらイザベラはその魔術を知っていたらしく、一体何者なのと目を見開く。


 実を言えば、彼女は神聖光雨リーネラインを習得自体は出来ていても、未だ神官としては未熟な彼女は肝心要の行使する為の魔力が足りておらず、持ち腐れとなっていた。


 ――勇者みこの力の一端を受けて生まれたキューの魔力を借りたからこそ、行使する事が出来たのだった。


「ふぅ……ありがとうね、キュー」

『きゅっ♪』


 そして、海霊ネビルが全て神の御許へと還ったのを見届けたカナタが腕を下ろしてキューに礼を述べると、キューは彼女の腕に絡ませていた根っこを解きつつ、どういたしましてとばかりに満面の笑みを浮かべていた。


 ――船上に轟く、乗組員たちの歓声の中で。

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