第167話 人魚、再び海へ

 宿屋での一幕から五日後、ショストの両ギルドから漸く積荷の回収へフィンと共に向かわせる人員が揃ったとの報せを受けた事により、先日の海賊討伐の際も借りたオルコの船で、数日前まで海賊たちの縄張りだった海域へと舵を切っていたのだった。


 海運ギルドから寄越された職員たちや、冒険者ギルドで募った有志の冒険者たちが操舵や作業をしてくれているお陰でのんびりしていたフィンはというと、

「いやぁ、晴れて良かったね。 依頼クエスト当日が雨天だなんて事になったら流石に面倒だもん」

 ん〜っ、と声を漏らして背伸びをしつつ、キラキラと日の光を反射して煌めく海面を見ながら、バタバタと忙しなく甲板を走る彼らを尻目に寛いでいた。


 ――尤も、町の恩人に雑用なんてさせられない、そう言ってきたのは彼ら自身である為、誰一人としてそんな彼女を責める様な者はいないのだが。


「とはいえこの日差しは……多少なり、日照にも耐性をつけておくべきなのであろうがなぁ」


 そんな折、かつては日の昇らない魔族領に身を置いていた事もあってか、直射日光は苦手だとばかりに目の上に小さな手を添えて影を作っているローアに、

「……ひなたぼっこが好きな魔族なんて見たくもないし、そのままのキミでいて欲しいな、ボクは」

 極めて興味無さげにげんなりとした表情を湛えたフィンがそう告げると、何故か横に立つ白衣の少女はクスクスと笑っており、何? とそちらへ顔を向ける。

 

「おやおや、殺し文句にも聞こえるのであるなぁ。 まさかフィン嬢、少女なら誰でも――」


 当のローアはニヤニヤとした皮肉じみた笑みを浮かべ、もしやミコ嬢で無くとも良いのであるか? と言わんばかりに冗談混じりにそう口にしようとした。


 ――口にしようと、したのだが。


「ほんとに殺されたいなら……そうやってさえずってるといいよ。 なるだけ苦しませない様にやったげるから」


 底冷えする様な低い声音で告げると共に、あまりにも不釣り合いなバキバキという音がフィンの細く綺麗な手から聞こえてくる事にローアは若干目を逸らし、

「……いや、遠慮しておくのである」

 他人の目がある以上、人化ヒューマナイズを解除する訳にもいかず対抗手段はほぼ零といっても過言では無いこの状況では、余計な茶々を入れるべきでは無いと判断し、彼女は大人しくその小さな口を閉じてみせる。


 ――望子がこの場にいないなら、彼女フィン魔族ローアを対等に扱う保障など何処にも無いのだから。


 一方、何故か同じく船に乗っていたカナタはというと、そんな二人の殺伐としたやりとりを見て、

「あ、あはは……はぁ」

『きゅー?』

 何とか苦笑いで場を和ませようとしたものの、やはり望子の様にはいかず溜息をついてしまい、それを彼女の肩の上で見ていたキューは首をかしげていた。


 そう、今回の依頼クエストには、何故か戦力にもなりそうにないカナタまでもが同行する事になっており、

(何で私たちまで……)

 そんな風に脳内で黄昏ていた彼女の脳裏には、自分たちが依頼クエストに参加する事となった、あまりに突拍子の無い経緯いきさつが浮かび上がって――。


 ――それは、二日前の出来事。


『……え? わ、私も依頼クエストに……?』


 ファタリアとオルコからの呼び出しを受けた勇者一行は、相も変わらず天井の高い海運ギルドを訪れるやいなや、二人のギルドマスターが声を揃えて、フィンと共に依頼クエストへ参加してほしいとカナタへ告げる。


 頭に疑問符を浮かべてしまっているカナタに対し、最早お馴染みの葉巻に火を着け咥えていたファタリアが、ほぅ、と器用に煙を輪っか状に吐きつつ、

『あぁ、あんた……カナタって言ったね。 神官なら、浄化の一つくらい出来るんだろう?』

『じょ、浄化? 毒、とかの……?』

 カナタたちが望子たちの一党パーティ奇想天外ユニークへ加入する際に彼女が神官である事を知り、現に目の前の少女が神官服を着ている事もあってかそう問いかけると、いまいち要領を得ていない様子のカナタは首をかしげながらおずおずと尋ね返した。


『いいや違ぇな。 海霊ネビルの、だ』


 しかし、そんな彼女の控えめな疑問をバッサリと斬り捨てたオルコが、カナタに同行してほしい理由を一言で簡潔に述べたものの彼女は更にきょとんとして、

『……海霊ネビル? 何でまた……あっ、もしかして』

『そう。 海賊どもの犠牲になった者たちの彷徨う魂が今頃、海を漂ってる……かもしれない』

 もう一度聞き返そうとした瞬間、カナタはハッとしてある程度の事を察してしまい、それに気がついたファタリアが小さな頭をこくんと縦に振る一方、何故か若干自信無さげにそう告げる。


 海霊ネビルとは、不幸にも海で亡くなってしまった者たちが霊体のまま天に昇れず海を彷徨い、自身と違い命のある船乗りや、元々海に棲まう魔物や魔獣までをも呪う、海の秩序を守る海精霊ネレイスと対を成す存在。


『ふむ……しかし、海精霊ネレイスが正常に機能しているのなら、浄化されないといった事は無いのでは?』


 その一方、この時点でついて行く気満々だったローアは、邪神の加護を受けていた海賊たちが海から離れた今なら海精霊ネレイスは既に常通りの働きをしている筈であろう、と知識豊富な魔族の観点からそう口にする。


『確かにそうかもね。 けど、漁に出た奴らも縄張りだった海域にまでは入り込んで無いから確証が無い。 だからこそ、念の為にあんたもついて行って欲しい。 何せ今この町には……神官も不足してるからねぇ』


 しかし、どうやらショストの漁師たちはその屈強な見た目にそぐわず思いの外慎重な様で、縄張りだった海域の一歩手前で漁をしているらしく、ファタリアもギルドマスターである手前、前任者と同じ轍を踏む訳にもいかず、実状を把握しきれていないままだった。


 ゆえに今回の依頼クエストは、積荷の回収と近海の調査……つまり、海運ギルドオルコ冒険者ギルドファタリアからの二重依頼クエストなのだと両ギルドマスターは語る。


『つってもこれは強制じゃねぇ。 断っても良いぜ?』

『……かなさん』


 ニコニコとした笑顔でありつつも何処か気迫を感じさせる二人に加え、元より望子の役に立ちたいとここまで追いかけてきたカナタとしては、愛らしく上目遣いで見つめてくる望子の声に応えない訳にもいかず、

『ぅ……い、行きます……』

 身を縮こませて神妙な表情で頷き……ギルドマスターたちからの要請を受けるほか無かったのだった。


「……何も起こらないといいけど……」

『きゅ〜……?』


 回想を終えたカナタが深い溜息と共にそう呟き、護衛も兼ねてついてきたキューが一鳴きする中で、

(とんだ災難であるなぁ、聖女カナタ……さて、今のうちに面倒ごとを済ませておこうか)

 そんな巻き込まれ体質の聖女に同情と憐憫を若干量含ませた視線を送りつつ、ローアは船内へ続く扉の方へ……正確には、フィンが協力を要請していた二人の船長たちが収容されている牢へと向かわんとする。


「あれ? 何処行くの?」


 それに目敏く気がついたフィンが、先程の怒りなど何処へやらといった様子で声をかけてきた事で、

「……少しあの二人とでもと」

 ローアは念の為とばかりに周囲の目と耳を配慮し、ぼかす様に……かつ小声でそう呟くと、

「ふーん……まぁ好きにしたらいいよ。 目的地に着くまでには終わらせてよね?」

「うむ、了解である」

 流石のフィンといえど、彼女が何を言いたいのか、何を隠さんとしているのかは理解出来た為、ヒラヒラと手を振るだけにとどめて白衣の少女を見送った。


 ――港町に甚大な被害を及ぼしていた海賊の船長たちが亜人ぬいぐるみたちに捕らえられたという情報は、今この船に乗っている者たちが知り得ない事であり箝口令も敷かれている為、本来なら『邪神』という単語さえ出さなければ声を潜める意味も無いのだが。


 その後、大きな船の中をしばらく歩くと、ある部屋の前に二人の男性が見張りとして立っており、

「……ん? あぁお嬢ちゃん、どうしたんだ? こいつらに何か用でもあるのか?」

「実は……多少込み入った話ゆえ、貴殿には席を外して頂きたく思うのであるが……」

 その内の一人が身を屈めてローアに目線を合わせてきた為、これ幸いと少女らしくも無い言葉遣いのままにか弱い少女を装って、上目遣いで頼み込む。


「そんな丁寧な言い回しをしなくとも構わないさ」

「町の恩人たちの仲間の頼みを断りはしないよ」


 すると二人は同時に顔を見合わせて、はははとローアに微笑みかけつつ口々にそう言ってから扉をひらき、本来なら自分たちも中に入るところだが、進んで扉から離れてくれた事で、ローアはペコリと頭を下げた。


 そしてローアがその部屋に足を踏み入れると、部屋には扉がある方角以外の三方向に物々しい檻が設置されており、その内の二つに収容されている亜人族デミに、

「さて……数日ぶりであるな。 人魚マーメイドたちよ」

 先程までの少女らしい表情など何処へやら、いかにも魔族といった昏い笑みを湛えながら声をかける。


「……あァ、そォだな。 まさか海の上……いや船の中で再会するたァ思ってなかったが」

「貴女も今回の依頼クエストに……?」


 かたや横たわっていたカリマは身体を起こしつつハッと鼻で笑いながらそう返し、かたやポルネはローアがここにいるとは思っていなかったのか、おそるおそるといった様子で問いかけてきたのだが――。


「うむ。 何せ我輩、海中での活動も可能ゆえ」


 そんな二人に返事せんとそう告げたローアに対し、何を言ってるんだとばかりに彼女たちは硬直して、

「……は?」

「どういう、事……?」

 口々に疑問の声を漏らした為、あぁ、とローアは自分の正体を言っていなかった事に気づく。


「……そういえばお主らには伝えていなかったのであるな。 何を隠そう……我輩、魔族である」


 魔族だから海中でもある程度の活動が出来るのだ、と原理も何もよく分からない説明をした彼女に、

「……はァ!?」

「ま、魔族って……冗談、よね……?」

 目の前の白衣の少女が魔族だとは到底信じられない二人は、その表情を驚愕の色に染めてしまっており、

「この姿を見ても……そう言えるのであるか?」

「「……!!」」

 そんな彼女たちに追い討ちをかける様に人化ヒューマナイズを解除し、褐色の肌と漆黒の角、尻尾、翼を披露すると、二人はいよいよ形の良い口をポカンとけてしまう。


「ま、マジかよ……! 何で魔族がここに……!?」


 目の前で起きた光景に驚き目を見開いていたカリマが、何故魔族領でも無い場所にと問いかけようとした時、ちょっと待ってとポルネが彼女を手で制して、

「……それじゃあやっぱり、あの話は本当なのね? ほら、私たちに植え付けられてるあの人の力を……」

 正直今の今まで半信半疑だった、あの時牢の中で聞いた話を持ち出しておそるおそる尋ねてくる。


「あぁ、邪神の加護を消す事が出来るか否か、という話であるな? 結論から言うのであれば……消すだけなら今この場でも可能であるが……如何に?」


 その声に応える様に、何が嬉しいのかローアが笑顔を崩さぬままの表情で手を伸ばし、そう告げると、

「……か、カリマ」

 自分では決められないのか、はたまた決めたくないのか……ポルネは縋る様にカリマを見つめて名前を呼び、恋人の声にピクッと反応したカリマは――。


「……アタシは――」


 ――ゆっくりと、その口をひらいた。

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