第148話 それはあまりに一瞬で

「何なのよ、どうしてあんな泡なんかに……!」


 最早、ポルネの表情と声音には当初見せていた余裕や冷静さなど欠片も残っておらず、ギリッと悔しげに歯噛みしながらそう口にして、

「チッ……おいてめェら! もういい下がってろ! 後はアタシとポルネで……ッ!? な、何だァ……!?」

 自身の部下たる船員クルーたちでは歯が立たないのだといい加減理解したカリマは、から力を貰った自分たちならいける筈だと考え声を荒げたが、そんな彼女の……彼女たちの視界に赤と青の魔力が映る。


 その一方、どれにしよっかなと掌にグルグルと渦巻く水玉を浮かべながら魔術を模索していたフィンが、

「……ウル、それ何?」

 甲板の隅から鎖の付いた、やたらとゴツい鉄製の何かをジャラジャラと音を立て引きずっていた事に気づき、首をこてんとかしげて問いかけた。


 するとウルは、これか? と言いつつ、ニカッと笑ってそれを肩の辺りまで持ち上げてから、

いかりいかり。 ほら、船を止める時に海に沈めるやつだ。 これぶん投げたら良い感じにあいつら吹っ飛ぶんじゃねぇかなって。 あぁ心配しなくてもちゃんと回収するから、後でオルコに叱られるって事はねぇぜ」

 俗にストックアンカーと呼ばれる、シンプルな形状の大きないかりに炎を纏わせてそう答えたのだが――。


 それがいかりであり、どういった用途に使われる物であるのかくらい知っていたフィンはといえば、

「……まぁ、好きにしたらいいよ」

 武器で無い物まで武器として扱う彼女の柔軟な……いや、或いは粗暴なその思考に呆れて溜息をつき、

「へへ、言われなくてもな……っとぉ!」

 そんな彼女の視線や言葉など何処吹く風という様にウルは鎖の方を持ち、投げ縄の要領でブンブンと勢いよく回転させながら少しずつそれを赤熱させていく。


 そんな折、泡の向こうで起こっている現象に、ポルネは表情を驚愕の色に染めたまま固めていた。

(何よ、あれ……! と同じか、それ以上の……あんなの私たちでも……!)

 何故なら、かつてカリマと一緒に力を貰った何某かと比較しても遜色無い程の力が、二人の亜人族デミから赤と青の魔力として発せられていたからだ。


 ――ほんの一瞬、ポルネの脳内に『撤退』の文字が浮かんだが……もう、遅かった。


「いっくぜえぇぇぇぇ……!! 『えん……とぉう』!!」


 紅蓮の強い輝きを放つ程に過熱したいかりを振り回していたウルがそう叫び、ポルネが乗っている方の海賊船に向けて投擲すると、投げられたいかりを中心にいかりの形の業炎が発生し、それは次第に海賊船と変わらぬ大きさとなって海賊たちとその船に襲いかかる。


「あぁ、泡沫うたかたが……」


 一方、さしものフィンの魔術も内側からの強大な力には耐えきれなかった様で、パンッと音を立てて割れてしまった事に少しだけ残念そうにしていた。


 そして、その光景に思わず目を奪われていたポルネは、眼前まで迫ってきていたいかりの炎を見て我に返り、

「げ、迎撃を……っ、きゃああああっ!!」

 同じく呆けてしまっていた船員クルーに指示を出そうとしたが……時既に遅く、その業炎で彼女たちは海賊船ごと豪快に吹き飛ばされ、ある者は炎で焼かれ、またある者は炎は耐えても勢いよく飛んできたいかりによってその身体を粉砕されてしまっており、

「……ぽっ、ポルネェええええ!?」

 そんな凄惨な光景を垣間見たカリマは、反対側の船から相方を心配する叫び声を上げる。


 だが、そんな彼女を尻目に、フィンはパチパチと乾いた音を鳴らして拍手をしつつ、

「おー、凄いねぇ。 じゃ、次はボクの番。 さーて、どうしよっかな……あぁ、これ試してみよっかな?」

 ケラケラと笑いながら目の前に浮かべた水玉を見て首をかしげていたが、何やら思いついた様にその水玉を細い人差し指で軽く触れた。


 その一方、すっかり萎縮しきっていた船員クルーたちに代わり恨み言を叫ぼうとしたカリマの視界に、

「てめェらよくも……ッ、はァッ!?」

 先程のウルの炎と同じかそれ以上に強く禍々しい魔力のこもった、青と黒の入り混じった水玉が映り、彼女は思わず目を剥き声を上げてしまう。


(や、ヤバい……あれはヤバイ! 何なんだよ一体! あの鳥人ハーピィならともかく、何であいつらが……ッ!!)


 それも無理はないだろう、おそらく自分たちと同じ力を得ている鳥人ハーピィだけが脅威であり、他の二人は取るに足らない、彼女たちはそう考えていたのだから。


「や、野郎ども! 撤退だ――」


 カリマは一瞬で敵わないと判断し、腕を横に掲げて船員クルーたちに指示を出したのだが――。


「もう遅いよ――『廃水すたみな』」


 そう呟いたフィンの言葉通り彼女の魔術は既に完成しており、術名を口にしたその瞬間、青と黒の水玉は少しずつ浮かび上がり……船の見張り台よりも高い位置で止まったかと思えば中心部へ向けて圧縮し、その力を拡散させるかの様に……海賊たちへ降り注いだ。


「な……に"ッ!? がァああああッ!?」


 拡散したその水がカリマの顔にほんの少し触れた瞬間、彼女の全身に黒い斑紋が浮かび上がり、苦悶に満ちた表情で叫びながら甲板を転がってしまう。


 そんな彼女を目にした船員クルーたちはパニックになって、海へ飛び込んでしまう者もいたが、結局のところ海の方へも拡散している事に変わり無く、元々海中から船を破壊しようとしていた者たちも含めて一様にフィンの魔術の影響を受けてしまい、一人、また一人と痛みと苦しみの中で力尽きていった。


「……何だよ、あれ」


 いつの間にか再展開されていた泡沫うたかたの向こう側で起きている惨状について、回収したいかりを手にウルが尋ねると、彼女は僅かに疲れを見せつつ、唇に指を当ててから唸った後でゆっくりと口をひらき――。


「……ほら、前にボク……魔族の力を取り込んだ事あったでしょ? その後の事はあんまり覚えてないんだけど、あの時の痛みとかは何でか記憶と身体にしっかり残っててね? それを再現してやろうと思って」


 首都サニルニアがまだ王都だった時、魔王軍幹部ラスガルドと対峙したフィンは、返り討ちにした魔族たちの血だの体液だの魔素だの……色々な物が混ざった水玉を取り込み、限界突破オーバードーズ前にしてラスガルドの翼と片腕を吹き飛ばす程の魔術を放った事があった。


 無論、彼女の言葉にもある様に、その時の事はフィン自身大して覚えてはおらず、自分の姿が魔族さながらに変貌してしまっていた事も後からウルに聞いたのだが、何故だかその寸前までに彼女が味わされていた痛みや苦しみは鮮明に身体へ刻まれていたのだった。


 そしてフィンは、あの苦痛をどうにかして再現し、これから望子や自分たちの前に立ちはだかるだろう敵に味わせてやれないかと考え……苦心惨憺の末、身体の奥底に残留する魔族の力を引き出す事に成功していた彼女は、自分の弱さを実感させられた風の邪神との戦闘後に漸く、この廃水すたみなを完成させていた。


 最も、何のリスクも無く行使出来る力という訳では無い事は彼女自身理解しており、今フィンの身体を襲っている疲労感と虚脱感はそれによるものである。


「お前……これミコの前でやるなよ」


 そんな折、自分がやった事は完全に棚に上げ、ジトッとした視線で彼女を見つつウルがそう告げると、

「……勿論。 こんなん見せたら怖がっちゃうよね」

 言われなくても分かってるって、とフィンはニコッと力無い笑みを浮かべつつサムズアップする。


 ……その一方で、未だ甲板にぺたんと座りこみ、光る右眼を押さえていたハピはといえば、

(痛みが、引かない……まだ、終わってない?)

 全てが終わったにも関わらず止む事の無いその疼きにより、何かを察した様に脳内でそう呟いていた。

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