第140話 上級魔族の考察と検証

 右眼に起こった突然の異常により精神的なダメージを強く受けてしまっていたハピは、一人で大丈夫だからそっちはお願いね、とウルとフィンに伝えて望子とローアが留守番している宿屋へと歩を進める。


 一方、仮昇級……そして依頼クエストの情報収集に向かった筈のハピが単身戻って来た事に、望子とローアはきょとんとしていたものの、いつもと違う様子の彼女を部屋へ通して一先ひとまず事情を聞く事にしたのだった。


 ベッドへ腰掛けたハピが、自分の身に起きた原因不明の異常について決して明るくは無い声音でそう語ると、突然隣に座っていた望子が、とりさんちょっとこっちむいて? と声を上げ顔をグイッと近づけて、

「ほんとだ、きいろくなってる……」

 先程のウルたちと同じ様に……いや、あの二人は単純に興味からだったが、望子は心底彼女を心配して、妖しく光る黄色の眼を覗き込んでくる。


 だが当のハピは、彼女にしては珍しくその整った顔を真っ赤に染めながら、

「え、えぇ……それより望子、ちょっと近くない? いや望子が良いなら私は全然構わないっていうか寧ろもっと近づいてほしいっていうかその――」

 目と鼻の先まで近づいて来ている望子の愛らしい顔と、自分の事をここまで気に掛けてくれているという事実に表情が段々と緩んでしまい、それを誤魔化す為か早口で捲し立てていた。


「は、ハピ嬢? 少し落ち着いては……」


 そんな中、一人ベッドでは無く椅子に座っていたローアが、少し困惑した様におずおずと声をかけると、

「はっ、ち、違うのよ望子。 今のは」

 その声でハッと我に返ったハピが、あたふたとしながら先程までの醜態の言い訳をしようとした時、

「……ごめんね、とりさん」

 スッと顔を離した望子は、何故かハピ以上にしゅんとした様子で俯き、眉を垂らして謝り始める。


「え? ぁ、い、今のは私が悪いの! 望子が謝る事は」


 一瞬、どうして望子が謝るの? と思考が止まってしまったが、もしや先程の誤魔化しを拒絶と捉えてしまったのではと思い当たった瞬間、ハピが視線を合わせる為に少し屈んでから慌ててそう口にした。


「うぅん、そっちもだけど……その、めのこと、きづいてあげられなくて……だから、ごめんね」


 すると望子は首をゆっくりと横に振って、私が気づいてあげなきゃいけなかったのにと涙目で呟く。


 そんな望子の謝罪を受けたハピはしばらく呆気に取られていたものの、ふふ、と軽く微笑んでから、

「いいのよ望子。 あの二人はともかく、貴女と私じゃ背の高さが違いすぎるから……目を合わせるのだって一苦労だものね。 気づかないのも無理ないわ」

 心から愛おしそうに小さな身体を抱きしめ、望子のせいじゃないんだから気にしないでと告げる。


 一方の望子も、彼女の豊かな胸と柔らかな翼に包まれながら、こくりと頷きその言葉を受け入れた。


 しばらくその状態だった二人は今、ハピにもたれかかる様にして望子が脚の上に座る形になっており、

「で、ローア。 これ……貴女なら分かるかしら」

 ハピが本題だとばかりに真剣な声と表情で自身の右眼を指差すと、ローアは小さく唸って思案し始める。


「……ハピ嬢。 先刻は随分と取り乱してしまったらしいが……冷静になった今、聡明なお主なら既に辿り着いているのでは? その瞳の変化の理由に」


 しかし、何故か大して時間もかけずに顔を上げた彼女は、逆にハピへとある種の確信を持って聞き返し、それを聞いたハピは心当たりがあるのか、思わず目を剥いて驚きを露わにしてしまっていた。


 そんな彼女の反応を見たローアは、やはりそうであったかと満足げに頷きながらも、

「そしておそらく、我輩もお主と同じ考えに行き着いており……かつ、それこそが答えなのではなかろうか、と我輩は思うのであるが……如何いかに?」

 小さな身体相応の細く短い足を組み、片方の腕をハピの方へ伸ばして彼女の答えを待つ。


「……そう、ね。 そうかも、しれないわ。 出来るだけ考えない様にしてたのだけれど」


 そして、少しの間口籠っていたハピが深く溜息をついてから首を振り、彼女に同意しそう呟くと、

「ど、どういうこと? ふたりはなにがわかったの?」

 一方で、何が何だか分からない望子は二人をあたふたと交互に見遣って疑問を投げかけていた。


 望子の問いかけにローアが頷き、右手の人差し指をぴんと立たせつつ得意げな表情を湛え、

「うむ、おそらくは」

 そう言ってハピに視線を送ると彼女も頷き、ほぼ同時にスゥッと息を吸ってひらいた口からは――。


「「――風の邪神」」


 一字一句たがわぬ、リフィユざんで交戦した存在が挙げられ、それに覚えがある望子も思わずハッとする。


「が、影響している……と見て間違いないであろうな。 何せハピ嬢は一度、彼奴きゃつの手に堕ちている」


 先程の答えに継ぐ様にローアがハピに対して淡々と事実を突きつけると、彼女は途端に表情を暗くして、

「それを思い出したくないから、考えない様にしてたのよ……うぅ……ごめんなさいね、望子……」

「だ、だいじょうぶだよとりさん。 あれはすとらさんがやったんだもんね。 とりさんはわるくないよ」

 風を司る邪神……ストラの力で操られていたとはいえ、望子に手を上げようとしたという消えない事実を思い返して謝罪するハピに、望子は右手で彼女の手を握り左手で頭を撫でて器用に慰めていた。


「……ミコ嬢。 一つ頼みがあるのだが、聞いてもらえるかな? 何、危険は無いゆえ安心してもらいたい」


 そんな折、二人をよそに何かを思案していたローアが、突然望子に対してそう申し出ると、

「え? うん、いいけど……なにするの?」

 ハピの手と頭から自分の手を離し、許容しつつも首をかしげて問いかける。


 するとローアは、満足そうにうむうむと頷き、すとっと椅子から降りて望子に近寄って、

「確かミコ嬢は、翼人ウイングマン風化エアロナイズを教わっていたのであるな? そして風の邪神が消滅する際に、彼奴きゃつから力を譲渡……あぁ、渡された事で更に強くなった。 これに間違いは無いのであるか?」

 リフィユざんの頂上にある翼人ウイングマンの集落での出来事、そしてストラが望子の中にいる何かに敗れた後の出来事を確認するかの様に語り始めた。


「えっと……うん。 だと、おもうよ。 いちだんかい、しんかする? っていってたし」


 一方、長々としたローアの話を何とか整理していた望子が、こくんと首を縦に振って消えゆくストラが口にしていた事を思い返してそう言うやいなや、

「成る程。 では一度外へ出るとするのである」

「「……?」」

 突如きびすを返したローアがそう口にして部屋を後にしようとするのを見て、全く要領を得ない二人は思わず顔を見合わせ首をかしげてしまっていた。


 宿屋を出てからも、迷いなく歩いていくローアに疑問をいだきながら二人がついていくと、段々彼女が何処へ向かおうとしているのかが分かってくる。


 ――そこは、先日全員で訪れた砂浜だった。


「さて、ミコ嬢。 先に話した頼みであるが……今この場で、風化エアロナイズを行使してもらいたいのであるよ。 無論、念の為に結界は張っておくのである」


 海からは少し離れた……それでいて町からも然程近くは無い、丁度中間辺りで足を止めたローアがそう言うと、望子はきょろきょろと辺りを見回しつつ、

「ここで? うーん、いいのかな」

 誰もいない事を確認したものの、自分だけでは判断出来ないのかハピに視線を向け首をかしげる。


 するとハピも望子と同じ様に見回していたが、彼女と望子の視力には圧倒的なまでのひらきがあり、

「えぇと……まぁ、いいんじゃないかしら。 周りに人はいないみたいだから、被害は出ない筈よ」

 砂浜の端から端……海に隣接した建物と、果ては海の向こうまで確認した後、一応加減はしてね、と付け加えて望子にそう告げた。


 それを聞いた望子はホッと息をついてから、首から下げた触媒……運命之箱アンルーリーダイスを小さな手で握りしめ、

「そっか、じゃあ……んっ』

「「!!」」

 小さく呟き目を閉じたその瞬間、望子を中心に淡く透明な黄緑色の疾風が吹き荒れ、彼女たちを包む様に張られたローアの結界が大きく振動する。


 漸くその風の勢いが収まってきた頃、舞い上がっていた砂を自分の風で下へ下へとやっていたハピは、

「っそ、それって……!?」

 砂煙の向こう側に立つ……いや、浮かぶ……望子である筈のその存在の姿に思わず目を剥き声を上げる。


 ――それも無理はないだろう、先程まで小さな愛らしい少女である筈だった望子の姿は今や、

『ふぅ。 どうかな……ってあれ? これ……そっか、ちからをもらったんだもんね……』

 忘れようも無い、リフィユざんの洞穴にて、奇想天外ユニークのほぼ全員が辛酸を舐めさせられた風の邪神、ストラの姿そのままとなっていたのだから。


 一方、口をパクパクとさせ指を差すハピを尻目に望子は、風と化しつつ黄色のローブを羽織った自分の姿を見て、少しだけ物悲しそうな表情を浮かべていた。


(やはり思った通りであったな。 しかし、加減した上でこの出力……最早、超級どころでは)


 そんな中、望子の風化エアロナイズの変化は予想の範疇にあったものの、所々ひび割れた結界を見遣りつつ脳内でそう呟き若干冷や汗を流していたローアに、

「……火化フレアナイズの時もそうだったけれど、力を渡されたからって必ずこうなる訳じゃ無いわよね……?」

 同じく表情を驚愕の色に染めていたハピが、望子の師匠を名乗る狐人ワーフォックスの姿に変化する、青い炎の魔術を思い返して疑問を投げかける。


「元々、教示的インストラクトは指南した者の癖などが強く表れる傾向にあるが……勇者であるミコ嬢だからこそ、ここまで顕在的に……まぁ、推測に過ぎぬのであるが」


 そんな彼女の疑問に、ローアは魔術を大きく二つに分類したうちの一つの特性を挙げつつも、詳しく調べない事には、とお手上げのポーズを取った。


「しかし、これでハッキリしたのである。 力を譲渡されたミコ嬢の魔術に影響があるという事は――」


 そして話を纏める為にローアが、黄色のローブを全身に纏った望子と未だ僅かに動揺しているハピを交互に見遣って答えを告げようとした時、

「……一時的にでも眷属ファミリアにされた私に、何らかの影響が出ても何らおかしくないって事ね」

 彼女の言葉を継ぐ様に、ハピは神妙な表情で自身の右眼に起きた異常に対する推測上の答えを口にする。


『とりさん、だいじょうぶ……?』


 そんな様子のハピを見ていた望子は、心配そうにふわっと近寄って声をかけたのだが、

「……ふふ、少しスッキリしたわ。 戻せるかどうかはともかく、原因だけでも分かって良かった」

 望子の心配をよそに、ハピは二人にありがとうねと謝意を示し、晴れやかな表情を見せていた。


なんなんの。 ハピ嬢たちが暗くなると……必然ミコ嬢も暗くなってしまう、我輩も学んでいるのである」


 するとローアは、心底得意げにしながらここまでの道中で学習した事を口にして、

『……よくわかんないけど、ちからになれてよかった。 くえすともがんばってね?』

 そんな彼女が言っている事はいまいち理解しきれなかったが、とりあえずハピを応援しようと、風と化した望子がニコッと笑ってそう言った。


 一方ハピはといえば、望子の気遣いを嬉しく思いつつも、完全に邪神の姿を模している望子を相手に、

「……え、えぇ、期待しててね」

 困惑した様子と口調でそう返したものの、それでも望子は満足そうに笑って頷いていた。

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