第133話 調味料に涙する勇者

 ハピを始めとして四人の仲間たちに慰められていた望子が、漸く落ち着きを取り戻してきた頃、

「一体どうしたんだ? もしかして、お嬢ちゃんの口には合わなかったか……だとしたら悪い事をしたな」

 それまで空気を読んで口を挟む事はしなかった店主が、心底申し訳無さそうに眉を垂れ下げさせる。


「ぅ、ち、ちがう、の……っ!」


 ひるがえって望子は、美味しい料理を出して貰っておいてそんな風に謝らせる訳には、とばかりにブンブンと首を横に振って、嗚咽を漏らしながらもそう言うと、

「じゃあどうして……?」

 これ以上無理に喋らせるのは悪いか、とは思いつつもやはり気になってしまった店主が声をかけた。


 そんな店主の問いかけに何とか返事をしようと、望子は鼻をすすって震える口をひらいたのだが、

「これ……おかあさん、が……つくってくれたっ、りょうりにも……にてるのが、つかわれてて……それで、おもいだし、ちゃって……! う、ううぅ……!」

 そうやって話そうとすればする程また母親の事を思い出してしまい、折角落ち着いてきていたのにも関わらず再び涙を流してハピの豊かな胸に顔をうずめ、

「似てるの……魚醤ガルムの事か? それに、作ってくれたって……美味しかったなら、また作って貰えば……っ! もしかして、お嬢ちゃんの親は……すまないっ」

 望子の言葉を聞いた店主は、何をそんなに泣く事がと疑問に思いそう言ったが、一つの可能性が浮かんだ瞬間、浅慮だったと言わんばかりに頭を下げる。


「あ、あー……違うぞ。 別にミコ……この子の母親は亡くなってる訳じゃねぇんだ。 ただちょっと、今は会えないくらいに遠くにいるんだよ、な?」


 ……実は望子は異世界からの召喚勇者で、母親は別の世界にいる、などと言う訳にもいかず、言葉に詰まりながら方便を口にしたウルが望子に話を振ると、それを重々理解していた望子は控えめに頷いた。


 一方、それを聞いた店主はといえば、潤んだ瞳を隠すかの様にそっぽを向きつつも、

「そ、そうだったのか……それで、お母さんに会う為の旅の護衛を嬢ちゃんたちがしてるんだな……」

 一見風変わりな彼女たちの組み合わせの理由をそう解釈し、うんうんと首を縦に振っており、

「え? あー……まぁ、そうだな。 うん、そうそう」

 また新たな虚偽の設定が追加されてしまった事に困惑しながらも、ウルは若干面倒臭くなって雑に頷く。


「……よし、お嬢ちゃん。 今日は好きなだけ食っていってくれ、どうせ他に買いに来る客もそこまでいないからな。 勿論、お代はこっちで持つぞ?」


 そんな折、涙を拭った店主がパンっと膝を叩き、ニカっと笑って俺の奢りだと提案したのだが、

「ぐすっ……え? だ、だめだよ……っ、しょう、ばい? なんだから……ちゃんと、おかねははらうよ」

 当の望子はゆっくりと首を横に振り、施しは受けない……とまでは言わずとも、拙い口調でそう告げた。


「……そうか。 偉いな、お嬢ちゃんは。 それじゃあ、値段を半分にさせてくれ。 それならどうだ?」


 望子の主張を受けた店主は再び涙ぐみそうになりながらも、本当に立派な子だと思い妥協案を口にする。


「……ぅん。 あり、がとう、おじさん」


 望子はそれを聞いて、どうしよう、と自分を抱えてくれていたハピを見上げると、彼女はニコッと笑って

許可を出し、望子も同じ様に笑みを浮かべて答えた。


「おう! さぁ、嬢ちゃんたちもどんどん食ってくれ」


 すると店主は後ろを振り向き、そこまで多くは無いものの、今朝獲ったのだろう貝や魚を持ち出す。

「悪ぃな、それじゃあ遠慮無く」

 ウルはそれを見て、すっかりからになった受け皿を差し出してお代わりを頼み、

「あ、ボクもボクも!」

「あぁ、では我輩も」

 そんな彼女に続く様に、フィンとローアも同じく受け皿を差し出したのを見た望子とハピは、顔を見合わせふふっと微笑んでいたのだった。


 しばらく新鮮な魚介を味わい談笑していた彼女たちだったが、望子が唐突に椅子から離れたかと思うと、

「……ねぇおじさん。 これ……わけてもらえたりしないかな、なんて……いってみたりして……」

 てくてくと店主に近寄り、受け皿に残っていた黒い調味料を指差しておずおずと声をかける。

魚醤ガルムをか? ……ちょっと難しいな。 いや、別に余所者に渡せないって訳じゃないんだが……」

 一方、望子の控えめな言葉を受けた店主は眉をひそめて腕を組み、うーむと唸ってそう口にした。


「何か事情が?」


 最早渋面を隠そうともしない店主にハピがそう尋ねると、あぁ、と返事をしつつ頷いた彼は、

「そもそもこの魚醤ガルムって調味料は、塩漬けにした魚を液体になるまで寝かせたものなんだが……充分な魚が獲れない今の状況じゃ、作る事も出来ないんだ。 これも、残り少ない作り置きだからな」

 魚醤ガルムの入った陶器を軽く振りながら製法を簡潔に説明しつつ、分けてやれない理由を述べる。


「成る程、先の海賊とやらの影響がここにも……」


 それを聞いていたローアが、んでいた魚の切り身を飲み込んでからそう呟く一方で、

「塩漬け……なぁ、その塩はどっから用意してんだ? 海水からは取れたりしねぇんだろ?」

 ウルは先程から……いや、ローアからこの世界の海について聞いた時からずっと気になっていた事を、この世界に生きる人族ヒューマンである店主に問いかけた。


「どうして海水から塩が取れるなんて発想が浮かぶのかは知らないが……塩は、採掘するものだろう?」


 すると店主は、一体何を言ってるんだ? と狐につままれた様な表情を浮かべつつ、さも常識だろうとばかりにそう口にしてウルを見遣る。


 事実、ショストに限らずこの世界では塩を手に入れようとするのならそれ専用の……岩塩の採掘場に向かう必要があり、彼らの場合は近隣の農村と共同で採掘をおこなっているとの事だった。


「あ、あぁ、やっぱりそうか。 ははは、だよなぁ」


 そんな事は知る由も無いウルは、それを誤魔化す為に苦笑しながら目を泳がせる。


(……異世界こっちでは、それしかないのかしら)


 勿論その事実には、ウルだけで無くハピも驚いており、確認する様にローアへ耳打ちすると、

(先の話から推測するに……そちらの世界では海水から取るのが常なのであろうが、こちらの世界では岩に宿る神、岩神がんしんフェルスが草木一つ生えぬ岩山で死んでいく命をうれいて流した涙が染み出したものが塩と呼ばれる調味料になる……と云われているのである)

 うむ、と頷いた後、彼女は聞き馴染みの無い神の名まで挙げてやたらと壮大に語りだし、

(そ、そう……何か、食べづらくなったわね)

 ハピはそんな風に小声で答えつつも、聞かなきゃ良かったわと若干後悔していた。


「……かいぞくがわるさしなくなったら、これをつくれるようになるの?」


 ウルと店主の会話が終わった頃、望子がふとそんな事を彼に問いかけると、店主はうーんと腕を組み、

「まぁそうだが……冒険者ギルドも手をこまねいてるみたいだし、当分はこのままなんだろうよ。 俺としては分けてやりたいし、教えてもやりたいんだが……期待に添えなくてごめんな、お嬢ちゃん」

「……うぅん、いいの。 むりいってごめんなさい」

 この町が置かれている現状を口にして、難しいだろうなと付け加えてから軽く頭を下げた彼に、望子はふるふると首を横に振って……何かを決意したかの様な確かな声音でそう言った。


(あ、やっべ)


 瞬間、望子の様子に気がついたウルが小さく呟き、それが聞こえていたフィンが、ん? と反応しつつ、

(どうしたの?)

 彼女の方へ顔を向けつつ尋ねると、ウルは望子に悟られない様にこっそり指を差してから、

(ミコの目)

 フィンにしか聞こえないだろう声量でそう言って、彼女に暗にそちらを見ろと伝える。


(え? あっ……スイッチ、入ってる?)


 一方、フィンがふいっとウルの指の先にいる望子をじーっと見ていると、彼女は望子の目に宿る強い覚悟からの輝きに気がついてこそこそと声をかけ、

(あぁ、完全に入ってんな……勇者スイッチ)

 やっぱりそうだよなと同意が得られた事に満足しつつ、また余計な問題の解決に尽力する事になるのか、とウルは少しだけ溜息をついた。


(がんばろう……『おしょうゆ』のためにも)

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