第132話 品薄の起因と実食

 声が重なった事など気にもかけず、食い入る様にこちらを見つめ先を促さんとする四人に、

「……不運にも奴らがこの辺りに巣食っちまったせいで、漁へ出ようとする漁船も、他所から渡航してくる客船も……略奪され、下手をすれば沈められるんだ」

 相も変わらず何故だか忍び声でそう語った店主は、口惜しげに苦々しい表情を湛えている。


 何でも海賊たちが現れたのは本当にここ最近であるらしく、突然降って湧いた災難に町中が頭を悩ませているのだと彼はそう口にした。


 ほーん、へぇ、ふぅむ、とそれぞれがそんな風に反応を見せる中、もしかしてと声を上げたフィンが、

「人が少ないのもそれが原因?」

 辺りを見渡し、通りに並ぶ露店や屋台へ買い出しに来ているのだろう、まばらに人族ヒューマン亜人族デミたちを見遣ってそう尋ねると、

「そうだな、少し前まではもう少し賑わっていたんだが……この状況じゃ仕方ないさ」

 店主は忍び声を止め上体を起こしつつ頷き、過去の栄華を思い返す様に寂しげな雰囲気を纏わせている。


 その一方で、何かが喉元にずっと引っかかっている様な感覚に陥っていたウルが、ん? と首をかしげて、

「……待て待て、確か精霊の機嫌を損ねたら沈められちまうんだよな? 略奪なんてそれこそ……」

 この町に入る前にローアが語っていた、海精霊ネレイスの厄介な習性を何とか思い出してそう尋ねると、

「当然だ、許されざる事の筈だが……何故か奴らは、精霊様の怒りを買ってはいないらしい……くそっ」

 瞬間、見るからに物腰柔らかだった店主の表情が露骨に歪み、忸怩じくじたる思いだとばかりに歯噛みする。


 ――無理もないだろう、これまで自分たちが感謝を捧げてきた存在に、裏切られた様なものなのだから。


「ふぅむ、それはまた……不可解であるな」


 顎に手を当て思案する様子を見せつつも、研究者ゆえの知的好奇心を隠し切れていないローアの呟きに、

「まぁ詳しい事が知りたかったら冒険者ギルドにでも行ってみな。 それよりどうだ? これでも魚は今朝釣ったばかりで新鮮だし、貝も良く焼けてて美味いぞ」

 暗い話ばっかしちまって悪いなと付け加えた店主が手を広げ、パチパチと音を立てる網焼きを勧めた。


「……そうね。 色々教えてもらっちゃったし、お礼も兼ねてここで食べていきましょうか」


 ハピは一瞬思案した後軽く頷き、望子を中心として仲間たちにそう提案すると、

「うん! いるかさんもそれでいい?」

 ウルたちが反応を見せる前に、いの一番に望子が元気良く返事して、先程まで屋台の品揃えに困惑していたフィンに問いかけたのだが、

「ん? あぁ、みこが良いなら良いよ」

 彼女はいつも通り自然に望子至上主義を貫いて何気なくそう呟き、賛同してみせる。


「それじゃあ、適当に見繕って貰えるかしら? 美味しいところをお願いね、店主さん」


 そんな折、話が纏まったと見たハピがニコッと人当たりの良い笑みを浮かべてお願いし、

「あぁ、任せてくれ……っと、この辺り丁度良い頃合いだな。 仕上げにこいつを……」

 それを聞いた店主が、いい感じに焼けていた貝や魚を火箸でひっくり返しつつ、棚から壺の様な形の小さな陶器を取り出し、焼き網の上で傾けたかと思うと、

「……え、それって」

 その中から垂らされた黒い液体を見た望子は、信じられないといった表情で目を剥き思わず声を上げる。


「ん? あぁ、これが気になるのか? こいつは魚醤ガルムって言ってな、この町じゃあ馴染みの調味料なんだ」


 そんな望子の視線と声に気づいた店主が手に持った陶器を振って説明し、再度網焼きにそれを垂らすと、

「おぉ! 美味しそう!」

馥郁ふくいくとした香りであるなぁ」

 ジュウゥゥゥゥ、という聴覚から食欲を刺激する様な音と同時に、フワッとかんばしい癖のある香りが漂い、フィンやローアは思わず表情が緩んでしまっていた。


「ふふ、楽しみだわ。 ねぇ望子……望子?」


 二人と同じ様にわくわくしていたハピが、隣に立つ望子にそう話を振ったものの、何故か返事が返って来ない事に違和感を覚えて名を呼んだが、

(このにおい……、だよね)

 見覚えがあるどころでは無い、その調味料に気を取られていた望子に彼女の声は届いておらず、

「……ミコ? どうしたさっきからボーッとして……何か気になる事でもあったか?」

「え? あ……いや、ちょっとね……」

 そんな望子のおかしな様子に気づいたウルが覗きこんで心配そうに声をかけると、ハッと我に返った望子が反応し、なんでもないのと苦笑で返す。


(きづいて、ないの……? わたしがしってることを、みんなもしってるっていってたのに……)


 この時、望子が脳内で呟いていたのは、少し前にハピが分かりやすく教えてくれた、自分と亜人ぬいぐるみたちの記憶と知識の共有の事であり、望子はそれを思い返しつつもどうしてには反応しないのか分からず、幼いながらに思考を巡らせていた。


「さぁ、出来上がりだ。 熱い内に食ってくれ。 受け皿は後で返してくれればいいからな」


 そんな中、そこの椅子と机を使っていいぞと付け加えた店主が、専用の受け皿にしっかり焼けた貝や魚の切り身を載せて彼女たちに手渡し、

「いいねぇ、これ絶対美味しいよ!」

「望子、熱かったら冷ましてあげるからね」

「あ、うん……ありがとう、とりさん」

 フィンは上機嫌な様子でそれを受け取って仲間たちに配り、火傷しない様にねとハピは望子を気遣う。


(……だめだ、わかんない。とりあえずたべよう……)


 残念ながら齢八歳の望子の頭では何も思い当たる事無く、一旦諦めて言われた通り熱い内に食べてしまおうと思い、木製のフォークで湯気の立つ焼き貝を突き刺し、パクッと齧りついたその瞬間、

(……っ! これ、やっぱり……!)

 望子の口の中で、かつて味わったものとは若干の違いはあっても、どこか懐かしい味が広がり――。


「もぐもぐ……うん! やっぱり美味しい!」

「ん……あら、本当ね。 とっても新鮮だわ」

「火がしっかり通っているお陰で、魚介特有の臭みやえぐ味も無い。 これは中々のものであるな、主人」


 その一方で、フィン、ハピ、そしてローアが味わいつつ各々感想を口にしていると、

「そうだろう? こう見えて、屋台始めてもう二十年になるからな。 はっはっは」

 店主は心底嬉しそうに高笑いし、十五歳の時からやっててな、と聞いてもいない情報を語りだした。


「うんうん、何つーか、酒欲しくなってくる味だぜ。 ミコはどう……ミコ!? どうした!?」


 そんな店主の話を聞いているのかいないのかウルはそう言って頷き、望子にも感想を求めようとしたが、

「む? 如何いかがした……なっ、ミコ嬢!?」

 ウルの焦燥感たっぷりの声に反応したローアがそちらを見ると、彼女もまた同じ様に目を見開き、

「むぐ……む!? んぐ、みこ、何で泣いてるの!?」

 珍しく遅れて望子の様子に気づいたフィンは、頬張っていた貝を急いで飲み込み、思わず叫んでしまう。


「ぅ、うぅ……うあぁ……おかあ、さん……っ」


 そんなフィンの言葉通り、望子は焼き貝を受け皿に置いて、大粒の涙を流し嗚咽している。


 ――望子はこれまでの旅で、異世界の存在への恐怖で涙を流す事はあっても、元の世界である地球を、日本を偲んで涙した事は一度たりとも無かった。


 だが、慣れ親しんだものとは差異あれど、似て非なるその調味料の香りと味により、望子が心の中にしまっていた元の世界への……何より、最愛の母親への想いが溢れてしまっていたのだった。


「望子……大丈夫よ。 私たちは何処にもいかないわ」


 それを真っ先に察したハピは、受け皿を置き、望子の小さな身体を包み込む様に抱きしめて慰め、

「ふ、うぅぅ……うえぇん……!」

 そんな彼女の行動、そして言葉が嬉しくもあり哀しくも感じた望子は、しばらくハピの胸で泣き続けた。

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