第117話 聖女の目覚めは鳴き声で

『――――! ――――――!』


 ――何かが、聞こえる。


(……? 何、かしら……)


 空も大地も無い様な、フワフワとした感覚に包まれていたカナタの耳に、音とも声ともつかない何かがひっきりなしに届いている。


『――――? ――――!』


 ――やはり、何かが聞こえている。


 最近聞いたばかりの様で、それでいて耳馴染みの良いそれは、段々ハッキリと彼女の耳に届き、

(これって……そうだ、私は……)

 おそらくこれは夢なのだろう、そう自覚していたカナタが呟くと同時に彼女の視界は晴れ――。


『きゅ〜! きゅ〜!』


 カナタの首の辺りに引っ付いていたキューが、彼女が目を覚ました途端顔にピョンッと飛びつき、

「わぷっ……キュー?」

 キューの小さな身体で口を一瞬塞がれたカナタは、妙な声を上げつつ優しくキューを引き剥がす。

「キュー、何を騒いで……おぉカナタ、漸く目覚めたのか。 全く、心配させるな」

 そんな折、部屋の外で念の為に見張りをしていたレプターが、その騒ぎに気づいて部屋に入って来た。


「あ、レプター……ごめんなさい、私……」


 また迷惑をかけてしまったのだと思ったカナタが、横たわったまま軽く頭を下げてか細くそう言うと、

「気にするな、と言いたいところだが……丸一日寝ていたのだし、腹も空いてるだろう? 何か食べ――」

 ひるがえってレプターは首を横に振ってそう告げた後、クルッときびすを返して部屋を出ようとしたが、

「……丸一日? 私あれから一日中寝てたの?」

 彼女の言葉に引っかかって初めて、窓から見える外が明るいままだという事に気づいたカナタはキョトンとした表情でレプターに問いかける。


 するとレプターは、そうだとも、と口にしつつ首を縦に振ってから、

「だからこそキューはそんなにも貴女に飛びついているんだろうさ。 水も飲まずに傍にいて、貴女の目覚めを待っていたのだからな」

 未だカナタの首元から離れようとしないキューを見てそう告げると、カナタは軽く微笑んだ。


「そっ、か……ありがとうね、キュー」


 細い人差し指の腹で葉っぱで出来た緑色の髪を優しく撫でつつ感謝の意を示し、

『きゅ〜……きゅー!』

 キューは先程までその小さな瞳からポロポロと流していた涙……というより水滴を止め、目を細めて撫でられた後嬉しそうに笑っていた。


「まぁ少し待っていてくれ。 ここはギルドの救護室なんだが、下の食堂の様な所で何か貰って……っと?」


 そんな二人のやりとりを見ていたレプターは、ふふっ、と笑みを浮かべつつそう言って改めて部屋を出ようとしたのだが、扉の所に誰かがいる事に気づき、

「……ピアンか? ここで何をしている」

 その正体の名を口にしながら、昨日あんな事があったにも関わらずここにいる理由を尋ねようとし、

「……っ」

 その名を聞いた瞬間、あの恐ろしい狐人ワーフォックスの存在を思い出したカナタは身を強張らせてしまう。


 部屋の外からでもそれに気づいたのか、ピアンがカナタの方へ視線を向けながら、

「私一人です、店主はいませんよ。 一応、お見舞いをと思いまして……原因は私たちの様ですけど」

 自分の後ろには誰もいないのだ、と主張する様にピアンは片手を広げてみせた。


 無論リエナは、彼女の小さな身体に隠れられる程小さくはないので、その行為にあまり意味は無いが。


「……そうか、まぁ入ってくれ。 そこに座るといい」


 このまま立たせておくのもなと思ったレプターは、とりあえず彼女を招き入れ、カナタを看病する際に自分が座っていた椅子を指差してそう言った。


(あのリエナとかいう狐人ワーフォックスはともかく、ピアンなら……放っておいても良いだろうか)


 正直、あんな事があった今でも目の前の少女を敵と認識するのは彼女にとっては難しかった様で、

「カナタ、私は軽めの食事とキューの為の水を取ってくるから……ピアン、何かあったら頼むぞ」

 結局悩んだ末に思考を放棄し、まぁ大丈夫だろうと踏んで部屋を後にするレプターに、

「え、えぇ」

「分かりました」

 カナタはおずおずと手を振りつつ、かたやピアンはぺこっと頭を下げてそう言った。


 しばらくの間、気まずい静寂が救護室を支配していたが、すうっと息を吸ったピアンが口を開き、

「……カナタさん、昨日はすみませんでした。 レプターさんだけじゃなく、貴女だって私の恩人なのに、話も碌に聞こうとせずにいきなり魔術を……」

 椅子に座った状態で、ベッドに横たわるカナタに深く頭を下げて謝罪する。


「う、うぅん、気にしないで。 貴女たちの怒りは最もだと思うし、特段怪我をしたって訳、でも……っ?」

「……どうしました?」


 正当な理由があったんだから、と首を横に振って、謝罪を受け入れつつもそう言っていたカナタが、突然言葉を止めて広めの救護室の中をきょろきょろと見回し始めた事に、ピアンは疑問をいだいて声をかけた。


「その……私、聖女だって話したでしょ? だからなのかは分からないんだけど、怪我をしてる人の気配にちょっと敏感っていうか……」


 一方、ピアンの声で見回す事を中断したカナタが、うーん、と唸って首をかしげていると、

「え? それはおかしいですね、昨日今日でここを利用してるのはカナタさんだけの筈で……あ」

 救護室と言っても割と名ばかりですから、と言って先程までのカナタと同じ様に部屋を見回していたピアンの目が、ある一点に止まったかと思うと、

「……そっか、あの二人がいましたね」

「あの二人……?」

 彼女は突然そんな要領の得ない発言をし、それでは何が何だか分からないカナタはそう聞き返した。


 ……瞬間、ピアンは部屋の隅の方を指差す。


「気になるのは、あのカーテンの向こうですか?」


 そこには、外側からは中がどうなっているのか、そして中に何がいるのか分からない様に濃い緑色のカーテンが掛けられた二つのベッドが並べられていた。

「え……えぇ、そうだけど」

 カナタとしては、間違いないけど何故分かったんだろうかと気になったが、とりあえず頷いておく。


「あそこにはですね、二人の冒険者がもう一月近く眠っているんですが……他でも無い、ミコさんのお仲間の一人、ウルさんとの決闘が原因なんですよ」


 そう語るピアンは、話に出て来た決闘を直接見ていた訳では無いが、その場に同席していた森人エルフの冒険者から詳しい話を聞いており、カナタは新たな情報を整理する為顎に手を当てふんふんと頷いていた。


「話を聞く限りでは完全に自業自得なんですけどね。 バーナードさんや救護班の方たちも処遇に困っているそうですよ、形としては等級クラスの降格とギルド追放という扱いみたいなので、いつまでも眠られると、って」


 説明も一段落つき、ゴミを見る様な目で眠っているのであろう二人の……男女の冒険者をカーテン越しに睨むピアンだったが、

「そう……なの、ね……よしっ」

 何を思ったか、急にもぞもぞと動き出しベッドを降りて立ち上がり、ゆっくりと二人が横たわるベッドの方へ歩いていくカナタに、

「え、カナタさん? ちょっと何を……」

 あまりに突拍子も無い行動であった為、少々呆気にとられたものの片手を伸ばして制止しようとする。


 ――だが、時既に遅し。


 ピアンの声がカナタに届く頃には、彼女はもうカーテンに手を掛けており――。


 横たわる二人を目にした瞬間、カナタは少しだけ、ほんの少しだけ……自分の決意を後悔した。

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