第109話 夕暮れの草原で

 ウェバリエに別れを告げて、サーカ大森林を後にしたカナタたちはしばらくの間、次の目的地であるドルーカの町へ向かう為歩を進めていた。


 辺りは既に、彼女たちの白い……或いは茶色い肌が赤らんで見える程の夕暮れとなっている。


「ねぇ、レプター。 折角だから、この子に名前つけてあげたいのだけど……何か良い案はある?」


 そんな折、あっ、とカナタが何かを思い出したかの様な声を上げつつ、彼女の肩に乗る樹人トレントを細い指でつんつんとつつきながらそう問いかけると、

「ん? ……あぁ、確かに名も無いままでは不便だな」

 少し前を歩いていたレプターは足を止める事無く、歩幅だけをせばめて彼女たちの横についてそう口にし、

『きゅ?』

 自分の話題なのだと理解していない樹人トレントはというと、こてんと可愛らしく首をかしげていた。


「でしょう? どんな名前が良いかしらね」


 一方カナタがそう言って、いくつか脳内で良さそうな名前の候補を呟いていたその時、

「そう、だな……『キュー』、でどうだ? きゅーきゅー鳴いているのだし」

 ほんの一瞬だけ悩む様子を見せたレプターは、如何にもあの黒髪黒瞳の少女が付けそうな名を挙げる。


「……そ、そんな安直で良いの?」


 植物だから『プラン』、緑色だから『グレナ』……などなど、様々な案があったカナタは、思わず彼女の感性を疑う様な聞き返し方をした。


 するとレプターは、特に気を悪くする様な事も無く彼女の怪訝な表情を見つめながら、

「あぁ、これくらい単純シンプルな方がのちのち馴染みやすいというものだ。 そして何より……ミコ様が呼びやすい名でなければ意味が無い」

 しめやかに二つの理由を口にして、カナタに言い聞かせるかの如く至って真剣にそう答える。


 ……無論、彼女にとって後者の理由の方が重大だというのは、火を見るよりも明らかであるが。


「そ、そう……貴女は、それで良い?」


 短い付き合いではあれど、それを理解出来ていたカナタは、若干困惑しつつも肩の上の樹人トレントに尋ねると、

『きゅー?』

 何の事やらと首をかしげながらこちらを見つめてくる樹人トレントに、かつて黒髪黒瞳の少女にいだいた様な庇護欲を感じていたが、ふるふると首を横に振ってから、

「貴女の名前。 キュー、で良いの?」

 肩の上にちょこんと乗っていた樹人トレントを掌に移しつつ、もう一度言い聞かせる様に問いかける。


 すると樹人トレントの少女は、分かっているのかいないのか、ニパッと満面の笑みを浮かべ、

『きゅー!』

 カナタの顔の方へ小さな手を伸ばして一鳴きしたのを見た彼女は、それを肯定だと捉えたのか、

「……そっか。 それじゃあ貴女は今から『キュー』よ。 よろしくね、キュー」

 若干の諦めの念と共にふぅ、と溜息をつき、正式に樹人トレントに対する命名を行い、

『きゅっ!』

 キューと名付けられたその樹人トレントは、とても嬉しそうに短く鳴いてみせた。


 その後、段々と夕陽も沈んでいき辺りが暗くなり始めた頃、突然レプターが立ち止まり、

「……ん? 何だあれは」

 遠くを見ている事をアピールするかの様に、目の上に片手を添えながらそう呟くと、

「どうしたの? 何か……って、え……?」

 カナタもレプターの視線の先へ細めた目を向け、そちらにある何かを見ようとした瞬間、彼女の視界に極めて奇妙な風景が映り込む。


 その風景を近くで確認する為に、二人が足早にそこへ辿り着くと、改めてその異様な光景に彼女たちは圧倒され、しばらく呆然としてしまった。


「な、何これ……ここだけ草が……地面も、真っ黒になるまで焼け焦げてる……?」


 おそるおそるそう呟いたカナタの言葉通り、そこにはたった一本の草も生えてはおらず、まるで業炎で焼き払われたかの様に地面も黒焦げになっている。


「これは……魔術による影響か? それとも……」


 それを知ってか知らずかレプターは、周りと比べてすっかり硬質化した地面を手で触りながら小さく呟き、脳内会議を繰り広げ出していた。


 その時、先程まで大人しくカナタの肩の上に乗っていたキューが、その光景を覗き込んだ途端、

『きゅ?……きゅー!』

 何を思ったか上機嫌な声音で一鳴きしつつ、カナタの肩から飛び出して真っ黒な地面にダイブする。


「ちょ、ちょっと!? キュー!」


 それに驚いたカナタは当然キューを止めようと手を伸ばしたが……時既に遅し。


 カナタとしても、こんな得体の知れない場所に足を踏み入れるだけでも、はっきり言って怖気すら感じていた為、見極めも慎重に行いたかったのだが。

 

『きゅ〜……♪』


 ひるがえってキューは、彼女の予想に反して、心底嬉しそうな声を上げながらコロコロと転がった後、シュルッと両足の根を伸ばしたかと思えば、黒く硬いその地面をボコっと音を立てて割りつつ根を張り、安堵した様な表情を浮かべていた。


「え、えぇ? どういう事……?」


 そんな樹人トレントの少女の行動を理解出来ず、カナタは困惑しながらもレプターの方を見遣る。


くつろいでいる様にも見えるが……まさか、ウルたちが荒らした木々の中で生まれたから、こういった場所を好むのか? こう、野焼きの様な……」


 一方で顎に手を当て、彼女なりの憶測をそう口にしつつ、とことん上機嫌といった様子で小さな身体を揺らすキューを見ながらぶつぶつと呟く彼女に、

「そ、そうなの……?」

 あまり得心がいった様には見えないカナタが、しゃがみ込んでキューを優しく撫でてそう返した。


(もしかしてここ、あの亜人族デミたちが何かやらかした跡なんじゃ……だからあの子があんなにも……)


 その一方で、レプターの言葉にも出て来た、亜人ぬいぐるみたちが荒らした木の中から生まれたという事実を思い出したカナタは、何の確証も無い想像をしていた。


 ――その想像こそが、正解だったのだが。


「……とりあえず、キューもしばらく動きそうに無いし、今日はここで野営といこう。 このまま進めば夜にはドルーカに到着するだろうが、それでは宿が見つからない、なんて事態になりかねんからな」


 思案してみたはいいものの、結局何一つ分からなかった為か、深く溜息をついたレプターがそう提案すると、カナタも同じく随分と疲弊した様に、

「そ、そうね。 幸い草刈りもしなくて良さそうだし。 何を作ろうかしら……」

 そう呟きつつ荷物を下ろし、今日の夕飯をどうしようかと悩み始めたその時――。


「ん……? っ! カナタ! ここで少し待っていろ!」


 突如、角をヒクヒクと震わせたレプターが、あらぬ方向へ目を向けたかと思うと、腰に差した細剣レイピアつかに手をかけて、地面に敷いた布の上に腰を下ろしていたカナタにそう叫び放つ。


「え? ど、どうしたの急に」


 その一方、突然の事態に驚愕を隠せないカナタは、言葉を詰まらせて彼女を見上げていた。


 ――瞬間、レプターはタッと駆け出しながら。


「――盗賊だ! 誰かが襲われている! すぐに蹴散らして戻ってくるから、キューを頼むぞ!」


 カナタとキューを横目で見つつそう口にして、バサっと翼を広げて低空に飛んでいく。


「ぇ、あ……き、気をつけて!」

『きゅー? きゅー!』


 慌ただしく飛び出していった彼女に向けて、カナタは困惑しつつも気遣う様に声をかけ、そんな彼女の真似をしたキューも、小さな手を振って見送っていた。

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