第108話 蜘蛛人からの贈り物

 朝日が僅かながらに差し込む森の中を、果物や茸を採集する為練り歩いていた二人の亜人族デミ


「いやぁ、中々大量だな。 どちらかといえば肉や魚の方が好みだが……むぐ、たまには森の幸も悪くない」


 三人分としては充分過ぎる程の収穫を革袋に詰め、そこへおもむろに手を入れたかと思うと、レプターは果物の一つを心底美味しそうに頬張ってそう言った。


「もう、摘み食いは行儀が悪いわよ? 貴女、誇り高き騎士ナイトじゃなかったの?」


 その一方、共に味覚狩りをする中で多少なり彼女と親しくなったウェバリエは、呆れた様子で元々切れ長の目を更に細めてジロっと睨む。


「ま、まぁ確かに食事作法テーブルマナーは大事だが……騎士ナイトにも多少なり羽目を外す瞬間があっていい筈だ」


 するとレプターは、一瞬果物を喉に詰まらせたかの様な仕草を見せたが、すぐにごくんと飲み込んでから自分を納得させる為の言い訳を披露した。


「……ふぅん、まぁ貴女が言うならそうなのかもね」


 それが分かっていたからこそ、ウェバリエは何かを含ませた様な笑みと言葉で応えたのだろう。

(ミコ様の前では気をつけなければ……)

 ……レプター自身でさえも、そんな風に自分を戒めていたのだから。


 ある程度収穫を終え、そろそろ戻ろうかとレプターが告げて歩を進めようとしたその時、

「……ねぇ、一ついいかしら」

 突然、先程までとは異なる真面目なトーンで声をかけてきたウェバリエに、少しの違和感をいだきつつも、

「ん……どうした?」

 その足を止め、クルッと振り返ったレプターの眼には、笑みなど欠片も浮かべていない、真剣な表情のウェバリエが映っていた。


「あの聖女……カナタ、だったかしら。 本当にミコちゃんの元に連れていくつもりなの?」


 彼女は柑橘系を中心に果物をいくつか腕に抱えながらそう口にして、暗にやめておけと忠告すると、

「……何が言いたい?」

 ウェバリエの主張自体は理解出来ても、そこに別の意図もあるかもしれないと感じたレプターは、あえて彼女にそう聞き返した。


「貴女も分かってるんでしょう? ミコちゃんは優しいから受け入れるかもしれないけれど……あの子の周りには、ウルたちがいるのよ? あの……異常なくらいにミコちゃんに執着してる三人の亜人族デミが」


 かつてこの森において、望子を守りたい一心で暴走し、それを止める為とはいえ森を無茶苦茶に荒らし、果ては口移し一つ程度で騒ぎ出す亜人ぬいぐるみたちを思い返して粛々とそう告げる。


「それは……そうだがな。 彼女にも譲れない物があるのだろうし……ウェバリエ、正直私は貴女程彼女に敵意をいだいてはいないんだ。 何故なら……」


 彼女の話にはレプターも共感出来る所もあり、かつて自分があの少女を勇者だと見抜いた瞬間、当時はあれでも未完成だった魔術を殺意を持って向けられた事を思い出し、されど覚悟はあるのだろうしと口にして、自分が彼女を庇い立てる理由を話そうとしたが、

聖女あれがミコちゃんを呼んだお陰で、あの子に出会えたから、だったかしらね。 まぁその気持ち自体は私も分からなく無いのだけれど……」

 戦いの最中、彼女がカナタに語っていた事を覚えていたウェバリエはそう呟いて、うぅんと唸りつつ思案する様に枝葉で覆われた空を見上げた。


「そうだ! それ程に心配ならウェバリエ、貴女も私たちと共にミコ様の元へ行かないか?」


 その時レプターが突然、妙案だとばかりに声を張り上げそう言ったが、ウェバリエは彼女の提案に対してあまり良い表情はしておらず、

「……そう、ね。 確かにあの子たちと別れる時、いつか貴女たちの力になる、とは言ったのだけれど……やっぱり私はここの主だから、そう簡単に離れる訳にはいかないのよ。 後継の育成でもしておくんだったわ」

 器用に片腕で果物を抱えつつ、もう片方の手を頬に当て、はぁ、と深く溜息をついてしまう。


「その辺りは何処も同じなのだな。 私の場合は後を任せるにあたいする多くの部下たちが育ってくれていたお陰で、後顧の憂い無く旅立てたのだが……」


 一方それを聞いたレプターは、ふむ、と顎に手を当てながら、王都を発つ自分へ向けて最上位の敬礼で見送ってくれた部下たちを脳裏に浮かべており、

「ふふ、羨ましいわね……あ、そうだわ。 その代わりといっては何だけど、後であれを渡そうかしら」

「あれ? あれとは?」

 ひるがえって漸く柔和な笑顔を取り戻したウェバリエは、突然何かを思いついたかの様にそう声を上げ、何の事やらとレプターが首をかしげていた。


「……まぁ、それは後のお楽しみって事で……ほら、そろそろ戻らないと、聖女様とやらがお腹空かせて待ってるんじゃないかしら?」


 だがウェバリエは彼女の疑問にその場で答える事は無く、カツっと地面を鳴らしてきびすを返し、

「むぅ、気になるが……そうだな。 戻るとしようか」

 不満げにそう呟いたレプターの言葉を皮切りに、二人はカナタの待つ野営地へ帰還するのだった。


――――――――――――――――――――――――


 三人での朝食を終え、レプターとウェバリエは望子について互いの知りたい情報を共有した後、後片付けと火の後始末を済ませた二人は、なるべく早く追いつきたいというレプターの意思によりすぐにでもサーカ大森林を後にする事に決め、ウェバリエの案内の元、森の出口まで来ていた。


「それじゃあ、あの子に……によろしく言っておいてね? お二人さん」


 朝食の時、自分がこの世界においての望子のおねえさんなのだと伝えていたウェバリエが、多少の優越感を表に出しつつそう告げると、

「……まさか、あのミコ様が姉と慕う程の包容力を持っていたとは……異なるいが、まぁ伝えておくとしよう。 それでウェバリエ、とやらはどうした?」

「……あれ? あれって何?」

 むむむ、とレプターは若干悔しげな表情を浮かべていたが、すぐに味覚狩りの時の話を思い出して問いかけ、彼女の発言に全く心当たりの無いカナタは、きょろきょろと二人に視線を向けてそう呟く。


「あぁ、そうそう。 そうだったわね……っと」


 するとウェバリエは、今朝に絵本を取り寄せた時と同じ要領で爪をクイッと動かし糸を手繰り寄せた。

 しばらくののち、彼女の掌目掛けて何かが森の奥から飛んで来た事に目を剥きつつも、レプターが、何だ何だと近寄って覗き込むと、

「それは……苗木か? 何故それを私たちに――」

 そこには、彼女の糸で固められた土の塊に植えられている小さな苗木が収まっており、カナタと一緒にそれを見ていたレプターがそう問おうとした時――。


『きゅー!』


「「!?」」


 ――二人が思わず驚いて後ずさったのも無理はないだろう、先程まで苗木だった筈のそれが甲高い鳴き声を発したかと思えば少しずつその姿を変えていき、深緑の葉でかたどられた髪と、つるんとした木の肌にちょこんと付いた両目と口、そして両足が完全に根っこになっている、ウェバリエの手に収まるサイズの小さな女の子になっていたのだから。


「ふふ、駄目よ? 驚かしたりしちゃ」


 その女の子を除き、この場で唯一状況を理解しているウェバリエが優しい声音でそう言いつつ、葉で出来た髪を傷つけぬ様に気をつけながら爪で撫でると、

『きゅ?』

 その子はこてんと可愛らしく首をかしげ、短く鳴いてウェバリエを見つめていた。

「も、もしかして……樹人トレント?」

 そんな折、やはり知識だけは潤沢なカナタが、かつて亜人族デミを纏めた図鑑で見た種族の名を挙げて問う。


「単なる樹人トレントじゃ無いわよ。 この子はね、さっき話した粘液生物ブロヴ討伐の時に、ハピやウルの魔術で薙ぎ倒された木々の一つから生まれた樹人族トレントなの。 本来、死んだ筈の木からは絶対生まれない筈なのに、よ?」


 するとウェバリエは、彼女の問いに頷き肯定しつつもその樹人トレントが誕生した経緯を説明し、

「……つまり、何かある、と?」

 それを聞いて何かを察したレプターが、おそるおそるそう尋ねると、ウェバリエはしめやかに頷いた。


「……今はまだ幼いけれど、貴女たちやミコちゃんと旅をする中で成長して……きっとあの子の力になる筈よ。 欲しがった時だけ清潔な水をあげてくれればいいから……お願い、出来るかしら」


 そして彼女はそう言って、樹人トレントを乗せた方の手を二人の方へ伸ばし、頼み込む。


(立派に育ってくれれば、後継問題も解決出来るし)


 ――無論そこには、今彼女の脳内を占めている様な考えもあっての事なのだが。


「……分かった。 他でも無い貴女からの願いだ、私に否やは無いさ。 カナタ、貴女もそれでいいか?」


 一方レプターは腕組みをし、少しの間思案していたが、こくんと頷き彼女の願いを受け入れて、もう一人の同行者に意見を求めた。


 いつの間にか呼び名から『聖女』が取れていた事に気づいたカナタは、少し驚きつつも樹人トレントを見遣り、

「え、えぇ。 大丈夫よ……ほら、おいで?」

 そう口にして、同じくその子を受け入れる為、控えめにそちらへと手を伸ばす。


『きゅ? きゅー!』

「わっ! ……ふふ、よろしくね?」

『きゅっ!』


 するとその樹人トレントは、首をかしげてウェバリエの方を向き、彼女が許可を出す様に頷くと同時にカナタの手へと移っていった。


「問題無さそうね……それじゃあ、道中気をつけて」


 それを見ていたウェバリエが、少し寂しげな表情を浮かべつつ手に残っていた土を払い、用件は以上とばかりに一歩下がってそう言うと、

「あぁ! また会おう!」

 レプターはニカッと笑って、荷物を背負いながら片手を振り、意気揚々と森の外へ踏み出していく。


 カナタも樹人トレントと共に、彼女の後を追いかけようとしたのだが、その時突然後ろから、

「……聖女カナタ。 分かってるとは思うけれど」

 警告するかの様な冷たい声音が彼女の耳に届き、カナタはその身を震わせながらも前を向いたまま、

「っ、え、えぇ。 承知、してるわ。 あの子に拒否されたら……同行は、しない。 それで、いいのよね?」

 今朝、レプターが目覚める前に彼女に約束させられた事を思い返しつつそう口にしたカナタに、

「……なら、いいわ。 貴女も、気をつけてね」

 カツッと地面を鳴らす音が聞こえたかと思うと、先程より少し柔和な声がかけられ、段々とその音が小さくなり、カナタには森の奥へと吸い込まれていく様に感じられた。


 彼女が振り向いた時、もうそこにウェバリエの姿は無く、カナタは樹人トレントを優しく手で包み込みつつ、

「……ありがとう、ウェバリエ。 私を……赦さないでいてくれて」

 森林の奥……自分の住処へと帰っていったのだろう蜘蛛人アラクネに向けて、小さく小さく呟いた。


『きゅー?』


 ……勿論、生まれたばかりの樹人トレントに、その言葉の意味が分かる筈も無く、こてんと首をかしげていた。

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