第106話 劇毒を食らわば

「――劇毒射法ヴェノジェクト


 かつてこの大森林に出現した、粘液生物ブロヴに放とうとしていた猛毒の一撃がレプターを襲い、

「『三刃烈爪ドライエッジ』!!」

 それを迎撃しようとレプターは、高速で横回転しながら突撃し、二本の細剣レイピアと尻尾に魔力を纏わせ、全てを薙ぎ払わんとする巨大な三本の爪へと変化させた。


 そして、劇毒の矢と龍の爪が激突した瞬間、森全体を揺らさんばかりの衝撃が発生し、それまで戦いを見ていた魔蟲や魔獣たちは一斉に四方へ散っていく。


「っぐ!? お、おぉ……っ!」


 ――実を言えば、放たれた矢の威力自体は、レプターにとってそこまでのものでは無かった。


 問題なのは、こうしている間にもじわじわと細剣レイピアや尻尾から侵食してくる猛毒の方であり、それは痛みと共に彼女の身体をむしばみ抵抗する力を奪い去る。


「レプ、ター……っ!」


 彼女の苦しみがはたから見ても明らかであるのは、カナタの反応を見れば言うまでも無いだろう。


 簀巻き状態から解放されていたカナタは、ぺたんと地面に座り込みながら戦況を俯瞰的に見ていたが、

(互角に見える、けど……! 傷を負ってる分、レプターの方が……! 私の、私のせいで……また……!)

 少しずつレプターが押されている現状を視認しつつ自責の念を込めてそう考えた後、おもむろに手を伸ばして、

「『持続治癒キュアケイプ――」

 彼女が修めている治療術の一つ、一定時間継続的に回復し続ける持続治癒キュアケイプを行使しようとした。


「手を出すなっ! これは……私と奴との決闘だ!」

「……っ!!」


 しかし、正々堂々を是とするレプターは彼女の助力を良しとせずそう叫び放ち、カナタは思わずビクッとしつつも魔術を行使する手を止める。


 そんな中、レプターと対峙しているウェバリエはというと、蜘蛛糸の弓を隙無く構え魔力を込めつつも、

(……思ってたより、耐えるわね)

 このままではと危機感を感じていた二人とは対照的に、レプターの耐久性をこっそりと評価していたが、

(さっきの攻撃の時もそうだったけれど……龍人ドラゴニュートにしては随分と速度スピードが物足りなく感じた……蜘蛛人わたし程度が余裕を持って躱せるレベルだったものね)

 その一方で、龍人ドラゴニュートという亜人族デミの中でも頭一つ抜けて精強なしゅである筈の彼女の身体能力について疑問を持ち、思案し始めた。


(先鋭分矢スプラドローだって……私は一切手心は加えて無かった……にも関わらず、あのお荷物どころか彼女自身も言う程ダメージを負っている様には見えない)


 そう脳内で呟く彼女の言葉通り、ウェバリエの放った無数の蜘蛛糸の矢は、かつて森人エルフの冒険者、アドライトが行使した魔力の矢の雨を降らす魔術、急襲豪雨スコールと相違ない威力を誇っていた。


 だがレプターは、口元に血こそ滲んでいるものの、翼に傷はついておらず、現に今も劇毒射法ヴェノジェクトを耐えてみせている。


(……無意識の内に防御ディフェンスに特化してるみたい……騎士ナイトって言うより聖騎士パラディンね)


 ウェバリエは、守る事に特化した上級職の名を挙げながら、抵抗する龍人ドラゴニュートを見遣ってそう考えていた。


 無論、ここまで思考を巡らせる余裕はあっても、手を抜ける様な状況には無い彼女は決意を固め、

「……そろそろ、終わらせるわよ……細糸集合ギャザリング

 空いた方の手をクイッと動かしそう呟くと、森の奥、四方八方からギリギリ肉眼で確認出来るかどうかという細い蜘蛛糸がその手に集まった瞬間――。


「なっ、っぐぅ!? が、あぁ……っ!!」


 ウェバリエがその糸を今も尚レプターを襲う劇毒の矢に向けて飛ばした瞬間、劇毒射法ヴェノジェクトは色はそのままに更に大きく強くなって、それまで何とか均衡を保っていた龍人ドラゴニュートをみるみる後退させる。


「ちょ、ちょっと!! 『私の一撃』を、って言ったじゃない! 今のは二撃目じゃ……!?」


 ルール違反よとばかりにカナタが苦言を呈すると、ウェバリエは何の事やらと首をかしげて、

細糸集合ギャザリングは森中に常に張り巡らせてる私の糸を、手元に手繰り寄せるだけの技。 今回はその糸を劇毒射法ヴェノジェクトに追加しただけ……後述詠唱と同じ様なものよ?」

「っ、そんな、そんなのって……!」

 爪の先からツーっと伸びている一本の蜘蛛糸を弄りながらそう解説し、カナタも魔術を扱う者として後述詠唱だと言われてしまえば納得するしかない。


(まぁ、屁理屈だけれど。 さっさと終わらせて、一方的に話を聞かせて貰うわよ……)


 勿論、ウェバリエ自身も詭弁だとは思っていたが、これもひとえにあの子の為と考えての事であった。


「レ、レプター! もういいから! 降参しましょう! このまま続けたら、貴女はその猛毒で……!」


 そう叫ぶカナタの目の前には、毒々しく染め上げられた細剣レイピアと尻尾、そして今や腕と足……果ては顔までも侵食されかけているレプターの姿があった。


「……私、は……! 誇り高き、騎士ナイト……! 敵を前にして、遁走など……あってはならない……!」

「え……?」


 だが彼女は、カナタの声が聞こえているのかいないのか、劇毒の矢を押し留めながらそう呟き、最早自分の方へ意識すら向いていない事に気づいたカナタが思わず声を上げて困惑を顕にする。


 ――そして、次の瞬間。


「私は……! 勇者様の盾となる龍人ドラゴニュートだ! こんな所で毒などに……屈してなるものかぁああああっ!!」

「……っ!?」


 縦長の瞳孔を有した眼を見開いてウェバリエを睨みつつそう叫び放った途端、劇毒射法ヴェノジェクトがその色を失い、一瞬の内に元の白い蜘蛛糸の矢となっていた。


(何、あれは……私の毒が、彼女に……!?)


 彼女の言葉通り、まるでレプターを中心に渦を巻く様に、劇毒が彼女の身体に取り込まれていく。


 その間も、レプターは咆哮を続けていたが……それは苦しみからでは無く、新たな力の芽生えから来る歓喜の雄叫びの様にも聞こえた。


 ――しばらくすると、劇毒は完全にレプターに取り込まれ、元々威力自体は然程でも無かった蜘蛛糸の矢は彼女の三刃烈爪ドライエッジに掻き消されていた。


「レプ、ター……? 一体何が……」


 すっかり静けさを取り戻した森をきょろきょろと見回しつつも、カナタがレプターに目を向けると、

「私にも分からないが……おそらくこれも、ミコ様のおぼし召しなのだろう。 『龍如吸引ドラガサクス』とでも呼ぼうか」

 今発動した力すらも望子のお陰だと口にして、その力に名前を付けた彼女の身体を覆っていた緑色の鱗と翼、そして金色の髪に至るまで、全てがすみれ色に染め上げられてしまっていた。


(蜘蛛人わたしの毒を吸い込んで、適応した……? 龍人ドラゴニュートがそんな事出来るなんて見た事も聞いた事も……!)


 そんな彼女を信じられないといった表情で見つめていたウェバリエは、脳内で情報を整理しつつも、

「……もう、これは通用しないと見て良いのね?」

 彼女自身詳しく分かっていないのだろう事は理解した上で、確認する様に爪の先から毒を一滴垂らすと、

「さぁ、どうだろうな。 だが一つだけは言える……形勢は、逆転したぞ。 まだ続けるか? 蜘蛛人アラクネよ」

 ウェバリエの推測通りレプターはそう告げて、細剣レイピアに付着した毒を指で掬い取り、彼女の問いに対する答えを示す様にそれを口に入れる。


 はたから見れば奇行以外の何ものでも無い彼女の行動も、ウェバリエにはそれだけで充分に事態を理解でき、

「……やめておくわ。 それに、さっき言ったでしょ? 防ぎきってごらんなさいって」

 彼女が腕を下げ、生成した蜘蛛糸の弓をほどき、その糸を爪の中に戻しながらそう言った。


「そう、か……」


 こちらは緊張の糸が切れたのか、片方の細剣レイピアをカシャンと音を立てて地面に落とし、もう片方の細剣レイピアを地面に突き立てかと思えばそのまま膝をつき、意識を手放してしまっていた。


「レプター? ……レプター! しっかりして!」


 一方カナタは、既に髪や鱗の色は元に戻っていたレプターを心配する様にそう声を上げたが、

「勇者の盾、か……言うだけの事はある、わね……」

「え……!?」

 その瞬間、ウェバリエも余裕ぶってはいたがギリギリの所だったのだろう、下半身の蜘蛛の長い脚は折り畳まれ、上半身の人の部分はガクッと項垂うなだれてしまっており、こちらも気絶してしまったのだと分かった途端、カナタは思わず驚いて声を出してしまう。


「ちょっ、ちょっと! 貴女も!? 私一人でどうしろって言うのよぉ!」


 未だ夜の明けぬ暗い森の中、たった一人無傷で残されたカナタの声だけが響き渡っていた。

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