第103話 聖女の旅立ち

 ――ここは、凶悪な魔物や魔獣、魔蟲たちの蔓延はびこる……いや、蔓延はびこっていたサーカ大森林、その入口。


「やっと、辿り着いた……」


 そこに、薄汚れたボロボロの外套がいとうを羽織って最低限度の荷物を背負い、疲労困憊といった様子で息をつく金髪の女性が立ち尽くしていた。


 ――彼女の名は、カナタ。


 姓は無い、というより……『聖女』の適正ありとされ、先代の後釜の『選ばれし者』として王宮に召し抱えられる以前の記憶が、何故か彼女の頭からすっかり抜け落ちてしまっている為、思い出せないでいた。


(ここが、サーカ大森林……実際に足を踏み入れるのは初めてだわ……思った以上に不気味ね……)


 辺りはすっかり夕暮れ、空も赤らんでおり、話や文献から得た知識だけに留まっていた実際の森林は、彼女の目にはとても恐ろしく感じられる。


「……ふふ、私が臆病だから、というのもあるんでしょうけどね……」


 そう呟いて自嘲気味に笑う彼女が、宝物庫にて魔王の側近から王都襲撃の情報を聞かされてから、既に二週間以上が経過してしまっていた。


 ……何もカナタは、あの時すぐに王都を出立した訳では無く、王城の兵士たちに見つからぬ様にこっそりと城下町に行き、魔族が攻め来る前に準備を済ませて王都を後にするつもりでいた。


 だが、思いの外早く襲撃が行われた事により、彼女は出立のタイミングを逃した上に、羽織っていた外套がいとうの下の神官服を見られた事で、住人や兵士、冒険者などから出た怪我人の治療に駆り出されていた。


 ……結局の所、カナタは聖女であり、傷ついた人を見捨てる様な事は出来なかったのだ。


 その後、何者か――まぁ望子たちなのだが――によって、魔王軍幹部を含めた魔族たちは討滅されたが、しばらく治療地獄から解放される事は無く、最近になって漸くそれも終わり、何とか正体もバレずに王都から旅立つ事に成功していたのだった。


(王都を襲撃した魔族も何者かに撃退されたらしいし、やっぱり護衛の一人でも、そうで無くても馬車くらいは用意して……っ!)


 カナタは脳内でそう呟き、溜息をつきそうになったが、彼女は自分の頬を挟み込む様に両手で叩き、

「馬鹿……っ! 私の馬鹿……! 自分があの子に何をしたか思い出しなさい……! 甘えるなっ……!」

 自分のせいで望子が元の世界と、そして家族と離れ離れになってしまった事実を言い聞かせるかの如く叫び、吐きかけた弱音を消そうとする。


(……あの亜人族デミたちに、元の世界へ帰る手段として魔王討伐を薦めた以上、必ず港町へ向かう筈)

 

(ルニア王国に属する港町は今やショスト一つだけ。 という事は……このサーカ大森林を抜けて、ドルーカの町を通り、リフィユざんを越える……この経路しかない)


「ここを抜けて、あの子の元へ……!」


 カナタはいよいよ覚悟を決めて、サーカ大森林へと足を踏み入れる。


 ――かつての、不倶戴天の見本市へ。


 しばらくの間、段々と暗くなっていく森の中を、思ったより魔物も魔獣もいないわね、などと考えながら歩みを進めていたその時、

「……っ!」

 角灯ランタンで照らされた彼女の視界にうっすらと映ったのは、木にもたれかかる様にしてその命を落としたと見られる、二つの人族ヒューマンの遺体だった。


 カナタは一瞬驚いて、角灯ランタンを落としかけたが、ふるふると首を横に振りつつ、

(そう、よね。 ここは魔獣やサーカ大森林なんだもの。 こういう事も、あるわよね……)

 自分の身の安全も考慮すると声を上がる訳にもいかず、そう考えながら遺体の近くにしゃがみ込む。


(……ごめんなさい、本当なら埋葬くらいしてあげたいのだけど、私一人じゃ……せめて、祈りを――)


 胸の前で十字を切った後、身元の証明が出来る物でも無いかとポケットに手を伸ばした時――。


「動くな」


 ――先程まで誰もいなかった筈の暗い闇の中から、低めの女声が聞こえてきた。


「ひっ!?」


 突然後ろから声をかけられた事自体もそうだが、カナタが思わず声を上げてしまう程に驚いたのは、

(れ、細剣レイピア!?)

 彼女の細い首筋に、手入れがしっかりされているのだろう、角灯ランタンの光を反射し燦然と輝く細剣レイピアが当てられていたからだった。


「……それは、人族ヒューマンの遺体か……? 随分と見窄みすぼらしい格好だが、まさか死体漁りでもして……」


 声と細剣レイピアの主はそう言って、事と次第によってはとボロボロの外套がいとうを羽織った彼女に向けて少しだけ語気を強めたが、

「ちっ、違っ、違います! 私はこれでも神官をやってまして……! 今はこのご遺体に祈りを捧げようと!」

 カナタは視線を遺体の方に向けたまま、両手を肩の辺りまで上げて必死に説明する。


 それを聞いた声の主は、彼女が羽織っている外套がいとうの下からチラッと見える純白の神官服に気がつき、

「……よくよく見れば、外套がいとうの下は神官服か……失礼した。 だがここはサーカ大森林。 貴女の様な神官が一人で訪れる場所では無い筈だが?」

 早合点だったか、と細剣レイピアを鞘に納めつつここにいる理由を確認しようとした。


「そ、それは……」


 だがカナタとしては、まさか召喚勇者を追ってと言う訳にもいかず、それきり押し黙ってしまう。


「……まぁいい。 貴女にも事情があるのだろう? 詳しくは聞かないさ。 それより……既に剣は収めてあるし、自己紹介といこう。 こちらを向いてくれないか」


 驚いて腰を抜かしぺたんと地面に座り込むカナタに対し、目線を合わせてそう提案すると、

「は、はぁ……っ!?」

 先程までに比べ、声が少しだけ柔らかくなった事に気がついたカナタが振り返った先には――。


「私はレプター。 レプター=カンタレス。 見ての通り混血の龍人ドラゴニュートだ」


(で、亜人族デミ……!? ……っ)


 王都で彼女が治療した者たちの中にも、ちらほらと亜人族デミはいた……それは間違い無い。


 ただ、森人エルフ鉱人ドワーフ犬人コボルト猫人ケットシー……そのどれもが彼女が心底恐怖したあの亜人ぬいぐるみに比べれば、随分と弱々しく思えた。


 怪我人だったというのもあるだろうが、そのせいでカナタは亜人族デミへの恐怖が薄まった……のだと、勘違いをしてしまっていた。


 ゆえに、角灯ランタンの明かりだけが頼りの暗がりで見る、先の亜人族デミたちと一線を画す種族である龍人ドラゴニュートは、今のカナタにとってあまりに刺激が強過ぎたのだ。


「以後よろし……っ!? お、おい! どうし……!?」


 レプターは突然意識を喪失したカナタを、何とか地面に倒れ伏す前に抱き留めた。


 その拍子に、彼女の外套がいとうのフードの部分が外れ、金色の長髪と端正な顔が露わになり――。


「なっ……! あ、貴女は……!」


 ――彼女が目を見開いて驚いた理由など、最早言うまでも無いだろう。


 レプターはほんの少し前まで、王都で職務を全うしていた兵士だったのだから。

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