第96話 風の邪神と狐人

『さてさてまずは小手調べ……あれにしようかな、それともこっちにしようかな?』


 自分から戦いの始まりを宣言しておいて、ストラはその余裕からなのか、右手に黄色い風の槍を、左手に黄色い風の弾を浮かべてニヤニヤと笑っており、

「ミコ嬢、今の内に運命之箱アンルーリーダイスで魔術の行使を」

 それを作戦伝達のチャンスだと捉えたローアが、邪神から目を離さぬままにそう告げると、

「うん、どっちがいいかな」

 望子は疑う事無く頷きつつ、自分なりの真剣な……されど可愛らしい表情でそう問いかけてきた。


 ――ふと、ローアの思考が止まる。


「……ミコ嬢。 二つ以上の魔術が込められた場合、どれが発動するかは偶発的ランダムとなる、それが運命之箱アンルーリーダイスの特性であるゆえ、どちらが良いかと問われても……」


 今度はきちんと望子の目を見ながらそう説明し、まさかあの狐は伝えていなかったのか? と、表情には決して出さぬ様に脳内で悪態をついていたが、

「おししょーさまがいってたね。 で、どっち?」

 どうやら望子は知った上で尋ねてきている様で、それでも尚彼女にきょとんとした顔を向ける。


 一体この小さな勇者が、何をどうしたいのかがさっぱり分からなくなったローアは、

「……風を司る邪神が相手なのだから、出来れば火化フレアナイズの方が……いやいや、そんな事が可能ならば、それはもう運命アンルーリーでも何でも」

 とりあえず望子の質問に答えてから、改めて言い聞かせる様にそう口にしたのだが、

「わかった、おししょーさまのほうだよね?」

 それを聞いた望子がニコッと笑い、触媒を握りしめると同時にぎゅっと瞳も閉じる。


 望子の返事自体は特別おかしな事では無く、おししょーさまというのがリエナだと認識もしていた為、

「む? あ、あぁ……っ!?」

 その迷いの無い笑みに若干の違和感をいだきながらも頷いて、再び邪神に視線を戻そうとした時、彼女の視界の端にチカチカと青い光が映る。

『できた! よーし、がんばるよ!』

 ローアが望子の方を向いた時には既に、ファジーネとの仕合で見せたリエナの姿をかたどっていた。


 それを垣間見たローアは、信じられないといった様に目を大きく見開いて、

(偶然……いやまさか、任意で行使したとでも……!? いくら勇者だとはいえ、魔道具アーティファクトの特性の変異など、そんな事が可能なのであるか……!? くぅ、こんな状況で無ければ隅々まで調べ尽くしたいのだが……!)

 そんな事を脳内で叫びながら、口惜しそうに右の拳を握りしめつつ邪神を睨みつける。


 一方、考えが纏まったのか、ストラが晴れやかな笑顔を見せて望子たちの方へ顔を向け、

『よし、決めた! まずは……ってうわっ! 火光かぎろい!? 何でここに!?』

 彼女の視界に真っ先に入ってきた青く燃える狐人ワーフォックスを視認した瞬間、ストラは大袈裟に驚きながら、かつてのリエナの二つ名を口にした。


『……かぎろいってなに? もしかして、おししょーさまのこと……?』


 残念ながら望子はそれを知らされておらず、半透明なリエナの姿で人差し指を唇に当て首をかしげる。


 見知った狐人ワーフォックスだと思っていた存在から、小さな召喚勇者の声が発せられた事で、

『え……あ、あぁ何だ、火化フレアナイズか……でもその姿と色は……って、お師匠様? 君ってあいつの……狐人ワーフォックスのリエナの弟子なの?』

 ストラは、はぁ〜と息を吐いて安堵した様にしながらも、望子の発言に聞き捨てならないといった風に上体を折り曲げ覗き込みつつ尋ねてきた。


『そ、そうだけど……それがなに?』


 勿論望子にはその質問の意図など分かる筈も無く、こくんと頷きながらもおそるおそる聞き返す。


 すると彼女はふぅ、と息をつき昔を思い出すかの如く遠い目をしつつ、

『あいつとは昔……といっても千年以上も前だけど、一度だけ戦った事があるんだ。 単なる亜人族デミだと思って舐めてかかったら、これが結構手間取って……』

 引き分けちゃったし、と付け加えてそう語ったのだが、手間取ったという部分に引っかかったローアが、

「……邪神の貴様が、であるか?」

 あの狐ならやりかねないと思いつつも、確認するかの様に怪訝な表情を浮かべて問う。


 ひるがえってストラは心底嫌そうな顔をしつつ、手をひらひらと振ってから、

『いやぁ、あれは本当に異常だったんだよ。 君も長く生きてる様だし知ってるんじゃないの? 自分の邪魔をするのなら、味方であっても焼き払う……狂戦士バーサーカーと言う他無かった。 勝てる勝てないとかじゃなく、二度と会いたくないね。 あんな頭のおかしい奴』

 そうしてローアの問いに答えながらも、次々とリエナを罵倒する様な言葉を紡ぐ彼女に、

(否定は出来んのであるなぁ……む?)

 弟子みこの手前、同調する訳にもいかないローアは脳内でそう呟いていたのだが。


「み、ミコ嬢……?」


 ハッとローアが気づいたころには、望子は既にストラに向けて歩き出しており、

『……ん、何? もう始め――』

 自分の近くで立ち止まった望子に対し、話は終わりだよとでも言いに来たのかと判断したストラが、そう口にしようとしたその瞬間――。


『おししょーさまを……わるくいわないでっ!!』


 ――狐炉命コロナ


 望子が掲げた両手を中心に、巨大な青い狐の顔が出現し、ガパッと広げた大きな口から放出された超高温の青い熱線が風の邪神を襲い、

『――――――――!?』

 彼女は声にならない悲鳴を上げながら、驚愕の色に染まった表情で放射状の蒼炎に包まれ、洞穴の奥へと吹き飛んでいった。


 それは三日前にファジーネに向け放った、最大限に手心を加えたものよりも遥かに殺傷力を持った一撃。


 望子は自他共に認める程リエナに懐いていた為、彼女の悪口を言われたのだと考え全力で放ったものの、

『はー……はー……あっ、やっちゃっ、た……?』

 もしそういう意図が無かったのだとしたらと後になって考えてしまい、どうしようとあたふたしていた。


 一方その光景を目にしたローアは、少しばかりきょとんとひてしまっており、

(まさか……邪神を一撃で……? 勇者とはこれ程に?)

 自分どころか、敬愛する魔王でさえ苦戦した邪神の一柱ひとりを吹き飛ばした望子を驚愕と好奇心の入り混じった視線で見つめていたのだが、

「っ、むぉっ!」

『わっ!?』

 ストラが吹き飛んでいった洞穴の奥から黄色い風が吹き荒び、それを受けた二人が一瞬目を閉じ、ひらいた時には既に先程と同じ場所に風の邪神が立っていた。


 彼女は望子の放った蒼炎で、より一層ボロボロになってしまったローブをパンパンと手ではたきながら、

『……驚いたよ。 火光かぎろいの姿をしてるから、同じくらいの力はあるんじゃないかとは思ってたけど……千年前のあいつよりよっぽど強いじゃないか。 流石は勇者ってとこかな。 ちょっぴり焦ったよ、ちょっぴりね』

 虚勢を張るかの様な物言いをしつつ、未だリエナの姿をとる望子に鋭く黄色い瞳を向ける。


「……やはり、そう上手くはいかぬのであるか」


 ローアは一瞬でも自身がいだいた淡い期待を払うかの如く首を振り、小さく呟いた。


 身体を捻ってローブを確認し、大方はたき終わったと判断したのか、彼女は右手をすぅっと二人に伸ばし、

『とはいえ発展途上……これからもっと強くなるんだろうね。 殺すのはまずいし、最初は様子見しようと思ってたけど……やめた。 全力で行くよ、召喚勇者』

 その手から黄金色の粘液の様な物が溢れ、地面に垂れ落ちたかと思うと、それはジワジワと地面に染み渡り輝く水溜りとなった。


 そしてあろう事か次の瞬間、その水溜りから続々と虫とも蝙蝠ともつかない、大きな翼と鉤爪を持った怪物が湧き出し始めたではないか。


「っ、眷属ファミリアであるか……! 面倒な!」


 それを見たローアが即座に看破しそう叫ぶと、ストラはケラケラと笑いながら、

有翼虫螻ビヤーキーって言うんだ。 可愛がってあげてね』

 眷属ファミリアの名を口にして、自身もいつでも戦える様に左手に強く黄色い風を纏い出す。


 洞穴を埋め尽くそうかというその大群を目にしても、望子はブンブンと首を横に振り、

『……! まけないよ! ろーちゃん、てつだって!』

 折れる事無く右手を前に掲げてローアに声をかけ、支援を要請した。


「え、あ、あぁ。 了解である……」


(いつの間にか立場が……されど頼もしく感じるのであるな、幼くとも流石は召喚勇者である)


 ローアは少し複雑な心情でありながらも、懐から触媒である薬品の入った試験管を取り出し構える。


(……とはいえそう長く持つとも思えぬ、フィン嬢たちはまだか……早くミコ嬢を……!)


 ……その一方で、チラチラと音波の聴こえてきた方向を見ながら、そんな事を考えてもいたのだが。

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