第97話 上級魔族の覚悟

 わずかに甘い香りのする黄金色の水溜りから、次々と湧き出してくる怪物のうち一匹を自分の元に呼び、

『ふふ、どうかな? 僕の可愛い眷属ファミリアたちは!』

 ストラが心底愛おしそうに有翼虫螻ビヤーキーを撫でると、その個体はグルルルと喉を鳴らす。


「……いくら何でも多すぎであろう! こちとらか弱い少女二人であるぞ!?」


 一方、ローアはそんな事はどうでもいいといった様に、片手で自分の薄い胸をトンと叩きながら、もう片方の手ですっかりリエナと化した望子を指し示す。


 すると彼女が笑顔を消し、有翼虫螻ビヤーキーを手元から離し飛び立たせながら、

『勇者と魔族が何言ってんだか……ほらほら遠慮はいらないよ! あっちの魔族は食べてもいいからね!』

 何を今更と呆れた様に息をつきつつ、洞穴中にうごめ眷属ファミリアに指示を出した途端、

『『『クェエエエエッ!!』』』

 ビリビリと空気が震える程の叫びが響き、ほぼ一斉に望子たち目掛けて飛んできた。


「く……! ミコ嬢! 少々時間を稼いでほしい! 我輩はそのかん策を練るのである!」


 それを見たローアがそう言って、望子に目を向けながら懐に手を入れ何かを探り始めると、

『え、う、うん! わかった!』

 望子は有翼虫螻ビヤーキーたちの勢いに戸惑いつつも彼女の言葉に頷いて、ローアを守る様に前に立って構える。


 リエナから火化フレアナイズ時の最低限度の戦い方を教わっていた望子は、その教えを応用し青く燃える九尾を槍の様に、時には鞭の様にして、襲い来る邪神の眷属ファミリアを次々と焼き払う。


 ひるがえってローアは、望子にばかり頼ってもいられず、懐をガサガサと探りながら、

(闇素変換ダクブーストを……いや、おそらくあやつの眷属ファミリアは半永久的に湧き続ける、今見えている百匹程度を魔素に変えた所で無意味であろうな……っ!)

 自身の切り札の内の一つについて悲観的ネガティブな考えを巡らせていたのだが、その時彼女の脳裏にとある魔術の存在が浮かび上がる。


(そうか、が……だが危殆きたいと反動を考えると、あまり使いたくはいのだが)


 彼女が思い浮かべたそれは、上級魔族であるローアにとってもリスクの高い魔術であり、そう簡単に行使出来る物では無くそんな風に考え首を振って――。


『――ろーちゃん! しゃがんで!』

「……む? ぅお!」


 そこへ突然声をかけられたローアがそちらを向くやいなや、九尾の一つが自分に迫っている事に気づき、言われた通りに即座にその場へ伏せると、

『グヤァアアアア……!』

 いつの間にか彼女の後ろまで近寄っていた有翼虫螻ビヤーキーが、蒼炎の槍と化した尻尾に貫かれて焼失する。


 それを見ていたストラは、元の位置から動く事の無いままパチパチと軽い拍手をしながら、

『やるねぇ、流石は召喚勇者。 君の仲間や翼人ウイングマンは外で暴れさせてる他の子たちにそこそこ苦戦してるっていうのに……姿どころか動きまで火光かぎろいそっくりで、僕嫌になっちゃうよ』

 洞穴の奥に目を向けそう口にして、かつて矛を交えた狐人ワーフォックスの姿が望子に被る事にうんざりとしていた。


『……おししょーさまをいやとか……そういうこといわないでっていってるでしょ!』


 懲りずに自分の師匠を貶す邪神に向けて、ウルの得意とする飛翔する爪の斬撃……今は『飛爪ひづめ』と名付けられている魔術を応用し蒼炎の爪を飛ばしたが、

『おっと危ない、僕と戦いたかったらその子たちをみーんな倒してごらんよ。 まぁ無理だろうけどね』

 それはあっさりと躱され、彼女は望子を煽る様な発言をしつつ、倒された個体と同じ数の眷属ファミリアを水溜りから産み出してニヤニヤと邪悪な笑みを見せる。


 そんな折、ローアはストラの言葉の中に出てきた外の状況を真実である事を前提とした上で、

(外にも此奴こやつらが……フィン嬢たちが中々辿り着かぬのはそのせいであるか……? ともあれ……)

 あの音波が響き渡って以降彼女たちが来ない理由を考察しつつも、それよりもまずはと考え首を振り、

「……すまぬミコ嬢。 助かったのである」

 今に限り自分よりも遥かに背の高い望子に、不覚を取った事を情けなく思いながら礼を述べた。


『うん? きにしないで、ともだちだもん。 たすけるのはあたりまえだよ』


 すると望子はしおらしく頭を下げたローアの顔を見ながら、リエナの表情でニコッと笑ってそう告げる。

「……友達?」

 だがその一方、ローアは望子の発言に引っかかる物があった様で、眉を挟めてそう聞き返したのだが、

『うん……ぅわっ! もう、じゃましないで!』

『『『グェエエアアアア!!』』』

 返事をしようとした時、再び有翼虫螻ビヤーキーが群がってきた事により、望子はそれらを退ける為振り向くと同時に九尾を回転させて焼き払う。


(友達、友達であるか……我輩は魔族であるぞ? それを、友達などと……だが……)


 ローアは自分の言葉を疑いもせず、勇猛果敢に戦う勇者みこの姿を見ながら、ほんの一瞬魔族らしい鋭い視線を望子に向けそんな事を思案していたが、

「嫌では無い……か。 くはは、危殆きたいや反動などという些細な事、最初から考えるまでも無かったのであるな……我が声に応じ、その口をひらけ、虚数倉庫ニルラソール

『え、ろーちゃん……?』

 求む答えに辿り着いたのか、彼女は密やかに笑みを浮かべてそう言って、かつて見せた亜空間の倉庫を伸ばした手元に展開した。


『ん? 何をする、気……っ!?』


 それを所定の位置から見ていたストラは、ローアが空間に空いた穴から取り出した何かを視認したその瞬間、大きく目を見開いて、

(何あの水……いや薬? 分からないけどあれは……!)

 彼女が手にした丸型のフラスコに入った、一見単なる水の様にも思えるその液体に最大限の警戒を示し、

有翼虫螻ビヤーキー! 先に魔族を!』

『『『クェエエエエエエエエッ!!!』』』

 洞穴中の眷属ファミリアに指示を飛ばすやいなや、有翼虫螻ビヤーキーたちは望子を素通りしてローアに襲いかからんとする。


 それを察知した望子は、何とか食い止めようと尻尾や腕を伸ばして十数匹を同時に焼き払う事は出来たものの、当然それでは足りる筈も無く、

『っ、ろーちゃんっ!』

 戦闘を続行しつつも、首だけをローアに向けて彼女を心配する様にそう叫んだ。


 だが当のローアは既に、触媒となる薬品をその手に持ち俯きながら、

「『産み落とされし生命いのちの種、おかし、むしばみ、たまらい、巡る輪廻を断ち切らん』」

 小さく、しかしはっきりとした声音で詠唱を始めており、それが終わる頃には、透き通る様な透明色だった液体が、この世の悪感情を全て集約したかの如き漆黒へと変化を遂げていた。


 今まさに、先頭を飛んでいた有翼虫螻ビヤーキーたちが彼女に食らいつこうとしたその瞬間――。


「――『闇菌蔓延ダク・バグ』」


 そう呟くと同時にローアは半歩だけ後ろへ下がり、フラスコごとその黒くなった薬品を投げつけた。


 当然、投げつけられたそれを受けるだけの有翼虫螻ビヤーキーでは無く、先頭にいたその個体はフラスコを払い除けんとその鉤爪が振るおうとした。


 ――そう、振るおうとしたのだ。


 だが、そのフラスコは鉤爪が接触するまでも無く勝手にけたたましい音を立て空中で割れ、中に入った液体はその個体に浴びせられたのだが、

『ッグ!? グゲェエエエエ……ッ!?』

 その黒い液体が一瞬で有翼虫螻ビヤーキーの体内に吸収されたかと思った次の瞬間、二、三メートルはあろうかというその巨体がドロドロに溶けていく。


 それを見た他の個体が異常を察知し、その脚や翼を止める中、一部始終を見ていたストラは、

『は……!? 何を、したの……!?』

 単なる液体では無かったと理解はしていても、実際にそれが引き起こした事象をいまいち受け止めきれずに、驚愕の表情でそう問いただそうとした。

「……すぐに、分かるのである」

 ひるがえってローアは、声を荒げるストラとは対照的に小さくそう呟き、彼女に答えを示す様に他の個体に向け指を差す。


 ――その、瞬間。


『グェ!? グェアアアアッ!?』『ギャァッ! ギィアアアア!』『ギィイ! ギュアアアア……ッ!』


 溶解したのとは別の有翼虫螻ビヤーキーたちも苦しみだしたかと思うと、同じ様に洞穴中の個体が次から次へと溶け始めたではないか。


『な、何これ……!? あの液体が当たってない子たちまで、まるで感染してるみたいに……ひっ!?』


 ストラは焦燥感に苛まれつつも、何とかせねばと思いふと下を見た時、眷属ファミリアたちを湧き出させていた水溜りすら黄金色から漆黒に変化していた事に驚き、思わず声を上げてしまう。


「……一度ひとたび生物に振りかけたが最後、その種が絶滅するまで闇の細菌が感染し続ける……我輩の独創的オリジネイトにして、干渉メドル系統の超級魔術である。 外にいる個体も、今頃は同じ様にその命を散らしているであろうよ」


 何故か辛そうにしているローアがそう解説すると、ストラは信じられないといった表情を湛えて、

『何、それ……! じゃあ、僕の眷属ファミリアは……!』

 わなわなと全身を震わせながら、彼女は怒りを表す様に色濃くなった黄色の風を纏い始めた。


 ローアがニヤッと嘲る様に笑みを浮かべ、ストラの言葉に返答しようとした時、

「もう、産み出す事は……ぐぅっ!」

 その途中にありながら、彼女は自身の薄い胸、正確には心臓があるのだろう部分を押さえて苦しみ出す。


『え!? ろーちゃん!? だいじょうぶ!?』

「う、む……仮にも一種の生物を絶滅させる程の力、その反動も……がはぁっ!」


 彼女が口にしていた危殆きたいや反動とはこの事だったのだろう、望子が心配して声をかけるも、ローアはその小さな口から多量の血を吐き崩れかけたが、何とか膝をつくだけに留まった。


 一方ストラは、眷属ファミリアを失った事により怒り心頭といった様子で二人を睨みつけ、

『……よくも、よくもよくもよくもぉっ! 僕の可愛い眷属ファミリアたちを! ただ殺すだけじゃあ駄目だ、せっかくだしその友達ミコの前で嬲り殺しにしてやる!!』

 望子たちを指差しそう叫び放つやいなや、羽織ったローブの形が段々と大きく変化し、しばらくすると彼女の姿は、いびつな翼と鋭利な鉤爪を持つ……黄色の巨大な有翼虫螻ビヤーキーと成り果てていた。


 その醜悪な姿のまま、咆哮を放ちつつ自分たちに、いやローアに接近しようとするストラだったものから彼女を庇う様に望子は前に立ちはだかって、

『……っ、ろーちゃんはわたしがまもるの!』

 蒼炎と化した望子の身体が更に燃え上がり、完全にリエナの姿となってローアを守らんとする。


『あははっ! 良い度胸だね! でも大丈夫、安心して! ミコ、君は殺しはしないよ! 殺さない程度の事は……するけどねぇっ!!』

『……っ!』


 すっかり低くなった声で告げて、されど勢いを落とす事無く飛んでくるストラに怯えながらも、望子は決してその場を動かず待ち構えて――。




「みこに……手を出すなぁああああああああっ!!」

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