第90話 勇者スイッチON

 食事の速度に多少の差はあれど、おかわりの分まですっかり食べきった望子たち。


 食器の片付けもレラと望子が終わらせ、彼女たちは大樹の葉を煎じたお茶を飲んで寛いでいた。


「いやぁ、美味しかったよ。 君は料理上手なんだね、ミコ君。 それに、火化フレアナイズなんて難しい魔術を手足の如く扱えるとは……いやはや、人族ヒューマンも見かけによらないね」


 そんな中、ずずっと控えめに音を立ててお茶を飲んだルイーロが望子に目を向けそう言うと、

「そ、そうかなぁ……ぇへへ」

 望子は照れ臭そうにしながらも、満更でも無いといった風に笑っていた。


「ふふ、本当に……結局私が教える事なんて殆ど無くてね、寧ろ私が色々教わっちゃったもの。 出来るなら養子にしたいくらいだわ」


 レラも夫に同意する様に、望子の綺麗な黒髪に手を伸ばしてそう口にしたが、

「それは駄目だよ! みこはボクらのだからね!」

 それを真に受けたフィンが望子をぎゅっと抱きしめて主張すると、彼女はくすっと微笑み、

「大丈夫よ。 取ったりしないから安心して、ね?」

 だから怒らないで、と優しく告げて、鋭利な爪を引っ込めて望子の頭を撫でた。


「それで、君たち今日は泊まっていくんだろう? 部屋は余っているから問題無いけど、明日以降も滞在するなら他に空いている広い住居を提供するよ?」


 こほん、と一度咳き込んで、話題を変えたルイーロの言葉に、ぐでんと椅子に座り込んでいたウルが、

「いや、あたしら明日にはここを発つ予定なんだ。 何つったか、あの……黄色い、風? それに襲われる前に山を下りた方が良いってスピナに言われてよ」

 よっ、と声を上げてきちんと座り直したかと思えば、今度は足を組んで座り、今朝のスピナからの忠告をそのまま彼に話す。


 ――瞬間。


「……あぁ、そうか。 そうだったね。 確かにそれなら長居はおすすめ出来ないか」


 両肘を机について、組んだ両手を口元へ持っていきそう言った彼の表情は、極端なまでに曇っていた。


「……ねぇ、一ついいかしら。 その正体不明の風が貴方たちにとって脅威なら、別の山や森へ移住すればいいんじゃないの?」


 そこへ割って入る様に発言したハピがそう尋ねると、同じくこれまで沈黙していたスピナが、

『それがそうもいかなくてねぇ……あたしたちはこのリフィユざんから離れられないんだよ』

 机に置かれた緑色のクッションの上で羽休めしつつ、首をふるふると横に振って答えた。


「ふむ、何か理由が?」


 いつも通り興味津々といった様子のローアが、顎に手を当て問いかけると、ルイーロは軽く息をつき、

「単純な話ではあるんだけど……僕たちはもう随分と長くここを住処としているんだ。 それこそ義母かあさんが産まれるよりも前からずっと。 僕たち翼人ウイングマンは他種族よりも一層先祖を重んじる傾向にあるからね。 脅威に晒されているからと彼らが遺したこの場所を捨てるなんて事は出来ないし、したくないんだ。 例え……命を捨てる事になっても」

 そう言い終わる頃、彼の表情は決意と遺憾が半々に入り混じった様なちぐはぐな笑みへと変化していた。


「そんな……しんじゃったらいやだよ」


 望子は特に最後の一言に強く反応し、身を乗り出しつつも俯いてそう呟いたが、

「……ふふ、心配してくれてありがとうね、ミコちゃん。 でもこれは私たちの総意であり、宿命なの。 相手が風なら尚更、ね」

 隣に座っていたレラが先程よりももっと優しい手つきで頭を撫でてくれた事で、余計に悲しくなってしまった望子はうるっと目に涙を溜める。


「その通りだ。 当然俺も退くつもりは毛頭無い。 今は一方的にしてやられているが、いずれは……」


 現頭領のルドも、母親であり先代頭領でもあるレラに賛同する様にそう口にして、鋭利な爪を備えた拳を胸の前に掲げギチッと音が聞こえる程に握りしめた。


 一方、翼人ウイングマンたちの覚悟を目の当たりにした望子は、ごしごしと袖で溜まった涙を拭い、

「……ねぇ、みんな」

 その小さな口をひらいて、ウルを始めとした仲間たちにそう声をかける。


 だがその瞬間、ウルがバッと腕を伸ばして望子を制し、その愛らしくも決意に満ちた表情をした勇者に、

「あー……ミコ、お前が何を言いたいのかってのは大体分かってる。 だが敢えて言わせてくれ。 あたしたちには目的があるんだぞ、大きな大きな目的が」

 粛々と言い聞かせる様に語り、普段なら絶対に望子には向けない鋭い視線で睨みつける。

「そ、れは……そう、だけど……でも……!」

 そんな彼女の気迫に押されつつも、望子は言葉に詰まりながら反論しようとした。


 その時、この空気の中でも呑気にお茶を味わっていたフィンが、あのさ、と口を挟み、

「良いんじゃない? ボクたちが協力すれば大抵何とかなるでしょ。 前もそうだったし……それにほら、今回はこの子もいるし、ねぇ?」

「……む? あ、あぁ」

 そう言って、隣に座るローアの銀色の髪をぽんぽんと優しく叩きながら望子を援護すると、ローアは少しぎこちない返事をしつつ頷いた。


「お前なぁ……そんな簡単に」


 いかねぇんだよ、とウルは心底呆れ返った様に彼女に対しそうぼやこうとする。


「協力? 待ってくれ、さっきから何の話だ」


 そんな折、フィンの言葉に出て来た『協力』というワードに引っかかったルドが、軽く身を乗り出して望子たちを見遣りながら尋ねると、

「えっと……その、きいろいかぜ? をなんとかするの、わたしたちもてつだっていいかな」

「ちょ、ミコ……」

 ウルの制止も虚しく、望子は彼の問いに拙いながらにそう答え、本日二度目となる手伝いを申し出た。


「……え、君たちが、かい? それは……」


 その言葉に真っ先に反応したのは、ルドでもスピナでも無くルイーロであり、彼は特に望子とローアに不安げな目を向けながらそう呟いて、

「ミコちゃん、気持ちは嬉しいわ。 でもね、お料理の手伝いとは違うのよ? とっても危ないの。 分かる?」

 同じ様にレラも望子の肩に手を置き、まるで自分の子に言い聞かせるかの様に諭そうとする。


 それでも望子は譲る事無く、肩に置かれたその手に自分の小さな手を添えて、

「わかってるよ……でも……わたし、ゆむぐっ」

 思わず自分の正体を口にしかけたところを、瞬時に気づいたフィンが望子の口を塞いだ事で何とか免れ、

「……ゆ?」

 望子が言い損ねた何かが気になったレラはそう聞き返したが、当のフィンはあたふたしつつも、

「……ゆ、勇敢だからみこは! こう見えて! ね!」

「む、むぐ」

 以前も似た様なやりとりをした事を思い出した望子は、謝意も込みでフィンの言葉に頷いた。


 その時、クッションからパサっと飛び立ったスピナが未だ納得のいっていないレラの前に降り立ち、

『良いんじゃないかね。 今は猫人ケットシーの手も借りたいくらいなんだ。 それにこの子たちはあんたたちが考えてる何倍も有能だよ。 一人残らず、ね』

 渋面のレラとルイーロを諭す様に、可愛らしくも真面目な声音でそう告げる。


(猫の手も、ってやつかしら。 異世界こっちにもあるのね)


 ハピは、彼女の言葉に日本のことわざを思い返し、そんな事を考えていた。


「……そう、だな。 俺も賛成だ。 少なくともハピは俺より強いんだ。 他の四人もきっと大きな戦力になる」


 ルドが祖母スピナに賛成する様に、腕組みをして頷き、真剣な表情でそう言うと、

「……二人はこう言ってるけど、どーする?」

 フィンはカクッと首をかしげて、レラとルイーロの答えを待つ。


 二人はしばらく俯いて思案した後、考えがまとまったのか同時に顔を見合わせて、

「……分かったわ。 正直、私たちだけじゃあほぼ手詰まりだったのも事実だもの」

「そうだね……ミコ君、それに君たちも。 同胞たちをこれ以上失わない為に、力を貸してほしい」

 諦めの感情も混ざったその声で、望子たち五人の目をしっかりと見てそう言って、立ち上がったかと思うと深々と頭を下げると、それに続く様にルドとスピナもペコっと同じく頭を下げ願い乞う。


 そんな翼人ウイングマンたちを見た望子が、唯一反対意見を持っていたウルをジーっと見つめると、

「……しゃーねぇな、やるか」

 彼女は、はぁ〜、と深く深く溜息をつきながら椅子にもたれかかってそう口にした。


「! うん! ありがとう!」


 望子はウルの言葉に嬉しそうに反応し、がんばろうね、と翼人ウイングマンたちに声をかけ、彼らも顔を上げつつ感謝の言葉を口々に述べた。


 ……その一方、彼女たちの輪に加わる事無く、俯いて腕を組みながら何かを思案していたローアは、

(何を置いても優先すべきはミコ嬢。 我輩の想定通りならば、最悪この集落も翼人ウイングマンも捨て置けばいいが……そうもいかぬのであろうな)

 一見非情ともとれるそんな考えを、グルグルと思考の渦巻く脳内で繰り広げている。


(全く……いつの世も勇者というのは、良心的で、道徳的で、そして……利己的エゴイストである事よなぁ)


 かつて一人の女性の哀しい涙を止める為に、単身で魔族の軍勢に挑んだ男の姿を思い出しながら。

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