第81話 人狼の大咆哮

 辺りに響き渡る鳥たちの大合唱の中、ウルはぺたんとさせた耳を軽く押さえながら、

死奴隷鳥スレイバルチャーねぇ……隷属って……あいつら、あたしらを奴隷にするつもりなのか?」

 そう言って、特に耳を塞ぐ様な事もしていないローアへチラッと目を向ける。


「まぁそういう事であるな。 此奴こやつらは獲物に二つの選択を迫り……隷属スレイブを選んだ場合は、ある程度痛めつけてから自分たちの巣に運び、奴隷とするのである」


 ローアが右手の人差し指と中指を立てて、苦々しい表情のままにそう説明すると、

「……何の為に?」

 いまいち要領を得ないといった怪訝な表情を浮かべたハピが、首をかしげて問う。


「戦力の増強、小鳥たちの噛ませ、新たな獲物の誘導……など、じぶんたちに出来ない事をさせる為であるな」


 するとローアはうむ、と頷いて、今度は左手の親指から中指までの三本を立て、かつて適当な人族ヒューマンで実験した結果を自慢げに語った。


 そうしている間にも段々と彼女たちを囲む鳥たちの輪は狭まっており、苛ついたウルは軽く舌を打って、

「……まぁいいや、殺られる前に殺りゃいいんだろ? ここはあたしが……」

 そう低い声で呟き、いつも通りに赤く輝く爪を展開しようとしたのだが――。


「……それで済むならとうに我輩が手を下しているのであるよ、ウル嬢」

「あぁ? どういうこった」


 呆れた様に溜息をついたローアに、ウルがより一層語気を強めて尋ねる。


死奴隷鳥スレイバルチャーには、決して手を出してはいかぬのである。 例えばこの場にいる個体をあまねく狩り尽くしたとしても、それで終わりとはいかぬ」


 きょろきょろと自分たちを囲む鳥たちに目を向けながらそう説明しようとした時、

「……きりんか、ってのと関係あるの?」

 おそるおそるそう呟いたハピに、ローアはほぅと感嘆の息を漏らす。


「それも視えているのであるか。 その通りであるよ、ハピ嬢。 此奴こやつらは短い生涯でたった一種、そしてたった一度だけ魔術を行使する。 外敵に命を奪われた場合に限り二度目の生が約束される『輪廻殺傷キリンカ』を」


 顎に手を当てながら長々とそう解説したローアの言葉を切って捨てる様に、

「あーあー、そりゃ凄ぇな。 で? 生き返ってくんならまた殺っちまえば……ん?」

 ウルが再び爪に魔力を込めたその時、彼女は何かに気がついたのか小さく声を上げた。


 ローアは首をかしげた彼女の反応を見て、気がついた様であるな、と口にしつつ頷いて、

一度ひとたび手を出してしまえば半永久的に此奴こやつらを敵に回す事になる。 最も確実な対策は出くわさぬ事なのであるよ。 まぁ……時既に、というところではあるが」

 実に面倒な事である、と呟いてウルと同じく軽めに舌を打ち、再び群れに視線を戻す。


 そんな折、あまりの煩さに地面に座り込んでしまっていたフィンの頭をぎゅっと抱きしめていた望子が、

「あ! いるかさん、このまえのこもりうたは!?」

 ドルーカの領主からの指名依頼で向かった奇々洞穴ストレンジケイヴにて遭遇した、百足の魔蟲を一瞬で眠らせたフィンの魔術を思い出してそう言うと、

「え? あ、音入ねいるか……うーん、あれ結構疲れるんだけど……みこが言うなら……」

 気が進まない様子だったが、フィンはそう呟いてふわっと浮き上がり、魔道具アーティファクトを展開しようとした。


「あー……待て待てフィン。 やっぱあたしがやる、お前はあのシャボンでミコ守ってろ」


 その時、そんな彼女を手で制したウルが、何故か妙に自信有り気に以前から何度も目にしていたシャボン玉を脳裏に浮かべながらそう口にした。


「……話聞いてた? 傷つけちゃ駄目なのよ」


 貴女じゃ無理よ、とハピは心底呆れた様子で、近寄ってくる鳥を睨みながらウルに告げる。


 ウルはハピの進言など何処吹く風といった様に、しっしっと手を振って、

「いいから任せとけって。 フィン、頼むぜ」

 形の良い豊かな胸を張ってそう返しつつ、フィンに魔術の行使を依頼する。


「まぁボクは楽出来るならそれで……泡沫うたかた


 フィンが気怠げにそう言って、ウルを除く全員を包む様に大きなシャボン玉を展開したその瞬間――。



『『『――死ねスレイ死ねスレイ死ねスレイ!』』』



 フィンの魔術の行使を、隷属の意思無しと捉えた死奴隷鳥スレイバルチャーの群れは、一羽、また一羽とその鳴き声を変化させ、彼女たち目掛けて一斉に羽搏き始めた。


「はっ、殺れるもんなら殺ってみやがれ!」


 ウルは挑発するかの様にそう叫び、それまで装着し続けていたマズルガードの様な魔道具アーティファクト大牙封印スロットルを勢い良く外し、右の爪に魔力を集め、

「ぐ、うぅぅ……グルル……!」

 あろう事かその爪を首筋に当て、傷つかない程度に力を込めて絞め始めた。


『おおかみさん!? なにしてるの!?』


 その行動に驚いた望子がそう叫ぶが、シャボンの外には届かない。



『『『――死ねスレイ死ねスレイ――』』』



 大合唱も最高潮ピークに達し、今にも彼女に群がらんとしたその時、ウルは首を絞めていたその手を解放し、瞬間的に大きく大きく息を吸い、そして――。




『……ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ------……ッ!!!』




 ――ともすれば山を越え、先にある港町にまで届くのではないかという程の遠吠え。


『『『!!? ギャアッ! ギャアッ!』』』


 それを耳にした死奴隷鳥スレイバルチャーの群れは、ぶるりと身を震わせたかと思うと、悲鳴にも似たけたたましい鳴き声を上げつつ我先にと山奥へと飛び去っていく。


 そしてその吠え声の影響を受けたのは、何も鳥たちだけで無かった様で――。


『嘘でしょ!? シャボン越しに……!』


 本来なら、高い防護性と遮音性を誇るフィンの泡沫うたかただが、ウルの放つ轟音はあろう事か彼女の魔術を貫通し、フィンの体内の魔力をびりびりと大きく揺らす。


 今にも割れてしまいかねないシャボン玉に手をかざし、汗を流し苦々しい表情で魔力を注ぐフィンに、

『いるかさん!? だいじょうぶ!?』

『ほう、これは……』

 かたや望子は心底心配そうに声をかけ、かたやローアはすっかり興味が泡沫うたかたからウルへ移ったのか、顎に手を当てシャボンの向こうへ目を向けて呟く。


「げほっ、けほっ……へへ、ざまぁねぇぜ」


 喉を酷使した為か咳き込みつつも、泡を食った様に飛び去っていく鳥たちを見て嘲笑したウルに、

「ウル、今のは……?」

 彼女の眼にはその正体が映っているものの、一応確認の為にとハピが聞いてみた。


「ん? あぁ、『王吠おうぼえ』っつってな? 吠え声であいつらの魔力を揺らしてビビらせて逃げてもらったんだよ」


 息も随分整ってきたウルが、先程大声に付けた名を挙げそう説明すると、

「成る程、龍如威圧ドラガスリートに近いのであるな。 最も、こちらの方が遥かに強力であろうが」

 ローアはうむうむと頷きながら、かつて王都にて龍人ドラゴニュートのレプターが放った魔術を例に挙げて告げる。


「おおかみさんすごい! かっこいい!」


 そんな中、きらきらと目を輝かせた望子が、大活躍したウルを称賛し、

「へへ、だろ? もっと褒めていいぜ!」

 ウルは望子を抱きかかえ、頭よりも高い位置まで持ち上げて満面の笑みでそう言った。


 一方、意地でも望子に被害が及ばぬ様に、と泡沫うたかたを何とか制御していたフィンは、

「うー、耳痛ぁい……ん?」

 未だにウルの咆哮が耳にキーンと残っており、頭の横の鰭をさすっていたのだが、

(今のって……さっきの鳥がまだいたのかな)

 そう頭の中で呟いた彼女の耳は、先程まで嫌という程耳にした鳥の羽音の様なものを捉えていた。


 結論から言えば、音の正体は鳥ではあったのだ。


 ――死奴隷鳥スレイバルチャーでは、無かったが。

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