第80話 空より飛来せしもの

 見かけによらず凶悪な栗鼠りすの魔獣との接触を避け、登山を再開した望子たち。


 しばらくの間何かと出くわすといった事も無く、穏便に登山をしていたそんな中、

「……そろそろ中腹辺りまで来たかしら」

「おそらく、ではあるがなぁ。 何せ我輩も魔族ゆえ、人族ヒューマンの領土には疎いのである」

 翼を畳み歩いていたハピが呟くと、隣を歩いていたローアが肩を竦め、ふぅと息をついてそう返した。


「……研究者なのに?」


 ハピはそんな彼女の返事を不思議に思い、目線を下にやり、首をかしげて問うと、

「研究者だからこそ、であるよ。 我輩の専門分野は同胞である魔族を含めたありとあらゆる生物と、それらが扱う魔術や技術。 その他に大した興味は無いのである……一つの例外を除けば」

 ローアは人差し指をぴんと立てて自らの役割を語りつつ、そう言い終わると同時に後ろを歩く望子をほんの一瞬だけ振り返って見遣る。


「……望子やフィンがどう思ってるかは知らないけれど、私とウルはまだ貴女を信用してる訳じゃないわ。 少しでもあの子に害が及ぶ様な事をするのなら……」


 するとハピの双眸が途端に光を失い、手を下に向けたまま音を立てて爪に冷気を纏わせながら威圧する。


「くはは……ではまずはお主たちからの信用を得ねば。 お主の攻略は難航を極めそうであるなぁ。 まぁウル嬢は……ともかくとしても」


 一方ローアは彼女の威圧を心底余裕そうに笑い飛ばし、さりげなく最後尾を歩くウルを暗に単純で扱いやすいと口にしつつそう告げた。


 そんな折、前を行くハピとローア、後ろを歩くウルとフィンに挟まれる様にして歩いていた望子が、ハピたちの話に聞き耳を立て、

(なんのはなししてるんだろう……ぅん?)

 されど大して理解は出来ずにそう考えながら、何気なくふと後ろを振り向くと、

「んー……」

 ウルがきょろきょろと辺りを見回しながら、自慢の鼻を鳴らしているのが見えた。


「……おおかみさん。 もしかして、まだにおいがきになるの?」


 先程も似た様な行動をとっていた事を思い出して、望子がウルの顔を覗き込んで尋ねると、

「いや、何つーか……登りゃあ登る程臭いが強くなってるからよ……その、血の臭いが」

 ウルはそう言って、望子やハピたちを通り越したその先に目を向ける。


 すると彼女の呟きが聞こえていたローアが、ふいっと振り返りつつ顎に手を当てて、

「ふむ、それでは一旦ここで野営するであるか? 先程ハピ嬢とも話しておったのだが、今我らがいる地点が中腹辺りであろうし、一度調子を整える意味でもキリが良さそうだと思うのであるが、如何に?」

 現在自分たちがいる場所が少しひらけているという事もあり、そう提案した。


「……そう、だな。 ミコ、それでいいか?」


 ウルは、んー、と数秒程思案した後、一党パーティ頭目リーダーである望子に確認し、

「……うん、いいよ……みんなごめんね、わたしがあるくのおそいから、あんまりすすめなくて……」

 話を振られた望子が了承しつつも、へにゃっと眉を垂らさせてそう謝罪すると、

「そんな事無いわよ望子。 寧ろここまで一人で登れたんだもの。 良く頑張ったわ」

 偉い偉いと黒髪を梳く様に撫でて、ハピはしゅんとしている望子を慰めた。


 そんなハピの慰めもあってか望子は無事に立ち直り、それを見たハピが他の三人に向けて、

「それじゃあ、今日はここで……フィン? 聞いてるの? さっきから随分静かだけど」

「……いるかさん?」

 野営をしましょうと言おうとしたのだが、こういう時真っ先に返事をするフィンが空を見上げて黙っている事に違和感を覚えたハピと望子はそう問いかける。


 望子の心配そうな声にハッと反応したフィンは、頭の横の鰭を動かしながらも望子に目を向け、

「えっと、ね……さっきからずっと聞こえてた声だか音だかが急に大きくなって……」

 そう言い終わると同時に、再度空を見上げて耳を澄ませようとしたのだが、

「声、音……どの様な?」

 ローアがそこへ割り込む様に聞いてきた為、ん? とそちらへ顔を向けた。


「なーんか別の音も混ざってて聞き取りにくくいんだよね……す、すれい、おあ……?」


 問いかけられた彼女は首をかしげ、耳に届く様々な音の中からずっと聞こえていた不気味な声の様なものを識別してそう口にした瞬間、ローアが目を見開き、

「……! スレイブ、であるか?」

 心当たりがあったのか、小さく、しかしはっきりとした声音で尋ねてみせる。


「そうそう、良く分かっ……え? 何で分かったの?」


 一方、自分にしか聞こえていないはずの声を言い当てたローアにフィンがそう問うと、

「……厄介な事になったのである。 生息域は世界中に分布しているとはいえ、出くわしてしまうとは……」

 彼女は懐に手を突っ込みつつ軽く舌を打って、苦々しい表情を浮かべてそう言い捨てる。


 普段の楽観的な彼女とは違う、余裕の無さそうなローアを不思議に思ったウルが、

「おい、何の話を……っ!」

 そう尋ねようとした途端、彼女は何かを察知したのか、前、左、右、最後に空を見上げたかと思うと、突如自分の首に畳んで装着していた魔道具アーティファクトを口を覆う様にして展開し、臨戦態勢をとった。


「ちょ、ウル、どうしたのよ……って、あら? さっきの、鳥……?」


 そんな彼女に釣られる様に空を見上げたハピは、まるで自分たちを包囲するかの如く空を舞う、地球でいうところの禿鷲はげわしに良く似た鳥の群れを視界に収めた。


 その鳥は頭の部分を除き赤黒い羽毛に覆われ、元は白かったのだろう鋭利な嘴はすっかり血に染まっており、何より目を引いたのは狂気じみた赤い目と、一見余計にも思える三本目の脚の存在だった。


「な、なに? こわそうなとりさんがいっぱい……」


 望子の言葉通り、怖いという表現が良く似合うその鳥は、一羽、また一羽と降下し、ある個体は木々に留まり、ある個体は地面に降り立ち、またある個体は『ここにいる』『逃すな』とでも言う様に未だ彼女たちの上空をぐるぐると旋回していた。


「……やはり、であるか。 さて、どうしたものか」


 一方、その鳥たちを見て何かを確信したのか、深く深く息を吐いたローアは思わせぶりな呟きをして、

「ローア、こいつら一体――」

 何なんだ? とそれを聞いていたウルが、そう問いかけようとした瞬間――。



隷属か死かスレイオアスレイブ!』



『『隷属か死かスレイオアスレイブ!!』』



『『『隷属か死かスレイオアスレイブ!!!』』』



「ひゃあっ!?」

「ぅお! 何だぁ!?」

「ああああ! うるさぁああああい!」


 彼女たちを取り囲む禿鷲のおぞましい大合唱に、望子は怯え、ウルは驚き、フィンはうるさがって頭の横の二つの鰭を押さえる。


 そんな中、自分の役目は視る事だと理解していたハピは極めて冷静に鳥たちを観察し、

「……すれい、ばるちゃー?」

 妖しく光る翠緑の瞳で見通したその名を、誰に伝えるでも無い小声で呟いていた。


「……流石であるな。 此奴こやつらの名は『死奴隷鳥スレイバルチャー』。 一度ひとたび獲物と見定めた生物に隷属か死か、二つの選択を強いてくる理不尽かつ迷惑極まりない魔獣である」


 一方、そんなハピの呟きが聞こえていたローアは、大音量で鳴き続ける鳥たちを苦虫を噛み潰したような表情で見遣りながら……そう吐き捨てた。

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