第78話 その存在の名は

 リフィユざんを登り始めた望子たちは、長年放置されていたのだろう、でこぼことした山道を通りながら異世界の山の風景を物珍しそうな表情で堪能していた。


「あの時の……何とかって森ほどじゃ無いけど、自然豊かだし空気も悪くないね」


 フィンがぐーっと背伸びしてから、名前こそ思い出せなかったものの、脳裏にサーカ大森林の風景を浮かべてそう口にすると、望子がこくんと小さく頷いて、

「そうだね……あ! ねぇねぇいるかさん! あそこにりすがいるよ! かわいいなぁ」

 そう言って指差した先に、木の枝にちょこんと立つ小さな二匹の栗鼠りすの姿があった。


 そんな望子の言葉に、どれどれと反応したフィンはそちらを見るやいなや、

「ほんとだ……うん? 手と口元が赤いけど、木の実か何かでも食べてたのかな……そうだ。 みこ、触ってみる? ボクが捕まえてあげるよ」

 その栗鼠りすたちの風貌に多少の違和感を覚えたものの、みこの為ならとそう提案し、

「いいの? それじゃあ……」

 おねがいしてもいい? と上目遣いでフィンに頼もうとした望子だったが――。


「……望子、やめておきなさいな」

「フィン、お前もだ」


 突然会話に入ってきただけで無く、かたやハピが優しく抱く様に望子を、かたやウルが自分の肩にバンと手を置いて止めにきた事に、

「え、どうしたの二人とも」

 何してんの? とフィンが首をかしげて尋ねると、二人は至って真剣な表情でこちらを見つめている。


「む? ……あぁ、あれに触れるのは我輩としてもおすすめ出来ぬのである」


 その時、ウルとハピに同意する様にローアも愛らしく首をかしげる二匹の栗鼠りすを遠目にそう告げて、

「どうして、あんなにかわいいのに……」

 そんな彼女の言葉に、信じられないといった表情を浮かべて望子は小さく呟く。


「だって名前がもう……ねぇ」


 その眼で木の上の栗鼠りすの種族名を見通していたハピは、随分とげんなりした様子でローアを見遣ると、彼女はコクンと頷いて、

「あれは『頭喰栗鼠スカルスマッシュ』。 その愛らしい外見で自分を餌と認識した、もしくは触れようと近づいた生物の頭蓋を割り脳髄を啜る……極めて凶暴な魔獣である」

「「ひえぇ……」」

 低い位置から見上げながらそう解説すると、望子とフィンは栗鼠りすたちの愛くるしい双眸が途端に恐ろしくなり小さく声を漏らす。


「あの赤いのも……そういう事だよな?」


 改めてすんすんと鼻を鳴らし、鉄の様なにおいを感じていたウルがローアに視線を向けると、

「乾き切っていないところを見るに、食事を終えたばかりか、或いはその最中に我々に気づいて覗きに来たか……いずれにせよ、関わらぬのが一番であろうよ」

 彼女は頭喰栗鼠スカルスマッシュの爪からしたたる赤黒い液体を、興味深そうに見ながらそう忠告した。


 望子は顔を青ざめさせながらも、ふいっと栗鼠りすから視線を外しつつ首を横に振り、

「そ、そっか……ありがとね、ろーちゃん」

 不用意な自分に釘を差してくれたローアに、力無く笑みを浮かべて謝意を示すと、

「何、 ミコ嬢を無用な危険に晒す訳にはいかぬゆえ。 これくらいは朝飯前である」

 我輩は監視役であるからな、と薄い胸をトンと叩いて自信満々に言った彼女に、望子は改めて礼を述べながら抱きついた。


「……聞いた? ねぇ聞いたかしら?」


 そんな少女たちを見ていたハピが、皮肉めいた笑みをウルに向けてそう尋ねると、心底バツが悪そうに、

「……うっせぇ、ありゃ冗談だっつったろ」

 少し前に提案した穴掘りの件を引き合いに出してきたハピを睨みながら、拗ねた様にボソッと呟いた。


 その後、望子たちは順調に登山を続けていたのだが、そんな中ガシガシと頭を掻いたウルが前を歩く白衣の少女に向けて声をかけ、

「……おいローア、そろそろ教えろよ。 魔物や魔獣が活性化してるって話の真意を」

 決して上機嫌とは言えない彼女の言葉に、あぁ、とローアが登山前のやりとりを思い出して声を上げる。


「……そうであったな。 まぁ異世界から来たお主たちが知らぬのも無理はないが……まず前提として、この世界を掌握しようと企んでいるのは、我々魔族だけでは無いのである」


 こほん、とわざとらしく咳をしてみせた後、右の人差し指をぴんと立てて彼女たちにそう説明し始めた。


 彼女にとっては周知でも、自分たちにとっては衝撃的な事実を口にしたローアに、

「……呆れた、魔族あなたたち以外にもそんなのがいるの? 亜人族デミはともかく、人族ヒューマンはよく生き残ってるわね」

 ハピは肩を竦めながら深く溜息をつき、そう言いながら先を促す。


「無論、彼奴きゃつらが一度ひとたび牙を剥けば、人族ヒューマン亜人族デミもその多くが死滅するであろうし、我々魔族でさえ敗北はせずとも大きな損害を受けるのであろうが……何せ彼奴きゃつら、揃いも揃って慎重派であるからな。 中々尻尾を掴めんのである」

「成る程、表立ってこの世界をどうこうしようとしてる魔族とは正反対の存在なのね」


 ローアがハピと同じ様に肩を竦めてそう語ると、ダウナー気味な彼女の説明を大方理解出来たハピは、得心がいったという風にそう口にして頷いた。


「うむ。 我輩も長く生きてはいるが、実際に相対したのはたったの二度なのである……最も、それらは封印される前の事ゆえ、千年以上も経つのであるが」


 そんなハピの発言を肯定し、昔を思い返して遠い目をしながら言ったローアにウルが横目で彼女を見て、

「……で? その彼奴きゃつらってのは結局何なんだ? 魔族でも無きゃ……悪魔か何かか?」

 自分が思いつく敵対勢力として相応しい種族の名を挙げ、確認する様に彼女へ尋ねた。


 するとローアは一拍置いて、ほんの少し緊張した面持ちでゆっくりと口を開き、

彼奴きゃつらの名は、『邪神』。 お主の言う悪魔など可愛く見える程の力を持つ、文字通り、よこしまなる神である」

「「……!」」

 その小さく可愛らしい口から出てきたあまりに不釣り合いな存在に、ウルとハピは目を見開き思わず顔を見合わせた。


 ……ちなみに望子とフィンは、道中見つけた普通の狐と、ちっちゃいおししょーさまだ、そーだねぇ、とそんな風に戯れている。


 ――彼女たちの間に、天と地程の異常な温度差が生まれた貴重な瞬間であった。

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